第32話

 白瀬駅前再開発予定地。

 アイガがアームリフトを動かす主戦場であるショッピングモールの建設現場では複数台のアームリフトと数十人のヘルメット姿の作業員所狭しと動き回っていた。

 建設会社のロゴ入りシートで覆われた未来のショッピングモールはいまだ空虚な鉄骨姿のままで、この複雑な骨組みが建物らしい外観に進化するまではまだ時間がかかりそうだった。


 押しかける形でやって来たリィはアイガの補助の元、資材運搬の仕事をゲット。学校のジャージに着替えてヘルメットをかぶると、小型アームリフトをそつなく動かして与えられたノルマを達成。そのまま重機を操り建設現場の端のフェンスのそばで特訓を開始した。


 小型アームリフトのバッテリーは一度の充電で数百時間のフル稼働を保証している。また機体の上面にも手の平サイズの発電パネルが八枚貼り付けられており、りぃが特訓で動かす程度の電力はこれだけでまかなう事が可能だ。

 また現場のアームリフト監督官も仕事の合間に初心者が練習を行なうことは推奨しているため彼女の特訓を見咎める者はいなかった。


「右! 左! 右! 左っ!」


 リィが自身の掛け声に合わせて操縦レバーを交互に動かし、その小型アームリフトの腕の動きをアイガが五メートルほど離れた真正面からチェック。修正点を指示していく。

 ドラミングパンチ――機体を全身させながら左、右、と連続でフェイクのパンチを放って相手の気を引き、胸元に置いた左拳を体当たりのようにして当てに行く『必殺技』だ。


 この技のポイントは左右の腕を操り、同時に異なる動きをさせることにある。

 最初にアイガが手本をやってみせたのだが、これが若葉マークのリィには難しかった。


 まず左腕の動き。

 最初のフェイクである一発目のパンチを放った後、素早くヒジを曲げて機体の胸元まで腕を引き、手首を反らして拳だけを前方へと向ける。

 この左腕の動きを気取られぬように、相手の気をひきつけるのが右腕の役割だ。

 具体的には左パンチの後、間髪入れずに二発目のパンチ――外から内に切れ込むフックを放つというのがアイガの考えた動きである。

 そして、これらの動作を二秒以内に行なうというのがドラミングパンチの全容であり、リィはこの全ての工程で苦戦していた。


 苦戦する理由の一つに、同時に異なる動きを左右の腕で行うことは地味に難しいという部分がある。

 操縦に長けた者でなければ、どちらかの腕の動きにもう片方も引っ張られてしますのだ。

 この対策としてアイガは左右の操縦桿の動きを明確にして、まずそれぞれの腕の動かし方を練習させた。


「よし、一時中断」


 アイガは両手を大きく振りリィに休憩の指示を出し、借りてきたタブレットでリィの操る小型アームリフトの動作を確認する。

 操縦を覚えたであろう頃合いを見てドラミングパンチの練習に移行したが、彼女の苦戦のほどは明らかだった。


 リィが特に苦労しているのは左腕の最後の動きだ。

 全ての動作を二秒以内に行うため、左腕を胸元へ動かすと同時に手首も動かそうとしているのだが、これが思うようにいっていない。

 加えてこの左腕の操作に意識を取られすぎて、右パンチもヘロヘロとした動きになってしまっている。

 アイガが見せたお手本からはまだまだ程遠い。


「と言っても、ともかく何度も操作を繰り返して自分の両腕で覚えるしかない。慣れれば必ず出来るようになる」

「了解しました、マスター!」


 リィはタオルで汗を拭いペットボトルの緑茶をラッパ飲みすると特訓を再開した。

 アイガのアドバイスに従い、左右の腕を交互に三回ずつ動かしてからドラミングパンチの練習に入る。

 その彼女の操縦桿を動かす表情は真剣そのもの。

 しかしモーターを唸らせながら両腕を動かす小型アームリフトは下手糞なモンキーダンスを練習しているかのようだった。


「さっきからワチャワチャと……隠し芸の特訓か何かか?」

「似たようなモノですかね」


 後ろからかけられた声に返答してアイガが振り返ると作業服姿の女性、リィの母親の莉奈が立っていた。

 娘の操るアームリフトをしばらく眺めてから莉奈は口を開いた。


「どうだ? アイガから見てアレの腕前のほどは?」

「悪くはありませんよ。止める、動かす、基本的な動作はそつなくこなしていますし、資格取り立てってことで妙な癖もついてないし、筋は良いと思います。――お世辞じゃなく」

「しかし大会ではあの覚君とやり合うことになるわけだろ? どうにかなるとは思えん。お前が腕を操作していれば好勝負になったろうに、ことの顛末は聞いているが脚を動かして勝算はあるのか?」

「色々考えている最中です。何とかなるとは言い切れませんが、そんなにネガティブになることもないかと」


 アイガはここで言葉を途切り小型アームリフトの中のリィに目を向けた。


「好きで動かしているだけあって、単調な反復練習も楽しそうにこなしてる。ああいうタイプは上達も早いと思いますよ」

「好きで……ね。ロボットだの、アームリフトだのリィの奴、変わったモンに興味持っているとは思わないか?」

「そうですか? いや、……そうなるのかな」

「お前もあっち側だったか。まあいい」


 莉奈は苦笑しながら手にしたペットボトルの烏龍茶を一口ノドに流し込んだ。


「自分で言うのも何だが華梨はしっかりした娘に育ってくれてな。妹のリィの面倒もよく見てくれていた。あの頃は私も仕事が忙しくてな……つい任せきりにしちまった。リィのロボット好きは姉の華梨の影響だ」

「ああ、だから……」


 リィがお姉ちゃんのためにと張り切る理由に合点がいった。


「華梨がそういう物に興味を持ったのも、こんな所で働いている私のせいなんだろうが……」


 莉奈が溜め息混じりに肩を落とす。その背中に哀愁が漂い始めた。


「そこまで気にしなくても……『かきくけか』には他にも女の人いますし、大会の参加者にだって」

「ロボットが好きってだけならまだいいんだ。リィの場合、どこかズレていると言うか、他人の目に無頓着に育っちまったのがなぁ……。まあ、男のお前にベラベラ話すわけにはいかないんだが……」

「パンツ裏表間違えて履いてたとかなら俺もやったことありますよ?」

「その程度で済まないってのがまたなぁ……。いや、ま、なんつーか自己嫌悪だ」


 娘の奇行を思い出したのだろうか? 莉奈は頭を抱えた後、一人で喋り、一人で結論を出し、深く深く息を吐いた。

 息を吐きワチャワチャと腕を動かし続ける小型アームリフトへ目を向けた。


「で、いまリィがやっているのは何の練習なんだ?」

「必殺技です」

「必殺?」

「一応、大真面目です。まあ、小細工と言ったほうが分かりやすいかもしれませんが……。覚先輩対策の一つです」

「ふむ……」


 莉奈は小さく唸った。ロボカップで娘が対戦するであろう相手、笹原覚のことは彼女も知っている。この建設現場で見る限り、その技量はアイガと同等だろう。

 機械としてのアームリフトを理解し、性能を生かす頭の良さを持ち合わせていて、リフトの腕をセンチ単位で動かせるなどは当たり前。資材の運搬でもどこを持てば少ないパワーで効率よく運べるのか誰からも教わることなく熟知している。


 笹原に聞いた所、アームリフトに乗り込んだのは十六になり資格を習得してからだそうだ。だとすれば操縦のキャリアは三年と数か月――アイガの半分程度の経験であれだけの技量を身につけたことになる。

 アームリフトの操縦の才能という物があるのならば、真に天才と呼べるのは笹原の方だろう。


 親の欲目を加味しても娘のリィが彼に太刀打ちできるようになるとは思えなかった。アイガもそう考えているからこその『必殺技』なのだろう。


「ま、それしかないわな。しかし間に合うのか? 必殺技以外にも練習しておくことはあるだろう?」

「大会までまだ日はあるから大丈夫――お!」

「アイガ君、いまの!」


 アイガが眼を見開いたその先でリィが満面の笑みを見せた。何度も繰り返していた両腕の動きが初めて上手くいった。文句の付けようの無い百点満点の動きだ。


「それだ、その動き。それを十回連続で繰り返せりゃ本番でも確実に繰り出せる」

「了解! マイマスター!」


 振り上げた右拳で気合の程を表現し、リィは再び操縦レバーをガシャガシャと動かし始めた。額から流れる汗も気にせずに。実に楽しそうに。

 莉奈はそんな娘の姿に思わず表情を緩ませた。


「なるほど、確かにお前の言う通りかもしれないな。――さて、私は仕事に戻るとするか。大会当日は私も応援に行く。お前達の晴れ姿を期待しているぞ」

「頑張ります」

「分かっていないなアイガ、ここは任せてくださいと胸叩いて景気良く言う所だ。ま、相手が相手だけに安請け合いできないってのも分かるけどな」


 本当、妙にクソ真面目な奴だと、莉奈はアイガに背を向けクククと笑った。

 ひとしきり笑い、それにしてもと莉奈は視線を上げて建設現場を見渡した。

 特訓するのは構わないがここにはその相手、笹原覚も働きに来ているんだぞ? 知らないわけじゃあるまいに、大丈夫なのか?


 アイガはそれに気付かぬ間抜けではない。見られた所で何をやっているのか分からないと踏んでいるのだろうか?


 莉奈は立ち止まりもう一度、今度は注意深く現場周辺を見渡してみた。彼はいまショッピングモールの上でアームリフトを動かしているのだろうか、彼女から見渡せる場所に天才の姿は見当たらなかった。

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