第五話 男子高校生は幼なじみを守る
「で、その……気になる手紙ってどんなんだ?」
宏海がカバンを机の横に掛けながらうながす。俺は折り畳まれたピンク色の便箋を出して彼に手渡した。
中身を開いた
「『貴女がとても繊細で尊い魂の持ち主だということを私だけは知っています。ずっと貴女を見守ってきた私にはよくわかるのです。貴女の想いも悩みもすべて私にさらけ出してください。安心して私を受け入れ、その美しい魂を委ねてください。私はこの世界のあらゆる悪意や偏見から貴女を護る騎士になります』……なんだこりゃあ! 中二病のラブレターか?」
「今朝、学校に来たら
「お前、
「突っ込むとこはソコかよ! 手紙だとは思わなかったんだよ。封もしてなかったし……。なあ、これってストーカーだよな?」
「門倉には見せたのか?」
「こんな不気味なモノ、見せるわけにはいかないよ。それよりも、コレ間違いなくストーカーだろ」
「そんなわけねぇだろ。どうせヨソのクラスの奴が門倉の見た目に騙されて送ったラブレターかなんかだろうよ。まあ、どっちにしろ匿名の手紙なんて男らしくないものは、俺は嫌いだけどな」
宏海はそんなのんきなことを言っている。俺だって、こんな手紙が即、事件につながるなんて思ってはいないけど、ストーカーというものは何をするのかわからないものだ。未来の嫁に何かあってからでは遅い。
「樹里亞は俺が守ってやらなきゃ!」
「せいぜい頑張れ。あの女帝を付け狙うような奴がホントにいるなら、微力ながらこの俺が加勢してやるよ」
宏海が生暖かい目で俺をみる。なんだその目は。それに単語の一つ一つがいちいちムカつく!
コイツには樹里亞の可愛さなんて一生わからないだろうな。
これは、自分が女であることをまだ知らなかった、高校生になって最初の夏のできごとである。
◇◇◇
「
ホームルームが終わって俺と樹理亞は教室を出る。
「これから毎日、俺が送り迎えするよ」
「雪緒ったら、一体どうしたの? 急に。暑さでおかしくなっちゃった?」
樹里亞は目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。
そう言えば、俺たちはもともと毎日一緒に登下校してるじゃないか! 何言ってるんだ俺は。イカンイカン、うっかりしてた。怪しまれたら彼女に余計な心配をさせてしまう。気をつけなきゃ。
「いや、なんでもないよ。ええと、ほら。樹里亞ももう年頃なんだから、変な虫がつかないように気をつけないとね」
「あなたはあたしの母親?」
あの手紙が教室の机に置かれていたということは、ストーカーは校内の人間ということになる。
男子生徒は一クラス20人前後。一学年五クラスで100人だが、犯人が同学年とは限らない。全校三学年も合わせると容疑者は約300人に膨れ上がる。
いや、生徒だけに限らない。学校職員だって容疑者に入るだろう。
特に体育教官の
それから、数学の
そして、もっとも怪しいのは用務員の
春日部が誰もいない教室から樹里亞の水着を盗み、代わりにあらかじめ入手しておいた別の水着を燃やして、自分がその発見者になったとも考えられる。そうすることで、特定の生徒……つまり樹理亞に対する性的な犯行動機を、単なる生徒同士の諍いにカモフラージュできるのだ。
だいいち樹里亞の水着は水泳の授業の後に盗まれたのだ。濡れたままの水着がそう簡単に燃えるとは思えない。怪しいなどというレベルではない。間違いなく
考えているとどいつもこいつもがストーカーに思えてしまう。俺でさえこんなに疑心暗鬼になっているのだ。自分が狙われていると知ったら、いかに気が強い樹里亞だってパニックに陥るかもしれない。彼女は女の子なのだ。
今だって、自転車に乗った男が追い抜きざまに彼女をイヤラシイ目で舐めるように見ていった。そして今度は派手なシャツを着た二人組の男がこっちを見てニヤニヤしながら近づいてくる。
黒いシャツを着た奴がもう一人の柄シャツに話しかけている。奴の目は樹里亞に釘付けだ。
俺の野生の勘がアラートを鳴らす。
間違いない。こいつらは厄介な相手だ。ポケットに忍ばせているのはナイフかスタンガン、あるいはブラックジャックか?
だが俺は絶対に負けるわけにはいかない。
「ちょっと、お時間ありますか? 僕らは代官山で芸能プろぁっ……!」
「お前らかぁ!」
一瞬にして身体中の血が沸騰し、俺は二人に飛びかかっていた。
冷静に考えれば、つきまとっている犯人が前から歩いてくるのは変だし、自分たちのことを説明しようとしていたような気もする。でも、この時の俺には正常な判断力は微塵も残っていなかった。
「がぁふっ!」
だが悲しいことに彼我の身長差が戦闘力の大きな差になった。
黒シャツは俺の必殺パンチをするりと避けると、顔面に掌底を放った。拳じゃないところがいかにも玄人だ。
俺はそのまま左に半回転して脚をもつれさせた。空とアスファルトが視界の中を交互に流れていく。
ダメだ。俺がここで負けたら誰が樹里亞を守るんだ?
俺は痺れる身体にムチを打って上体を起こし、樹里亞のいる方を確認した。そして……信じられないものを見た。
制服のミニスカートをひるがえし、彼女は腰を深く落として右掌を黒シャツの胸に当てていた。そのポーズはなんだかユーモラスに見えた。
しかし次の瞬間、黒シャツは突然後ろに吹っ飛んだ。一回転してアスファルトにうつ伏せで倒れる。回転と言ってもさっきの俺のような横回転ではない。縦である。
一体何が起こったんだ?
腰を落としたポーズのまま樹里亞が今度は柄シャツに視線を移す。その構えはどこかで見たことがある気がした。しかし、どこで見たのか思い出せない。
柄シャツは完全に戦意を失っているようで、その場から動けない。仲間の元に駆け寄ることさえ忘れてしまっているようだった。
ふいに手首をつかまれる。
「さあ、さっさと逃げるわよ!」
そう言うと樹里亞は俺を引っ張り起こして繁華街の雑踏の中に駆け出す。脚をもつれさせながら必死に彼女について走った。
俺たちは狭い路地に入りビルの非常階段を途中まで上がった。二人とも肩で激しく息をしている。
折角、向こうから犯人が現れたというのに……。
「なんで逃げるんだよ! あいつらは……」
「アンタが急に殴りかかって行ったんでしょう? びっくりしたわよ。一体なにー?」
ストーカーのことは樹理亞には言えない。
はぁはぁと荒い息を吐きながら、少しづつ頭が冷えていく。
冷静に考えれば、あんな連中が目立たずに高校の教室に出入りできるハズがなかった。
頭に血が上っていたとはいえ、俺はどうしてあんな勘違いをしたのだろうか。自分が犯したミスがあまりにバカバカしくて、自己嫌悪で死にたくなった。
「樹里亞に危害を加えるかと思ったんだ。ゴメンよ。もうしない」
「うん。わかればよろしい!」
樹里亞はそう言って満足そうに微笑んだ。
彼女の性格は、良く言えば『寛容』、悪く言えば『適当』あるいは『無関心』。結果のみに重きを置き、途中経過や細部にはこだわらない。世界が自分の意図通りに動くのなら、その舞台裏にはまるで興味がないのだ。
もしかしたら、彼女にとってはストーカー騒動も退屈な学園生活に趣を与えてくれる余興の一つに過ぎないのかもしれない。
しかし……と俺はさっきの出来事を思い出す。
「さっきのアレは……なに?」
「アレって?」
樹里亞はさも不思議そうな顔をして俺を見つめる。
とぼけているのだろうか。
「男を吹っ飛ばしたあの技だよ」
「何いってるのよ? あなたが変なことしたから、あたしが必死でアイツを突き飛ばして逃げてきたんじゃない!」
突き飛ばした? アレが?
あの構え。あの威力。どう考えても何かの拳法あるいは格闘術の類だったとしか思えない。
「さっき、わかりましたって言ったよね?」
「え?」
「わかりましたって……言ったよね?」
ビルの非常階段。外壁に寄り掛かって立つ俺の顔のすぐ横に、左手をついて樹里亞が問いかける。表情は静かな湖面のように、絶対にブレない強い意志をみなぎらせた口調で。
それは俗に言う『壁ドン』というヤツで、女の子が好きな男にされたい憧れのシチュエーションナンバーワンなのだそうだ。
男女の立場が普通と逆だけどね。
その上、樹里亞の方は一段下に立っているのに、目線の高さはほぼ同じだから、男の尊厳ってヤツがまったく仕事していない。
「はい。言いました。わかりました」
「うん。わかればよろしい」
樹里亞は満面の笑みで俺の忠誠を受け入れる。その時の彼女の笑顔は幼少の頃と変わらずとても可愛い。
でも、ヘラヘラしてもいられない。こうしている瞬間にもストーカーは樹里亞のことを狙っているかもしれないのだ。
◇◇◇
そして翌週。ついにそいつは姿を現した。
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