第六十八話 男子高校生はラブシーンの夢を見るか
前回のあらすじ
ロスから樹里亞が帰ってきた。門倉の爺さんが死んでもう隠す必要もなくなった俺は彼女に秘密のすべてを話す。樹里亞と宏海への恩返しで、病室に二人きりにして宏海に告白させる作戦だ。でも外で泣いてる俺を見つけた真琴が怒って病室に駆け込んだ。
◇◇◇
人並みにエッチなことにも興味があって、友だちとアダルトビデオを観たりエッチなマンガを読んだこともある。そういう物語の中のラブシーンは、ムードが盛り上がったり何かの拍子にエッチな気分になって突入するものだ。どれもエッチな展開になる前の雰囲気というか、予兆みたいなもの見せることでこれからどんな場面に入っていくのか分かりやすくしているものだ。
でも現実は物語とは違う。キスくらいならあり得るだろう。身体を触ることもある程度なら……しかし、人目につくような公共の場所でそれ以上のことは起こらない。それが常識というものだ。
だから普通は突然目の前にラブシーンが展開していたとしても『エッチなことをしてる!』と認識しにくいものなのだ。
でも、普通じゃない俺にはそれは当てはまらない。
以前、学校の空き教室でエッチなことをしてる
そしてもう一つ、病室で二人っきりのシチュエーションを作ろうとした張本人が、他ならぬ俺だったからという理由も付け加えておこう。
総合病院の駐車場で雨に濡れて泣いていた俺の腕を掴み、エレベーターに乗せた
ノックもせずに……。
「ヒロ……」
怒鳴るために深く息を吸い込んだ彼女を見て、俺は手のひらでその唇を抑え込んだ。女子中学生の口を塞ぐなんて変態野郎のやることだけど、俺も女子高生だから構わないよな?
開け放たれたドアの向こうでどんなシーンが展開していたかを正確に言うなら、俺の親友である松崎 宏海が仰向けに寝ているベッドの上に、俺の幼馴染であり元カノでもある
あの光景を見て、真琴がどう思ったのか俺にはわからない。いや、この時の俺に他人の気持ちを想像する余裕なんてまるでなかった。
見てはイケナイものを見てしまったのだ。
口を塞いだまま真琴を廊下に引っ張り出し、音を立てないように病室のドアを閉める。
そのまま彼女を引き摺って、デイルームと呼ばれる、患者や見舞い者のための休憩スペースまで移動する。
「ちょっとぉ! 急にどうしたのよぉ?」
無理やり引き摺ってこられて意味がわからないという表情の真琴をとりあえず椅子に座らせて、近くにあった自動販売機でジュースを買って手渡す。
それを素直に受け取って、ゴクゴクと一息で飲みきってから、ありがと……と素直に礼を言う彼女。
「宏海、なんだか取り込み中だったみたいだから……」
「取り込み中って? 一体なにしてたの?」
眉根を寄せて俺の目を見つめる真琴。
やっぱり、彼女には二人がなにをしていたのか認識できなかったようだ。あるいは、病室の間取りのせいで、隣にいた真琴には樹里亞の脚が見えなかったのかもしれない。
とりあえず急場はしのいだ。後は、真琴が見たシーンを思い出さないように、記憶を改竄するだけだ。
「リハビリ用のマッサージだよ。俺がコーヒーを買いに行く時、入れ違いに医者がきたんだけど、まだ終わってなかったみたい」
幸いにして今日の樹里亞はロサンゼルス帰りで白っぽいパンツスーツ姿だった。もしチラッと見えていたとしても、医者か看護師と言ってごまかせるだろう。
相手が樹里亞じゃない限り、俺はいくらでも嘘をつける。
「リハビリ中かぁ」
俺の言葉をそのまま信じて納得する真琴。
ブラコンの彼女に、愛しの兄が病室でエッチなことをしていたなんて知らせるのは忍びない。まぁ、以前は散々からかってやったけどな。
それにしても……。
さっき病室で目にした光景をまぶたの奥で反芻する。
あれって、樹里亞が宏海にまたがってたんだよな?
二人っきりになった時点で宏海が樹里亞に想いを打ち明けて、祖父を亡くした傷心の樹里亞が彼の優しさに触れて、告白を受け入れる……というのが俺のシナリオだったのだけど、あの短時間であそこまでいくなんて。
あまりに衝撃的すぎて、どう受け止めていいのかわからない。
宏海は怪我のために仰向けのままで腕も自由に動かせない。二人が抱き合うためにはあんな態勢になってしまうだろう。
あんなに熱烈に抱き合っていたんだからキスぐらいしてたかもしれない。
スーツのパンツを履いたままだったから、エッチまではしてないだろうけど……コンビニに行くと言って俺が病室を出てからどのくらい時間が経ってただろう?
でも、あの一途だった彼女を宏海はなんと言って口説き落としたのだろうか?
俺を愛してると言った樹里亞。
俺と絶対に結婚すると宣言した樹里亞。
それを思い出すと胸の奥がチリチリと痛む。
帰国したばかりの樹里亞を連れて、今日この病院にくる途中に思いついた俺の計画。必ずしもベストなタイミングではなかったけれど、様々な要因が絡み合ってできあがった最後の好機だと判断した。だからこそ俺は今日これを実行に移したんだ。
後悔なんかしていない。
「ねぇ、雪緒ちゃん! 聞いてる?」
真琴の声で我に返った。
俺の目の前で手をヒラヒラさせている。
「じゃぁさぁ、どーして雪緒ちゃん。あんなとこで泣いてたの?」
真琴は、宏海が俺を泣かせたと勘違いしたのだろう。
原因は俺にもよくわからないけど、たぶんそれは樹里亞を諦めなくちゃならない悲しみだったのだろう。でもそれは、真琴に話しても仕方ないことだ。
「宏海が悪いんじゃないよ。なんだろうねぇ。うーん、そろそろ秋だからかなぁ」
適当な言葉でごまかす俺。
そんなことよりも今は別の問題がある。
「なぁ真琴。もしも宏海に彼女ができたら、どうする?」
「え? どうするって、どーゆーこと?」
急な話題の転換に真琴は目を見開いて反応する。もしも宏海と樹里亞が付き合うことになったら、このブラコンの妹は障害になるかもしれない。
「真琴ってさぁ。宏海のこと大好きだろう?」
「だっ! 大好きとかじゃないよ! その、ちょっとは好きかも知れないけどぉ……」
瞳をまん丸に見開いて否定する真琴。俺の言葉に面白いくらい反応する。可愛い。
「そんなお前が、お兄ちゃんに彼女ができても大丈夫なのか? 嫉妬したりしない?」
俺の問いかけに今度は黙り込む。テーブルの上に視線を落としてじっとなにかを考えている。
やっぱり、兄貴の彼女の出現は鬼門なのかもしれない。
真琴はしばらく考えてから突然何か思いついたように顔を上げると、俺の目をじっと見つめてにこやかに答えた。
「うん、大丈夫だよ」
「ホントか?」
「ホントホント」
「マジでか?」
「マジマジ
微笑みながらそう言う真琴は嘘を言ってるようには思えない。
その時、電子音と共に俺のスマホにメッセージが届いた。
『どこまで行ってるの? そろそろ帰るよ』……樹里亞からだ。二人のラブシーンはもう終わったようだ。
『デイルームにいるよ』……そう返信すると『そこで待ってて』と樹里亞。
「そろそろ病室行ってみるね」
そう言って、どういうわけか上機嫌になった真琴がデイルームを飛び出していく。
一瞬、真琴と樹里亞が病室で遭遇するかもしれないと焦ったけれど、駆け出していく足音が遠ざかると、すぐに樹里亞が顔を覗かせた。
「こんなトコにいたの? 近いのになんで病室こないのよ!」
ウンザリしたような顔で、さっきまで真琴が座っていた椅子に腰掛ける彼女。
病室には行ったんだけどね……とは言えない。
◇◇◇
病院からの帰り、タクシーの後部座席で隣に座る樹里亞の横顔を見つめる。
「宏海とどんな話したの?」
告白されたばかりだから、そっとしておくべきかも知れない。下手に突っ込んで聞いて、俺が裏で画策したことがバレてしまっては元も子もない。そう思ってはいたのだけど、でも……どうしても聞かずにはいられなかった。
二人が付き合うことになったのなら、俺に真っ先に教えて欲しかったのだ。そうすれば俺は、心から二人を祝福できる……ハズだから。
俺の質問に樹里亞はちょっとだけ驚いた顔を見せる。
そして、プイと窓の外に視線を移す。
「あなたはいつまで経っても帰ってこないし、松崎くんが変なコト言い始めるし、気まずくなって本当に参ったわ」
ああやっぱり、宏海からの告白はあったようだな。
そして、樹里亞はOKして、さっきの展開につながったというわけだ。
正直に言えばもっと手こずるかと思ってた。ヘタレな宏海にしては良くやったじゃないか。
「そう言えばあなた、毎日お見舞いに行ってるんですって?」
「当たり前だろう? 宏海は俺を守って戦ってくれたんだ。このぐらい当然だよ。そうでもしないと俺の気が済まない」
俺の気持ちを理解してくれるように頷きながら樹里亞は話を聞いている。
「わかったわ。でも、毎日だと大変だし、松崎くんのご家族も気を遣われるから交代制にしましょう。明日はあたしが行くわね」
そう言って彼女は微笑んだ。
◇◇◇
転々と配置された燃え盛る松明が複雑に組まれた石の城壁を照らし出しているけれど、光が届かない部分は完全なる闇に閉ざされたままで、どこまで続いているのかわからない。
仰いだ空には一粒の星さえ見えず、それが光が届かないほど遠い巨大な洞窟の天井である事を示していた。
地下世界に封じ込められた巨大な城の尖塔に幽閉された姫が、その不幸な運命に絡め取られようとしたまさにその時、真っ白な翼を持つ天駆ける
鍛え上げられた肉体を頑強な鎧に包み、まるで物干し竿のように長い
そして魔王との激しい戦いの末、傷だらけで満身創痍の彼が力を振り絞って必殺技を放つ。最強にして最後の一撃でその呪われた心臓を貫かれ、闇の魔王はついに滅びた。
壊れたヘルムを脱ぎ捨てた素顔は……宏海と瓜二つのイケメンだ。汗と血にまみれ片目を負傷した壮絶な姿は、憧れてしまうほど格好良い。
彼は尖塔へ続く螺旋階段を駆け上がり、最上階に捕らわれていた姫を無事救出する。
物凄い地響きとともに崩落していく洞窟城からペガサスに跨って脱出した二人は、朝日の当たる崖の上でお互いの瞳を見つめ合う。彼の鍛え上げられた腕に抱きしめられた姫の顔は樹里亞にそっくりだ。
美しい景色の中で抱きしめ合い、口づけを交わす姫と勇者。
これ以上はないというくらいピッタリ嵌った、まるで映画のワンシーンのように完璧な光景。
それなのに……どこか違和感を拭えない。
そこで目が覚めた。
昨夜はなんだかよく眠れなくて、スマホで読んだファンタジー小説の影響であんな夢を見たのかも知れない。
◇◇◇
チャイムが鳴って、しばらくして母親がドアから顔を覗かせる。
樹里亞が迎えにきたらしい。でも俺はまだ学校に行く気にならない。事件が起きてからしばらくの間、休学しているのだ。
樹里亞がいない学校にやっと慣れたと思ったら、今度は宏海が入院してしてしまった。彼のいない学校になんらの魅力も感じない。
「もう少し休むよ」
玄関でそう伝えると、樹里亞は心配そうな顔をする。彼女は優しい。
「大丈夫。気分は悪くないし、辛いことはなにもないよ」
帰国して初めての登校で、どうしても休めないという樹里亞は、残念そうな表情を残して一人学校に向かった。
彼女は宏海と上手く付き合っていけるだろうか?
そればかりを心配している自分と、もうそんな事どうでもいいと思ってる自分がいて、なんだか心の中がグチャグチャだ。
ダイニングルームに用意されていたソーセージと目玉焼き、トーストの朝食をとって顔を洗う。
宏海のお見舞いに行こうとして服を着たものの、樹里亞に言われた言葉を思い出して、靴を履く手が止まる。
『毎日見舞いに行ったら大変だし、家族にも気を遣わせる』
そんな言葉を丸のまま納得するほど子供じゃない。恐らく樹里亞は自分で宏海の見舞いに行きたいのだろう。二人が付き合ってるなら当然だ。
どうしようかとしばらく考えて、俺は見舞いに行く相手がもう一人いた事を思い出した。
「俺は、ついでかよ!」
不貞腐れながらも、お見舞いの高級プリンを美味そうに食べている男。俺を助けるために戦ってくれたもう一人のナイト。
夕夜の怪我は宏海より軽かったと聞いたけど、鎖骨を折って両肩を脱臼した姿はとても軽傷だとは言えない。それでも、あと数日で退院できるらしい。もちろんそれで治ったわけじゃなくて、退院後も通院で治療が続く。
「お前も戦ってくれたんだってな。感謝してるよ」
そう言って、スプーンですくったプリンを夕夜の口に押し込む。
宏海と違ってある程度腕が使えるんだから自分で食べればいいと思うんだけど、肩が痛くて食えないなんて言うから俺が食べさせてやっている。
どうせ入院初日から、るちあにドロドロに甘やかされてきたんだろう。これだからリア充野郎はダメなんだ!
まぁ、でも。これで借りが返せるのなら安いものだ。
楽だし……最近は宏海に食べさせたり飲ませたりしてるせいか、なんだかでっかい赤ん坊の面倒をみてるみたいで、これはこれで楽しいこともある。
真面目な顔でプリンを飲み込む夕夜を見つめながら、そう言えばコイツも俺が女になったことを知ってるんだよな……と思い出す。
「俺が女になったって知った時さぁ、夕夜はどう思った?」
るちあが学校に行ってる今だからこそ聞ける質問かもしれない。
ところが夕夜は往年の巨大兵器のように口から砕けたプリンの粒を吐き出し、盛大にむせて咳き込んでしまった。
「やめろよ、
は? るちあだろ。知ってるけど……。
「ナニソノ反応?」
「だってよぉ『女になりました。俺のことどう思う?』なんて、愛の告白とニアイコールじゃねぇか」
「あぁ? 誰がお前なんかに告白するか!」
夕夜の頭をスプーンでペシペシ叩く。
そして二人で顔を見合わせてゲラゲラ笑った。
告白は宏海が樹里亞にしたものだ。俺じゃない。
そして二人は今いい感じになりつつある。そう、今朝見た夢のように。
「そういやさぁ、凄くファンタジーな夢を見たよ。魔王に捕らわれたジュリア姫を救い出すために洞窟城に乗り込んで、傷つきながらも魔王を倒す勇者が宏海でさぁ。最後はお姫様を見事に救い出してハッピーエンドなヤツ」
そう言って俺は笑った。
しかし、夕夜はなぜか眉間にしわを寄せて俺を見つめている。
おっとイケナイ。二人が付き合い始めた事はまだ秘密にしておかないと、周りが余計なチャチャを入れないように気をつけなきゃ。
「なんかその夢、おかしくないか? お前自身はどこにいるんだよ?」
「ん? あぁ、ホントなら俺が勇者のハズなんだけどなっ!」
他人が主人公の夢なんて、言われてみれば確かにおかしい。夢を見てた時の違和感はそのせいかも。
でも、そんな夢をみた理由はたぶん、昨日目撃したラブシーンのせいだ。
「違うだろ! なんで門倉が出てくるんだよ? 松崎が戦ったのはお前のためだろ? だったら捕らわれの姫はお前じゃねぇか!」
夕夜が、さも当たり前のようにツッコんだ。
それを聞いた瞬間、消えかかっていた夢のラストシーンがデジタルリマスター処理されて脳内で鮮明に蘇った。
宏海に抱きしめられ、彼の瞳をじっと見つめる美姫の横顔は、紛れもない……俺だった。
二人は抱き合ったまま口づけを交わす。
それはもう、誰が見たって誤魔化しようのないくらい明らさまなラブシーンだった。
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