第六十九話 男子高校生は親友の唇を奪う
前話のあらすじ
真琴に手を引かれ病室に戻った俺は、宏海と樹里亞のラブシーンを目てしまう。俺のシナリオ通り宏海が樹里亞に告白し、彼女がそれを受け入れたのだろう。そのせいか、魔王を倒して救い出した樹里亞姫とキスする宏海の夢を見る。しかし夢の話をした夕夜から『姫はお前だ』と指摘される。
◇◇◇
闇の魔王を見事打ち倒した勇者は、その傷ついた体をベッドに横たえる。アルミでできた柵に覆われ、両腕をギプスで固定された姿は痛々しい。
でも、片目を覆う眼帯は彼のその凛々しさを少しも損なっていないばかりか、格好良さにより磨きをかけている。
「
まるで囁くような声で呼びかける。
返事の代わりに、静かな寝息が答えた。
『ホントにいいのか?』
スマホでメッセージを送信する。相手は学校にいる
『ドーテーでもないし、今さら構わないんじゃない?』
今は休み時間なのか、彼女から即座に返信が届く。ご丁寧にサムズアップしながらウインクする『ゆるキャラ』のスタンプ付きだ。
さて、妹の許可は取ったし、あとは実行に移すだけだ。
足音を忍ばせて、宏海が寝息を立てているベッドに近づく。
シーツが被せられたマットレスに手をついて、ぐっすりと眠っている彼の唇に視線を落とす。
そして十秒。男にこんなに顔を近づけていると言うのに嫌悪感はまるでない。
このまま顔を近づけて唇がくっついてしまったら、どんな感じがするのかな?。
……話は一時間ほど前にさかのぼる。
「違うだろ! なんで
え? そうなの?
予想外の夕夜の言葉に俺の夢の記憶はあやふやになってしまった。
勇者は確かに宏海だったけれど、姫はホントに俺だったのか?
言われてみれば俺が見る夢に俺自身が出てこないのはおかしい。それに、現実に宏海が戦ってくれたのは俺を助けるためだ。それは確かなんだけど……でも……。
「でも俺。宏海と、その……キス……なんてしてないぞ」
「そりゃぁ、夢なんだから現実と違って当然だろう。実際に起こったことじゃなくても、テレビで観たシーンを夢に見ることもあるし。あるいは抑圧された欲求だとか……」
欲求って、俺がキスしたいってこと? 宏海と?
「それ、フツーにナイだろー?」
「そうか? 俺はアリだと思うけどな……」
イヤイヤ、無理だろう? 男とキスだなんて……。
そう思ったら、祭りの夜に
あの後、スクールカウンセラーの
あの時のことはあまり良く覚えていない。乱暴されれば痛い思いをするだろうという漠然とした覚悟はあったけど、ただただ宏海のことを心配していた記憶しかない。
まるで足の小指をぶつけたときのように時間とともに薄れてしまう……その程度の痛み。
目の前の夕夜をじっと見つめる。
「
「いや、夕夜とはキスできるかなーって?」
「ナイわー!」
「だよなー」
夕夜とのキスはなぜか想像できない。
イヤなヤツだと思う時もあるけど、基本的に俺はコイツが嫌いじゃない。
でも『嫌いじゃなければキスできる』なんて簡単な問題ではないのだ。
もちろん、夕夜だって同じだろう。
「キスしたいなら松崎としてみろよ」
夕夜が眉間にしわを寄せながら言う。
「え? 宏海?」
「ああ。そうすればアイツとキスしたかったのかどうかハッキリするよ。本当に好きな相手だったらドキドキするからわかるだろ?」
なるほど!
自信たっぷりに言い切る夕夜がいつにも増して男らしく見える。
やっぱりコイツは頼りになるなぁ!
◇◇◇
……と言うわけで俺は今、宏海の病室に忍び込んで彼の寝顔を間近で眺めているわけだ。
病室にくる間、どうやってキスをしようかずっと考えてた。
水を飲ませるフリをして近づくとか、身体を拭いてやると言ってタオルで目隠しするとか。相手は一人では立ち上がれない怪我人だけど油断してはいけない。
そう思って、ない知恵を絞りながら病室に着いてみると、なんと宏海はグースカ眠っていた。見舞はいないし看護師もしばらくは様子を見にこないだろう。
宏海の唇にそっと顔を近づける。
鼻から微かに呼吸している音が聞こえる。口はほんのわずか開いていた。
指先で軽く押してみる。男の唇ってもっと固いものだと思ってたけれど、意外とプニプニしていて柔らかい。
もしかして俺って、宏海のことが好きなのかな?
彼のことは親友として大好きだし、男としても憧れてもいる。なによりも彼は俺のピンチに駆けつけて、命をかけて助けようとしてくれた。
それに、勇者の宏海に助けられてキスする夢を見るということは、俺が彼に恋愛感情を抱いてるってことだろう?
宏海のことが好きなのかもしれない。
そう考えると、なんだか気分がウキウキしてくる。
男とキス……なんて言葉にするとキモチワルイけれど、相手が宏海だったらなぜかイヤな感じはしない。
口角が自然に上がってくるのが自分でもわかる。
そう。キスなんて、まるでほっぺたにラクガキするような、ちょっとした軽いイタズラみたい。
目標の方角と距離を再確認。
えぃ!
唇を軽く押し当てて離す。
ちょっと乾燥してるっぽいけどやっぱり柔らかいし、イヤな感じもしない。
でも……ドキドキも、しない。
夕夜は、好きだったらドキドキするって言ってたのに……。
『ドキドキしなかったぞ!』
スマホを取り出して夕夜にメッセージを送る。炎が燃える怒りのスタンプ付きだ。でも、いくら待っても返事はこない。
ちっ! 使えねぇヤツ。
仕方ない。今度は真琴にメッセージを送ろう。
『キスしたよー! でも、なんかドキドキしないんだよ なんでだ?』
ハートマークがいっぱい入ったスタンプ付き。
ドキドキしなかったのにハートマークって変だけど……。
しかし、真琴からも返事がこない。授業中なのかな?
そう思った瞬間、着信メロディーが病室に流れ、驚いてスマホを落としそうになる。
『ホントにしたのーっ?!』
「そうだけど……真琴、授業中じゃないのか?」
『頭が痛いって言って保健室よ! ちょっとヒロに代わって!』
女子中学生が仮病使ってサボりかよっ!
でも、電話を代わることはできない。
「宏海は寝てるよ」
『ねねね……寝てるって、アンタ! 彼女のくせに寝込みを襲ったの?!』
音声が割れるほどの大声で真琴が怒鳴る。
『ヤバっ! センセーきた……』
その言葉を最後に真琴からの通信は途絶えた。
敵の偵察部隊に発見されたか。お前の死は無駄にはしないぞ。
さっきドキドキしなかったのはなにかの間違いかもしれない。あるいは緊張しすぎて自分がドキドキしてるのに気づかなかったのかも。
仕方ないなあ……。
ふたたび宏海の唇に俺の唇を重ねてみる。
それでも、俺の胸はウンともスンとも言ってくれない。
ひょっとして、胸がドキドキするっていうのは大ゲサな表現であって、実際に心臓の音が耳に聞こえたりするわけじゃないのかな? そう言えば『胸がドキドキ』なんてマンガでしか見たことない。
論理的にに考えるなら、一般的にドキドキするっていうのは心拍数が上がるってことだ。だとしたら脈拍を計って心拍数が上昇すれば、それは胸がドキドキしたって言っていいだろう。
平常時の脈拍を知るため手首に指を当てて、スマホのストップウオッチアプリで時間を計る。一分間に七十四回だった。
二回目に計ると七十回。平均すると七十二回。これを平常時として、えぇと、どのくらい上がれば胸がドキドキしてると言えるのだろうか。
やっぱり試してみないとわからない。
仰向けに寝ている宏海の右側から覆い被さって、上体を支えるために頭の先に左肘をつく。右肘は宙に浮かせて指先で手首の脈を計る。
そのまま口づけしようとしたけど唇が届かない。
何度か肘の位置を変えて唇が重なったところでストップウオッチをスタート。
一、二、三……。
それにしても、真琴はまだ俺のことを宏海の彼女だと思ってたのか? 違うって言ったのに、アイツなにを聞いてるんだ?
十二、十三、十四……。
だいたい、宏海には
二十三、二十四、二十五……。
あれ? ひょっとして俺、宏海が樹里亞と付き合ってることを真琴に言ってなかったかな?
三十四、三十五、三十六……。
イヤイヤ、その前に俺は何か重大なこと見落としてる気がするぞ。なんだろう? 思い出せ、思い出せ、思い出せ!
肘をついていない右腕と、上体を支えている背筋がぷるぷると震え始める。
ストップウオッチを見ると、まだ半分くらいしか経ってない。
でも、このままじゃ宏海の上に倒れ込んじゃう!
もうダメだ。ついに耐えられなくなって右腕を突っ張って唇を離す。もちろん脈拍は計れなかった。
コレは意外と難しいぞ。
ベッドの横から上体を屈めてキスするには、頭の上に片肘をついてバランスを取らなきゃならない。でもそんな不安定な体勢で一分間持ちこたえることは難しい。
うーん。どうしよう。
その時、俺はまさに天啓を受けた。
それを試すべく、靴を脱ぎ捨ててベッドの端に膝を乗せた。そのままマットレスに上がって宏海の腹に跨り、彼の頭の左右に肘をつく。
今日はショーパンだからやりやすい。
スマホを持った両手を宏海の頭の先につけると、ちょうど俺の顔の下に彼の唇が見える。
肋骨を折ってる宏海の胸には、樹脂と金属で作られた頑丈なコルセットが巻かれている。これなら俺の体重も支えられるハズだ。
ストップウオッチをスタートさせて、宏海に三たび口づけをする。
そのまま上体を彼の胸に預け、両腕で頭を抱き抱えるようにして手首の脈を計り始めた。
一、二、三……。
今度はうまくいきそうだ。
十二、十三、十四……。
そう言えばさっき、脈を計りながらなにか重大なことに気がついたような気がする。でも、いったいなんだったっけ?
二十三、二十四、二十五……。
それに、ベッドの上で宏海に跨るこのポーズも、どこかで見たような気がする。それも、ごく最近。
三十四、三十五、三十六……。
そうだ! 思い出した。真琴と二人で病室のドアを開けた時だ!
樹里亞が宏海に跨って、二人はおそらくキスをしてて……あれ? 樹里亞が宏海と付き合ったんだとしたら、女になった俺がキスしちゃ……。
ダメ……だよな? フツー……。
「何……してるの?」
その時、病室の入り口の方から声がした。樹里亞の声だ。
俺はゆっくりと顔を上げて声のした方に視線を投げる。彼女は病室のドアから数歩入ったところでこっちを睨んだまま立っていた。
さすがは樹里亞。自分の彼氏のラブシーンを目撃しても、決して慌てたり取り乱したりしない。
そう言えば、今日は彼女がお見舞いにくる番だったっけ。
樹里亞が彼と付き合ってることとか、今日お見舞いにくることとか、そんな重要なこともどうやら俺は忘れていたようだ。
それはもしかしたら、あの夢のせいなのかもしれない。
「早く離れて!」
いきなり襟首を掴まれて引き起こされる。Tシャツの首が絞まって苦しい。
そうじゃない。
俺は忘れてなんかいなかった。二人のことも、今日樹里亞がお見舞いにくることも……。
こうなることだって最初からわかっていたのだろう。俺は、あの日見た樹里亞がやってたように、宏海とキスがしたかっただけなのかもしれない。
俺はわざと樹里亞を怒らせるようなことしたのだ。
引き起こされた勢いで体が後ろに仰け反る。
その時、樹里亞の片脚が真っ直ぐ天井に向かって振り上げられているのを見た。まるでそれが彼女の怒りそのものであるように。
東陵の制服であるギンガムチェックのプリーツスカートが大きく捲れ上がり、スカートの下からシャツの裾とレースがあしらわれた黒い下着が露わになる。
宏海のお見舞いにそんなの履いてきたんだ。
俺と付き合っていた頃、彼女はどんな下着をつけていただろう。遠い昔のように感じて思い出せない。
振り上げられた脚は鋭く振り下ろされ、そして……。
そして、どういうわけか俺の目の前で眠ってるハズの宏海の顔面に炸裂した。
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