第五十三話 男子高校生はスイートルームにお泊まりする2
前話のあらすじ
俺の秘密はなんとか樹里亞にバレずに済んだ。しかし、俺の股間が男に見えるか見えないか判断できず、仕方なく友達に写真を送って判断させることに。宏海は電話の向こうで女の股だと言い張る。フロントに行った樹里亞が戻ってくると、なんと早瀬と宏海が一緒だった。
◇◇◇
「コレ、昨日届いたの。着てみて」
迎えに行くと言っても玄関で待つのではなく、ダイニングに招かれて紅茶を出されるのだ。今朝も彼女の家に迎えにきたところで家に招き入れられた。
樹里亞が指し示したダイニングテーブルの上には平べったい箱が乗っていた。見覚えのあるブランドのロゴマークが入ったグレーの箱だ。学生同士が殺し合う衝撃的な映像で十八禁の指定を受けた映画があった。その映画で採用された制服のアパレルブランドのロゴマークだ。
我が東陵高校の制服も同じメーカーのデザインだ。
箱を開けると、ハトロン紙に包まれてきちんと畳まれた制服が現れる。夏服なのでトップスは半袖ブラウスだ。半袖と言っても肩が出そうなほど袖が短い。
スカートはギンガムチェック柄のプリーツで、標準の状態でとても短い。
実物の制服を目の前にすると、女装で名を馳せた俺でもちょっとビビる。コイツはコスプレ衣装でもナンチャッテ制服でもない。ホンモノの東陵の女子用制服なのだ。
しかも、これは俺用の……俺が通学するために用意されたもの。
とても涼しげで軽い素材で仕立てられているハズなのに、その存在感の重さに脚が震えそうになる。
ホントにこれを俺が着るのか?
いや、着てもいいのか……コレを。
いくら
それは女装なんかとはワケが違う。今までお姫様のドレスから浴衣、メイド服、マイクロビキニに至るまであらゆる格好をしてきたけれど、『男として女の格好をする』ことと『女になる』ことはまるで違う。
「ほら! ノンビリしてたら遅刻するよ」
樹里亞の声に急かされて、着ているシャツを慌てて脱ぐ。
「ちょっと待って! まさかノーブラで着るつもりじゃないでしょうね」
「なっ! ヤダよ、ブラなんて。タンクトップで良いだろ?」
「ダメよ。夏服は生地が薄いから透けるのよ。ノーブラだったらすぐわかっちゃうわ。今日は
そういうものなのか?
でも俺、雪緒フラッシュ用のしか持ってない。しかもアレは下着じゃなくて白ビキニだ。
「そう思って用意してあるわ。これなんか可愛くていいんじゃない?」
テーブルの上にパステルカラーの衣類が広げられる。樹里亞はその中から白のレースで縁取りされたピンク色のブラとパンツのセットを選んで俺に見せた。
その下着は彼女の言う通り確かに可愛い。可愛いんだけど、これから俺がそれを着るとなると評価は異なる。
「もっと男らしいデザインのとか、ないの?」
「あるわけないでしょ!」
いや、俺だって男らしい女性下着なんてあるとは思わない。でも、可愛いからという理由で勧められたものをそのまま着るわけにはいかないのだ……男として。
「文句言わずに着なさい。スカートだって短いんだからトランクスとか履いちゃダメよ。良いわね?」
それだけ言い残すと、樹里亞はダイニングを出て行った。
なんだか面倒なことになってきた。女を装うのは簡単なのに女になるのは思ったより大変そうだ。
心の中で愚痴りながら、俺はボクサーパンツを脱いで全裸になった。
ブラとパンツを身につける。
樹里亞やるちあが着替えるのをなんとなく見ていたから、ブラのつけ方はわかってる。ホックを止めてから屈んで位置を調整するのがキモだ。タグを見るとサイズは65A。もちろんブラが勝手に胸の形を演出しているわけで、カップの中身の大半は大気だ。
パンツにも白のレースが付いていてブラとセットになっている。片方づつゆっくりと脚を通すと、買ったばかりだというのに俺の下半身にピッタリと吸い付くようにフィットした。
意外と気持ち良いかも。
女性用下着を好んで着ける変態さんの存在もなんとなくわかるような気がした。
ブラの上からブラウスを羽織る。
樹里亞が言った通り、ブラのピンク色が生地の下から薄っすらと透けて見える。このくらいだと俺の乳首なら透けないような気もするが、本来透けて見えるハズのブラが見えないのなら確かにノーブラだとバレてしまう。『着用していることをアピールするために見せる』という考え方は、男の衣服にはないものだ。
左右逆のボタンを留めてブラウスは完了。
スカートに脚を通して引き上げる。ファスナーとタグの位置で前後を確認。ズボンと違って股部分がないから胴のどこで止めるかが問題だ。下過ぎたら脚が短く見えるし、上過ぎたら今さら口に出す必要もないけど、パンツを見せびらかして歩くことになる。
若者向けアパレルメーカーのこだわりなのか、女子用の制服は男子用と違って号数表記になっている。男子の制服の160Aサイズでウエストが余っていた俺は、上下とも七号らしい。
でも七号サイズは150センチくらいの身長を想定してデザインされているようで、ブラウスもスカートも九号より目に見えて丈が短い。
159センチの俺が着ると膝上二十センチオーバーの超ミニになってしまう。できるだけ下に履こうと思ったのだけど、ウエストラインにジャストフィットして、裾を引っ張ってもこれ以上降ろせなかった。
「あら、ピッタリね。良かったわ」
そう言いながら樹里亞が戻ってきた。抱えていた箱をテーブルに置くと、俺に近づいてブラウスの襟を引っ張った。その下に黒い紐を通して首の前で蝶結びにする。制服のリボンタイだ。東陵高校は上履きの色で学年を区別するので、リボンタイは全学年同じ。
それから樹里亞は持ってきた箱から革のローファーを取り出して俺に差し出した。
「スカート短くないかな?」
「あら。あなたでもそんなこと気にするのね」
「どういう意味だよ? それ」
普段の俺はもっとガサツだということか。それとも、バイトで短いメイド服を着てるくせに、学校の制服だと気にする心理を読まれたのか。
「さぁてね。さぁ、こっちにきて。髪をちょっといじるわよ」
そう言って俺を椅子に座らせると、後ろに立ってなんだかゴソゴソし始めた。
鏡がないからどういう風になっているのかわからないけど、樹里亞に任せて失敗したことなんかない。俺はそのまま彼女の手のひらの心地よい温もりを感じていた。
◇◇◇
あの時、
結局、樹里亞の前であれ以上ヤツに余計なことを言わせずに済んだものの、ホテルのスイートルームでの二人きりの甘い時間はお預けとなってしまった。樹里亞がカンカンになって怒ってしまったからだ。そのまま部屋を出てエレベーターに乗って行ってしまった彼女を追いかけて、俺は隣のエレベーターを待ってボタンを連打していた。
早瀬と宏海にはエレベーターの中で事の顛末をしつこく聞かれたが、俺はなにも喋らなかった。ヤツらに言える事はなにもなかったし、言ってどうにかなる事でもなかったし、俺はなにも言いたくなかった。
どうして早瀬なんかにあの写真を送ったのかと言うと、それは単に統計学的な理由によるものだ。俺の数少ない友達の中で童貞じゃない男は宏海だけだった。だから俺はまず彼に送ろうと思った。
しかしもう一人……宏海をも軽く凌駕してしまうほどの女性経験の持ち主がいたことを思い出したのだ。早瀬は女のくせに何人もの彼女を持つレズハーレムのカサノヴァなのだ。俺は早瀬ほど女の扱いに慣れているヤツを知らない。経験値に恵まれてるヤツなら、俺の股間がどう見えるのか確実な答えが得られると考えたんだ。
無意味だったけど……。
俺に口を割らせようとしつこく食い下がってきた早瀬を無視して、俺は今日の事を考えた。お泊まりはキャンセルになってしまったけれど、もしも邪魔が入らなかったら俺はいったいどうするつもりだったのだろう?
◇◇◇
「さぁ、できた。うんうん、可愛いわよ、雪緒」
樹里亞に手を引かれて立ち上がる。
そのままカバンを持たされて玄関へ。ちょっとだけ硬い新品のローファーは俺の足にピッタリで、玄関の床に硬質な靴音を立てる。ドアを開けると残暑のむぁっとする熱気が室内に流れ込んでくる。そして俺の脚は、どういうわけか縫い付けられたように動かない。
俺の脳裏にふたたび迷いが顔を覗かせる。これは遊びじゃない。このまま脚を踏み出したら女装の範疇を超えることになる。
ホントにいいのか?
逡巡……そして閉じていたまぶたをゆっくり開く。
考えるまでもない。俺はそう決めたのだ。
今さらなにを迷う事がある。
駅まで歩く道すがら長い坂道をだらだらと下る最中も、すれ違う人々から様々な視線を浴びせられた。朝早くから散歩中のお年寄り。出勤途中のスーツ姿のビジネスマン。見知らぬ制服の他校の生徒たち。子供を保育園に送った帰りの主婦。チラチラと見ていく者もいれば、無遠慮な視線をぶつけてくる者もいる。
彼らの目に俺はどのように映っているのだろう? 俺はちゃんと女生徒に見えているだろうか?
樹里亞に引率されて改札を通る。
駅を出て少し坂道を登ると、そこには我が学び舎『東陵高等学校』がある。正門に続く道を同じデザインの制服に身を包んだ生徒たちが歩いている。
昨日まで男子の制服を着ていたヤツが、いきなり女子の制服を着て登校してきたら、周りの連中はどう思うだろうか。教師たちには事前に連絡されているかも知れない。でも、他の生徒たちはどうだろう。俺の親友、宏海にも何も言っていなかった。るちあや夕夜もそうだ。ヤツらには事情を説明したほうがいいだろう。第一、まだ親にもなにも言っていないのだ。だから、当分の間は毎日樹里亞の家で着替えて学校に行き、帰りに寄って男子の制服に戻すという面倒な生活をすることになる。
でも、そんな生活もそれほど長くはかからないだろう。俺は漠然とそんな予感を感じていた。
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