第六十四話 男子高校生は愛を探してさまよう5

前話のあらすじ


祭りで怪しい男たちに車に連れ込まれた俺。平気な顔をしてたのは宏海が助けてくれると信じてたからだ。でも、そこに現れたのは夏に俺を拉致しようとした変質者。ヤツは俺をジュリアと呼んで乱暴する。そして宏海は俺のために最強の男と死闘する。


◇◇◇


 小学校の頃からずっと樹里亞じゅりあと一緒で、俺には男友達なんか一人もいなかった。

 周りの男の子たちは俺が『女の子っぽい』という理由だけで仲間はずれにして一緒に遊んではくれない。そればかりか意地悪されたり故意に無視されたりして、男同士の付き合いに良い思い出はない。

 中学校に入ると男の子の遊びと女の子のそれの違いがより大きくなった。遊びだけじゃない。体育の授業も一緒ではなくなった。樹里亞もこのまま一緒にいては俺が男らしくなれないと考えたのかもしれない。すぐに俺たちはは別々に登下校するようになった。

 そしていつしか俺は学校の中で孤立していった。


 そんな時に、俺を構ってくれたのが宏海ひろみだった。中学時代の彼はガキ大将がそのまま大きくなったようなヤンチャな少年で、一年生の頃から他校の生徒と喧嘩したり万引きしたり煙草を吸ったりと、好き放題な生活をしていた。

 俺はなぜか彼に気に入られ、あちこち連れて行かれてはトラブルに巻き込まれていた。隣町の高校生と揉めて大喧嘩に発展した時なんか、怪我をして救急車に乗るハメにもなった。

 そんな俺の姿を見て樹里亞が怒ったんだ。

 彼女は当時学校を牛耳っていた宏海を力で倒し、役に立ってなかった生徒会を解散させて新しい生徒会長に収まると、裏と表の両面から学園の大掃除をしてしまった。

 こんな風に言うとまるで樹里亞の武勇伝なんだけど、話の主人公は宏海である。

 樹里亞に負けてしまった宏海は、彼女に恨みを持つこともなく、以前のように俺を構って遊んでくれると同時に、俺になにかあった時は助けてくれるようになった。

 もともとから宏海の男らしさに憧れていた俺は、以前よりも強く彼に惹かれるようになった。背は百八十センチを超える長身で、凄みを漂わせるイケメンのくせに、こんな女の子みたいな俺を構ってくれる。そんな宏海が好きだった。

 最近はよそよそしかったり逆にベタベタしたりなんだかよくわからない関係だけど、樹里亞がアメリカに行ってしまった今も変わらずに俺を守ってくれている。


 そんな彼が今、大怪我を負って病院のベッドに寝かされていた。


◇◇◇


 俺を襲った変質者は祭りの警護にあたっていた警官に取り押さえられた。宏海に酷い怪我を負わせたくせに、警察がきた途端に借りてきた猫のように大人しくなって、あっさりと逮捕されてしまったのだ。


 俺は現場の警官に簡単な事情聴取を受けてから、ストレッチャーに乗せられた宏海に付き添って救急車に乗り込んだ。

 ビーチの時もそうだったけれど、救急車という乗り物はなんであんなに遅いんだろう? いや、救急患者を乗せるわけだから走ってる時は安全運転が鉄則なのはわかってる。俺が言いたいのは、患者を乗せてから出発するまでの時間の長さだ。

 患者の容態や既往歴から最適な受け入れ先を探すためだろうことは理解しているけれど、あちこち傷だらけで苦しんでる親友を乗せたままいつまでも発車しない救急車にイライラして、救急隊員に八つ当たりしてしまった。


 救急センターで宏海の怪我の処置が行われている間、俺は長椅子に座ってぼぉーっとしていた。蛍光灯が消毒されたような清潔な光で廊下を照らしている。

 慌ただしい足音に視線を向けると、長い廊下の向こうから、るちあが息を切らしながら走ってきた。


「コレに着替えて」


 そう言って、スエットの上下を渡される。改めて自分の格好を見たら、皺クチャになった浴衣を体に巻きつけて、その上からジャケットを羽織っているだけだった。救急隊員の制服のようだったけど、いつ誰に着せられたのか覚えていない。帯も下駄もなく、両足とも裸足だった。


夕夜ゆうやは、中央病院の救急に入ってるの。処置が終わって落ち着いたから、もう大丈夫よ。松崎まつざきくんの方はどうなの?」


 自分のコートで目隠しして俺の着替えを手伝ってくれる。

 そうか、宏海だけじゃなく夕夜も戦ってくれたんだ。るちあは夕夜の容態を確認してから、こっちに駆けつけてくれたのだろう。急に胸が熱いもので一杯になる。


「俺のために夕夜にまで怪我させて……。ゴメン、るちあ」


「なに言ってるの! 東條とうじょうくんなんか……」


 そう言ったまま絶句した彼女の瞳がたちまち透明な液体でいっぱいになる。優しい腕が伸びてきて、俺の顔をその豊満な胸で抱きしめてくれた。


 しばらくして俺の両親と宏海の親が病院に駆けつけてきた。

 るちあと俺とで事情を説明したが、話を聞いて真っ青になった宏海の母親が涙を流しながら俺と両親に頭を下げてくれる。それを見て俺の両親が慌てて頭を下げ返す。

 そう。もう中学生の頃とは違うんだ。今回は俺が悪くて……彼は悪くない。


◇◇◇


 散々待たされた後、やっと診察室に呼ばれた。

 婦人科の診察台に寝かされて両脚を台の上に固定される。大学病院でさえこんな屈辱的な格好で診察を受けたことはない。追い打ちをかけるように、ここでも男性経験の有無を聞かれた。

 女性が強姦の被害に遭った場合、望まない妊娠を防ぐ目的で緊急避妊薬というものが処方されるらしい。性交後七十二時間以内に服用すれば高確率で妊娠を防ぐことができる薬だ。だけど、そこで問題が起こった。

 母親が持ってきてくれた俺の保険証の性別が『男』だったのだ。緊急避妊薬は強姦の被害者などに対して公費で処方される薬で、一般には認可されていない。俺は戸籍が『男』なので処方してもらうことができないのだ。

 俺自身、どこまでされたのかはっきりわからないけれど、あんなことで妊娠なんて冗談じゃない。

 母親が医師に掛け合って別の緊急避妊方法を試すことになった。中容量ピルを飲んで身体を妊娠状態に近づける方法だ。モーニングアフターピルと言って一般的な産婦人科でも処方される。


◇◇◇


 翌朝になって調剤薬局で受け取ったピルは、可愛らしい色をしたツルツルの丸い錠剤だった。面倒臭いと思いつつ飲んだら、直後から最悪の副作用に見舞われた。

 俺が猛烈な吐き気と腹痛に悩まされている丁度その時、宏海の母親から連絡があった。彼が集中IC療室Uから出て一般病室に移されたということだ。ICUは親族しか面会できないが、病室なら見舞いに行ける。


 警察署でもう一度詳しく事情聴取を受けてから、見舞いの花を持って宏海の病室を訪ねる。付き添ってくれた母親は、病院のロビーで出くわした宏海の両親と話し込んでいる。

 宏海の部屋は廊下の突き当たりにある個室だった。


 病室のドアは開いたままになっていて、中を覗くとベッドの角が見える。他には誰もいないようだ。

 もう一度、入り口に貼られた『松崎 宏海』の名前を確認して病室に入る。

 ベッドに寝かされた彼の姿を見て、一瞬……心臓が止まりそうになった。それはまさに重体と表現して構わないほどの異様な姿だった。胸と両腕を指の先までギプスで固められ、首と腰をコルセットで固定された姿はサイボーグのようだ。

 もう一度、ベッドのヘッドボードに貼られた名前を確認する。確かに宏海だ。


「こんなに酷かったんだ……」


 ベッドの横に屈みこんで彼の顔を覗き込む。

 左目にも大きなガーゼが貼られて痛々しい。


 俺のせいだ……。


 俺が迂闊だったばかりに大切な親友をこんな姿にしてしまった。

 俺が浴衣なんか着てイイ気になっていたから……。

 俺が弱かったから……。

 俺が……女だったから……。


 この日、何度目かの感情の波に翻弄されて目頭が急に熱くなる。

 彼の顔を見ていられなくて、腕のギプスに額を押し付けた。ギプスから二本だけ出ていた指……たぶん、薬指と小指……に触れてみる。

 宏海の指先はちょっだけ冷たかった。


「誰っ?!」


 静かな病室に突然鋭い声が響く。

 イカン。変なところを見られちゃった。

 顔を上げると、俺と同い年くらいの女の子が病室の入り口で仁王立ちになっていた。花を活けた大きな花瓶を両手で持っている。学校に行く前に見舞いに寄ったのだろうか、見たことがないワイシャツ系の制服を着ている。シャツの胸元は中身の大きさを隠しきれていない。るちあほどではないけれど、かなりの巨乳の持ち主だ。


 宏海の妹……は、確か中学一年生のハズだから違う……てことは親戚……従姉妹とかかな? それとも……。

 俺が探るような視線を向けると、彼女は不審そうな目で俺をジロリと一瞥する。


「あの、東條とうじょう……雪緒ゆきおです。こんな事になってホントに……」


 罪悪感で声がどんどん小さくなっていく。

 俺が恐る恐る名乗ると、彼女の目がいきなり大きく見開かれた。


「雪緒……って、アンタがヒロをこんな目に遭わせたのね!」


 『ヒロ』……だと?


「アンタせいで酷い目に遭ったのよ! こんなことになって申し訳ないとか思わないの? 手をついて謝るのがスジってもんじゃないの?! だいたい、今なにしてたのよ!」


 女がものすごい剣幕でがなり立てる。

 もちろん、宏海が俺のせいで大怪我をしたのは事実だから、彼女の怒りはもっともだ。でもその前にどうしても気になることがある。


 コイツ……いったい何者だ?!


 この日の俺はホントはメチャクチャ機嫌が悪かった。ピルの副作用が酷かったからだ。宏海の病室に突然現れた見知らぬ女が巨乳だったからでは決してない。


「ウルせぇな! 自分が悪いのはよくわかってるよ。そんなこと、事情を知らない部外者に言われたくない! お前こそ、学校はどうしたんだよ? こんな所で宏海と二人っきりでいったいなにしてたんだぁ?」


 煽り文句のつもりだったのに、彼女は急に顔を紅く染めて黙り込む。

 まさか、コイツ。ホントなにかしてたのか?


「アっ……アンタこそ、ヒロを誘惑したくせに、その言い草はなによっ!」


「誘惑ぅ? 宏海を? バッカじゃねぇの? そんなことするわけないだろ!」


 宏海は男としての憧れであり、俺にとって大切な親友だ。それなのに『誘惑』だなんて、俺たちの友情を侮辱するにもほどがある。

 しかし、目の前の巨乳女も負けてはいない。


「はぁ? ゴマかしてもちゃんとわかってるのよ! アンタ、浴衣なんか着てヒロをお祭りに誘ったんでしょ! ちゃんと聞いたんだからね!」


 うん?

 俺が浴衣を着たのは確かだけど、祭りに行こうと言い出したのは俺じゃない。それに浴衣だって彼を誘惑するためじゃ……あるぇ?

 いやいや、ランさんの指示で浴衣を着たのは事実だけど、俺は誘惑なんかするつもりはない。そうだ! 思い出した。浴衣は宏海のリクエストだと聞いたんだ。


「宏海に頼まれたんだよ。着てくれって」


 俺がそう言った途端、彼女の表情が凍りつく。


「嘘よ! そんなこと言うハズない!」


 ホントは直接頼まれたわけじゃないけど、俺は嘘なんか吐いてない。この際、細かいことはどうでもいいんだ。


「浴衣だけじゃないぜ。夏休みに海に行ったら水着を着てくれってうるさいからビキニを着てやったよ。こーんなブラのエッチなヤツな」


 俺は両手の人差し指と中指を伸ばして、乳首を隠すポーズをして見せた。夏休みのビーチでランさんたちに着せられたマイクロビキニはまさにそんなデザインだったのだ。

 その時、宏海は単に『せっかくの海なんだから水着を着ろ』って意味で言っただけだろうし、ホントは『見たい』とも言われてないけどな。

 でも、それを聞いた彼女の表情がみるみる険しくなっていく。

 なんだかわからないけど面白い!


「ああいう水着ってさぁ、ちょっとはしゃいだらポロって見えちゃうんだよ。だから大人しくしてたのに、宏海がバレーボールやろうって煩くてさぁ。ブラはズレちゃうし紐は解けちゃうし、胸もお尻も宏海にたくさん見られちゃって困ったよ」


 夏休みの水着のエピソードは俺にとってはあまり思い出したくない黒歴史なんだけど、この生意気な小娘を黙らせるには有効なカードのようだ。


「ヒロはそんな男じゃなぁーいっ!」


 彼女は両手に持ったままの花瓶を怒りに任せて頭上に振り上げる。

 あぶねーよ!


「ヒロはアンタみたいな貧乳。好きじゃないもの!」


 なっ! ……んだとぉ!

 最近、どういうわけか俺の胸のサイズに言及するヤツが増えてきた。もともと男だった俺からみれば、自分のバストサイズなんぞにこれっぽっちもこだわりはない。それにも関わらず、その話題に敢えて触れてくるヤツは決まって『悪いヤツ』なのだ。

 正義の名の下に、俺はコイツを倒さねばならない。


 口喧嘩で幕を開けた俺たちの戦いは、互いの服を掴み髪を引っ張り合うリアルファイトに発展し、騒ぎを聞きつけて集まった看護師さんたちに止められた時にはボロボロになっていた。

 ガタイの良い看護師さんに両脇を抑えられた状態で、俺たちはまるで闘犬のように荒い息遣いで噛みつき合う。


「思ったとおりだわ! アンタ、とんだビッチじゃない! 大勢の男と遊んでたくせに、修羅場になったらヒロに頼るなんてサイテーの女だわ!」


 『サイテーの女』……か。

 牙の間から発せられる鋭い言葉が、俺の心臓に突き刺さる。身体中を駆け巡っていた大量のアドレナリンが一瞬にして乳酸に代わってしまったように、全身から力が抜けて足元がフラついた。

 男としても中途半端だったというのに、女になっても俺は……。


「それなのに、どーしてアンタはそんなに元気なのよ! 酷い目に遭ったって聞いたけど、なんでそんなに平気な顔してるのよ! おかしいじゃない! 変じゃない! そんなの……そんなの絶対ダメに決まってるじゃない!」


 彼女の眉間に深いシワが走り、目にはみるみる涙が溢れていった。

 俺が女としてもダメだってのはわかった。悔しいけれどコイツの言ってることは正しい。

 感情の起伏が極端に激しくなっているのか、さっきまで燃え盛っていた怒りが急に鎮火して、今の俺の頭の中はネガティブな気持ちでいっぱいになっていた。

 病室の床を見つめたまま黙り込んだ俺に、それでも彼女は怒鳴り続ける。


「アンタが平気にしてたら、なんのためにヒロが大怪我したのかわかんないじゃない!」


 そう言うと彼女はその場にしゃがみこんで泣き崩れてしまった。


 ああ、そういうことか。

 この娘は宏海の怒りに共感して怒っているんだ。そして今、彼女は俺の痛みに共感して泣いている。それは女の子特有の優しい感性ではあるけれど、俺から見れば面倒臭い女の特性に過ぎなくて……。

 でも、この娘の涙は間違いなく俺のためのものだ。

 そう思ったら、眺めていた彼女の姿がフイにぼやけて流れた。


「うるせぇぞ、真琴まこと!」


 突然、野太い声がして、巨乳女の頭にギプスで固められた腕がポンと置かれた。

 慌ててベッドを振り返ると、宏海が目を覚まして俺たちを見ていた。


 彼の瞳を見て最初に湧き上がった感情は『歓喜』だった。

 その次は『慚愧』……宏海に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 そして最後に俺の心を支配したのは『懐疑』だった。


 『真琴』と呼ばれた、この乳がデカイだけの生意気な女はいったい宏海の何なんだ? 俺は中学時代から彼と付き合いがあるけれど、こんな女の影すら今まで見かけたことはない。


「ああ? コイツか? 前に話したことあるだろ? 妹だ……」


「妹って、誰の?」


 唖然とする俺の前で宏海は自分を、彼女は宏海を指差した。

 嘘だろ? こんなに胸がデカイ女が中学一年生だと?!

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