ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜

孤児郎

プロローグ

 可愛いピンクのブラを胸に当ててホックを留める。ストラップに腕を通し、前屈みになって胸周りの脂肪をカップに納める。

 黒のガーターベルトをつけて、スナップでストッキングを留めてから、ブラとセットのパンツを履く。白のブラウスは透けるし、スカートはとても短いから、下手をすると両方ともチェックされてしまうのだ。黒革のローファーを履く。

 クリーニングされたブラウスを羽織ってボタンを留めると、細くて黒いリボンタイを結ぶ。

 ワンピースは編み上げビスチェにフレアスカートがついたタイプで、脚から履いて背中のファスナーで留める。編み上げ部分はダミーだ。

 ウイッグを被ってヘアブラシで整えると、フリルのついたヘアバンドで固定する。

 最後に、スマホをビスチェの胸に突っ込んで隠す。バイト中は携帯をロッカーにしまっておくルールだけど、そんなものを守ってる従業員なんか一人もいない。

 よし。準備完了っ!

 勢いよく立ち上がって更衣室を飛び出す。


「遅いわよ、雪緒ゆきお。遅刻が多いとお給料から引かれるわ。はい、お客様ご案内!」


 樹里亞じゅりあが苦虫を噛み潰したような表情で指示を飛ばす。彼女はモデルのような長身と、派手なボディラインをメイド服に包んで仁王立ちしていた。

 誰が着ても可愛らしく見えるハズのメイド服が、彼女が着るとまるで妖艶なボンデージ衣装のようだ。常連客の誰かが言ってるのを聞いたことがある。

 でも、そんな樹里亞のメイド服姿を結構可愛いと思っている。高飛車でわがままで自分勝手でスタイル抜群の美人なんて、最高に可愛いのに。彼女の可愛さは誰にも理解できないだろう。

 両手の人差し指でほっぺたを指し目玉をぐるっと回して応えると、入り口で待っている客の所へ早足で向かう。


「お帰りなさいませ、ご主人様ぁ! お席へご案内いたします」


 ここは俗にいう『メイド喫茶』というやつだ。リアルの充実度が比較的寂しいご主人様達が、刹那のファンタジーを求めて訪れる場所である。

 案内を待っていたのは男性の二人連れ。この街でよく見かける『ファッションに疎い』タイプのご主人様達だ。表の通りから見えにくい奥側のテーブルに案内して、季節限定メニューを差し出す。


「ただいま、ホットチョコレートのふぅふぅサービス実施中ですぅ」


 そう言ってにっこりと微笑む。しかし、二人はまだ硬い表情をしている。

 ひょっとしたらこの手のお店が初めてかもしれない。常連客ならこちらもノリノリで対応できるのだが、『間違ってここに来ちゃった』的な客だと、白けたムードになりかねない。


「雪緒ちゃんて言うんだ。可愛い名前だねぇ」


「ありがとうございます、ご主人様」


 一人が胸のネームプレートを見て言う。

 すると、メニューに目を落としていたもう一人がいきなり顔をあげて言った。。


「ユキオなんて男みたいな名前だねぇ」


「あら、ご主人様ったらよくお分かりですね。こんな格好してますけど、本当は私……男のなんですよ」


 笑顔でそう言うと、二人のお客はしばし唖然とした後、顔を見合わせて言う。


「こんなに可愛い子が……」


「女の子のハズがない……ってか?」


 そして二人で大爆笑。何を言ってるんだかわからないけど、とにかく掴みはオッケーだ。

 でも、笑いをとろうとしてそう言った訳じゃない。

 俺はレッキとした男子高校生なのだ。

 ここ、『ブラックベリーフィールズ』は業務用の大型エスプレッソマシンを使った本格的なシアトル系コーヒーが売りのメイド喫茶だ。

 そんな店にどうして男の俺がウェイトレスとして働くことになったのかと聞かれれば、それはもう数奇な運命の巡り合わせとしか言いようがない。

 懐かしい幼い頃の風景が脳裏をゆっくりと過る。近所の神社の境内で無邪気に遊んでいたあの頃……。


 突然、とてつもなく硬い何かが俺の頭蓋骨を直撃する。その正体は料理を載せて運ぶステンレスのお盆だった。あまりの衝撃に、何を言おうとしていたのかも忘れてしまった。

 もしもあなたがお盆で人の頭を叩くことがあったら……そんなシチュエーションはすごく稀だろうけれど……おそらくは平らな部分で叩くだろう。これはほとんどの人がそうだと言える。

 例えば渋谷のセンター街で。例えば銀座の歩行者天国で。例えば巣鴨の地蔵通りで、無作為に選んだ100人に同様の質問をしてみれば、ほぼ全員が同じように答えるに違いない。それが優しさであり、思いやりなのだ。

 しかし、俺をこのバイトに引き込んだ張本人である樹里亞には、その両方が欠けていた。両方どころかもっとたくさん。いや、人間として本来持っていなければならないものの大半が彼女には欠けていたのだ。

 複雑で美しい装飾が施されたお盆の縁が、ソリッドな衝突音を響かせて再び俺の脳天を直撃した。


「ほらほら、雪緒。オーダー通したら空いたテーブルを片付けて」


「痛ぇーよ! 少しは手加減しろよ!」


「手加減してたら、あなたいつまでもボケっとしてるでしょ」


 今日は日曜日。ランチ前の時間帯とは言え、テーブル席がチラホラ埋まっているので、ケンカ腰のセリフもささやき声になる。

 樹里亞は幼馴染であり……俺の永遠のライバルなのだ。

 俺は小さい頃から小柄で痩せていたために学校ではよく苛められた。樹里亞はそんな俺を守って、励まして、そして……慰めてきた。


「樹里亞ちゃんったらぁ。雪緒くん苛めちゃだぁーめ。ウチの看板娘なんだからっ!」


 突然、低いバリトンのオネエ言葉が会話に乱入する。

 この妙にオカマっぽいナイスミドルはオーナー兼店長の服部はっとり じん。通称『ジーンさん』だ。

 店のコンセプトに合わせて執事の格好をしているが、誰あろうこの人こそがこの店の本当のご主人様にして、樹里亞の叔父でもあった。

 大人っぽい外見の樹里亞は高校入学前から時々この店を手伝っていた。

 ある日、携帯に入っていた俺とのツーショット写真をメイド仲間に見せているときジーンさんにもそれを見られた。就業時間中に見つかった携帯電話は没収されるルールなのだが、俺の写真を見たジーンさんはそんなルールを忘れてしまったらしい。


「この娘可愛いわね。ウチにアルバイトに入ってくれないかなぁ?」


「コレ男です」


 そう答える樹里亞にジーンさんはドヤ顔で言う。


「何言ってるのよ。こんなに可愛い子が男の子のハズないじゃない! この子がホントに男の子だっていうなら、是非ともウチに連れておいで! 給料を二倍払ってもいいわ」


 かくして俺は、ブラックベリーフィールズでのバイトの誘いを受けることになった。

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