第二十六話 男子高校生はトップレスで泳ぐ
前話のあらすじ
断食ダイエットのため、るちあの部屋に泊まっていた俺は空腹に耐えかねて冷蔵庫のケーキに手を伸ばす。るちあに見られて愕然とするが、なぜか彼女は自分の胸にクリームを塗りたくって俺を誘惑……そしてトンデモナイ展開に。結局、樹里亞と夕夜が乱入して来て断食はうやむやのうちにお開きとなった。
◇◇◇
「もう、授業始まるぞ。
着替えている間は自然に振る舞えたと思う。中学までの着替えはまだクラスメイトの半数近くがスッポンポンになっていたけど、思春期も仕上げ段階の高校生になると、男子と言えどしっかりと隠すものなのだ。大きめのバスタオルを腰に巻いて、その下で水着に着替えた。
ファーストミッション、クリアだ。
周りの連中は上半身裸になってこの神聖な儀式を執り行うが、俺の場合は少々趣が異なる。
学校指定の水着は、腰にピッタリとフィットする濃紺のトランクスタイプだ。股下が十センチくらいのミディアム丈で、それほどカッコいいとは言えないけどアスリートのようなストイックさを醸し出していて悪くない。対して女子のスクール水着は同じ競泳タイプながら太ももが大きく露出するタイプだ。
中学までは普通にあった男女混合の水泳授業が、そんなものは人類の歴史に初めから存在しなかったかのように綺麗にデリートされていて、ちょっとだけ
長いあいだ俺の中で眠っていた女の器官が年の瀬についに目覚め、この夏までの間に少しづつ時間をかけて身体をリフォームしてしまった。その結果、るちあのオヤジさんに全裸の姿を見られても男だとバレなかったほどだ。
……とは言っても、俺から見れば胸と腰周りに少し肉がついた程度の認識しかなくて、あの時ホントに女の子に見えたのかどうか、単に大声を出して騒いだために女の子だと思い込んでくれただけなのか今だにわからない。
あの時は男だとバレたらいけない状況だったのだけど、今はその逆だ。万が一、俺が……俺の体が女になりつつあると知れたら、高校生活だって奪われてしまうかもしれない。大丈夫だと思っていても胸の鼓動が激しくなって、誰もいない更衣室の壁に反響しているような気さえしてしまう。
授業開始のチャイムが鳴る。ビクビクとしていたら余計に怪しく見えるだろう。
もうあとがない。男は度胸だ。
俺はいつまでも脱げないでいたタンクトップを脱ぎ捨て、プールへと向かった。
◇◇◇
本日天気晴朗ナレドモ波高シ。
いや、高い波とは生徒が蹴立てたプールの水で、堂々と胸を張って授業に挑んだ俺は誰になにか言われることもなく、好奇の視線にさらされることもなかった。
やっぱり、少しぐらい見た目が変わったって『クラスメイトの性別が変わった』なんてぶっ飛んだ認識するヤツはいないのだろう。
やっぱり、るちあのオヤジさんは異常なシチュエーションのせいで俺の性別を見誤ったに違いない。よし。まだまだ俺は十分男で通用するんだ。
安心したら急に楽しくなってきた。俺はもともと水泳が大好きなんだ。
まるで手抜きな風景画のように雲がまったく存在しない真っ青な空。カラッとした風が濡れた身体を少しだけ震えさせるけど、水に入ってしまえば問題はない。
俺はこの夏最初の水泳の授業を楽しんでいた。あとは
「お前、立ってるんじゃないか?」
「ちょっ! よせよ」
俺のすぐ後ろで、ふざけ合うクラスメイトの会話が聞こえる。
『この男優、もうビンビンに立ってるぜ』
スクリーンに大きく映し出されたパンツ一丁の男を指差して夕夜が指摘する。以前、奴の家のホームシアターでアダルトビデオを観た時のことだ。
「そんなでもないだろ?」
宏海がアッサリと否定するが、なぜか夕夜は憮然とした顔で黙り込む。
「なぁなぁ? 『タッテル』……ってどういう意味? 『ビンビン』はなんか、みなぎってる感じかなーとは思うけど……」
俺が質問すると、二人は顔を見合わせ手のひらを上に向けて『ヤレヤレ』のジェスチャー。
お前らアメリカ人かよ!
「エロいもの見たり考えたりすると、チン○がこうなるだろ? このことだよ」
その頃まだ普通に話してくれていた宏海が、ダランと下げた右腕を激しく振り上げながら俺に解説してくれる。
でも、宏海はきっとものすごく大げさに言ってるハズだ。あるいは俺を騙して信じたところを笑おうとしているんだろう。それでなくてもヤツはもう笑いをこらえる顔になっている。
だって、股間にぶら下がってるアレが、あんなアッパーカットみたいに動いたらズボンが破けてしまう。そんな格好で歩いてるヤツは学校でも街でも見たことがない。
だいたい、あんまりデカイと入らないんじゃないの?
わからないことだらけだけど、これ以上聞いてばかりいたら変に思われるかもしれない。
「ああ、そっちの『タッテル』か。知ってる知ってる」
俺はそう言ってごまかすが、また『ヤレヤレ』が返ってきた。
あの日は、るちあと樹里亞が部屋に入ってきて、アダルトビデオ鑑賞会はお開きになっちゃったけど、結局、アレがどうして立つのか未だにわからない。立ったら立ちっぱなしなのか、座ったりしないのかも謎だ。
でも、もしさっき会話していたクラスメイトの片方が『タッテル』状態だとしたら……それが水着の上から見てもわかるようなら『タッテル』がどんな感じなのか確認する絶好のチャンスだ。
俺は自然を装ってゆっくりと振り向く。でも、さっきしゃべっていたヤツらはすでに黙っていて誰だかわからない。
『タッテル』を認識できる千載一遇のチャンスだったのに……。
でも、いったん芽生えた疑問をそう簡単に手放すことはできない。人間とは探求せずにはいられない生き物なのだ。
俺はできるだけ自然に視線を巡らせてみる。他に立ってるヤツを見つけようと思ったのだ。しかし、そもそも『タッテル』状態を正確に把握していないのだからわかるハズもない。宏海がやって見せたアッパーカットを思い出してみるけど、どう見たって宇宙生物が腹を食い破って誕生してくるシーンにしか見えなかった。そんなことがもしも目の前で起こったら、みんな泣きながら逃げまどうにちがいない。
体育教官の指示が背泳に切り替わり、生徒が順にプールに入ってそれぞれの飛び込み台の下につく。競泳用のゴーグルをつけているので誰が誰だかわかりにくい。笛の合図で壁面を蹴るとわずかに沈みながらスタートしていく。
背泳で泳ぐと腹側がよく見えるけれど、やっぱり『タッテル』ヤツなんか一人もいない。
さっきしゃべっていたヤツらは、ふざけていたダケなんじゃないのか? そんな疑問が頭を過る。
だって、エロいものを見たり考えると『タッテル』状態になるのだとしたら、男子生徒だらけの水泳授業でそんなことになるヤツなんているハズがない。
体育教官だって、まだ夏本番でもないのに真っ黒に日焼けした壮年のオヤジだ。
プールに裸の女の子でもいるのなら話はわかるけど……。
裸の女の子……。
ふと視線を下げると尖った自分の乳首が目に入る。
いやいやいやいや、いくらなんでもそんなハズはない!
授業が始まってから最初の十分間ぐらいずっと周囲の視線をチェックしていたけど、俺に注目してるヤツなんか一人もいなかった。
ふたたび素早く辺りを観察する。しかし、そんな視線は感じない。
クラスメイトからエロい目で見られるだなんて、自意識過剰で異常な妄想に過ぎない。誰も俺なんか見てない。こんな背が低くて痩せた体で、顔だってまるで女の……っ!
「おっ!」
プールサイドに並んだ生徒の列から小さな声が聞こえた気がした。
「アレ見ろよ」
そんな声も聞こえる。
俺のことを言っているのか? お前ら、俺を見てるのか?
俺は男……男子生徒だぞ。お前ら、こんなペッタンコな胸に興味あるのか?
まるでめまいのように頭がクラクラしてくる。
俺の遺伝子が女だと知ってる奴はいないハズだ! でも、知らぬ間にそれがバレてたとしたら?
日差しがジリジリと照りつけているはずなのに、背中を冷たいものが伝う。
中学の頃は、女っぽいヤツだとか、男らしくないとか言って俺のことをからかうヤツらが多かった。それがあるときから急に減って、高校ではほとんどなくなった。やっぱり高校生にもなると見た目や思い込みでクラスメイトをからかうような幼稚なヤツらはいないんだな……俺はそう思っていた。
でもホントはそうじゃなかったとしたら……。
スキー合宿の時のように、宏海が守ってくれるから誰も俺をからかわなくなっただけで、みんな俺のことを以前のように女みたいなヤツだと……いいや、それどころか『一緒にプールに入るトップレスの女』として認識してるのだとしたら……。
俺の膝が急にガクガクと震え出した。
もしそうだとしたら、プールどころじゃない。もう俺は学校にもこられない。
「東條! 次はお前だ。早くプールに入れ!」
体育教官のしわがれ声が響く。
俺は崩れそうになる脚をなんとか踏ん張り、手すりにしがみつきながらプールに入る。
背が低い俺が泳ぐコースは、一番手前側だ。
手すりを掴む俺の手を誰かが見ている。
水に降りる俺の脚を誰かの視線が追いかける。
俺のうなじを誰かが見つめる。
「東條! 背泳だ。飛び込み台の下に掴まれ」
体育教官の声が頭上から降ってくる。
飛び込み台から下に伸びるステンレスの手すりを握り、他の生徒のようにプールの壁に足をついた。変な視線を送るヤツを睨みつけてやりたい。だけど、俺の首はまるでギプスで固定されたように固まってしまって、どうしても辺りを見回すことができない。
そうしているうちに笛の音が鳴って、俺は反射的に壁を強く蹴った。
十メートルほど水中を進んで浮上する。空が青い。ゴーグルのおかげで視界はクリアだ。
スタートしてしまえば、誰も俺を見なくなるハズ。
しかし、そんな考えは甘かった。
浮き上がった俺の体を、プールサイドに並んだみんなが見下ろしていた。
水の冷たさに乳首が硬く尖っていくのがわかる。こんなになってしまった突起を見られたくない。でも、頭上に振り上げた腕は水を掻いて水中へ潜り、反対側の腕はそのまま頭上へ。泳いでいる限り胸を隠すことはできない。
恥ずかしい……。
そう思うと途端に苦しくなって、どういうわけか空気が吸えなくなってしまった。
今まで見えていた真っ青な空が、気泡にまみれた水面の向こうに遠ざかる。
ついさっきまで普通に泳いでいた身体が、まるで自分のものではなくなったように重く、反応しなくなった。
もしかすると、去年の秋のあの出来事からこの身体は俺のものでなくなってしまっていたのではないか。いや、幼かったあの日。可愛らしい花冠を樹里亞から受け取ったあの日に、すでに俺の身体ではなくなっていたのかもしれない。
ゆっくりと沈んでいくゴーグル越しの視界の中に、ほんのわずかだけ膨らんだ乳房が見えた。その先端に乳首が硬く突き出している。それを見て気がついた。
るちあや樹里亞の乳首と比較するから今まで気づかなかったんだ。さっきまで見ていたクラスメイトたちのものと比べたら、やっぱりどう見ても女の子の乳首だ。それを認めたくなくて、個人差だと言い聞かせて俺は自分を騙していたのだ。
胸だって自分ではペッタンコに思えるけど、宏海が食い入るように見つめてた名前も知らないAV女優のものと同じくらいになっていたのかもしれない。
何かがおかしい。
内緒でアダルトビデオを見ようとしていた宏海と夕夜に、俺は無理に頼んで一緒に見せてもらった。男同士でしか理解しあえない連帯感と、初めて観る大人の世界の映像にワクワクしていたハズなのに、いつの間に俺は『観られる側』に回ってしまったんだろう。
狭い視界がまるで日が暮れるように暗くなってきたところで、気泡に塗れて何かが俺の周りに落ちてくる。伸ばされた手に掴まれて俺は生者の世界に連れ戻された。
おそらく体育教官のものだろう毛むくじゃらの真っ黒な腕に抱きかかえられて、プールサイドまで引っ張られていく。はしごの上からクラスメイトたちが手を伸ばしていた。
「ほら! 手を握れ。
すぐ目の前に宏海がいる。頑丈そうなデカイ手を差し伸べて、俺を引っ張り上げようとしている。
最近、俺とはあまり話してくれなかったくせに。なんとなく距離をとって、今までみたいにじゃれ合うこともなかったのに、俺がピンチの時にはこうして助けに来てくれる!
宏海はやっぱりなにがあろうと俺の一番の親友だ。
いつもぶっきらぼうな顔をしてるくせに、今は妙に真剣な表情。そのギャップがおかしくて唇の端が上がってしまいそうになる。それを必死にこらえて両手で力いっぱい宏海の手を握る。
ダメだ。やっぱり笑っちゃいそうになる。
さっきまで溺れかけていたというのに、俺はなんて不謹慎なヤツなんだろう。
そんな俺の様子に気づいたのか、宏海も笑顔を我慢してるような微妙な顔をした。そしてついに、我慢しきれなくなったのか俺の顔から目を逸らす。
でも、なんだか視線がおかしいな。どこ見てるんだ? 宏海。
ヤツの視線を辿って下を向くと、突き出した俺の両腕の間に、ささやかな胸の谷間ができているのが見えた。尖った乳首が腕に隠れないギリギリの位置で水を弾いて輝いている。
引っ張り上げられてふと見えたヤツの腰の辺りに、俺がさっきまでプールサイドで探していたものを偶然にも見つけてしまった。
『タッテル』状態のアレだ。
さっきまではどんなものが『タッテル』状態なのかまるでわからなかったけど、宏海のそれを目にした瞬間に俺は直感で理解した。本来なら腰にぴったりと密着しているハズの水着が、股間を中心にしてまるでエジプトの巨大建造物のような形状で前方に突き出し、ファラオの持つ強大な力の存在を暗示していた。
俺は無意識のうちに宏海の腕に抱きついて、目の前のピラミッドに満身の膝蹴りを叩き込んでいた。
◇◇◇
それから俺は、一学期の終わりまで水泳の授業に出ることができなくなって、補習を受けることになる。
でもその前に、みんなで海に行くことになった。イベント好きで仕切り屋のるちあの提案で、温泉にも入れる伊豆の海に泊まり掛けで……。
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