第七話 男子高校生は聖夜に踊る1

「クリスマス・イブに予定ある?」


 登下校にマフラーとコート、手袋が欠かせない季節。顔に当たる風も痛いほどに凍りつき、街路樹もみんな葉を落としていた十二月。

 駅から学校に向かう道を樹里亞と二人で歩いていると、後ろから明るい声で呼び止められた。

 柘植つげるちあだ。走って追いかけてきたらしく少しだけ息が荒い。厚手のコートに覆われていてもはっきりとわかる砲弾型の胸の膨らみが、激しく上下していて扇情的だった。

 高校生なのにあの胸の大きさは反則ではないだろうか。樹里亞じゅりあだって十分立派なサイズなのだけど、あの巨乳と比べたらやはり小さく見えてしまう。

 だからと言ってるちあの方が良いかと言うと、そんな単純な話ではない。あえてカテゴライズするならば、樹里亞のプロポーションはモデル体型。るちあはグラドル体型と言ったところだろう。


 あの豊満な胸に包まれた時の記憶がフラッシュバックする。

 俺の顔を見た樹里亞が不審そうな目をした。慌てて顔を触ってみて、自分がにやけきった不気味な笑顔になっていたことに気づく。

 違うんだ樹里亞。俺が本当に好きなのはお前だけだ!


「……って、東條とうじょうくん。聞いてるの?」


 妄想の中で樹理亞に謝罪していた俺の頭に、久しぶりに柔らかいものが押し付けられる。豊満な膨らみがコートの滑らかな生地越しに俺の頬を、鼻を、まぶたを優しく圧迫する。

 気がつくと、るちあの胸にいつの間にか包まれていた。何を言ってるのかわからないと思うが、俺も何を言ってるのかわからない。

 あのストーカー事件以来、彼女は俺に対する突っ込みや抗議の意思を示すのにこの手段を使うことに決めたらしい。

 世の男性諸氏は俺のことをうらやましいと思うだろうか? でも、これは彼女がまるで俺を男扱いしていないことの証明なのだ。

 教室の向こうの端から夕夜が悔しそうにこっちを見ながらもヤツが文句を言わないのは、るちあが俺に男として興味がないことを知っているからだ。


 ◇◇◇


「どおしてぇー? クリスマスイブなのよぉー! みんなでパーティーしようよぉー!」


 休み時間のたびに、彼女はクラスにやってきて俺の首にしがみついた。

 今朝、俺の頭に押し付けられていた柔らかな感触が俺の背中を、うなじを、顔面を攻める。この異常なシチュエーションもクラスの連中にとってはすでに見慣れた光景のようで、忌々しげに俺を睨みつけているのは夕夜だけだ。

 我が愛しの幼なじみはどうかと首を巡らせるが、樹里亞は我関せずで帰り支度をしていた。


 るちあはここ数日、クリスマスイブをみんなで過ごそうと何度もしつこく誘ってくる。でも、俺はそんなパーティーに参加することはできない。すでに大事な予定が入っているからだ。


「だから、用事があるんだってば!」


 首に巻きついたるちあの腕をほどこうと格闘しながら、俺は何度も同じセリフを繰り返す。


夕夜ゆうやと二人で過ごせばいいだろう?」


「ヤだよぉ。いったい何年二人きりでクリスマスやってると思ってるのぉ? もう飽きたぁ!」


 るちあが心底嫌そうな顔をする。

 お前らは熟年離婚する夫婦かよ! 彼氏の前でその言い方はどうなんだ?

 夕夜は嫌な奴だけど、なんとなく同情してしまう。


「ひょっとして、樹里亞と二人きりになりたいの? うわー。東條くんって、可愛い顔して意外とエロい人なのね!」


 樹理亞と二人きり。なんて甘美なクリスマスイブ……てか、それができたらどれだけ幸せだろう。

 そう言えば、ブラックベリーフィールズでバイトする前は、クリスマスだって、年末年始だって、夏休みだっていつでも樹里亞と一緒だった気がする。


「東條くん。遊ぼうよぉー!」


「るちあ」


 突然の樹里亞の声に振り向くと、彼女がすぐ近くに立っていた。


「イブはね、雪緒と一緒に出かけるの。だから遠慮して。ごめんね」


 屈み込んだ樹里亞は、るちあに顔を近づけて囁くようにそう言った。

 それは、事情を知っている俺でさえ騙されてしまいそうな、甘く優しい魔法の呪文だった。


「もぉー。しょうがないなあ」


 不承不承るちあは納得してくれた。俺の首に絡みついていた腕がほどかれる。柔らかな胸の感触も名残惜しそうに離れていく。

 俺が何度言っても聞かなかったのに、樹里亞が言うと一発かよ。

 ちょっと納得できないものがあるが仕方ない。

 そして、るちあのターゲットは今度は宏海ひろみに向かう。


「じゃあ、松崎まつざきくん。一緒に遊ぼ」


「じゃあ……ってなんだよ。てか、お前らカップルに一人で合流とか、どんな罰ゲームだよ!」


 ◇◇◇


 ホームルームが終わった放課後。

 木枯らしが吹く街はイルミネーションで綺麗に飾り付けられていて、これから始まるイブの夜に何かが起こることを予感させていた。

 樹里亞と二人で歩くクリスマスイブ。横に並ぶと相変わらず樹里亞の方が頭半分くらい背が高い。この差を縮められる方法が実は一つだけある。男性化の治療だ。でも俺はまだ、それに踏み切れないでいた。


 繁華街を十分弱歩くと、そのビルはあった。

 ドアが開くと、小さなエレベーターホールは天井から吊り下がったイミテーションの草のツルで覆われていた。所々に黒褐色の小さな実がぶら下がっていて、その正面に山小屋風のドアがある。

 俺と樹里亞のバイト先であるメイド喫茶『ブラックベリーフィールズ』だ。


「今日も開店前から非常階段に長ぁーい行列ができてたわぁ。聖夜にお帰りのご主人様、お嬢様をしっかりお迎えするのよ」


「はぁーい!」


 ジーンさんの檄が飛ぶ。 

 今夜のブラックベリーフィールズはクリスマスナイトだ。客はいつものおよそ四倍。

 こんなイベントの日は三十分の入れ替え制になる。一時間に数回ショータイムを演じる必要があるため、ウェイトレスのシフトも普段の二倍だ。そんな日に看板娘である俺が出ないわけにはいかなかった。

 もちろん、オーナーの姪である樹理亞もゆっくり休んでなんかいられない。


「あれー! 樹里亞どぉーしたのぉー?!」


 テーブル席から聞き覚えのあるデカイ声が響いてきた。いつものメイド服に着替えてオーダーを取りに行こうとしていた俺は慌ててスタッフルームに引き返す。

 るちあの声だ。

 あいつ、メイド喫茶なんかに興味あるように見えないのに、どうしてこんな場所にいるんだ?


 東陵は無届けのアルバイトを校則で禁じている。届ければ構わないのだが、例えば親戚の仕事を手伝っている樹里亞のように、正当な理由がなければ承認されないのだ。

 るちあは、俺が無届けでバイトしていることを学校側に言うような女じゃないけれど、できれば内緒にしておきたかった。このバイトは樹里亞と一緒にいるための俺にとって大切な時間なのだ。


「みんな来てるわよ」


 スタッフルームに戻ってきた樹里亞が俺に耳打ちする。

 ちょっと待て。

 みんなって誰だ? るちあだけじゃなかったのか?


「どうやらあたしたちの後をつけてきたみたい。ここに入るのを見られたのね」


「尾行したのかよっ!」


 さすが元ストーカー。いくら暇だからって、普通はそんなことしない。


「あなたも一緒だったのバレてるわ。ご指名よ」


 マジで?

 学校行事で女装姿を見られるのは慣れているけど、バイトでやってるのを知られるのは抵抗がある。しかし、見られた以上は行かないわけにもいくまい。逡巡のあと俺はあきらめてホールに出た。


 るちあと夕夜が水が注がれたグラスを手にしたまま窓側のテーブル席に座っていた。

 その向かいにはなんと宏海までいる!

 三人とも俺を見た途端、目と口をポカーンと開けたまま動かなくなった。


「うそぉー! ホントに東條くんなのー?」


 新ミス東陵コンテストを見ていなかった彼女は仕方ないとしても、宏海はメイド服姿の俺を見てたハズだ。いくらメイクしてウイッグをつけてると言っても、俺だとわかるハズ。それなのに、この驚き様はなんだ?


「俺たちの後をつけたんだって?」


「だってぇ、東条くんがイブのパーティーに来れない理由を教えてくれないから……。でも、ホントに。びっくりしたわ! こんなに……可愛いんだもの」


 俺のせいかよ!

 ……でも、るちあみたいな女の子に可愛いと言われて悪い気はしない。俺から見れば彼女のほうがよほど可愛いのだけど、それを口に出すと夕夜に睨まれそうな気がする。


「俺はこんな所に来たくなかったんだけどな。るちあがどうしてもって言うから……」


 夕夜が憮然とした態度で答える。

 俺だってお前なんかに来て欲しくねぇよ!

 宏海に視線を移すと、ヤツは馬鹿デカイ図体を折りたたむようにして俯いていた。るちあに無理やり誘われて、仕方なくここまでついて来てしまったのだろう。しかも、バリバリの体育会系である宏海にとって、メイド喫茶なんて異世界そのものに違いない。

 なんて可哀想なヤツ。


「学校に内緒でバイトしてるからね。できれば知られたくなかったんだよ」


「あたしたちが学校に言うと思ったの? 言わないわよ……ねぇ?」


 るちあが二人に同意を求める。

 そんなことはどうでも良いんだ。俺は彼らに一秒でも早く帰って欲しかった。


「今日は特に忙しいんだ。お前ら、もう帰れよ」


「やだよぉー! クリスマスイブだから三十分しかいられないんでしょ? 楽しまなくちゃ! それに、何だかすごい人気のショーがあるんだって。さっき一緒に並んでた子たちが教えてくれたんだよ!」


 暖房が効いた店内で背中に冷たいものが走る。

 俺は何よりもソレを知られたくなかったのだ。

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