第七十話 男子高校生はプロポーズされる

前話のあらすじ


夕夜に煽られた俺は宏海の病室に侵入し、寝込みを襲ってキスをした。でも、どういうわけかドキドキしない。ひょっとして『胸がドキドキ』なんてマンガの中の表現であって実際にはありえない? 脈を計ったり態勢変えてキスを試してるところを樹里亞に見られて、彼女のかかと落としが炸裂。


◇◇◇


 それはあまりにも鮮やかな一撃。狭い病室でも最大の威力を発揮できる技のチョイス。

 病室に入ってきた樹里亞じゅりあは、いきなり宏海ひろみの顔面に電光石火のかかと落としをお見舞いしたのだ。目の前で繰り広げられる惨劇に驚きながらも、その時感じたのは『どうして俺じゃなく宏海に?』って疑問だった。

 だって、二人は付き合っているのだから。樹里亞からみれば『彼氏の唇が目の前で他の女に奪われてしまった』的なシチュエーション。

 だから、彼女の制裁を受けるのは宏海じゃなくて俺のハズ。

 恐る恐るベッドから降りると、樹里亞は黙ってベッドの上を指差している。そこには妙に懐かしい光景が広がっていた。


 一言で言えば、エジプトの巨大建造物ピラミッド……。


 ギプスと包帯でぐるぐる巻きに拘束された宏海の股間部分が、唯一絶対の健康を証明して雄々しくそびえ立っていた。


 でも、アレってエッチなものを見たり考えたりしたら『勃起つ』んじゃないの?

 今、この病室にそんなモノはないハズだ。

 宏海のアレはいったい何に反応したんだ?


雪緒ゆきおがまたがってキスなんてするから、ココが『こんな』になったのよ」


 樹里亞が厳かにとんでもないことを言い放つ。

 ベッドに横たわる男の膨らんだ股間を指差して解説する美女の図……シュールだ。

 確かに、キスでも『そう』なるって聞いたことはある。でも……。


「宏海は寝てたんだよ。呼んでも返事しなかったし……。眠ってても……その『こんな』になるの?」


 ピラミッドを指先でツンツンしてみる。

 でも、反応はない。


「今は気絶してるだけよ。あたし、松崎まつざきくんに頼まれて売店に行ってたの。彼、ついさっきまでちゃんと起きて喋ってたわよ」


「ナンダッテ?!」


「それなのに、戻ってきたら雪緒とキスしてるし、股間を『そんな』にしてるんだもの。ビックリして蹴っちゃったわ」


 そう言いながら樹里亞がレジ袋をベッド脇のテーブルに置く。弁当らしきパッケージやらポテトチップスの袋やらが覗く。

 これを樹里亞に食べさせてもらう気だったのか。そう考えるとちょっとだけ胸が痛む。


 でも……じゃぁ俺は、寝たフリをしてる宏海にキスしてたってこと?

 それも、何度も?

 最後は彼にまたがって頭を抱きかかえながら?


 ザァーっと音を立てて顔から血の気が引いていく。胸のドキドキ音は聞こえなかったくせに、こっちはイヤにハッキリと聞こえた。

 いったいなにやってるんだ?……俺。


「ちなみに、あたし。松崎くんとは付き合ってないわよ」


「え?」


 ソレを聞いて俺は唖然としてしまった。

 彼女が宏海と付き合ってない?

 それじゃぁ、宏海は告白してないの? 俺が気を利かせて作った二人きりの時間は無意味だったというのか。


「昨日から様子が変だと思ってたけど、やっぱりそんなこと考えてたのね。ハッキリ言うけれど、私は彼にそんな感情を持てないし、彼だってあたしを恋愛対象としてなんか見てないわ」


 キッパリとそう言い放つ樹里亞。相変わらずものすごい洞察力だ。

 それ聞いて、どういうわけかホッとしてしまった。

 でも……だったらあの時……。


「樹里亞が宏海にまたがってるの、見たんだ……」


「イヤだ、雪緒ったら……。見てたんだ」


 そう言って彼女が妖艶に微笑む。


「アレはね、松崎くんがあんまりふざけた事を言うものだからお仕置きをしてたのよ。こうやってね」


 そう言いながら彼女は、ベッドの脇から宏海に覆いかぶさるようにして、両手で彼の鼻と口をふさぐマネをする。

 確かに、ベッドにまたがっても同じ事ができる。少なくとも、キスしながら脈拍を計っていたなんて奇行よりよっぽど説得力があった。

 それに俺の位置からは樹里亞のお尻と足しか見えなかった。それを見て『キスしてる』と誤解したのは、宏海があの日、彼女に告白すると思い込んでいたせいだろうか。

 樹里亞の言う通りなのか? 俺が勘違いしてただけ?

 もしもその話がホントだったら、俺はなんのために宏海とキスをしたんだ?


「で? 雪緒はどうして松崎くんとキスしてたの?」


 樹里亞がスルリと話の核心にボールを投げ込む。

 その表情からは彼女がなにを考えているのかまるでわからない。


 俺がキスした理由は明確だ。

 昨日見た夢の中で、宏海とキスしたのが自分なのかどうか知りたかったんだ。彼に助け出される姫が樹里亞じゃなく俺だという確証が欲しかった。

 二人のラブシーン(仮)を目撃したからそんな夢を見たんだと思う。樹里亞が彼にまたがってキスしたと思ってたから、俺も同じようにしたかった?


 イヤイヤ、言えない! そんなこと、樹里亞に言えるわけがない。


夕夜ゆうやがさぁ……」


 俺の唇がおもむろに話し始める。


「……ああ、さっきまで俺、夕夜の病院に見舞いに行ってたんだ。それで奴とバカ話しててさ。俺が女になったと知った時のことを話してるうちに、なんだか変な雰囲気になっちゃったから『女になったってお前を好きにはならないから安心しろ』って言ってやったんだ。そしたら、どうやらそれが奴のプライドを傷つけたみたいで『だったら、他の男なら好きになるのかよ?』なんて話になってさ。俺も引っ込みつかなくなっちゃって……。じゃあ今から宏海のとこに行って試してくるか……なぁんてノリで、実際来てみたら宏海が目を瞑って寝てたから、ちょっとしたイタズラ心でね……」


 あせる心とは裏腹に、脳がマルチタスクでもっともらしい言い訳をスルスルと吐き出し始める。相手は誰でもよくて、まるで度胸試しか罰ゲームのノリでキスしたみたいに話を紡いでいく。


「夕夜が言うには、好きな相手とキスすると胸がドキドキするんだって。でもさっきは全然ドキドキしなくってさ。宏海のこと男らしくて好きだと思ってたのに、自分でもすっごく意外っ!」


 俺の脳の一部が笑顔でそんな話を続ける。

 宏海にキスしてもドキドキを感じられなかった事実に、言ってて自分でも落ち込む。


「ふーん、そぉなんだ……それは残念だったわね」


「え? 残念って?」


 樹里亞はなに言ってるんだ?

 まさか、俺の心を読んだのか?!


「いいえ。コッチの話だから気にしないで……。それより、あたしが雪緒を置いてロサンゼルスで頑張ってきたのは、お爺様にあたしのわがままを聞いてもらうためだって言ったわよね? 残念ながら亡くなってしまったけれど、お爺様が残した仕事はすべてあたしが引き継いで処理したのよ。おかげでロサンゼルス支社でのあたしの信頼は盤石になった。ロスだけじゃないわ。北米全域とアジア、ヨーロッパ主要都市のC.E.O.のほとんどが、あたしが門倉かどくらグループのトップに立つためのバックアップを約束してくれているわ。これがどういう事か、あなたにわかる?」


 喋りながらユックリと近づいてきた樹里亞が目の前で立ち止まる。

 なにがなんだかわからない俺は、首を縦にも横にも振ることができない。


「いい? あたしが実力でグループのトップに立てば、お爺様が課したバカバカしい戒律は反故になるの。もうあたしは門倉の血縁から婿を取らなくてもいいってことよ!」


 『これぞまさしく!』と言ってもいいほどのドヤ顔で樹里亞がそう宣言する。

 そうか! あの偉大な爺さんの呪縛を自力で打ち破ったいうことか。

 俺の幼なじみはどれだけすごい女なんだ!


「さすが樹里亞! これで誰でも好きな相手と結婚できるんだね」


 俺の言葉に彼女の眉が吊りあがり、耳元の壁に色白の掌底が炸裂する。

 またもや知らぬ間に壁際まで追い詰められて『壁ドン』のシチュエーションになっていた。でもコレ。そろそろ古いらしいぞ。


「なに言ってるのよ! 相手はあなたに決まってるでしょ! あたしたち二人のために頑張ったのよ! それなのに、やっと帰れたと思ったら……なぁに? あたしと松崎くんをくっつけようとしたり、彼とキスしたりして! あたしのこと嫌いになったの? あなたと結婚するために努力して帰ってきたのに、ほんのちょっとの間も待てなかったって言うの?」


 樹里亞の抗議が矢継ぎ早に俺の心に突き刺さる。

 彼女の足枷にならないようにと考えて、なんとか吹っ切れたつもりでいたのに、彼女は変わらず俺のことだけを想い続けていてくれたのか。

 俺の覚悟はなんて独りよがりなものだったのだろう。


 でも、ちょっと待てよ。

 俺は重大なことを思い出した。


「俺、事件の起訴の都合で戸籍の性別を『女』にしちゃったんだ。かんたんには戻せないし、女同士じゃ結婚できないよ」


 せっかく樹里亞が俺たちのために頑張ってくれたのに、勝手にそれをダメにしてしまった。こんなことになるのなら、戸籍の変更はもっと慎重に考えるべきだった。

 結婚の話題にウキウキしていた心が急激にしぼんでいく。

 でも、俺の樹里亞はまったく怯まない。


「だったらロサンゼルスで結婚しましょ。アメリカはすべての州で同性婚が認められてるから、市民権を取れば結婚できるわ。ついでにお爺さまのお墓の前で報告できるわね」


 イヤイヤイヤ、ちょっと待て! 結婚するためだけにアメリカに移住しろってか?

 イヤ、それよりも、相手が俺だったら性別はどうでもいいの?


「アメリカがイヤなら他の国を探してあげる。同性婚が認められてる国って意外とたくさんあるのよ」


 樹里亞の鋭利な瞳が俺の視線にアンカーボルトを打ち込む。

 彼女の唇がどんどん近づいてきて、もう避ける事はできない。


「雪緒。あたしと結婚してください。あなたの答えは五歳の時に聞いてるから、今さら言わなくてもいいわ。ウェディングドレスとタキシード、どっちでも好きな方を選ばせてあげる。でも、あたしのオススメはお揃いのウェディングドレスよ」


 そこまで言うと、彼女の唇がそのまま俺の唇に押し当てられた。

 柔らかな舌が、軽く開いた歯の間にユックリと滑り込んでくる。ディープキス。

 以前の俺なら、彼女の唇が押し当てられるだけで心臓がきゅーんと鳴っていたのに、今は……なんというか期待感みたいなものが、胸いっぱいに膨らんでくる。

 気がつくと俺の胸に押し当てられている樹里亞の胸の膨らみが気持ちいい。

 強引なモノ言いも、俺に対する彼女の本気さに他ならない。

 ホントのことを隠してきただけでなく、勝手に性別まで変わってしまったというのに、そんな俺のために……。

 こんなに素晴らしい女性は、どこを探しても見つからない。


 夢の記憶の映像がさらに更新される。

 魔王を倒し、捕らわれのジュリア姫を助け出した勇者の顔が宏海から俺に変わる。

 宏海と樹里亞が付き合うだなんて、変な妄想に振り回されて一人で空回りをしていたみたいだ。


 彼女の腕が俺の背中に回される。もう片方の腕は俺の頭を強く抱きしめる。

 樹里亞。もう俺は迷わない。


「ちょっとぉ! 人の病室でなにしてるのよ?!」


 俺と樹里亞が驚いて振り返ると、ドアの横で宏海の妹『真琴まこと』が仁王立ちで睨んでいた。


「ヒロとキスしたって言うから授業抜け出して急いできたのに、どうして雪緒ちゃんが女とキスなんかしてるの? あなたレズなの? シぬの?」


 真琴がまるで錯乱したように喚き散らす。

 病室でそんなに騒いじゃダメだよ。人の事は言えないけどさ。

 それに、レズビアンをディスったら、男の格好した恐いお姉さんに寝技を掛けられるぞ。


「この、誰なの?」


 樹里亞が俺に抱きついたまま聞いてくる。


「宏海の妹の真琴だよ。……なぁなぁ、真琴。これは俺の幼なじみの……」


「婚約者!」


 樹里亞の鋭い訂正が飛ぶ。


「……そうそう。幼なじみで婚約者の『門倉 樹里亞』だよ。ええと、彼女も宏海の見舞いにきて……」


 俺が説明をすればするほど真琴の顔が怒りの形相になっていく。

 なんで怒ってるんだ? 大好きな兄貴にキスしたから?

 だって『ドーテーじゃないから構わない』って言ってたじゃないか。


「どうして女性の婚約者がいるのよ! 女同士は結婚できないって法律で決まってるのよ! てか、女同士なんて変よ! だいたいどうやって……いいえ! そんなことどうでもいいわ!」


 いいのかよ!


「雪緒ちゃん。婚約者がいるのにヒロにキスしたっていうの? どうしてそんなことできるのよ? ヒロのこと好きだからキスしたんじゃないの? ヒロは……ヒロは雪緒ちゃんの事が好きなのに!」


 は?

 なに言ってるんだ? 真琴。

 まぁ、冷静に考えてみれば、真琴は俺のことを最初から女だと思ってたワケだから、宏海の親友としての『好き』を誤解しても無理はないのかもしれないけど。


「まぁ、俺と宏海は親友だからな。俺たちの間で『好き』って言うのは……」


「そうじゃないの! あたしが言ってることがわからないの? だったらもう一度、ヒロにキスしてみてよ!」


 俺の言葉を遮って真琴が叫ぶ。

 正直、俺には女子中学生メスガキの理屈が理解できない。でも『わからないの?』なんて煽られて『はい、そーです』なんて認められるほど大人でもない。


「キスぐらいいくらでもしてやろうじゃないか」


 宏海が横たわるベッドに近づこうとすると、樹里亞が不安そうな顔で俺のシャツの裾を掴んだ。

 彼女の手を両手で包んで瞳を見つめる。


 大丈夫だよ、樹里亞。俺と宏海は親友だ。コレは男同士の友情を再確認するための儀式に過ぎない。


 樹里亞の手を静かに離してベッドの側に立つと、腰を屈めて宏海に口づけをした。


 ほら見ろ。なにも起こりやしない。

 そう思って唇を離すと、宏海のまぶたが突然開いた。その澄んだ瞳が俺を見る。


 白雪姫かよ!


 心の中でそう突っ込んだ瞬間、俺の記憶の中で再び夢の映像が書き換えられる。魔王を倒した勇者の俺が、眠ったままの捕らわれの姫を口づけで目覚めさせた。

 姫の顔は宏海だった。


「俺は……俺は女としてのお前が好きだ……雪緒」


 現実の宏海が俺の目を見ながらそう言う。

 包帯に巻かれ、眼帯をした残りの瞳で俺を見つめる。


 え?

 なにそれ。どういうこと?


 俺が呆然としているとふたたび彼が口を開く。


「お前のことが好きだって言ってるんだ」


 その時俺は、生まれて初めて自分の心臓が鼓動する音を聞いた。

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