第七十八話 男子高校生はエッチについて真面目に話す

前話のあらすじ


後輩の美鶴ちゃんとの熾烈な宏海争奪戦。先に彼をボッキさせた方が勝ちというセクハラ合戦でエッチな技を繰り出す激戦の真っ最中、彼の妹『真琴』が登場。彼女の言葉で美少女だと思っていた美鶴ちゃんが実は男のだったことが発覚した。俺は男と彼氏を取り合ってたってこと?


◇◇◇


 綺麗に切り揃えられグロスを塗られたネイルが淡い間接照明を反射して煌めいた。その小さな光が、ベッドに横たわる俺の裸の腹の上をゆっくりと滑っていく。

 我が愛しの幼なじみ『樹里亞じゅりあ』の指だ。彼女の愛情がまるでさざ波のように伝播して、フワフワと宙をさまよっている身体の中を無数の電流が走り抜けていく。

 彼女の部屋のふかふかのダブルベッドの上で、男だった頃には実現しなかった秘め事が展開していた。

 少しずつ俺の興奮が高まってきて、もう限界が近い……という時になって、いきなり彼女の手が止まった。


雪緒ゆきお松崎まつざきくんの病室でまた変なコトしたみたいね」


 一体なに言ってるんだよ。そんな事よりも続きを早くっ……!


 息が荒くなって、まともにしゃべれない俺の気持ちを察したのか、樹里亞の指が動き出す。俺の肌の上を滑って、その後を彼女の舌が追いかける。

 そしてまた、唐突に止まってしまった。


「…………っ!」


 言葉にならない抗議が、噛み締めた歯の間から漏れていく。

 焦らしてるのか? これじゃあまるで拷問だ。


「この前は寝てる松崎くんに抱きついてキスしてたけど、今度は一体なにしたのよ?」


「お……ぉな……じこと」


 腹に力を入れてなんとかそれだけ口にすると、彼女の手が再び動き出す。

上り詰めた高みから一気に落下する瞬間、安定を失う恐怖で振り回した手足は何かに掴まろうともがき、頭の中は強制的にリセットされて視界が真っ白になる。


「こんなことがないようにって思ってチョーカーあげたじゃない? あなた、あたしの婚約者だって自覚……あるの?」


 樹里亞が抗議めいた口調で囁く。

 でも、その声は俺の耳をすり抜けて行った。


結城ゆうきさんも一緒だったんでしょ? なんでそんな事になったのよ?」


 頭の中で彼女の言葉を反芻する。

 ユウキサンって何だっけ? ゆうき……ゆうき……結城。

 ああ、そうだ。確か宏海の幼なじみだと言ってた……『結城 美鶴みつる』!


 俺の脳が微笑んだ美少女の顔データを検索する。やや遅れて、その顔と名前が合致した。

 そうだ。アイツのせいでメチャクチャな事態になったんだ!

 なんてたってアイツは……。


「美鶴は男だったんだよ!」


 俺の言葉に樹里亞は黙り込む。

 無理もない。認めるのは悔しいけど、あんなに可愛いくせに『男』だなんて、まるで詐欺だ。


「それがどうしたの?」


 ところが樹里亞は予想外の答えを返してきた。


「それがどうしただって? てっきり女の子だと思ってたのに、あんな可愛い顔してホントは男のだったんだよ。女子の制服なんか着て俺たちを騙しやがって!」


「あら、あたしは知ってたわよ」


 樹里亞の言葉にハッと目が覚める。

 まぶたを開くと彼女のドヤ顔が見えた。


「ウソだ! あんな見た目で男だなんて、わかるわけないだろう!」


「あら、あたしが何年あなたと一緒にいると思ってるの?」


 彼女の声が大きくなる。

 なんだ急に? でも、俺との付き合いの長さがなんだって言うんだ?


「大体、あの日が何の日だったか考えてみればすぐわかる事よ。東陵祭の初日でしょ」


 東陵祭は俺たちが通う東陵高校の学園祭だ。

 でも、だからと言って美鶴が男だとわかる要素なんかどこにも思い当たらない。


「東陵祭の名物って言ったら何かしら? ほらっ、忘れたの? 去年あなたも出場したでしょ」


 そう言われてやっと気がついた。

 我が校の文化祭にはちょっと変わったミスコンの伝統がある。男子生徒が女装して互いの女子力を競い合うイベントなのだ。これがどうやら全国的に有名らしく、毎年テレビ局が取材にくるほどだ。

 ……という事は、美鶴は新ミス東陵に出場するために女子の制服を着てたってこと?


「ちゃんとエントリーリストにも載ってるし、投票用の特設ウェブサイトにも写真付きで出てたわよ。それにあの子、見事に優勝して今期の『新ミス東陵』に選ばれたのよ。ちょっだけど一昨日の夕方のテレビにも映ってたわ。知らない方がおかしいわよ」


 なんだって?!

 樹里亞にはわかってたのか? 幼馴染の宏海でさえわからなかったのに……って、彼は入院してたんだから仕方ないか。


 ん? 待てよ……。


「じゃあ、美鶴に警戒心を持たせようって話をした時に『妊娠させるな』って言ったのって……」


「正確には『妊娠するようなことにならないようにね』って言ったの。もちろん『あなたが』って意味よ。彼が妊娠するわけないでしょ」


 まるで当たり前のように答える樹里亞が無性に憎らしい。


「そんなこと、ちゃんと言ってくれなきゃ困るじゃないか!」


「別に、あたしは何も困らないわよ。それに、話をした時に変だって思わなかったの? どっちにしても、母校のイベントに無関心な雪緒が悪いんでしょ?」


 彼女に正論を説かれると、俺の頭脳ではもう反論することは不可能だ。

 さっきまで愛おしそうに触れていたくせに、一転して俺を馬鹿にし始めた樹里亞になんとか一矢報いてやりたい。でも、どうすれば。俺は頭をフル回転させて考えた。


「そ、そうだ!『妊娠』だとか言うのなら、もっと大切な事があるじゃないか」


「急に難しい顔して……どうしたの?」


「子供のことだよ……俺たちの!」


 微笑んでいた樹里亞の表情がわずかに変化した。

 俺の身体の中には卵巣と子宮があるけれど精巣はない。どんなことをしても俺は樹里亞を妊娠させることなんかできない。


「驚いた! 雪緒ってなにも考えて無いのかと思ってたけど、ちゃんとあたしたちの未来のことを考えてたのね」


 俺の言葉がよほど嬉しかったのか、満面の笑顔で樹里亞が答える。

 でも、そうじゃない! 俺は二人の未来の話がしたかったワケじゃないんだ。


「チガウよっ! なんていうか、その……エッチの話だよ。俺はもう女の身体だから樹里亞とエッチしたくても……」


「エッチならさっきしたじゃない! まだ足りないの?」


「そうじゃないよ! 樹里亞は、その……処女だろう? 彼女の処女をもらうことも彼氏の……なんて言うか……『役目』とかなんじゃないのか?」


 俺は別に、処女がダメだと思ってるワケじゃない。でも、自分が男じゃなかったってことが樹里亞との付き合いに悪い影響を及ぼしてるのはわかる。

 それが『彼氏彼女の正しい関係』ってヤツだ。


「雪緒ったら、なんでそんなに古臭い観念に囚われてるの? 死んだお爺様の方がまだリベラルだったわ」


 それを聞いて、俺はガックリと項垂れる。

 樹里亞の結婚相手を一族の中から選ぶと息巻いていたあのガンコ爺さんよりも、俺の方がもっと偏屈だっていうのか!


「そこまでこだわってるワケじゃないよ。ただ、その方が良いんだろうなって思ってただけだ」


「ふぅん」


 樹里亞の口角がゆっくりと上っていく。

 こういう時の彼女はロクなことを考えていない。


「雪緒はあたしが処女だと思ってるんだ……」


 そう言いながら樹里亞はクスクスと笑う。

 え? 今、なんだか聞き捨てならない事を言ったよね?


「まぁ、今となってはどうでも良いことでしょうけれど……」


 いやいや、どうでも良くないぞ。

 樹里亞とは五歳の頃から一緒にいたんだ。その間に彼氏がいた様子はない。男友達と呼べる存在だって俺だけのハズだ。

 待てよ。中学に入ってあまり遊ばなくなった頃か? 確かに当時、学校では一緒に行動しなかったけど、放課後のほとんどの時間は一緒に過ごしていたじゃないか。

 おまけに高校に入るまでは一緒に風呂にも入ってたんだぞ。

 エッチするような関係の彼氏がいるのに、他の男……当時の俺は紛れもなく男だったハズなんだけど……と一緒に風呂に入ったりするのかな。それともまさか、当時から俺は男扱いされてなかったのか?

 ひょっとすると、相手は彼女の従兄弟の『露澪ろみお』さんじゃないだろうな。いや、露澪さんには確か彼女がいたハズ。待てよ! もしかして恋人がいる身で樹里亞に手を出したのか?!


「そんなの絶対に許せないぞっ!」


 彼女の腕を振りほどいて、俺は思わずベッドの上で立ち上がって拳を突き出していた。全裸のままで……。


「何が許せないのよ、まったく! 一体どんな妄想してたんだか……」


 樹里亞が横たわったまま呆れた瞳で俺を見つめる。


「彼女がいる男はダメだっ! そんなヤツと幸せになれるハズがない!」


「あなたが何を考えてるのか知らないけど、パートナーがいるのに別の相手とエッチしちゃいけないって言うのなら、婚約者がいるあなたは松崎くんとエッチできないことになっちゃうけど、それでもいいの?」


 は?


 この日、何度目かわからないけれど俺の頭の中は完全に真っ白になってしまった。


 樹里亞は今なんて言った?

 俺と宏海が……。


「エッチ?」


 確かに俺の身体はもうすっかり女になってるみたいだし、宏海のことは大好きだ。今までに何度もキスしちゃったし、ほとんど裸の格好で抱き合ったことだってある。確かにアレはすごく気持ちよかった。

 だけど、それと『エッチ』は別なんじゃないか?


「雪緒ったら、エッチがなんだか知らなかったの? セックスのことよ」


「知ってるよっ! って、今どき小学生にだって常識だよ! 俺が言ってるのは『男とエッチ』だなんて考えたことないって意味だよっ!」


「なに言ってるのよ。キスしてハグしたら次はエッチしかないじゃない!」


 え?


 夕夜たちと観たアダルト動画のセックスシーンが頭の中で4K対応フルハイビジョンデジタルリマスターでリプレイされる。

 でも、画面の中の隠微な行為が、宏海との幸せなキスの延長線上にあるなんてとても信じられない。だって、相手は中学校の頃から一緒に遊んでた親友だぞ。それに彼のことは男の中の男としてリスペクトしてるんだ。そんな相手とエッチだなんて考えられない。


 いやいやいやいや! 違う違う違う違う違ぁーーーーーう!


 男とエッチするなんていう重大ゴトがまるで瑣末なことのように思えるほど強烈な何かが、樹里亞の言葉の中にあったじゃないか!


「さっきの言い方だと、宏海と……その……エッチするかしないかは、まるで『俺か決める事』だって言ってるよう聞こえるんだけど……」


「あら、今日は珍しく理解力が高いわね! その通りよ。やるかどうかは雪緒が決めれば良いことだと思うわ」


 当然のように言い放たれた言葉に、俺はまるで頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。


「樹里亞はそういうの平気なの? 俺のこと好きなんじゃないの? 好きな相手が他の誰かとエッチしても気にならないの?」


 慌てて捲し立てると、彼女はベッドの上でゆっくりと上体を起こす。

 裸の胸が重力の影響を受けてたわみ、わずかに揺れて元に戻る。彼女の美しい瞳は微笑みながら俺の目を見つめたまま。


「あたしだって雪緒に他の人とエッチして欲しい訳じゃないわ」


 そう言って彼女はちょっとだけ微笑む。


「処女をもらうのが彼氏の役目だって言ってたけれど、あなたは男性としての役割に固執しすぎよ。あたしは役割ロールにはこだわらないの。彼氏とか夫が欲しいわけじゃないのよ。でもね、あなたは女の子になったことで、将来男性と結婚して、子供を産む権利を手に入れてしまった。だけど、あたしはあなたの子供を産むことも、あなたを妊娠させることもできない。これがどれほど不安なものなのかわかる? 今だに結婚っていう契約であなたを束縛しようとしてるのは、そういう事なの。あたしは自分勝手な女なのよ。それなのに、あなたが男の人とセックスするのを認めない……だなんて酷いパートナーだと思わない?」


 彼女は一旦言葉を切って、何かを見定めようとするように俺の瞳を見つめる。


「誰とセックスしても誰の子供を産んでも、それはあなたの自由なの。もちろん、必ずあたしの所に戻ってくるのが条件よ」


 やっと樹里亞の言いたいことがわかった気がした。

 男だとか女だとか、そういう事を超越した世界で俺は彼女に愛されているんだと……。


「あなたにチョーカーをさせてるのもあたしのワガママなんだけどね」


 俺は首に巻かれたチョーカーにそっと触れてみる。

 エンゲージリングだと言って彼女がくれたプラチナのチョーカーだ。俺の誕生石のダイヤが埋め込まれている。


 古い価値観とか因習を否定する樹里亞が『結婚』には固執する。彼女は俺を束縛してると言うけど、おそらくそれは幼い頃に交わした約束を彼女なりに果たそうとしてるのだろう。


「でもさあ、結婚によって縛られるのは樹里亞だって同じじゃない?」


 ひょっとして樹里亞はもう処女じゃないのかもしれない。考えてみれば、こんなに美人でスタイルが良い彼女が未だに処女だというのは考えにくい。

 優しい彼女のことだから、望まずに女になってしまった俺にそれを打ち明けるのを躊躇っているのかも。


 そう、同じだと言うのなら……。


「樹里亞だって俺と同じように……他の男と、その……エッチする権利があるハズだよ」


 俺は自分の台詞に公平さや潔さ、清濁併せ呑む度量の深さみたいなものを感じていた。自分の男らしさに酔っていたのかもしれない。


「うん、そうかもね。あたしたちが同じだと言うのなら、それもアリかもしれないわ」


 ベッドから降りた樹里亞はドレッサーの引き出しからプラスチックの箱みたいなものを取り出して俺に見せた。

 蓋を開けると半透明なブルーの棒状の物体が出現した。カタチは……そう、まさに男性のアレ。

 これってつまり、いわゆる『大人のオモチャ』ってやつ?


「興味本位で取り寄せてみたけど、実物を見て後悔したわ。それに、ディルド相手に処女喪失だなんて、あまり自慢できる話じゃないものね」


 そう言って彼女はシリコン製のオモチャを放り投げた。毛足の長い絨毯の上でそれは小さく跳ねたあと、不恰好に転がった。

 樹里亞があんなモノを持ってたなんてビックリだ。おまけに彼女がまだ『処女』だったことも……。


「雪緒の許可ももらえたことだし、せっかくだから結婚前に男の人とエッチしてみようかしら」


 俺の大切な幼なじみはそう言って微笑んだ。

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