第54話
ピポーン! というクイズの正解音のようなアラームを聞いてアイガは一気に息を吐いた。背中を丸めて大きく息を吐いた。一本取ったことを告げるアラームを聞き自然ともれた安堵の息。
なんとか繋がってくれた……。それがアイガの心情だった。「勝った」「してやったり」といった勝ち誇った気持ちは欠片も湧き上がってこなかった。ただ、ただ、ポイントが並んだことにホッとした。これ以外の感情は何も湧いてはこなかった。
アクセルの腕がこちらに届く距離に入ってからゲインの体勢を十五センチ沈み込ませたのは相手の拳の到着をコンマ数秒でも遅らせるためだった。少しでも遅らせてこちらの胸元に構えた左拳を当てる。
グローブのセンサーはコンマ数秒の差を認識して判定を下すことは聞いていたのでそれに賭けた格好だ。
勝ちを示すアラームが聞こえてきたということはそれが功を奏したということだろう。
アイガのディスプレイからアクセルの腕の動きは見えなかったので、どう功を奏したのかまでは分からなかったが操縦席に伝わる振動で、同時にアクセルのパンチがゲインを捉えていたことだけは分かっていた。
リプレイを見直すまでも無く僅差の勝利だったことは間違いない。
『やった! リィちゃん、由良っち、流石、並んだ、タイスコアっすよ!』
「ホントに? ホントに並んだ? 誤審じゃなくて?」
『ホントにホントっす。いま正式にスコアが表示されたってば!』
アイガのヘッドセットから東とリィのやりとりが聞こえてきた。東の声は大はしゃぎだがリィの声は全力疾走した直後のように息を切らせていた。
ドラミングパンチの操縦にだけに神経を注いでいたためだろう。過度の緊張が解けたばかりで状況の理解が追い付いてこないのだ。
「本当に並んだ。あれを見てみろ」
当然のことだが、リィの活躍が無ければポイントが並ぶことはなかっただろう。アイガは彼女が自身の活躍を実感できるよう開始線に戻る前にゲインを大型モニターの方へ向けた。
リィが顔を上げるとそこに見えたのは【アクセル 2-2 ゲイン】のスコア表示。
そのモニター近くの客席に目を向けると母の姿が目についた。
娘の視線に気づくと莉奈は立ち上がりサムズアップした両拳を高々と上げ、「よくやった!」と娘を褒め称えた。距離はあったが母の声は確かに聞こえた。
リィが莉奈に手を振り応えると、二人の関係を察した周囲の観客たちもリィに声援と拍手を送る。
この予想外の光景にリィは思わず赤面してし、それを母親に見せまいと慌てて顔をそむけた。
その行動を見ていたようにアイガが話しかけてきた。
「ほら、言った通りだっただろ?」
「うん。あのアラームは間違いじゃなかったんだ」
「リィは役目をこなしてみせた。最後は俺の番だ」
ゲインが開始線へ戻るとようやくリィの中でドラミングパンチを成功させた実感が染み出し始めた。
それを少し噛みしめるとリィは照れ笑いを浮かべた表情を元に戻そうと手の平で顔をこすりあげた。
そうだ、まだ一本残っている――リィは胸を反らして大きく深呼吸をすると、最後の五本目に向けて意識を切り替えた。
その目に映るのは頭上に広がる抜けるような蒼い空。
ここでリィはあの海からの風がいつの間にか止んでいたことに気が付いた。
◆
リング中央で密着していた二機のロボットが開始線に戻るために動き始めて、アクセルの二人はようやく相手の仕掛けたカラクリが理解できた。
ゲインの左腕が胸部外装の真ん前に置かれ、その拳だけがクイッと前を向いている。体当たりをする勢いで真っ直ぐ突っ込みあの拳を当てたのだ。
「脚力を利用した左ストレートってところか。なるほど。あの拳の位置は俺のディスプレイには映らねぇし、覚のシートからも見えねぇ位置だ」
参加しているロボットの共通項として、出っ張った胸部外装を装着しているため、そこの真正面から下に三十~五十センチくらいまでは腕と脚、両方の操縦席から死角となっている。
リプレイを確認するまでも無く、安永はアイガが何を狙って動いていたのかすぐに理解した。
『まったく色々と考えつくものですね』
「ああ、笑うしかねぇ」
リプレイを確認した八車からの声に安永は呆れたように笑った。
『白瀬の操縦者も、さっきまで泣きそうな顔をしていたのに息を吹き返しましたね』
「ギャラリーたちも大盛り上がりだな」
ディスプレイ越しに周囲の観客たちを眺めつつ、安永は胸に取り付けたボトルのスポーツドリンクを飲み干した。
飲み干しながら最後の五本目の動きを思案し始めた。左耳に装着したヘッドセットから笹原の声が聞こえてきたその時だった。
「すいません、ヤスさん。俺のせいで……」
搾り出すような声に安永は「は? んなわきゃねーだろ」と答えようとしたが次の言葉も笹原の方が早かった。
「見ていたのに……。俺は毎日のように見ていたのに、なのに失念してしまった。相手を侮っていたせいだ……」
声を震わせる笹原の脳裏に浮かんだのは建設現場での日々だ。建設中のショッピングモールの屋上から現場の隅っこで両腕をバタバタ動かす小型アームリフトの練習風景を毎日のように見ていた。
あれはこの特訓だったのだ。それに気づかぬ自分自身に腹が立ち笹原は奥歯を強く噛みしめた。
「でも、もう同じミスはしません」
静かで淡々としたこのつぶやきに安永は息を飲んだ。
(こいつは……)
安永の背中にゾクリとしたものが走った。
笹原の言葉の端々にこれまで垣間見えていた『驕り』のようなものが完全に消えていた。
最後の五本目、笹原はこれまでにない集中力を持って望むだろう。そこに『ミス』の二文字は何が起ころうと存在しない。
となると何が最後の一本の明暗を分けることになるだろうか?
腕部操縦者のレベルは間違いなくこちらの方が上だ。では脚の方はどうだろうか? この会場にいる者たちにこれを問うたなら皆がゲインの操縦者を指差すだろう。安永自身にもその自覚はある。つまり勝つ鍵を握るのは――
「俺じゃねぇか……」
まいったねこりゃあ……と心の中で愚痴り、安永はゲインの右脚を見た。
勝つだけならそう難しくはないだろう。あの右脚が限界を迎えるまで逃げ回るだけで良いのだから。
とはいえ安永にそんな消極策を取るつもりなど毛頭なかった。
手を抜くことなくアクセルの性能と自分たちの技術、試合の中で全てを出し切ることこそが友人である巽と彼の率いる『関節機構駆動研究会』に対する敬意だと考えていたからだ。
もちろん、やり合っている最中にゲインの右脚が壊れたのなら、試合に置けるれいぎとして躊躇無く止めを刺しにいく。それもリスペクトの一つだろう。
操縦技術で及ばないなら頭を使い、相手のやろうとしていることを読むしかない
と、真正面から挑むと決めた安永は頭を捻り始めた。
ゲインの脚の状態を見るに次の試合は五分とかからないだろう。そのわずか数分の攻防、向こうはどう挑んでくるだろうか?
この決勝戦、ルーキー君はこちらの操縦席の死角に入り込むように動いている。これは覚とまともにやりあうこと避けるためで、最後の五本目もその狙いは変わらないだろう。
そのゲインが狙う死角を安永はアクセルの背後だと結論づけた。
機体正面側にある腕部操縦席からの死角は先の二本で使い切っており、残る死角部はここだけだ。
最後の五本目は脚部モーターをフル回転させてこちらの背後を取ろうと立ち回ってくる。
あのルーキー君ならまだ奇策を残している可能性は高い。――と纏めた予測を笹原に告げたところ頼もしい答えが返ってきた。
「本当に背後を取りにくるのなら対処はそう難しくはありませんよ。向こうの腕が届くということは、こちらの腕も届くということですから」
◆
「スタートと同時に仕掛け、相手の背後に回りこむ。相手の背後に回り込む寸前にリィは上半身を反転させる勢いでゲインの右腕をブン回してくれ。大事なのはアクセルの胸に向けて腕を真っ直ぐ伸ばしきっておくことだ」
アイガから告げられた最後の作戦にリィは神妙な顔で頷いた。
「覚先輩は間違いなくこのパンチに合わせてカウンターを仕掛けてくる。こちらの動きに合わせて的確に――まともに打ち合ったなら向こうのパンチの方が速いはずだ。だから一度大きく腰を落としてアクセルの拳をかわす。で、ここからリィにやってもらうことが重要だ。この時、ゲインはアクセルに背を向けているから俺にアクセルの動きは見えない。だからリィは俺にアクセルが左右どちらの腕でゲインのどこを狙ってきたのかを教えて欲しい。それもできるだけ早く」
「そこが重要なんだね」
「ああ。アクセルの格好に合わせてゲインの伸ばした右腕を当てにいく」
この最後の作戦は事前に考えていたものではなく、たったいま考えついた即席品だ。
右へ左へ動き回ることはもうできない故の文字通りの苦肉の策であった。
唯一の懸念は腰を大きく落とした際に――当然腰を落とす動作はダブルモーターをフル回転させる必要がある――右ヒザ関節が持ちこたえてくれるかどうかだ。
持ちこたえてくれれば勝ちが見える。
ゲインを信じるしかない。頼むぞと願いを込めてアイガは操縦桿を握りしめた。
◆
通信機から聞こえてきたアイガの作戦を聞いて巽と風根は強張らせた表情を向けあった。
表情を硬くしているのは巽たちだけでは無かった。華梨や各務、他の会員たちも同様に大丈夫なのか? という視線をゲインに向けている。
その理由はゲインの右ヒザ――アイガの懸念と同じものだった。
コックピットブロック内のアイガと違い彼らはゲインのヒザの状態を直に見ることができる。
脚の歪みは決勝開始時点とは比較にならぬくらいに悪化しており、太腿と脛フレームをつなぐヒザ関節の四角い接続部分までもがひしゃげかかっている。
限界を視認できることが皆の不安を煽り立てていた。
あのヒザで腰を大きく落とす――つまり、ヒザのダブルモーターをフル回転させる。
メインシャフトはその負荷に耐えきれるのだろうか?
「だ、大丈夫っすよね……」
「分からない。あんな歪んだ脚で歩けることが信じられないくらいだ」
誰かに『大丈夫だ』と言って欲しくて東が視線を彷徨わせたが、額に冷や汗を浮かべる巽からの返事はつれなかった。
「由良っちだってヒザのことは百も承知だろう。ここまで来たら信じるしかねぇよ」
風根が腹を括ったと腕を組みゲインを真っ直ぐに見据えた所で、場内アナウンスが抑揚のついたノリの良い喋りで五本目の開始を告げた。
スタートと同時にゲインとアクセルが開始線から飛び出し、観客たちが大いに沸いた。
盛り上がる拍手と声援の中、東は胸の前で手を組み「ゲインが最後までやり切れますように」と、名前も存在するのかも分からぬロボットの神様に頼み込んだ。
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