第六話 男子高校生はストーカーと対決する
彼女と街を歩いている時、電車に乗っている時、そして授業中でも、ふと怪しい気配を感じて周りを見回す。しかし、怪しいヤツを見つけることはできなかった。
ひょっとすると
でもやっぱり感じるのだ。俺たちをじっと見つめる視線を。そいつは冷静に俺たちを監視して、隙を見せる瞬間を待っているに違いない。
◇◇◇
まるで暗殺を警戒する要人のように緊張した日々を過ごしていたある日、そいつはついに俺の前に姿を現した。
掃除のゴミを捨てに行くと、校舎裏のゴミ置き場で一人の男子生徒が俺を待っていた。
「
ヤツはそう言った。
細身の長身で無造作な髪型の優等生タイプだ。しかし、細いフレームの眼鏡の奥にある目つきは鋭い。社交性が低くて思い込みが激しそうな顔だ。
名前はたしか『
まさか、樹里亞を付け狙うストーカーが、同じクラスのヤツだとは思わなかった。
俺は物心つく前から彼女とずっと一緒だったけど、こんなヤツ、高校に入るまで見たことはない。ということは樹里亞とコイツは何の接点もないということだ。にも関わらず彼女のことを『俺の女』だと言いやがった。自分の妄想を自分で信じてしまう典型的なストーカーだ。
「人の婚約者を捕まえて『俺の女』だと? 何言ってんだ? お前」
笑みを浮かべてそう言ってやったら奴の形相が変わった。
「婚約者だと? ふざけるな!」
高校生で婚約だとか結婚だとか言うのは不自然な話だけど、思い込みの激しいヤツにはそれがわからない。婚約と言っても、まだ小学校に上がる前に交わした子供同士の可愛い約束だけどな。
そんな心温まるエピソードも、心が汚れきったストーカーにとっては唾棄すべき戯れ言に聞こえたようだ。ヤツは怒りの形相で俺に殴りかかってくる。
ハエが止まりそうな奴のパンチを余裕でかわし、俺の得意の右ストレートを顔面に叩き込んで一撃で葬る……ハズだった。
「るちあに付きまとうな!」
奴は拳を繰り出しながらそう叫んだ。
『るちあ』ってなんだ? 『じゅりあ』じゃないのか? どうなってるんだ?
俺の頭がはてなマークに埋め尽くされている間に、奴のパンチが俺の顎にクリーンヒットした。
俺は膝から崩れて地面に倒れていく。ひどくゆっくりと流れていく時間の中で、裏庭の地面が土ではなくコンクリートだったのを思い出していた。打ち所が悪くて死んだら化けて出てやる。
しかし、幸いにも俺の頭は地面に激突する直前になにか柔らかいものに優しく抱きとめられた。
「東條くん、大丈夫? しっかりして!」
どこかで女の子の声が聞こえる。目を開けると、すぐそばにギンガムチェックの布地が見えた。女子の制服のスカート生地だ。どうやら誰かに頭を抱きかかえられているらしい。
布地越しに柔らかな太ももの感触が伝わり、反対側の側頭部には生地の薄い夏服越しに柔らかいものが押し付けられている。
これは一体誰なんだろう。一瞬だけ樹里亞であることを期待したけど、そんな想いをすぐに払拭する。樹理亞だったら俺を東條くんとは呼ばない。
「夕夜のバカ! 東條くんになんてことするのよ!」
膝枕の主がストーカー野郎に怒鳴っている。
「うるさい! お前に付きまとう男は許せん!」
柘植は、俺に膝枕している女にそう答える。
俺は再びカッとなって見知らぬ女生徒の腕から逃れると、柘植を睨みつけて叫んだ。
「何言ってんだ? 人の女に付きまとっていたのはお前だろうが!」
「なんだと!」
柘植が俺に掴みかかってきた。コイツは宏海ほどではないが、小柄の俺に比べたらやっぱりデカイ。だからといって俺だって負けてはいられない。
俺は奴の顔面にパンチをお見舞いするべく体を低くして間合いを詰めた。
「違うよ! あたしが東條くんに付きまとってるの!」
女生徒はそう叫ぶと、ヤツとの間に飛び込んできた。
あまりに衝撃的なセリフに俺は思考停止して、そのまま再び彼女に抱きしめられてしまった。
柔らかで豊かな胸の感触が今度は正面から顔に押し付けられる。
「るちあー!!」
柘植の悲壮な叫びが聞こえる。おそらく奴はもう戦意喪失していることだろう。なんだかわからないうちに俺は勝ったらしい。
しかし……。
「一体どういうことなのか、俺にわかるように説明してくれ」
るちあと呼ばれた女生徒の胸からなんとか抜け出して聞く。
俺が離れたことで彼女はちょっと不満そうだった。俺だって健全な男子高校生——生物学的には違うけど——なのだから、あの大きくて柔らかな胸にもう少し埋れていたかったのだが、さすがに女の子に庇われた格好のままでいるのは男の挟持に反する。
「はぁーい! あたしは『
なん……だと?
俺の脳裏に、便せんに綴られた不気味な文面が思い浮かぶ。
「ひょっとして、あの変な手紙は俺宛だったのか?」
「ん? あなたに渡してくれるように樹里亞に頼んだの。あれぇ? あたしのこと聞いてないのぉ?」
なんてことだ。
樹里亞がストーカーに狙われていると思ったのは勘違いだったのか。
それなのに俺は、無関係の人にいきなり殴りかかったり、毎日尾行者に注意して歩いていたと言うのか。ダメだ。そんなの格好悪すぎる。
でもどうして樹里亞は俺になにも言わなかったのだろう。ああ……そう言えば俺は彼女に手紙のことを隠していたんだ……死にたい。
「ちょっと待て。お前、どうしてこんなチンチクリンのオカマ野郎なんかと友達になりたいんだ?」
機能停止状態だった柘植 夕夜がやっと再起動を終えて彼女に問いかける。その物言いに俺の血がふたたび沸騰しそうになる。
「そんな言い方って最低よ、夕夜! ちゃんとした理由があるのに……でももう貴方には教えてあげない! 悪いけど今日は一人で帰って!」
るちあが毅然と言い放つ。それを聞いた夕夜の顔は実に見ものだった。女性に全否定された男とはこういう表情をするものだという、まさに典型だった。
ざまあ!
魂が抜けてしまったデク人形のような夕夜をゴミ置場に残し、るちあと俺は歩き出した。
「東條くん、ごめんなさい。夕夜のバカのせいでこんなことになっちゃって。殴られたトコ、痛かったでしょう」
るちあが俺の顔を覗き込んでくる。改めて見てみれば、彼女は大きな垂れ目が魅力的な童顔の女の子だった。幼い顔に巨大な胸の組み合わせは破壊力抜群で、夕夜じゃなくても魅了される男はたくさんいるだろう。
「あんな奴のパンチなんて痛くないよ」
そういう俺の強がりがわかってしまうのか、彼女はさらに俺に顔を近づける。
近い。近い。近い近い近い!
この娘、異性との距離感がわかっていないのか?
「そういや、アイツも言ってたけど、なんで俺と……その……友達になんてなりたいんだ?」
突き刺さるような視線から逃れようとして聞くと、るちあは周囲を見回してからさらに俺に顔を寄せる。
思わず後ずさった俺を校舎の外壁まで追い詰めて、彼女は俺の顔のすぐ横に手をついた。ああ、人生二度目の『壁ドン』も、こっちがされる側だった。なんて屈辱。
たまらなくなって俺は目を伏せる。
「東條くん。本当は女の子でしょぉ?」
「は? 俺が女なわけないだろう? 変なこと言うなよ!」
今から思えば、この時のるちあの観察力は神がかっていた。
しかし、自分の体が女として生まれてきたことを、この時の俺はまだ知らなかったのだ。それでなくても、俺はもっと男らしくなりたかったから、女だと思われるのは心外だった。
俺が否定すると、るちあはこう言った。
「あたしのSNSの友達にね、性同一性障害の人がいるの。体は女の子なんだけど心は男の子だって。女っぽくなっていく自分の体が嫌で嫌で、ものすごく苦しんでいるの。初めて東條くんを見たときに、あたし、その人を思い浮かべて……東条くんもそうなのかもしれないって思った。だから、その人に東條くんのことを話したら、たぶん自分と同じだって言うのよ。東條くんが女の子だったら、きっと一人で悩んで苦しんでるだろうって。だから力になってあげてって、その人に言われたわ」
るちは真顔でそう説明する。
「ねぇ。あたしは貴女の味方よ。あたしに心を開いて欲しいの」
るちあの顔がさらに近づく。
「俺はホントに男だよ。こうして男子の制服着てるだろ?」
「そういうのって今時は学校側で配慮してくれるんでしょ。知ってるわよ」
「そうなのか? いや、だって、ホントに……そうだ、俺、水泳の授業で海パンだぜ。心がどうだって女だったらそうはいかないだろう?」
「ホントなの?」
「ホントだよ。柘野のヤツに聞いてみてよ」
「ホントに男の子なの?」
るちあが眉間にシワを寄せて納得いかないという顔をする。
「なんならパンツの中身を見せてやろうか?」
「やめてよ!」
大抵の女の子はこう言えば引き下がる。
おそらく、同じシチュエーションでも俺が女だと主張すれば、喜んで証拠を見せろと言い出すだろう。下手したら下着を降ろされるかもしれない。
「でも、友達になってくれるんでしょぉ?」
え? なんでそうなるんだ?
「だって、せっかく知り合ったんだから、仲良くなりたいじゃない。ああ、勘違いしないでね。あたしは夕夜一筋だから、東條くんを男の子として好きなわけじゃないのよ」
俺だって好きになられても困るんだけど、最初から男として好きじゃないなんて言われると複雑な気持ちになる。
「わかったよ」
仕方なくそう言うと、るちあは満面の笑みを浮かべて、俺の頭をその胸に抱きしめた。
ああ、やっぱり。異性との距離感とかの問題じゃない。コイツは俺を男だと思ってないから、こんなにベタベタできるんだ。
そう思いながら、あまりの息苦しさに深呼吸を繰り返すと、鼻腔がなんだか甘い匂いに満たされた。
柘植 るちあと俺はこうして友達になった。その彼氏を名乗るヤツについては、文字数が勿体無いので割愛することにする。
◇◇◇
ゴミ箱を抱えて教室に戻ると、掃除はすでに終わっていた。
「遅かったわね。何してたの?」
樹里亞が来て、俺の机に腰掛ける。ギンガムチェックの短いスカートから剥き出しになった太ももが、無遠慮に俺の目の前に投げ出される。彼女も俺を男だと思ってないのだろうか。
でも、例の手紙が無くなってるのというのに彼女はなにも言ってこない。ひょっとして、他の女の子が俺に近づくのが内心では嫌だった……とか。
「さっき、柘植るちあっていう
俺がそれだけ言うと、樹里亞は一瞬だけ考える顔になった。
「ああ! そう言えばあの子からあなたに手紙を預かってたわ。ちょっと待ってて」
そう言って自分の机や鞄の中をひっくり返す。
「あれぇ? どぉしよぉ。見つからないわ。うぅーん。困ったわね。まぁ仕方ないわ。雪緒、手紙は受け取ったことにしておいてね」
マジで忘れてたのかよ! ガッカリした! ちょっとでも期待した自分がバカだったよ。
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