第七十二話 男子高校生はふたたびメイド服を着る2

前話のあらすじ


好きだと言われたせいで宏海の見舞いに行けなくなった俺。学校に行ったら、我が校の学園祭『東陵祭』でメイド喫茶をやることに。メイド服その他はブラックベリーフィールズで貸りられる。放課後手紙で呼び出された俺は、放送部の柏木 京香にメイド喫茶の取材を申し込まれる。


◇◇◇


「お帰りなさいませ、ご主人様ぁ! 本日は東陵高校文化祭こと『東陵祭』にお越しいただきまして本当にありがとうございます。各クラスやクラブ活動のイベントをご覧いただいた後は、当店『ブラックベリーフィールズ東陵祭店』でおくつろぎくださいませ。学園祭ということでメニューに多少の制限がありますが、メイドたちのご奉仕の気持ちは変わりません。是非『ブラックベリーフィールズ東陵祭店』にお帰りなさいませぇ!」


 東陵高校の表玄関、東陵祭の来場者が最初に訪れる正門入り口に建つ大きなアーチに設置された業務用PAスピーカーから、クラスメイト『柘植つげ るちあ』の声が流れてくる。

 十分な声量とクッキリした滑舌、そしてなによりも個性的な声音。るちあにこんな特技があったなんて驚きだ。


 今日は東陵祭の初日。

 我がクラスのメイド喫茶『ブラックベリーフィールズ東陵祭店』は、開場から少しづつ客が増えてきて、昼頃までには廊下にズラッと並ぶ行列ができるほどになっていた。

 カーテンで仕切られたバックヤードから、飲み物やお菓子が乗った銀のトレイを抱えて、メイドたちがテーブルの周りを歩いて周る。

 メイドは基本的に二時間交代で一日三交代制だ。でも、俺と樹里亞は経験者として昼食時以外はフルタイムでシフトが入っていた。もちろん、実行委員兼『店長』である、るちあも一緒だ。

 メイド服を着ているのはウェイトレスだけではない。

 我がクラスの出し物が性風俗店の手先だと思い込んで密着取材を申し込んできた放送部のエースレポーター柏木かしわぎ 京香きょうかもだ。開店当初から教室内でビデオカメラ片手に仁王立ちしていたところを、るちあの店長命令でメイド服を着せられることになった。

 狭い教室内で、客でもない女に仏頂面で立っていられたら邪魔以外の何物でもない。るちあの判断は正しい。

 それから教育実習生として我が二年A組の副担任を任されているランさんこと江藤えとう らん先生。現役女子大生の彼女はメイド服を着てノリノリで校内を飛び回っていた。さながら歩く広告塔である。


「五番テーブル、エスプティーフロチョコスコチョコビスよろしくー」


「ビスチェのフックの耐久力がヤバイーっ!」


「チョコレートクリームスコーン出てこないけど、切れたなら誰か本店に連絡してよぉ」


「ご主人様。ローアングルからの写真撮影はご遠慮くださいませぇ」


 メイドたちの嬌声が二年A組の教室にこだまする。


◇◇◇


 東陵祭開催初日の朝のこと。


 校内放送と生徒たちの喧騒の中、わずかな衣擦れの音を立てて我が幼なじみにして婚約者でもある『門倉かどくら 樹里亞じゅりあ』がメイド服に着替えている。

 ここはプールに近い旧校舎の女子更衣室だ。東陵祭期間中に着替えが必要な生徒はみんなここを使うことになっている。もう一つ、グラウンドに併設された更衣室があって、そっちの方が教室にも近いのだけど、基本的に演劇部や軽音部など体育館で上演する部活専用に割り当てられている。


 樹里亞がバイトを辞めたかどうかは知らなかったけど、家族と一緒にロサンゼルスで玲一れいいち爺さんの葬儀と後始末に追われていたから、それどころではなかっただろう。

 衣装は当たり前のことながら彼女のボディラインにぴったりで、ウエストを絞り上げるコルセットも膨らませたフレアスカートも、彼女のモデルのような体型をさらに強調するのに役立っていて、俺の視線は美しくも艶かしいその姿に釘付けにされてしまう。

 学校の制服とか体操着とか水着だとか、最近の学校生活では樹里亞と一緒に着替えてるけれど、俺がまだブラックベリーフィールズでバイトしてた頃は更衣室が別々だったのだ。当時男子高校生だった俺が、女子の樹里亞と一緒に着替えるわけにはいかなかったからね。

 だから、彼女がメイド服に着替えるシーンを、俺は今日初めて目にしたのである。


 不思議なことに、メイド服を着ると自分がまだ身も心も男子高校生だった頃の記憶が鮮やかによみがえってきて、女子の着替えを覗き見してるような変な背徳感に襲われる。

 だからといって興奮したり、あまつさえドコかが立ったりはしないけれど……。

 下着姿の樹里亞も、メイド服を着た彼女もどちらも純粋に美しかった。

 この美しい女性が俺の婚約者なんだと思うと、改めて胸の奥から感動が湧き上がってきて身体の芯からプルプルと震えてしまう。


「寒いの? 雪緒ゆきお


 彼女が俺の方を振り向いて不思議そうに聞いた。


「樹里亞は、ブラックベリーフィールズの衣装を着ること、どう思ってる?」


 なんだか、るちあに騙されてメイド服を着せられてるような気がして釈然としないのだ。

 髪をポニーテールに結いながら彼女が答える。


「帰国して学校にきたらもう決まってたんだもの……仕方ないんじゃないかしら。あたしたちはいなかったんだから文句を言える立場じゃないわよ。それに、あんな短時間で本格的なカフェを企画して、叔父さまに援助の約束を取り付けるなんて、るちあってプロデューサーの才覚があるのかもしれないわね。あたしとしても叔父さまの経営に力を貸せるのなら嬉しいわ。今までさんざんお世話になったし、あなたが辞める時には迷惑をかけてしまったし……」


 樹里亞の口からジーンさんへの感謝の言葉が紡がれると、俺はもうそれ以上、なにも言えなくなってしまった。


◇◇◇


東條とうじょうくーん。なんかぁ、お客さんがワケワカンナイこと言ってるんだけどぉー」


 バックヤードで休憩中だった俺のもとにクラスメイトの女の子が首をひねりながらやってきた。

 午前中はまだ『ご主人様』も少なめで、今日初めてメイドをやる女の子たちも落ち着いて給仕できているようだった。注文を間違えたり、接客がおぼつかなかったりするのもお約束の範疇らしく、本気で怒るようなご主人様は一人もいない。

 だから安心していた。我がクラスのメイド喫茶は大成功すると思っていたのだ。


「ワケワカンナイこと?」


「えっとねぇ、『なんとかフラッシュ』はいつやるんだって言うの……」


 『なんとかフラッシュ』だと?

 イヤな予感しかしない。とりあえず店内に戻って見てみれば、テーブルに座っていたのはブラックベリーフィールズの常連のお嬢様方だった。しかも、俺を目当てにきてくれてたファンの子たちだ。


「お帰りなさいませ。お嬢様方!」


「キャー! 雪緒ちゃん、おヒサだぁー!」


 とびっきりの笑顔で応対すると、お客の一人が立ち上がって俺に抱きついてきた。


「雪緒ちゃんが引退したって聞いて、悲しかったのぉ! でも『ラストフラッシュ』をやるって言うから来ちゃった!」


 は? ラストフラッシュ?

 俺に学園祭でストリップをやれって言うのか?


「誰がそんなこと言ったの?」


「誰って、ジーンさんだよ。東陵高校の学園祭でやるからって、前売りチケット買っちゃったー!」


 常連のお嬢様がにっこり笑顔で俺に答える。

 チケットを売るなんて、どんだけ守銭奴なんだ!


「ジーンさんは俺に学校でストリッ……!」


「はいはぁーい! チケットのご購入ありがとうございまぁーす! ラストフラッシュの特別ステージは本日十五時より開演しまぁす」


 俺の言葉にかぶせるようにして、るちあのセリフがスピーカーから流れてくる。

 そういうことだったのかっ! るちあ……。


 メイド喫茶は我が二年A組とブラックベリーフィールズとのWin-Winな取引だと思い込んでいたけれど、その実は俺一人だけが一方的に搾取される悪魔の契約だったとは!

 バックヤードに駆け戻り、今まさにマイクでアナウンスをしていた彼女に詰め寄った。


「るちあ! ラストフラッシュって一体どういうことだよ?!」


「あれぇー? ジーンさんから聞いてない? 変だなぁ」


 るちあはまるで悪びれる様子もなく、ニコニコしながら首をひねっている。

 コイツもグルか!


「東條くん。落ち着いてよく考えてみて。このメイド服はジーンさんの好意で貸してくれたものだけど、その他の資材や仕入れにはかなりのお金がかかってる。そのお金は、前売りチケットの売り上げで賄われているの。東條くんがショーをやってくれるからこそ、うちのクラスは最高のメイド喫茶ができるのよ。みんなが東條くんに感謝してるわ」


 という事は、最初からやることが決まってたのかよ?


「俺はもう……『女』なんだぞ。人前でストリップなんてできるワケないだろう」


「ああ、それなら大丈だいじょ……」


「ちょっと、東條さん!」


 甲高い声が俺の鼓膜に突き刺さる。

 振り返るとメイド服姿の柏木かしわぎ 京香きょうかが立っていた。

 さすが、放送部のエースレポーター。初めて袖を通したハズのメイド服を実に見事に着こなしている。コイツ、見た目だけならホントに可愛いのだけど……。


「ラストフラッシュってなんのこと? あなたたち、一体何を企んでるのよ!」


 今度は柏木が俺に詰め寄ってくる。


「何も企んでなんかいないよ! もともとはブラックベリーフィールズっていうメイド喫茶で上演してたショーのことだよ。ダンスしながらメイド服を脱いでいくんだけど……」


 俺の説明を聞いてる間に、柏木の眉毛が少しづつ吊り上っていく。


「なによソレ! ストリップショーやないの? やっぱりA組のメイド喫茶は風俗店と繋がってたのね!」


「違うチガウ! いや、ストリップなのは確かなんだけど、そんないかがわしいモノじゃないんだ! 男が女装してストリップするんだよ。メイド服を脱いで水着のブラをとって『実は男でしたー』ってやるドッキリショーなんだよ! 風俗でもエッチでもなんでもない!」


 俺は必死になって柏木に説明する。

 バイトしてたのは半年くらいの間だけど、それでもジーンさんとブラックベリーフィールズにはとっても世話になったんだ。それにたくさんの時間、樹里亞と一緒にいることができた。

 メイド喫茶っていう業態自体、まだまだ普遍的とは言いがたいサブカルな存在だけど、エッチを売りにするような性風俗店とはぜんぜん違う。何も知らない部外者の女にそんなことは言わせない!


「わかったわ……」


 柏木の表情から剣が取れて、一転して優しい微笑みに変わる。


「そうよね。そんないかがわしい風俗店だったら学校がサポートを認めるワケないわよね。変な先入観に縛られてたわ。ごめんなさい、東條さん」


 正直言って、驚いた……。

 あの自分勝手で傲慢だと思っていた柏木が謝ったのだ。俺は彼女のほんの一面しか見ないで、イヤな女だと決めつけていたのかもしれない。


「俺の方こそ、説明不足だったよ。ゴメン」


「でも、そんなに人気のショーだったら是非観てみたいわ。そうだ! 校内テレビネットワークで実況中継させてもらうわね。東陵祭の名物『新ミス東陵コンテスト』もあることだし、女装男子のストリップショーなんて、話題性もすごいわ! その『ラストフラッシュ』って、何時から上演だったかしら? すぐに撮影クルーを呼び戻さなきゃ!」


◇◇◇


 店内に流れる音楽はアップテンポのダンスミュージックだ。

 半年以上もの間、バイトの度に聞かされて耳にこびりついたメロディー。

 たとえ眠ってたって体が自然にステップを踏む。

 ブラックベリーフィールズ東陵祭店の教室の中で、俺は今メイド服姿でダンスをしていた。

 踊りながら、腰に巻かれた小さな飾りのエプロンをゆっくりと解く。

 次はブラウスの胸のボタンを外す番だ。


 結局、二年A組の教室でストリップを見せるハメになってしまった。

 俺はもう女なのに、そんな事して大丈夫かって? もちろん、いくらぺったんことは言え自分の胸をそうカンタンに他人に見せてやるつもりはない。

 ジーンさんが売ったという『前売りチケット』は二十枚で、買ったのは全員女性だった。もともと『雪緒フラッシュ』のファンはほとんどが女性客だったけれど、ラストフラッシュのチケットも女性限定で販売されたようだ。それから、乳首に貼るニプレスもジーンさんが用意してくれたらしい。

 るちあが言った『大丈夫』とはこういうことだったようだ。


 るちあや樹里亞、それからメイド服姿のクラスメイトに協力してもらって開演時間前に男子生徒と男性客をなんとか締め出すことに成功した。

 チケットが一体いくらで売られたのか知らないけど、サポート資材の代金を考えると二十人ではどう考えても少ない。東陵祭が開催される今日と明日のうちに、おそらく何回か上演する必要があるんじゃないだろうか。


 それから、放送部の柏木には『男子禁制イベント』だからと説明して、東陵テレビネットワークの校内放送を勘弁してくれるようにお願いした。


「いいわ。でも、私が直接自分の目で観て判断するわ」


 とても楽しそうに彼女が答える。

 これは難しい注文になった。チケットに大枚叩いたファンのお嬢様方が納得するくらいにはエロチックに演じないとならないのだけど、柏木がそれをいかがわしいと判断したら学校側に通報されてしまうかもしれない。

 そうなれば下手したら二年A組の東陵祭参加は取り消しになって、資材の調達費が回収できないばかりか、チケットの払い戻しの費用まで発生してしまう。

 失敗したらヤバいことになる!


 音楽に合わせて体をクネらせながら、少しづつ衣装を脱いでいく。

 ストッキングを残してガーターベルトを外すと、あとは靴と白いビキニの水着だけになる。

 暗幕を下ろした教室で観客の顔がほのかに見える。お嬢様方の表情をうかがうとどうやら楽しんでもらえてるようだ。それから、柏木の顔に視線を移して驚いた。

 彼女も常連客たちと同じような表情で俺のショーを見ていたからだ。

 『いかがわしい』と喚かれたら大変なことなってたけれど、こんなに食いつかれるのも逆に恐ろしいものがある。

 一体、俺のショーはみんなにどう見られているんだろう。


 ダンスミュージックが山場を迎え、雪緒フラッシュがクライマックスに近づく。

 観客は女だけ。乳首にはニプレスが貼ってあるから後顧の憂いはなにもない。

 さぁ、これが俺のラストフラッシュだ。


 両腕を上げて、首の後ろで結んだブラのストラップを解く。

 つまんだヒモを顔の横に持ってきて、そこで勢いをつけて手放した。


「ヤァーヴェーォー!」


 その瞬間、音楽に負けないほどの絶叫が轟き、教室のドアが内側に向かって吹き飛んできた。

 外れたドアが音響機器にぶつかって、辺りは突然の静寂に包まれる。

 直後にあちこちから上がる女の子の悲鳴。


 何が起こった?


 廊下の窓から暗い教室に西日が射し込む。

 それをバックにして、とうてい人間のモノとは思えない巨大で不気味なシルエットが入り口に立っていた。

 その化け物は黙って暗い教室内を見回すと、俺目掛けてすごい勢いで駆け寄ってきた。


「ギャーーーーーーー!」

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