エピローグ

「さっさと口を開けなさい」


 大きめの絆創膏を貼った手で、スプーンに乗せた最高級カスタードプリンをヒナ鳥みたいに開けた彼の口に押し込む。


「まだ飲み込んじゃダメよ。口を開けて舌にのってるところを見せて……そう、偉いわね。さぁ、飲み込んでいいわよ」


 まるで何かのプレイである。

 自分でやってても死ぬほど恥ずかしい。


 でもコレは、覚えたばかりの新しい遊びなのだ。

 『プレイ』が……じゃないよ。こうしていると、面白いものが観られるから……それも二つも!


 一つは、身長180センチを超える長身のイケメンが真っ赤になって身悶える姿。尊い!

 これは親友にして最愛の彼氏……松崎まつざき 宏海ひろみ

 体中の骨折に加えて、追加された酷い怪我で病院のベッドに逆戻りした彼のお見舞いにきてるのだ。樹里亞も一緒なんだけど、今は売店に買い物に行っている。


 そう、ここは那覇にある総合病院の外科病棟。

 宏海が集中治療室I C Uに入ってる間、あたしも精密検査を受けたり警察に事情聴取されたり、心理カウンセラーと話をさせられたりして会えなかったから、彼が一般病室に移ってからは病室に簡易ベッドを用意してもらって昨夜は一緒に過ごしたのだ。


 ずっと眠っていた宏海がレースのカーテンごしに差し込む朝日に反応して寝返りを打つ。

 しばらくして彼はちょっと眩しそうに目を開けた。


「おはよう、宏海。よく眠れた?」


 声を掛けたけど彼はなにも言わない。

 あれ? もしかして聞こえてない? まさか耳に影響が?

 心配して、今度は顔を近づけてもっと大きな声で呼びかけた。


「宏海っ!」


「うわぁ!」


 彼が驚いてこちらを向く。


「痛っ!」


 首を抑えてのたうつ宏海。

 捻挫してるのに無理するから……。


 あの後、救急車で病院に運ばれた彼は、精密検査で肋骨を折られてることがわかった。でも、それが押されて心臓に刺さる……なんて危険はなかったらしい。翔の言葉を思い出す。『手加減するために自分を鍛えてきた』……つまり、彼は最初から宏海を殺すつもりなんかなかったのだ。

 それでも、タクシーの事故で首を捻挫したり、指をガラスで切ったり――最後のはあたしのせいだけど――ホントに酷い怪我だった。


「体はどう? 痛くない?」


 あたしのためにそんな怪我を負った宏海に、最高の笑顔で話しかける。

 でも、彼はひどく不機嫌そうに眉根を寄せた。


「雪緒、お前。アイツに抱かれようとしただろう!」


 だっ?! 久しぶりに会えたのに、開口一番ソレか?


「だって、仕方ないだろ! あの時、すぐに助けがくるなんて思わなかったんだよ。それに、翔に殺されると思って恐かったし……」


 あたしの言葉に宏海の表情がどんどん険しくなっていく。


「怒ってるの?」


 おずおずと聞いてみる。すると、宏海の瞳がギロリとこっちを向いた。


「怒ってねぇよ」


 うわぁ! コレ絶対怒ってる……。


「前から言ってるハズだ。もっと自覚を持てってな! 自覚ってのはつまり『守られてる自覚』って意味だ。それなのに、お前自分を犠牲にしようとしただろ! それからもう一つ……『お前を守る』なんて格好つけて言ったくせに、なにもできなかった自分にも腹が立ってるんだ。あまりに情けなくて自分で自分が許せねぇ」


 そう言ったまま再び黙り込んでしまう宏海。

 目を閉じたまま、ギプスで固められた腕を震わせている。


「それに、お前。ヤツの親父おやじに誘拐されたことがあるんだって? そんなこと俺は聞いてねぇぞ」


 あー。翔との話を聞いてたのか。

 いや、別に聞かれて困ることじゃないけど、そういう話って宏海には自分で話したかった。


「そんなこと言ったって……事件のショックかなにかで、あたし自身その時の記憶を無くしてたんだもん……」


「雪緒……今、なんて言った?」


 急に目を丸くしてこちらを見る宏海。


「え? 事件のショックで記憶を無くしてた――って言ったんだよ」


「違う。お前、自分のことを『あたし』って言ってるぞ」


 あ……。

 自分の中ではこれが自然になっていたから気がつかなかった。確かに宏海から見ればあたしが急に『オカマ』にでもなったみたいに見えるのかもしれない。


「ずっと昔の……五歳くらいの記憶が戻ったの……小さい頃は自分のこと『あたし』って言ってたみたいで、思い出したらなんだかそっちが自然ような気がして……それでね、『あたし』って言ってのは、自分のことを……」


 女の子だと思ってたから……。

 それを口に出すのに躊躇してしまう。あれほど『俺は男だ!』って言い張って暴れまわってきたクセに、今さらそんなことを言うのはなんだか恥ずかしい。

 あの頃――まだ自分を男の子だと思ってた頃に宏海に対して抱いていた憧れは、もしかしたら深層意識の下で眠っていた『女の子の自分』が彼に恋をしてたのかも……そんな気がしてしまう。

 だとしたら、これだけは言わなきゃならない。


「あたしね……宏海のことが好き。もしかしたらずっと前から好きだったのかも……」


 うわぁ!

 とても恥ずかしいけれど、この感情を彼には知っていて欲しかった。

 だけど、あたしの決死の告白に宏海はそっぽを向いたまま不機嫌そうに呟いた。


「俺はお前が嫌いだ」


 は? なんだってーっ?


「ちょっ待てよ! このあいだ『女として好き』って言ったじゃねぇか! 俺だってすっげー恥ずかしいのに言ったんだぞ。なのに『嫌い』ってなぁどういうことだぁ?」


 急激に頭に血がのぼって宏海の瞳を睨みつける。


「雪緒。お前、喋り方戻ってるぞ。まぁ、俺はそのままのお前が好きだけど……」


 なっ!

 一気に上った血が今度はぜんぶ顔に集まってきて、火が出そうなほど熱くなった。

 目を逸らそうとした瞬間、強い力で抱き寄せられた。宏海の瞳がもうピントも合わないほど目の前にある。そして、ギプスで固められた彼の腕にゆっくり頭を引き寄せられて、そのままごく自然に唇が重なった。


 不意打ちキス……。そのトロける感触にしばらく身体から力が抜ける。

 そして、ふと思い出した。つい最近こうして顔を近づけた時の記憶を……。


「そう言えば、宏海。俺の顔を殴っただろ!」


「おまっ! 今ソレを言うか?」


 覚悟した俺を止めるためだったってわかってるけど、感情では割り切れない。だって、ほかにも方法はあったハズだ。

 報復のために宏海の腰に両脚を大きく開いて跨った。

 驚いた表情の彼を見下すように、アゴを突き出して冷たい視線を投げかける。


「なぁに? ビックリした顔をして……。女の顔を殴ったんだから、相応のお仕置きは覚悟してるわよね?」


 ぶっちゃけ、樹里亞のモノマネである。

 俺の顔でどれだけ声を荒げて凄んでも効果はない。だから、身近で凄みのある女を手本にしたのだ。

 さすがに震え上がるほどの効果はないだろうけど、俺の怒りをわからせることはできるだろう――そう考えたのだ。


 効果は絶大だった……別な意味で……。

 お尻になにか熱いものが当たって驚いて腰を浮かせると、そこにはファラオの権力の象徴が。


 え? なに? なんで?

 今、勃起する要素なんてあった?


 宏海の顔に視線を戻すと、真っ赤になって視線をそらせている。

 なにコイツ!

 強面こわもてのイケメンのくせに、まさか『こういうの』が好きなの?

 以前入院していた病院のベッドで樹里亞に馬乗りされていた時もこうなってたの?

 気がつくと俺の胸になんだか得体の知れない感情が渦巻いてきて衝動を抑えきれなくなる。


「ひょっとして『Mマゾ』なの? そんな性癖のクセに、あたしを守るなんて言ったの? 恥ずかしいわね」


 もはや『女帝じゅりあ』ではない……『女王様』だ。

 でも、彼の体はますます反応して熱を帯びてくる。

 見下ろす宏海がすごく可愛くて、なにかに目覚めてしまいそう。


「雪緒。違うんだ……」


 宏海の反論を唇で封殺する。男なのに、こんなに図体がデカイのになんて可愛くて愛おしい。

 感極まって口づけしたまま両腕で彼の頭を抱きしめた……刹那。


「いつまでやってるの?」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、病室の入り口に目を見開いた看護師さんと、眉間にシワを寄せた樹里亞が立っていた。


 そうそう、この『プレイ』で観られるもう一つの面白いものがなにかと言うと……。


「雪緒。なにしてるの?」


 ファッションモデルみたいにスラッとしたスタイル抜群のボディーに、怜悧で美しいヘッドを乗せた俺の幼馴染にして最愛の婚約者……門倉かどくら 樹里亞じゅりあが、宏海と同じような真っ赤な顔をしている。


「コレ? 樹里亞のマネだよ。似てるでしょ?」


 ソレを聞いてますます彼女は動揺する。

 正直に言うと、これを見て彼女がどう思ったのかわからない。怒ってるのか、それともなにか別の感情に支配されているのか……。

 でも、普段は『東陵の女帝』なんて呼ばれてすましている樹里亞が、こんなにまで感情を露わにする姿を観ることができるのはとっても……とっても……とっても、えぇと、そう……とっても気持ちがいいんだ。


 それが癖になって、地元に帰ってきてからも女王様のような口調で宏海の身の回りの世話をしてたら、妹の真琴まことに白い目で見られてしまった。


◇◇◇


 郷島ごうじま しょうは、あの後、駆けつけた警察によって逮捕された。

 その後の詳しい話は樹里亞の従兄弟の露澪ろみおさんから聞かされた。


 東京で拘留されていた翔は事情聴取で移動するわずかな隙をついて逃走し、列車と船を乗り継いで沖縄にきた。翔の行き先を割り出して那覇まで飛行機で追いかけた露澪さんは、樹里亞に電話して那覇空港に呼び出した。おかげで彼女は翔の手に落ちることなく、俺たちを捜索することができたのだ。

 樹里亞がどうやって俺たちを見つけたのか。その秘密は以前彼女からプレゼントされたプラチナのチョーカーにあった。あのチョーカーはアクセサリーでありながら毎日の俺の健康状態をモニターしていて、データを定期的にサーバーに送信していたのだ。未来の夫――いや、どちらかと言えば嫁だけど――である俺の健康を気づかった樹里亞の優しさに助けられたワケだ。もちろんあんな細いチョーカーにGPSなんて便利な機能はなく、一日に数回だけ発信されるその電波を受信して正確な位置を割り出すために彼女は米軍に協力を仰いだのだ。

 どうやって要請したのか、どんな対価を支払ったのか、そもそもどうして米軍でなければならなかったのか聞いてみたけど『あなたは知らなくていいのよ』と彼女は優しく微笑むだだけだった。


 東京と那覇でいくつも法を犯した翔は追起訴されたけれど、俺は彼を告訴しなかった。告訴しようがしまいが彼が救われることはない……そんなことわかっていたけど……。

 翔に寄り添うことも赦すこともできなかった俺は、もう彼にとってなんの価値もない存在になってしまった――そう思うと深い悲しみに打ちのめされる。でも、泣いてしまうと自分だけが被害者ぶってるような気がして、それだけは必死にガマンした。

 結局、翔は懲役を免れて俺の前から姿を消した。


 それからは俺が彼を探したけれど、今でもまだ会えずにいる。


◇◇◇


「Won't you wear a wedding dress? I’m sorry, you are so beautiful. (ウェディングドレス着ないんですか? そんなに綺麗なのにもったいないわ)」


「Thanks. But this dress suits me. (ありがとう。でもこれ、私に合ってるから)」


 着替えを手伝ってくれた女性スタッフが口をへの字に歪めて肩をすくめる。

 大きな鏡の前でブラウスのボウタイを結びながら苦笑しながらそれに答えた。


「ちょっと、雪緒! まだなの?」


 我が愛しの新婦の呼び声がフィッティングルームのドアの向こうから聞こえる。


「ごめん。今行くよ、樹里亞」


 タキシードのジャケットを羽織り、うなじに手を入れてカールした長い髪を引っ張り出す。ここ数年髪を伸ばしてる。宏海が長い髪が好きだって言うからね。

 ドアを開けると、目の前に純白の天使が降臨していた。

 元女優のモナコ王妃が着ていたような、ハイカラーと手首までをレースで覆ったシルクのロングドレス。宝石が散りばめられたジュリエットキャップとドレスの裾よりさらに長いベール。

 それが彼女にとてもよく似合っている。


 樹里亞はウェディングドレスを着ろとしつこく食い下がったけれど、厳正なる話し合いの結果、俺がタキシードを着る権利を得たのである。


「本当はコレ、お揃いで着たかったのに……あそこで『グー』出すなんてっ!」


 ぶっちゃけジャンケンである。

 ジャンケン以外で樹里亞に勝つ方法なんてどうにも思いつかなかったのだ。小さい頃から樹里亞を花嫁にするのが夢だったし……それに、背が高くてスタイルが良い彼女の隣に、お揃いのウェディングドレスで立つなんて、女として受け入れがたいものがある。


 礼拝堂の扉の前で俺の腕に樹里亞の腕が絡みつく。ここは本来なら新婦の父親が立ち、タキシード姿の新郎は一足先に牧師と壇上で待っているハズだ。でも、これにはちょっとした事情がある。

 静かに扉が開き、厳かなオルガンの音色に合わせて白いヴァージンロードをゆっくりと歩く。参列者は家族と親戚。去年の六月、一足先に結婚して正真正銘の『柘植つげ夫妻』となった夕夜とるちあを始めとした親しい友人たち。そして門倉グループの関係者のごく一部――人数が多すぎて入りきれないので、仕事の関係者の大半はレセプションパーティーのみの参加だ。

 荘厳な雰囲気の中、みんなが振り返って笑顔で祝福してくれる。


 壇上に上る階段の手前で俺と樹里亞は顔を上げる。目の前に掲げられた巨大な十字架の下で優しく微笑む牧師と、タキシードを長身に纏ってガチガチに緊張している宏海が立っているのが見えた。

 今日はとてもいい日になりそう。


 ― 終わり ―

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ブラックベリーフィールズ 〜やがて女の子になる君へ〜 孤児郎 @kojie

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