第四十七話 男子高校生は水着でデモ行進する2

前話のあらすじ


夏休みの終盤。樹里亜、るちあと一緒にハンバーガーショップで早瀬の愚痴を聞いた。体育の菅野を殴った罰で今まで黙認されてた男子用の水着の着用を禁止されてしまったらしい。協力を申し出た俺は当事者として水着での抗議デモに参加するハメになった。


 ◇◇◇


 決行Dデイは三日後に決まった。


 東陵高校において抗議のためのデモを行うことは学生の正当な権利として認められていた。リベラルな校風が東陵の人気の一つなのだ。

 我が校の先達たちは、学校行事や教育カリキュラムに対してありとあらゆる要求や問題提起を行ってきた。もちろん、そのすべてが実現したわけではない。でも、そんな先達の努力の積み重ねによって俺たちは自由な校風を謳歌することができるのだ。

 女性運動華やかなりし当時にミスコンを中止に追いやったのも、男子生徒のみの女装コンテストとして復活したのも、デモの功績だという。


 抗議デモの予定は前もって学校側に申請する必要がある。日時と規模、そして抗議内容だ。

 俺と早瀬はやせの二人が男子の水着を着て各教室を回り、水着着用の自由に賛同してくれる生徒の署名をもらう。その様子を放送部に撮影してもらって校内のモニターに写し、場合によってはネット配信へと移行する予定だ。デモは昼休み、教室棟の最上階にある三年生の教室からスタートし、各クラスを順に回り一階の職員室でゴールとなる。


 そして当日。

 前々から予告されていたせいか、最上階の廊下には大勢のギャラリーが待ち構えていた。一年生から三年生まで廊下の左右の壁にズラッと並んで立つ姿は、どういうわけか『刑務所』とか『捕虜収容所』とかの単語を連想させる。でも、そのほとんどは女生徒だ。

 どうやら早瀬は女の子にけっこう人気があるようだ。みんなキャーキャー言いながらスマホで俺たちの姿を撮影している。


「いい? 雪緒ゆきお。途中でつらくなったらガマンしないでやめていいのよ」


 樹里亞が心配そうな顔で俺の目を覗き込む。

 いや、いくらなんでもその言い方はないだろう。署名集めの抗議デモくらい彼女に心配してもらわなくてもちゃんとできるのに。なんて過保護な彼女だよ。

 一方の早瀬は、さっきからずっとスマホのメッセージアプリで誰かと連絡を取り合っていた。首を伸ばして画面を盗み見てみるとデモに対する意見やアドバイスが複数の相手から送られてきているようだ。それに混じって教師陣の動向も逐一報告されている。


「撮影のスタンバイが完了したよ。君たちの準備は良いかい?」


 放送部のクルー数人が取材のため、デモに同行する。たった二人の小規模なデモと言えど、数年ぶりに復活した東陵の貴重な伝統として記録に残したいのだろう。


「いつでもいいぜ!」


 早瀬が実に男らしいセリフを吐いた。

 取材クルーの中から一人の女生徒が出てきて、俺たちの目の前……ギャラリーの列を背にして立った。柔らかくカールされた明るいハニーブラウンの髪に、ぱっちりした目。控えめに尖った鼻と淡いピンクのリップが塗られた薄くて鋭利な唇。左手にワイヤレスマイクを軽く握った彼女は、俺たちには一瞥もくれずにスタッフに指示を飛ばし始めた。


「教室側のライトをもう一灯……いえ、二灯増やして! オモテがピーカンだから肌が汚く写るのよ。ちょっと! そっち向けてどうすんのよ。アタシを照らすの! もう何年カメラマンやってるのよ! グズグズしないで。さぁ、行くわよ!」


 それを合図にクルーの一人が指でキューを出す。

 その瞬間、彼女の顔から剣がとれて柔らかな美少女の貌ができあがる。

 プロだ。

 彼女は目を閉じて一度だけ深く息を吸い込むと、ぱっちりした目を見開いて勢いよくしゃべり出した。


TティーNエヌNエヌ東陵ニュースネットワーク。リポーターの二年B組『柏木かしわぎ 京華きょうか』です。楽しい昼食時。私たちは今、三年生の教室が並ぶ三階の廊下にきています。今日は番組内容を変更して、我が校で数年ぶりに行われる生徒による抗議デモの様子をリポートします。私たちが着用している制服や運動着、水着は三年毎に新しいデザインのものに変更されます。三年という決して短くはないスパンでの刷新ですが、他校の生徒と比較すると非常に恵まれた環境にあると言えるでしょう。これが十数年前の生徒たち……つまり我々の先輩方が抗議デモによって勝ち得た権利だということは、我が校の生徒なら知らない者はいないでしょう。そんなデモもここ数年はほとんど行われていません。現在、東陵に通っている生徒は誰も伝統の抗議デモを見たことはありません。もちろん、私……柏木 京華も同様です。先生方でも実際に目にされた方は半数くらいではないでしょうか。それはつまり、今の東陵高校が生徒にとって素晴らしい学び舎であることの証明だと言えます。しかし本日、この教室棟最上階の廊下から、東陵高校の歴史を塗り替える新しい抗議デモがスタートしようとしています。ご覧ください。今現在この廊下にはたくさんの生徒が集まっています。しかし、彼らはデモの参加者ではありません。今回抗議デモを行う生徒は二人だけ……たった二人です。彼女たちは学校指定の水着の着用義務に抗議するためにここに集まりました。わたしが今ここに持っているのが問題の女子競泳用水着です。学校指定としながらも機能や見た目、特に学生らしい清楚な可愛らしさに溢れ、他校の生徒から羨望の視線を投げかけられる東陵の女子用水着。彼女たちはこの水着のいったいどこに不満があるのでしょう? それは我々一般の女生徒に理解することは困難です。なぜなら彼女たちは産まれながらに女性の身体を持ちながら、その胸に重い十字架を秘めた人たちだからなのです」


 まるで自分のセリフに酔いしれる演劇部員のような情感たっぷりなリポートを繰り広げる柏木。

 彼女の口から飛び出す内容には突っ込みどころがいくつもあるが、取材クルーはなにも言わない。情報に間違いがあったらダメだろう。そう思ったが、流れるようにしゃべり続ける柏木のリポートに口を挟む隙はない。


「それはいったいなんでしょうか? 彼女たちは女性の身体を持ちながら男性の心を持つ人たちなのです。これはどういうことなのか考えてみましょう。女子なら男子の水着を、男子なら女子の水着を学校側から強制されたとしたら、皆さんはそれに従うでしょうか。もちろん身体は女子なので女子用の水着の方が機能的なのは明白です。彼女たちだってそんなことは十分理解しているでしょう。でも、もしも皆さんが『異性の水着の方が身体に合ってるから』という理由でそれを強制されたとしたら素直に従うでしょうか。水着を着るどころか、そんな指導を行う学校に対して激しい怒りを感じるでしょう。疑問や不信感を抱くかもしれません。彼女たちも同じハズ。その画一的な指導そのものが彼女たちのアイデンティティを否定し、尊厳を脅かし、学生としての正当な権利を奪うものだからです。そしてその愚鈍な教育方針が彼女たちのみならず他の生徒たちにも悪い影響を及ぼさない保証はありません。私たちはそんな学校側に対して常に問題提起をしていかなければならないのです。では、学校側の配慮に欠ける指導に抗議する現代のジャンヌダルクたちにインタビューしてみましょう」


 そう言って柏木 京華は初めて俺たちの方に向き直る。

 コイツ、切り札のハズの『性同一性障害』を真っ先にしゃべっちまったぞ!

 おまけにジャンヌダルクだと? 冤罪で火あぶりはゴメンだ。


「今回の抗議デモの発起人、『モエモエ王子』こと二年C組の『早瀬 もえ』さん。そしてお友達の『新ミス東陵』……二年A組の『東條とうじょう 雪緒』さんです」


 ギャラリーから歓声が上がる。

 柏木が合図を送るとレンズがスムーズにパンして俺たちに向けられた。赤く点灯したLEDが撮影中であることを示している。

 早瀬の名前が『もえ』というのを今初めて知った。

 メチャ女っぽい名前じゃないか! どうりで今まで一度も口にしなかったわけだ。

 しかも『モエモエ王子』なんて二つ名がつくほど有名だったなんて!

 ……って言うか、モエモエ王子っていったいなんだ?


「貴女たち二人の今日の意気込みを聞かせてください」


 早瀬の顔の前にマイクが突き出される。ヤツは遠慮なくそれを引ったくると、嵐のようにしゃべり始めた。


「今日の抗議デモは俺たちに不当に女子用の水着を着せようとした学校側の間違いに対して抗議するために行うものだ。学校は学校の立場を持って俺たちに見た目の性別に合った水着を着せようとしている。そこには悪意も陰謀も存在しない。悪意のない者に怒りはない。だが、間違っていることに従うことはできない。俺たちはただ正しい選択を学校側に望むだけだ」


 早瀬の激しい主張にリポーターの柏木は唖然とした顔を晒していた。


「それから一つだけ訂正させてもらうと、俺たちは『彼女たち』でも『ジャンヌダルク』でもねぇ! そこを間違えないでもらいたい」


 そこまで言うと、早瀬はマイクを柏木に突き返し『出発!』と叫ぶと俺の腕を掴んだ。

 えーと……。

 思考が状況の変化について行けてない。

 学校内では俺まで性同一性障害ってことになってしまうのか? 振り返って樹里亞を見つめると、彼女は両手を空に向けて肩をすくめた。


 冗談じゃないぞ。だいたい俺はもともと男子生徒なんだ。それが性同一性障害のしかもFtMだということになると、燐子先生にした話と辻褄が合わない。


「ちょっと待てよ。性同一性障害って切り札だったんじゃないのか?」


 早瀬の腕を掴み返して耳元で小さく抗議する。


「心配するな。性同一性障害のことを正しく理解してるヤツなんて、この場には一人だっていやしねぇよ」


 早瀬の自信にあふれた笑顔を合図に俺たちの抗議デモはスタートした。

 

 ◇◇◇


 最初の教室に入ると、生徒のほとんどが着席して弁当を広げていた。

 気を取り直したリポーター柏木が、マイク片手に教室中に響き渡る大声で、署名を求める宣言をした。

 女生徒たちは最初から俺たちに好意的で、あっという間に署名するための列ができあがった。その後ろから男子がしぶしぶと追随する。俺たちは男子の気持ちで抗議デモをしてるのだけど、普通の男子生徒は女子の水着を着ろなんて言われない。彼らには俺たちの気持ちはわからないだろう。

 そう考えていたのだけど、次第に署名してくれる男子も増えてきた。彼らはニコニコしながら『頑張れ!』とか『応援してるよ』と声をかけながら握手したり親しげに肩や背中、尻を叩いて応援してくれた。

 どこの教室でも俺たちは好意的に迎えられた。

 理由はどうあれ俺たちの抗議デモは大成功だ。大量にコピーした用紙の署名欄が生徒たちの名前で次々と埋まっていく。この調子でやっていけば、あっという間にたくさんの署名が集まるだろう。過半数どころではない。全生徒の九割は確保できそうな勢いだ。


「楽勝っぽいな。早瀬」


 握手の列を捌きながらそう話しかけるが相棒の顔はなぜか険しい。早瀬はスマホの画面を睨みながら口を開いた。


「署名なんてのは飾りだ。いくら集めても学校側の決定を左右するほどの効果はない。この抗議デモをネット配信するぞと脅すことで、世論のバッシングを恐れる学校側が折れると見込んでいたんだ。しかし学校側は俺の脅しに乗らなかった。この勝負は俺たちの負けだな」


 なんだと?

 じゃあ、抗議デモは失敗じゃないか!


「バカバカしい! 俺は降りるぞ! 早瀬」


「悪いがそれはできない」


 呆れて帰ろうとした俺の手を早瀬が掴む。

 できないとはどういう意味だ。


「報復措置として、この映像は数分遅れでネットに配信されているんだ。途中で止めたら抗議の意味がなくなって、俺たちのやったことはイタズラに騒ぎを起こして学校の名誉に泥を塗っただけになっちまう」


 それじゃ抗議デモをまだ続けなくちゃならないってのか?

 おまけに俺が性同一性障害だという嘘を全校どころか全世界に配信しながら……。

 めまいに似た感覚に足元がふらつく。


「だが安心しろ、東條。まだプランBが残っている。賭けのベットをこっちから上げてやるんだ。これでヤツらは俺たちの言うことを聞かないわけにはいかなくなる」


 そう言って、早瀬は近くにいた柏木からマイクを引ったくってしゃべり始めた。


「皆さん。どうやら学校側は俺たちの意見を聞くつもりがないようだ。そこで俺たちは抗議の手法をちょっとだけ変えさせてもらう。よぉく見ていてくれ」


 そう言ってマイクを返すと、ラッシュガードのファスナーを降ろした。

 早瀬のヤツ。なにをするつもりなんだ?

 ラッシュガードを脱ぎ捨てると、真っ平らなスポーツブラみたいな白い下着が現れた。男装する時に膨らんだ胸を隠すための特殊な下着『ナベシャツ』だ。

 そしてヤツは躊躇することなくナベシャツのファスナーに手を掛ける。


「ちょ! 早瀬!」


 俺が叫ぶのと、早瀬の胸が露わになるのが同時だった。

 ナベシャツに押さえつけられて窮屈な状態だった早瀬の巨乳が、その柔らかさと圧倒的な復元力に押されて飛び出し、プルプルと揺れてカメラの前に曝け出された。

 男子生徒は喝采を上げてあからさまに喜び、女生徒は手のひらを口に当てて目を丸くしている。

 なんで? どうして?

 俺には早瀬の意図が理解できない。こんなことがプランBだというのか?

 冗談じゃないぞ!

 この場にいる全員の視線が早瀬の胸に注がれていた。当たり前だ。昼休みの平和な学校で一人の女生徒がいきなり上半身裸になったのだ。しかもその光景はビデオカメラで撮影され全校に放映されているばかりじゃなく、ネットにまでリアルタイムで配信されている。


 いつも潰されているハズなのにどういうわけか大きく成長を遂げた乳房を魅せつけるように突き出して早瀬が俺の方を振り向いた。


「さぁ、東條。お前の番だ」


 そう言って、右手の親指を天に向かって突き立てた。


 その瞬間、周囲の視線が一斉に俺に向くのを感じた。

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