第十話 男子高校生はラブホで悶える
狭くて薄暗いロビーには二人掛けのソファーがいくつも置かれていて、それぞれが背の高いパーティションで仕切られていた。壁にはベッドルームの写真が三枚、明るく輝いている。
俺はブルーのワンピースにベージュのコートを羽織って、隣に立つ男の腕に両腕を絡みつかせていた。そいつは紺のブレザーとチノパンの上にやはりコートを着ている。
夕夜が壁の写真をじっくりと眺めてから、その中の一つにタッチすると写真の明かりが消えた。
「いらっしゃいませ。ご休憩でよろしいですか?」
写真が並んでいた壁の横、全面が鏡のようになっている壁の中ほどに開いた四角い穴に、四角いトレーを持った人の手が出てきた。
「うわっ!」
俺はびっくりして飛び上がってしまった。しかし、いつもなら俺を馬鹿にする夕夜が、なぜか今日は何も言わない。
「六千八百円です。お部屋は七百三号室。チェックアウトの際はこのキーを持ってフロントまでいらしてください」
夕夜が札を渡すと、おつりと一緒に白いカードが手渡された。
「サービスタイムでお時間は午後四時までです。ごゆっくりどうぞ」
そういって、手は四角い穴の奥に消えていく。
ここは学校に近い駅前の裏通りに面したラブホテルだ。こんなところに夕夜と二人で来たのにはワケがある……てか、ワケもなく男とラブホなんかに来てたまるか!
◇◇◇
冬休みに入ったある日の早朝。まだ寝ていた俺の携帯に見知らぬ番号から着信があった。
最近ちょっとだけハマりつつあるネットゲームのせいなのか、まだまだ眠っていたかった俺は寝ぼけた声で電話に出た。
「
「誰?」
「あ! スミマセン、間違えました」
そう言って電話が切れた。
なんだ間違い電話か。
そう思った途端、ふたたび携帯が鳴りだした。表示される番号は同じ。
「ええっと、東條か?」
「そうだけど。誰だよ?」
「ああ、スマン。俺だ。柘植」
夕夜か。なんで切っんだ? てかこんな時間に一体どんな要件だ?
「悪いが、お前ホントに東條か?」
「は? なに言ってんだお前」
「いや、女が出たから番号を間違えたのかと思って」
なん……だと?
「わざわざ電話してきて喧嘩売ってんのか? この野郎。切るぞ!」
ほとんど声変わりしてないから電話で女に間違われるのはいつものこと。でも、クラスメイトにまで、そう思われるなんて。
「ち、違うんだ。そういう意味じゃない。いや、失言だ。俺が悪かった。謝る」
なぜか夕夜が慌てて謝罪する。今日はなんだかいつもと違う。今頃になってやっと俺の偉大さに気がついたか。
「東條。今日、時間あるか? ちょっと相談があるんだが……」
「……いいけど?」
「これからお前のウチまで迎えにいくよ」
そう言って夕夜は電話を切ってしまった。
なんなんだ一体?
俺は眠い目をこすって顔を洗った。
Tシャツとデニムに着替えていると玄関のチャイムが鳴る。
ドアを開けると、紺色のコート姿の夕夜が寒そうに立っていた。
「悪いな、ちょっと入れてくれ」
コートの下には紺のブレザーを着て、ご丁寧に革靴を履いている。
なんだコイツ。七五三か?
俺は仕方なく夕夜を家に上げた。
「お袋が買い物に行っちまってるから、何もだせないぞ」
夕夜が曖昧にうなずく。そんなことはどうでもいいといった表情だ。俺は夕夜を部屋に案内してドアを閉じた。
「東條。お前、
俺の部屋に入って腰を下ろした途端、夕夜がそんなことを言い出した。
わざわざそんなこと説明してやる義理はないけどね。
「俺は、るちあを誘って大晦日に出かけようと思ってるんだ」
「デートだろ? 行けばいいじゃないか。なんでそんなこと俺に言うんだ?」
俺がそう言うと、夕夜はちょっと複雑な顔になった。
「そこで……実は彼女をホテルに誘うつもりなんだ。ホテルって言ってもラブホなんだけど……俺は入ったことがないんだよ」
夕夜はそう言うと、俺の顔をじっと見つめる。
巨乳の可愛い彼女がいるリア充野郎が、俺になにを聞きたいんだ?
「俺だって入ったことなんかないよ。悪いけどなんのアドバイスもできないな」
「いや、そんなことはわかってる」
そう言われてちょっとムカっとする。
「初めて入ってまごついたり慌てたりしたら、彼女の前で格好がつかないだろう? だから、前もって雰囲気とかシステムとかを確認しておきたいんだ。でも、一人じゃ入れてくれないかもしれない。だから、お前に一緒に来て欲しいんだよ」
なん……だと?
この野郎。彼女とラブホに行く予行演習に俺を使おうというのか?
フ! ザ! ケ! ル! ナ!
今まで女役ばかりやらされてきた俺だけど、ラブホに行くための相手だなんていくらなんでも馬鹿にし過ぎだ!
俺は夕夜をキッと睨むと、大きく息を吸い込んで怒鳴る態勢に入る。
「ちょ、ちょっと待て。これはお前にとっても悪い話じゃないんだ。聞いてくれよ。ラブホがどういうところか知ってれば、お前が門倉と入るときに役に立つだろ」
なに?
俺が樹里亞とラブホに入る時?
駅前の裏通りを歩く俺と樹里亞。
どういうわけか彼女は真っ赤なサンタクロースのコートを羽織っている。両脚がそのまま剥き出しになった女の子用のセクシーサンタで、先日のお店のクリスマスイベントで着たものだ。彼女は俺の腕に無言のまましがみついている。
道沿いには派手に光る看板が並んでいて、どれにも『ご休憩』と『ご宿泊』の金額が明示されていた。
こんな場所を歩いているのに、俺の腕にくっついているってことはつまり……一緒に入りたいってことなのかな?
樹里亞はうつむいたまま表情は見えない。
「いいの?」
そっとたずねてみるけど彼女から返事はない。その代わり、俺の腕をつかんだ手にギュッと力が込められた。
これっていいってことなのかな。でも、こんなに小柄で痩せた俺なのに。全然男らしくなくて頼りになりそうにないのに……。
「俺なんかで……いいの?」
「だから頼んでるんじゃないか」
俯いていた樹里亞が、夕夜の顔で俺に答える。
ぎゃああああああああ!
さっきまでの映像が妄想だったと気づいたときにはすでに遅く、俺の右ストレートが夕夜の腹にめり込んでいた。
あ……。
◇◇◇
「さっき、部屋が三つしかなかったけど、他はどうなってるんだ?」
ラブホの狭いエレベーターの中で俺は夕夜にたずねる。もう演技する必要もないから腕は絡めていない。それでなくても男にしがみついてるなんてキモチ悪いのだ。
「さっき写真にタッチしたら消えただろ? 明かりが消えてる部屋は使用中ってことだよ」
「嘘だろ? だって今日は平日だぜ。俺たちは冬休みだけど……。消えてた部屋は五十くらいあったぞ。ってことは、今この時間に百人くらいの男女がここでエッチしてるってことなのか!」
「やめろ! 東條。なんだか虚しくなってくる」
俺たちは原因不明の無常観に苛まれたままエレベーターを降りた。
間接照明だけのちょっと暗い廊下の一番向こうに、何かが点滅しているのが見えた。七百三というナンバーが書かれている。
あの部屋か。
左右に整然と並んだドアが急に開くんじゃないかとビクビクしながら廊下を歩いた。
ドアの横の壁にスリットのある箱が取り付けてある。
「これがキーか」
そう言って夕夜がフロントで受け取ったカードをスリットに通す。
箱についたブルーのLEDが点灯して、ドアの向こうで小さな解錠音がした。
レバー型のドアノブを押し下げてドアを開ける。
しかし、昼間にも関わらず部屋の中は真っ暗だった。
「灯りのスイッチはどこだ?」
入ってすぐの壁に設置されていたスイッチを押しても灯りは点かない。二つ縦に並んだスイッチをパチパチと繰り替えても、部屋は暗いままだった。
ひょっとして故障なのか? 一体どうすりゃいいんだ?
「ああ、わかった。コレだ」
夕夜が壁についている小さな箱を指差す。上部に横長の隙間が開いている。丁度さっきのカードが入りそうな幅だった。
そこにカードキーを差し込むと部屋の灯りが点いた。引き抜くと消える。どうやらここにカードキーを刺しっぱなしにしておくようだ。
「な? 予行で来てみて良かっただろ?」
「わかったから早く入れ」
玄関がすごく狭いので俺はまだドアの外だ。女装してラブホの廊下にいるところを誰かに見られたらたまらない。ドヤ顔の夕夜の背中を叩いて先を促した。
一歩部屋に入ると、そこはなんとも形容し難い場所だった。俺の部屋よりも少し広い程度の空間にバカでかいベッドが鎮座している。まあ、エッチするための部屋なんだから当たり前だ。
内装は都会的で格好いい。液晶テレビや冷蔵庫、電子レンジが用意されていて、一人暮らしをしたらこんなワンルームになるんじゃないかと思うような雰囲気だ。ベッドがデカ過ぎることを除けばだけど。窓にはパネルのようなものが被せてあって、そのせいで灯りを消すと真っ暗になってしまう。なんでこんなものがついているんだか謎だ。
コイツにそそのかされてラブホまできてしまったけど、初めて見る大人の世界に俺自身もワクワクしていた。
そして、この部屋で最も異彩を放っている存在。
それは……。
「これってたぶん、風呂……だよな?」
「だな。この水槽みたいなのが浴槽で、天井に空いてる穴がシャワーだろう」
部屋の一角。三メートル四方程度の空間が天井から床までの大きなガラスの壁で仕切られていた。その中に、やはりガラスだか透明アクリルだかで作られた巨大な金魚鉢のようなものが設置されている。
ホントにこれが浴槽なのか?
このとんでもない風呂に樹里亞が入る姿を俺はつい想像してしまった。シースルーの浴室に入っていった彼女は、ガラスのドアを閉めると服を脱ぎ始める。その脱ぎ方はあまりに無造作で、まるでガラスのこちら側から俺に見られていることを知らないようだ。
まさか、ホントに彼女は気づいていないのか?
教えてやらなくていいのか?
そう思った刹那、全てを脱ぎ捨てた樹里亞がこっちを振り向く。その鋭くも美しい瞳は完全に俺を捉え、妖しく微笑んだ。
見ている。
俺に見られてるのがわかっているんだ!
そして彼女は、体を隠していた腕を降ろして全てを俺の目の前にさらけ出す。
樹里亞の頬は恥辱で真っ赤に染まり……。
突然、水が流れる轟音で俺の妄想が掻き消される。
「オイオイ、トイレもここについてるぞ……」
「うるせー! シネこのくそ
再び俺の右ストレートが発動した。しかし、それが炸裂したのはガラスの壁。
鈍い嫌な音がラブホの部屋に響き渡り、俺はその場で悶絶した。
痛え!
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