第四十一話 男子高校生は素敵な男の子と出会う1

前話のあらすじ


事情聴取に行った警察署の廊下で誘拐犯とすれ違った俺は倒れて前後不覚。目が覚めたら樹里亞から衝撃の事実を聞かされる。俺は幼い頃に彼女の身代わりに誘拐されたというのだ。樹里亞は罪滅ぼしに俺と付き合っていたのか? ネガティブな俺に樹里亞が高々と婚約宣言。なんだって?


注:BLではありません。


 ◇◇◇


「お前。なんか……可愛いな」


 真夏の照りつける太陽の下、プールサイドで準備運動をしながらヤツが真顔で俺に囁く。


「うるせー! 野郎に言われても嬉しくねぇよ!」


 少々ウンザリしながら俺はそれに答えてやる。

 するとどういうわけかヤツは嬉しそうな顔で微笑んだ。


 ヤツの名前は『早瀬はやせ』。

 夏休み中、一緒に補習を受ける……一言で言えば俺の『戦友』だ。


 ◇◇◇


 楽しい海水浴が終わって、拉致未遂事件があって、樹里亞じゅりあの婚約宣言があって……慌ただしい数日間だった。

 再び伊豆から戻れば、るちあ、夕夜ゆうや宏海ひろみの三人が樹里亞の家で待ち構えていて、アイスとジュースで乾杯をした。どうやら生還祝いということらしい。俺が事件の概要を説明する間、るちあはずっと俺の腕に纏わり付いて離れず、そんな状況にも関わらず夕夜は文句一ついわない。宏海もなにも言わずに俺のそばにずっといてくれた。


 家に帰れば今度は両親に事件のことを話さなくちゃならなかった。どんな反応をされるのかと恐々としていたが、相手はさすが俺の両親。無事なら何も言うことはないらしい。

 大らかと言おうか適当と言おうか、はたまた放任主義と言うべきか、自分でも自分の事が見えなくなってしまった今、こんな親でホントにありがたいと思った。

 しかし、幼い頃の誘拐事件のことは一切話題に上らなかった。やっぱり、俺が思い出すまでは言わないつもりなのだろう。だから俺も知らないフリをしておいた。


 婚約者28号……もとい露澪ろみおさんの前で、俺と結婚すると宣言した樹里亞。門倉かどくらの爺さんが許すはずはないと言う露澪さんに対して『方法は考えてある』と言うのだけど、その方法についてはなにも言ってくれない。俺には彼女がなにを考えているのかサッパリわからない。


 で、引き続き夏休みなのである。

 宿題はやったのかって? そんなものはまだまだ先の話。俺にはもっと大事なことが残っているのだ。

 一学期にサボりまくった水泳授業の補習である。自分の急激な女性化に驚いて胸を見られたくなかった俺は、一学期の水泳の授業に一度しか出なかった。

 よくよく自分の胸を観察してみれば以前より乳首がちょっと尖った感じはしてるけど、男の胸だと言えばそう見えないこともない。だから、補習のメンバーに知ってるヤツがいなければ気にせず男子用の水着を着ようと思ってた。

 でも、物事は自分で考えた通りに回ってはくれない……。


 俺はすっかり忘れていたのだ。海で遊べば『日に焼ける』という当たり前の現象を。


「あんた、ソレ……」


 風呂上がりに冷たい麦茶で喉の渇きを癒していた俺に向かって、テレビドラマを観ていた母親がそう言ったきり絶句した。


 俺は家族に対して『女にはならない』と言ってある。だから自宅での風呂上がりは腰にバスタオルを巻いただけのスタイルだ。俺は男なわけだからこの格好をとやかく言われる筋合いはない。

 文句があるなら言ってみろ。『ウルセーBBA!』と一言で切り捨ててやる。俺は今、絶賛売り出し中の『性別不良少年』なのだ!


 なんてね……ってくだらない事を考えてる間も母親は俺を凝視した姿勢で固まったままだ。さっきまで観ていたテレビは今まさに佳境に入って、妻子ある男性に不倫の証拠が突きつけられている重要なシーンだというのに、俺をじっと見据えたまま微動だにしない。

 おかしいと思って自分の体に視線を移す。そして、見た。

 あの忌まわしい激レア装備『あぶない水着』のブラの跡が俺の胸にキッチリと刻み付けられているのを。

 着替える時も病院で検査を受ける時も全然気がつかなかった。あの装備には恐ろしい呪いが掛けられていたのだ。それに今ごろ気づくとは……。


「ええと……これは、その、アレだよ。アレ……」


 言い訳したくても、母親を納得させられるような理由がとっさに思い浮かばない。

 男としてこんな水着を着てたとしたら、それは女装の範疇を逸脱してしまう。

 異性装の最終目的は性別を偽ることである。男性が女装するためには、体型の大きな差異をなんらかの方法で隠す必要がある。例えば水着の場合なら、パッドが入ったブラを使って豊かな胸を作るのが当たり前なのだ。

 自分を男だとアピールしながら淫靡な衣装で乳首を隠す。それはもはや女装ではない、『変態』の領域だ。いや、女装だって十分変態だと言われそうだが『自分を女に見せたいのか否か』というのは意外に大きな違いなのだ。

 では、女としてあんな露出度が高い格好をしていたとしたら……考えるまでもない。そいつは間違いなく『ビッチ』の烙印を押されるだろう。


「あんまり変なカッコしないでよ」


 ぎゃー! こんな格好を母親に見られるなんてサイアクだぁ。しかも、ちゃんとした理由も言えなかった。


 母さん。あなたの息子は変態でもビッチでもないんです。信じてください。


 打ちひしがれていた俺はもう一つの試練があったことを思い出した。水泳授業の補習だ。学校のプールでこんな日焼け跡を見られるくらいなら、退学になった方がはるかにマシだ。

 だけどこんなこと誰にも相談できない。

 どうしよう!


 そう思い悩んでる間に家の電話が鳴った。母親が受話器を取って電話越しに挨拶している。


雪緒ゆきお、先生から電話よ」


 母親からコードレスの子機を受け取って耳に当てる。


東條とうじょうです。ああ、ええと東條 雪緒です」


「東條さん? わたし、保健医の高崎たかさき 燐子りんこです。事件のことを副校長先生から聞いたんだけど……」


 先生というから担任かと思ったら、保健の燐子先生だった。

 伊豆の事件の連絡を受けて、俺のメンタルケアのことを考えて電話をくれたらしい。夏休みだっていうのに先生っていうのは大変な仕事だ。


「夏休み中でも構わないから、話をしたくなったらいつでも連絡してね。学校で聞いてもいいのよ」


 とても真面目で生徒想いの良い先生だとは思うけれど、夏休み中まで学校に行ってカウンセリングだなんて絶対イヤだ。

 でも、ひょっとするとこれはチャンスかもしれない。俺は燐子先生に水泳の補習と水着のことを相談してみた。


「東條さんみたいな人にとって、水着って大きな問題よね。もし、東條さんが女子の水着で補習を受けたいというのなら先生が学校側に掛け合って許可を……」


「いやいやいやいやいやいやいや……」


 恐ろしい提案をサラッと言われ俺は慌てて拒否した。着たいと言えば女子の水着で授業を受けてもいいものなの? それを聞いて、クラスの男子全員が女子の競泳用水着を着てポーズをとってる場面が俺の脳裏に鮮明に浮かぶ。

 お前ら、変態だったのか!


 まぁ、伊豆の海で嫌な思いをした俺としては、女子用の水着は勘弁して欲しいところだ。伊豆の場合は仕方ない理由があった。あの場だけガマンすれば、楽しく海で遊ぶことができたのだ。まぁ、おかげで余計な事件に巻き込まれたわけだけど……。

 でも、学校で使う水着となると話は違う。授業でソレを着てしまったら最後、俺は学校内で『女子』として認識されることになるのだ。補習で着れば新学期もそれを着続けることになる。そうなったら俺は一人だけ女子の水着を着て男子の中で授業を受けるか、あるいは樹里亞たち女子と一緒になるかの究極の選択を余儀なくされることになる。

 それに……だ! このぺったんこな胸を隠して、代わりに股間のラインを見せるというトレードオフは俺にとって有利な取引とはとても思えない。


「じゃあ水着じゃなくてアレにしましょう。ラッシュガード……。体育の菅野かんの先生にも伝えておくわ」


 こうして俺は燐子先生から『ラッシュガード』なるものを受け取って使う事になった。前側にファスナーがついていて、その見た目は薄手のスポーツウェアのトップスのようだ。紺色の地に白いストライプが入った長袖で、水着と同じようなデザインになっている。紫外線に弱い生徒のために学校で何着か試験的に購入したものらしい。

 『仲間がいるから大丈夫よ』と彼女は笑って言った。そりゃあ補習なんだから、俺一人ってことはないだろうけど……。

 彼女のその言葉の意味は補習授業の初日に明らかとなった。


 ◇◇◇


 開始時間よりちょっと早めにプールに到着すると、ソイツはもうすでに着替えて準備運動を始めていた。ヤツも俺と同じく股下十センチくらいの紺色の男子用水着を履いて、上には長袖のラッシュガードを着込んでいる。

 燐子先生が言った『仲間』っていうのはコイツのことか。露出した肌の白さをみると紫外線に弱い系かもしれない。理由なんかどうでもいい。同じ格好をしてるのなら、俺がどうしてこんなものを着てるのか説明する手間が省けて都合が良かった。


「A組の『東條 雪緒』だ。よろしく」


「俺はC組の『早瀬』だ。……ったく、このクソ暑ちぃーのにメンドくせぇよなぁ。先にプールに入っちまうか!」


 そう言ってヤツは悪戯っ子のように笑った。

 背丈は俺と同じくらいか、ちょっとだけヤツの方が高い。かなり鍛えているようで、線が細そうなのに肩や太ももは見てわかるほど筋肉が盛り上がっている。そしてなによりも、パッチリした大きな目と小さめの唇が特徴的だ。ちょっと太めの眉毛が凛々しいけど、丁寧にトリミングしてメイクすれば可愛い女装男子ができあがるだろう。コイツが新ミス東陵に出場していたら、俺の優勝も危うかったかもしれない。


 おっといけない。女装が似合いそうだからってついつい余計なことを考えてしまった。

 ヤツからすれば迷惑な話に違いない。ゴメン。

 俺は心の中で謝った。


「ひょっとして、補習組は俺たちだけ?」


 ヤツの真似をして準備運動ごっこをしながら気になったことを口に出す。大げさにプールサイドを見回す演技をしながらそう言ったけど、俺たちの他には誰もいない。


「そうらしいな。まぁ、体育の補習なんて普通はあまりないんだろう? 俺はまぁ、ちょっと事情があって一学期の水泳をほとんど休んじまったからよぉ」


 そう言って笑う早瀬。


「ああ、俺もそんな感じ。水泳は一回しか出てないんだ」


 俺たちは顔を見合わせてニカっと笑う。

 早瀬が良いヤツそうで安心した。これなら面倒な補習もガマンできそうだ。


「なんだ、お前ら。もう準備運動してるのか。やる気マンマンだなぁ」


 体育教官の菅野かんのが現れた。

 真っ黒に日焼けした筋肉隆々の身体に、裏地のない真っ赤なビキニパンツを履いていた。全身が毛だらけで、胸から腹にかけて生い茂っている剛毛が、そのままビキニパンツの中へとつながっている。どこまでが腹の毛で、どこからが陰毛なのかまるで区別がつかない。

 コイツ、女子の水泳授業も受け持ってるんだろうか。よくも今までセクハラで訴えられなかったものだ。


 補習は一日一時限だった。俺としては面倒な補習なんか一度で終わらせたかったけど、水泳部との割振りの関係なのか、あるいは指導要綱に決められているのだろうか。おかげで夏休み中にプールに入るためだけに何日も学校へくるハメになってしまった。

 もともと夏休みなんて、家でゴロゴロしてるか樹里亞と出かけるくらいしかやることがないけれど、毎日学校に行かなきゃならないと思うと長期休暇のありがたみも半減してしまう。

 補習初日は準備運動と肩慣らしで軽く五往復だ。『軽く』とは体育教官が使った言葉だが、東陵高校のプールは長さが五十メートル。五往復すると合計五百メートル。普段全然運動をしてなかった俺の手足は途中で動かなくなくなってしまい、一学期みたいに不恰好に溺れる前にギブアップするハメになってしまった。


 そんな俺の醜態を見て早瀬は手を叩いて笑いやがった。

 くそぉ。俺の体力は女子並みなんだよ。っていうか、体力以外だってほとんど女子だよ。仕方ないだろう! そう言えれば楽なんだけど……。

 これが夕夜だったら俺の怒りはMAXだったろう。でも、なぜか早瀬に煽られてもそれほど頭にこなかった。それはもしかして、俺たちがなんとなく似た者同士だったからだろうか。


 補習は午前中で終わるから早瀬と昼飯を食おうと思ってたら、ヤツはチャイムが鳴ると同時に『お先!』とだけ言い残して走って先に帰ってしまった。

 なんて慌ただしいヤツ。さてはデートの約束でもあるな。


 ◇◇◇


 その日の夕方から、久しぶりにバイトのシフトを入れていた。人手が足りなくてジーンさんから応援要請を受けたのだ。

 メイド喫茶『ブラックベリーフィールズ』の衣装を着るのも久しぶりだ。


 あ……。もう一つ大事なことを忘れてた。


 俺のシフトでは必ず『雪緒フラッシュ』のストリップショーを演じるのだ。胸の日焼け跡のことも恥ずかしいけど、夏になってずっと隠してきた胸のトップを自分から人に見せるというのはどうなのだろう?

 ショーの常連客はみんな俺が男だと知っている。いや、正確に言えば『知っている』というより『思わされている』というのが正しい。あるいは『騙されている』と言うべきか。男だと騙して十六歳の女子の乳首を観せているのだ。これって犯罪?


 イカン! 余計なことを考えてたらなんだか恥ずかしくなってきた。

 でも、なんでもない顔して演じなきゃならない。バレたらジーンさんに殺される!


 ◇◇◇


 そしてショーは無事に終了した。

 全身にビッショリとかいた汗はステージライトの熱のせいだけじゃないハズ。今夜のショーは異様にドキドキした。


「ちょっと雪緒ちゃん、ソレ……」


 俺の胸を見てジーンさんが絶句する。

 あの、ジーンさん。反応が俺の母親と同じなんですが……。


「ええと……これは、その、アレですよ。アレ……」


 俺の返答もまるっきり一緒だった。

 二度目なんだから日焼け跡の言い訳くらい考えておけばよかった。俺のバカ。


「ううん。でも今日のステージは良かったわよぉ。なんだかいつもと違う感じで……」


 そこまで言うとジーンさんが俺の両肩を掴んで引き寄せた。


「ひょっとして好きな男でもできたんじゃないの?」


 は? ウチの店長は女子大生レベルなのか! なにをどう見ればそんな結論になるんだ?


「そんなワケないでしょー。俺は女の子が好きなんです!」


「おかしーなぁ。女の勘は馬鹿にできないのよぉ」


 そう言ってウインクするジーンさん。

 確かに女の勘は鋭いってよく聞くけれど……。


 でもアンタ、男だろう!

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