第五十話 男子高校生は結婚の許可をもらいに行く2
前話のあらすじ
樹里亞たちの救助で学校中に下半身を晒すことは免れた。でも、クビになった体育の菅野に撮られた着替え動画を根拠に、俺は女子の水着を着る羽目に。樹里亞にどう説明しようかと悩んでいたら、突然、彼女の爺さんが待つホテルに連れてこられてどうする俺!
◇◇◇
『お嬢さんを僕にください!』
これじゃありきたり過ぎるかな。それに爺さんから見れば『お嬢さん』じゃなくて『お孫さん』だ。
『
将来の仕事どころか進路も決まってないのに『絶対』なんて言葉を使うのはバカっぽい気がする。
『末長くお幸せに!』
焦りすぎて、なんだかもう意味がわからない。
樹里亞の実家『
当然、門倉家の中では樹里亞の婿の件は今でも有効で、俺と樹里亞がいくら将来を誓い合った仲だと言っても、この爺さんに認めてもらわないことにはどうにもならない。
放課後、突然樹里亞が俺を空港近くの高層ホテルに連れてきたのも、爺さんに許可をもらうためだろうと思う。
でも、なんでこんなに急に?
あらかじめ言っておいてくれたら、なにか準備できたのに。
おかげで俺は汗臭い制服姿のまま、手土産どころか挨拶の言葉もなにも用意する暇もなく爺さんの前に引き摺り出されることになった。
「これから出掛けなくてはならなくてね。樹里亞のお友達だからゆっくり話がしたいところだけど……悪いね。君はジュースがいいかな?」
爺さんが俺の顔を見ながらニッコリと微笑む。
一代で世界数カ国に展開する巨大ホテルグループを築き上げ、孫娘の結婚相手にまで注文をつけるという話から、ワンマンでガンコなクソジジイ像を勝手に思い浮かべていた。某グルメマンガに登場する美食家のようなイメージだ。
しかし実物の樹里亞の祖父はまるで違っていた。花柄のネルシャツにチノパンを履いたオシャレで気さくな人物で、まるで学者か作家のように穏やかにしゃべる年寄りだった。
これから飛行機に乗って海外に出掛けるらしい。朝イチに出発する便でもないのにホテルを利用するとはさすがお金持ち。
「あたしはコーヒーを頂きます」
「あ、俺……いや、僕も」
樹里亞につられて、ついコーヒーなんて言ってしまった。爺さんは電話でコーヒーを三つ注文してから、俺たちにソファーを勧める。
ここは空港にほど近い大型ホテルの上層階。たぶんスイートルームだとかそんな感じのけっこう高そうな部屋だ。寝室は別にあるようで、この部屋には大きなテーブルセットとソファーセットが置かれているだけだ。
大きな窓からは近隣の街並みがまるでマップアプリみたいにクッキリと見える。あまりに距離が離れてるために、自分たちが今まで歩いていた地上と同じ世界とは思えない。
エアコンの設定温度がちょっと高めらしく、部屋がなんとなく暑く感じる。途中のエレベーターの中の方が涼しかった。
ここで樹里亞の祖父、『
いや、正確に言うなら、彼が飛行機に乗る前の空き時間に俺たちが押し掛けたわけだ。
「お爺さま。お忙しいところ我儘を聞いて頂いてありがとうございます」
届けられたコーヒーを一口飲んでから樹里亞が切り出す。
シルバーのトレイに載せられた角砂糖は薄い褐色の無漂白で、一個づつ紙に包まれていた。男としては何個まで角砂糖を入れていいのか迷う。
とりあえず一個だけ入れて飲んでみようか。でも、もし足りなくても追加するのは男らしくないような気がする。かと言って最初から二個入れるのはあまりにも子供っぽい。
ふと気付いて樹里亞の手元を覗いて見ると包み紙は一つもなかった。ブラックだ。
「構わないよ。君から僕に会いたいなんて、いったいどんな話をしてくれるのか楽しみだよ。飛行機の時間があるからあんまりノンビリできないのが残念だけどね」
およそ、祖父が孫娘と交わす言葉とは思えない。でもどこか温かみを感じるのは、爺さんの柔らかな物腰のせいだろうか。
角砂糖を一個だけコーヒーに投入してスプーンで注意深く掻き混ぜると、ゆっくりと唇を近づけてみた。
本格的なコーヒーのいい香りが漂う。
よし。これなら飲めそうだ。そう判断して一口啜ると、芳醇な香りと共に舌いっぱいに広がる強烈な酸味!
酸っぱい?!
苦いというならまだわかる。でも、角砂糖を入れたのにも関わらず俺の味覚を直撃するこの酸っぱさはいったいなんだ?
生物の味覚というものは本来、食べ物の状態を判断するための重要なセンサーだったのだ。甘いもの、美味しいものは生命維持に不可欠なカロリーが豊富で必要な栄養素も多く含んでいた。逆に、酸っぱいもの、苦いものは腐敗しているか有毒な物質を含む危険なものだ。味覚を持つ高等な生物はそうやって生存競争を勝ち抜いてきた。
つまり……だ。
酸っぱいものは危険!
ということである。
しかし、向かいに座った爺さんどころか樹里亞まで、その酸っぱいコーヒーをなんの躊躇もなく飲んでいる。しかも、実に美味そうに。
でも、俺にはこのコーヒーを飲むことはどうしてもできない。仕方なくカップのフチに唇をつけて飲んでるフリをした。
「ところでお爺さま。今日は、彼……
ぶはぁっ!
コーヒーカップを落としそうになって、慌てて熱いところに触ってしまう。でも、コーヒーは飲むフリだったから噴き出さずに済んだ。
セーフ!
しかし、樹里亞に先に言われてしまったぁ!
結婚の承諾を得るための挨拶なんて、本来なら男がするべきものなのに……。この段階で俺の『男らしさアピール計画』は大きくつまずいた。
だけど、気落ちしてはいられない。樹里亞の言葉で爺さんはにわかに俺に注目し始めたからだ。そのおっとりした物腰と優しそうな目が俺の一挙手一投足を凝視している。
この爺さんは親類以外から樹里亞の婿を選ぶ気はないと言ったらしい。ただでさえ分が悪いのに、ここで俺が優柔不断な態度をとったり挙動不審だったりしたら認めてなんてもらえない。人生でこれほど緊張したのは初めてだった。
まるで今日が審判の日であるかのように、落ち着こうと思えば思うほど浮き足立って視線は不規則に宙を舞う。
ああ、ダメだ。
こんな状況でデーンと構えていられるほど俺の神経は図太くない。
「そうか。東條くんだったのか。ずいぶんと大きくなったねぇ」
そう言って、爺さんは目を細める。
でも俺にはまったく記憶がない。
「ええと、以前にお会いしたことが……?」
「もう十年になるかな。君のおかげで樹里亞が助かったのだから忘れるわけはないよ。君が無事に帰ってきてくれて本当に良かった。ずっと黙ったままだったこの子が、君の無事を知ってからは泣き喚いて大変だった」
爺さんは遠くを見るような目で事件のことを話し出す。俺たちが五歳頃の話だから正確には十二年前だ。
「君には本当に感謝している。あの後、ご両親に改めてご挨拶に伺ったんだ。ほんの気持ちだけどお礼をさせてもらおうと思ってね。でも、君のご両親は受け取ってくれなくてね。考えた末に当時僕が経営していた一番高級なホテルに招待させてもらった。喜んでもらえたようでホッとしたのを憶えている。そうそう、ご両親はお元気かな?」
「あ、はい。元気です」
お礼って言うのはお金のことだろうか。
若い頃の両親が、息子の行為のお礼として差し出された現金を固辞したというエピソードを聞いてなんだか鼻が高かった。
カッコイイぜ、オヤジとお袋。
「ですから……」
俺が感慨に浸っていると、樹里亞が話を引き継いだ。
「私は彼に感謝してるんです。あれからずっと一緒に育って彼がどれほど素晴らしい人か理解しています。私は彼のことを愛してるんです!」
樹里亞の口から飛び出す予想外の愛の言葉に俺の心臓は飛び出しそうになった。
彼女は食ってかからんばかりの勢いでソファーから身を乗り出す。しかし、爺さんは孫娘のそんな様子をまるで気にしている様子はない。
「僕だってもちろん彼に感謝しているよ。彼が身代わりになってくれなければ、君は今頃ここにはいなかっただろうからね。正直に言うと、もしも誘拐されたのが樹里亞だったとしたら、殺されても仕方がなかったと思ってるんだ」
「なんですか? ソレ!」
つい怒鳴ってしまった。
爺さんの言葉に反応して、気がつけばさっきの樹里亞みたいにソファーから立ち上がっていた。
自分の孫娘が殺されても仕方ないだって?
一瞬で頭に血がのぼった。
「樹里亞が死んでもよかったって言うんですか!」
自分でもびっくりするくらいの大声が出ていた。
しまった。結婚の許しをもらいにきてるハズなのに、ケンカ腰になってどうする、俺。
でも、爺さんはさっきと同様まったく気にすることもなく、穏やかに話を続ける。
「いやいや、死んでもよかったとは言ってないよ。ただ、当時は本当に危険な状況だったんだ。東條くん。君が無事に帰ってこれたのが不思議なくらいにね。だからこの子には絶対に一人で外に出ないように言っておいたんだ。でも家政婦さんが目を離した隙に遊びに出かけてしまってね。樹里亞がいなくなったと大騒ぎになった時、僕は彼女の死を覚悟したよ。でも無事に戻ってきてくれた。だから君には本当に感謝している。たぶんもう覚えていないだろうから改めてお礼を言わせてもらうよ。ありがとう」
玲一爺さんはソファーから立ち上がると、高校生の俺に向かって深々と頭を下げた。俺はびっくりして、頭を上げてもらおうとした。
ふと見ると、樹里亞の顔に安堵の色が浮かんでいる。しかし、次の瞬間にそれは凍りついた。
「でも、それと結婚の件とは別の問題だよ。樹里亞」
爺さんは再びソファーに腰を下ろすと、さっきと同じように穏やかに話し始める。
「樹里亞と結婚するということは、将来の門倉グループのトップに立つということだよ。東條くん、経営者に必要な条件はなんだかわかるかい? もちろんそれは一つじゃない。情熱とか責任感とかそういう経営のセンスも大事だが、時には冷徹な計算も必要になるんだよ。例えば君が誘拐された時がそうだった。君が身代わりに連れていかれたとわかった時、役員会は全会一致で事件をなかったことにしようと決めたんだ」
ここで爺さんは俺の反応を見るように一息入れてコーヒーに口をつけた。
「おかしいだろう? 大企業の上層部の連中が寄ってたかって君を見殺しにしろと主張したんだよ。およそ人間の所業とは思えない。もちろん、かく言うこの僕もその中の一人だ」
爺さんは話を続ける。
俺を見殺しにしたって? なんで?
なんのために?
『見殺し』なんて言われても怒りは湧いてこない。だって俺はこうして無事に生きてるじゃないか。そして、ただただ疑問だけが俺の心を占有する。
「君は樹里亞の父親を知っているかい? あの家には住んでいないから会ったことはないだろう。
爺さんの話が突然、樹里亞の父親のことに変わった。
そう言えば俺は彼女の父親に会ったことはなかった。大企業の社長だからいつも忙しいんだと思っていて、気にしたこともなかったのだ。
樹里亞の家にそんなことがあったなんて。
俺は彼女のことをホントはなにも知らないのかもしれない。
「当時の門倉の家は、そうやって迷惑をかけた人たちから、いつ恨みを買ってもおかしくない状況だったんだ。だから樹里亞には一人で外出しないように言い聞かせていたんだよ。でも、言いつけを破って遊びに出かけて、事もあろうによそ様の子供が代わりに誘拐されてしまった。これが公になったら世間から激しく批判される。クビにした社員たちから娘を守るために影武者を用意していたとね。そんなことを言われたらグループ全体の株価にも影響するし、少なからずダメージを受けていた本社までもが引きづられて倒産してしまう。万が一そんなことにでもなったら、関連企業を含めた何千何万という社員とその家族、いくつもの下請け会社に勤務する大勢の人たちが路頭に迷うことになる。だから君には犠牲になってもらった。これを功利主義と言うんだけど、君には納得することはできないだろう」
そう言われてもイマイチピンとこない。
「でも、悪いのは誘拐犯の方でしょう? 失業したからって子供を誘拐するなんて……。それなのにまるで誘拐された方がわるいみたいに……」
「いや、その通りなんだよ、東條くん。当時は連鎖倒産で数多くの下請け企業が倒産した。経営が行き詰まって倒産し家庭が崩壊してしまった経営者も数多かった。一家心中した者もいたらしい。樹里亞を誘拐しようとした男……君を連れ去った男もそんな経営者の一人だった。もちろん法律の上では犯人が一番悪い。でも、そんな単純な話ではなかったんだ」
まだ高校生の俺には、そんな時代があっただなんてとても想像できない。
「これだけ大きくなってしまった企業グループを経営維持していくためには、非情な決断が必要になる時もあるんだよ。君にはそれは難しいだろう」
「お爺さま! 雪緒だってこれから勉強をしていけば経営だってできるようになるハズです。宜しければお爺様に直接教えて頂いて……」
「まあまあ待ちなさい、樹里亞。僕は東條くんが劣っていると言っているワケじゃないんだ。あえて言うなら彼は経営者に向いていない。圭くんもそうだったよ。彼は寝る間も惜しんで勉強して、想像できないほどの努力を続けてきたんだ。それでもダメだった。僕が可愛がって目にかけてやればやるほど、彼は周囲から孤立して一人で戦わざるをえなくなった。そしてちょっとしたミスをあげつらって叩かれ経営は行き詰まった。これは彼の能力の問題ではなく、ましてや人間性の問題でもない。東條くんは若い頃の圭くんによく似ているよ。僕がもしも彼を将来の経営者候補として推薦したら、役員会にあっという間に潰されてしまうだろう」
眉を吊り上げて抗議する孫娘を穏やかに諭しながら、玲一爺さんは腕時計に視線を落とす。
「おっといかん。樹里亞。悪いけどロビーで空港までの正確な所要時間を聞いてきてくれないか。僕にはあまり時間が残されていないからね」
「そんなこと電話で……いいえ、わかりました。聞いてきます」
樹里亞はそう答えるとそのままドアから廊下へ出て行ってしまった。
俺は爺さんと二人きりで部屋に残される。
爺さんの答えは『ノー』だった。俺は経営者の器ではないということだろう。別に大企業のトップになりたいワケじゃないけれど『お前にはできない』とハッキリ否定されるとちょっとは凹む。いや、それ以上に樹里亞の婚約者として認めてもらえなかったのはショックだった。
この爺さんに認めてもらえなければ俺たちは将来、結婚することができない。
「さて、東條くん。ここからは僕たち二人だけの秘密の話だ」
え?
もう話は終わったんじゃないの? 樹里亞もおつかいに出て行っちゃったし、あんな言い方をされたら『それでも俺は頑張ります』なんて無責任なことは言えない。
もう、この爺さんに認めてもらうのは無理だろう。俺はテーブルの上の角砂糖の包みを開けて自分のコーヒーにいくつか追加した。
ちょっと酸っぱさが残るけれど、これならなんとか飲めそうだ。
冷めたコーヒーを一口飲んだ俺に、玲一爺さんは想像もできないことを語りだした。
「君は本当は樹里亞のことが好きでもなんでもないのだろう?」
今度こそ、俺は盛大にコーヒーを噴き出した。
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