第二十八話 男子高校生は宿を満喫する
前話のあらすじ
夏休みに海に泊りがけで遊びにきた俺たち。水着になれない俺は迷ったけれど、俺が行かないと宏海が樹里亞に何かしそうで仕方なく参加。宿の勘違いで見ず知らずの女子大生のお姉さんたちと一緒に露天風呂に入ることになり、裸のお姉さんたちに囲まれた俺は湯当たりでダウン。
◇◇◇
目が覚めるとそこは真っ暗な場所だった。
上も下もわからない世界で俺の意識だけが覚醒しているような錯覚に陥ってしまいそうになる。
ここがどこだかわからず強い恐怖に駆られる。仲の良い友達と海に遊びにきていたハズなのに、どうして俺はこんな暗い場所に取り残されているのか。
「
懐かしい声がすると、暗闇に明かりが差し込んできた。
良かった。ひょっとして俺は死んだんじゃないかと不安になっていたところだ。
「俺、どうしてたの?」
首を持ち上げてドアの方を見ると、大好きな幼馴染が微笑みかけているのが見えた。彼女が部屋に入ってくると一瞬顔が闇に隠れる。
「お風呂でのぼせたみたいね。従業員の人に連れられて帰ってきたときにはビックリしたわ。でも、なんでもないみたいで安心したわ」
ベッドに近づいてきた
そうか、俺は温泉でのぼせたのか……。従業員に連れてこられたってことは、自分で歩いて帰ってきたのかな。そんな気もするけど記憶があやふやでハッキリしない。
あれ? 彼女たちはどこへ行ってしまったのだろう。ひょっとしてあれは夢だったのか?
「ご飯がきてるんだけど、起きられる?」
ご飯!
せっかくの海には入れない。温泉旅館なのに宏海や
そう、俺にとってなんの心配もなく楽しめるイベントは、もはや豪華な食事だけなのだ!
「食べるぅー!」
そう叫ぶとベッドから飛び降りて、明るいドアに向かって駆け出した。
◇◇◇
隣の和室には馬鹿でかいテーブルが置かれ、その上には色とりどりに飾られた様々な料理が並べられている。宏海や夕夜、るちあがすでに座布団に座って俺を待っていてくれた。
「
夕夜がそう言って箸を持つ。俺も樹里亞と並んで料理の前に座った。
前菜は茹でたエビ、サツマイモのきんとん、アサリのしぐれ煮、マグロの佃煮、タコの揚げ物、煮こごりなどなど大小さまざまな小鉢が並ぶ。
それからマグロ、カツオ、カンパチ、イカ、甘エビ、ホタテなどのお刺身。 イボダイの煮付け。大きな穴子の天ぷらなどの豪華な海の幸だ。極めつけがアワビ。個人用のコンロの上に金網が敷かれて、その上に大きなアワビが裏返しに置かれているのだ。
仲居さんが固形燃料に火を付けると、しばらくしてアワビがぐるぐると回転するように身をよじって暴れはじめる。見ているだけでなんだか辛い気持ちになってきてしまう料理だ。『アワビの地獄焼き』と言うらしい。
暴れまわるアワビ自身は苦痛を感じているのか、それとも生命の危機に際して反射的に動いているだけなのか。できたら後者であって欲しいけど……。魚には痛覚がないって聞いたことがあるけど、アワビはどうなんだろう?
しばらく暴れたのちにアワビは動かなくなり、コンロの火も燃料を使い果たして自然に消える。それを仲居さんが皿にとって短冊に切ってくれた。一切れ箸でつまんで口に放り込むと、コリコリとした食感と控えめに味付けされたアワビはとても美味しかった。
人間ってザンコクだ。
「あたしコレ苦手ぇ……」
新鮮な海の幸をメインとした料理に舌鼓を打っていると、るちあがイクラの入った小鉢を夕夜の膳に置いた。すると夕夜が露骨に嫌な顔をする。
「食べられないなら残しておけよ! 俺のとこに置くな!」
「だってぇー。なんかぷちぷちしててキモいんだもん」
イクラが食べられないとは、これだから
男たるもの苦手なモノなどあってはならないのだ。ほら、斜向かいに座る宏海を見てみろ。嫌いなモノなど何もないとばかりにどんどん料理を平らげている。焼き魚に至っては、頭と尻尾しか残っていない。骨はどこに行ったんだ?
夕夜だって、宏海ほどじゃないけれど好き嫌いなく食べている。ヤツの場合は始終無表情だから、味や食感を識別できる器官があるのかどうか疑わしいところだけど。
かく言う俺にも苦手なものはある。魚介の内臓系だ。イカの塩辛、ウニ、カニミソ、コノワタとか。そう言えば魚の内蔵なんかを原料に作ったベトナムの醤油もあるらしい。口にしたことはないけど、俺の嫌いな味だろう。
内臓が苦手なのは魚介類に限った話で、焼き鳥のモツとかモツ煮込みなんかは大丈夫。
ホタテ貝は余計なモノを取り去って貝柱だけを食べる。引っ張り出したサザエのつぼ焼きは、変な色のところを切り落とす。なんとなく内臓チックなタコワサには箸を付けない。
そんな食べ方をしていても、ご飯が運ばれてくる前にはお腹がいっぱいになってしまった。ぜんぶ残さずに食べていたら、途中でリタイアするところだったから、この戦法は正解だ。
ご飯と味噌汁、漬け物が並ぶと男子二人はあっという間にお代わりをする。樹里亞もお代わりこそしなかったが、綺麗に食べてしまった。
るちあと俺だけがご飯を半分ほど残した。
でもこれで終わりではない。最後にデザートの登場だ。冷えたガラスの器に盛られて出てきたのは、季節の果物のシャーベット。二つの半球型の片方はピンク、もう片方は鮮やかな黄色だ。仲居さんの説明によると、ピンクの方はスイカのシャーベットで、黄色の方はマンゴーだそうだ。
マンゴーと言えば南国の果物というイメージだけど、なんと伊豆でもマンゴーを作っているのだ。南国の果物らしいわずかな酸味と控えめな甘さが素晴らしい、黄色い果肉が入ったシャーベットだ。
スイカのシャーベットはさらに甘さが抑えられていて、ストイックな大人のスイーツという感じだ。満腹だった俺でもこれは完食。最後の最後で男らしい食べっぷりを披露できて満足だ。
「ごちそうさま」
「あーっ、しまった! 写真撮っとけばよかったぁ!」
思わず叫んでいた。
あんなに美味しかった料理の写真を取り忘れるなんて、東條 雪緒、一生の不覚。
「料理なんて美味ければそれでいいだろう? それにお前、撮った写真をどうすんだ? SNSもやってないし、送る相手もいないだろう」
宏海が当たり前のことを突っ込んでくる。
「うるさいなー。こういうのは気分の問題なんだよ。いちいち写真の使い道を考えながら撮ってたら楽しくないだろう。こういうのは理屈じゃないんだ。魂でシャッター切るんだよ」
「カッコいいこと言ってるが、結局はケータイレベルの写真じゃねぇか。そういうのは凄い写真を撮ってから言えよ」
今度は夕夜だ。
途中から会話に割り込んだクセに言いたいこと言いやがって!
でも、ヤツの言うことももっともで、悔しいけど言い返す言葉がない。
「ちょっとぉ! 東條くんをいじめたら、あたしが許さないから」
るちあがものすごい剣幕で夕夜に食ってかかる。でも、その言い方じゃあ、まるで俺が夕夜にいじめられているみたいじゃないか!
ヤツの方が優位に立ってるような表現は男の矜恃に反する。いじめてやるのは俺の方だ。
さて、夕夜のヤツをどうやっていじめてやろうか。風呂で髪を洗ってるヤツの頭に延々とシャンプーを継ぎ足してやろうか。それとも、不恰好に寝乱れているところを写真に撮って、みんなを爆笑のるつぼに叩き込もうか。そうだ、海で泳いでいる夕夜に気づかれないように近づいて、水着を脱がせてしまおうか。そしてそれを写真に撮る! これだ! 海に行くから防水デジカメを持ってきたんだ。これで恥ずかしい写真を撮ってネットでばら撒いてやる。動画でもいいな、
首を洗って待ってろよ、夕夜。わははははは!
「じゃぁあああああああああぁん!」
ウザいファンファーレと共に夕夜がビニールに包まれた何かを取り出した。
それはずいぶんとでかい透明なビニールバッグで、中には夏に欠かすことのできない風物詩がギッシリと詰まっていた。
花火である。
きらびやかな紙で包まれた無数の美しい手持ち花火。大小さまざまな長さや太さの打ち上げ花火。他にも見るからにいろんな種類の花火がいっぱい詰まってる感じだ。
ああ、なんてことだ。海につきものの花火の存在をこの俺が完全に失念していたなんて!
それにしても、なんて豪華な花火セットなんだろう。普通、デパートやコンビニで売ってるセットはなんだか安っぽく感じるものだけど、こいつはなにか違う。普通の花火セットに比べると、コイツはまさに『プレミアム』と表現したくなるほどの堂々とした気品と風格と持っていた。
「当たり前だ。こんな花火セットは売ってないんだぜ。中国の花火メーカーから通販で買ったんだ。送料がもったいないから段ボール箱一杯買って、その中から派手そうなヤツを選んで持ってきたんだ。花火は航空貨物で扱ってくれないから、日数がかかる船便だぞ。出発前に届くかどうかヒヤヒヤしたぜ」
夕夜の言葉に全員の目が点になる。前から馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿なヤツだったとは、さすがの俺も驚きだ。でも、その馬鹿のおかげで凄い花火で遊べるわけだから、その功績に免じてお前はもう少し生かしておいてやろう。
るちあと俺はプレミアム花火セットを前に正座をして、心を落ち着かせていた。髪をなでつけ襟を正して静かに待つ。
「これより、
「こんなとこで開けるんじゃねぇよ!」
◇◇◇
プレミアム花火セットを夕夜が、水を張ったバケツを宏海が担当し、俺は旅館で借りたライターとロウソクと蚊取り線香を持って、近くの海岸に向かっててくてくと歩く。
女子チームは、出がけに旅館のロビーで見つけた『レンタル浴衣』に引っ掛かっていた。好きな柄の浴衣を無料で貸してくれて着付けまでしてくれるらしい。
時間がかかりそうだったので、俺たちは先に花火ができそうな広い場所を探しにきたのだ。
打ち上げ系の花火が多いから不安定な砂浜はやめて漁港の桟橋の方へやってきた。辺りはもう暗い。一つだけポツンと灯る街灯の下に陣取って蚊取り線香を設置する。電気で加熱して薬剤を燻蒸するタイプとは違って、昔ながらの渦巻きの形をしたヤツだ。鼻に近づけて匂いを嗅ぐとわずかに刺激臭がする。
日が落ちて凪いだせいか蚊取り線香に簡単に火がついた。
「あれ? 雪緒ちゃんじゃない?」
近くで女の人の声がする。
街灯の明かりに照らされると、それは三人組のお姉さんたちだった。
「やっぱり、雪緒ちゃんだ! こんなトコで何してるのぉ?」
声の主は夢に出てきた女子大生。確か名前は『ラン』さんだったかな?
……ってことは、アレは夢じゃなかったのか。
こっちに向かって走ってくる彼女たちの裸体を思い出して顔が熱くなる。温泉の湯船の中で両腕に押し付けられた胸の柔らかい感触が脳内で再現される。
「わぁー! すっごい花火ぃ! これからやるの? あたしたちも一緒にいいかな?」
そう言って『スー』さんと『ミキ』さんが、コンビニのマークの膨らんだレジ袋を掲げて見せた。
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