第31話

 バイクに車、カートに芝刈り機そしてロボット等々――技術系サークルの作業場所として割り当てられた倉庫の並ぶ白瀬大学の辺境は『波止場』と呼称されているが海まで十数メートルはあるため潮の香りもしなければ潮騒も聞こえてこない。


 栗石の舗装路を歩き、研究棟と部室センターの間を抜けて広大なグラウンドの脇を通って波止場に出ると、そこに漂うのは機械油の独特な臭いとエンジンやモーターの駆動音だ。


 向き合って並ぶ大型倉庫は全てがであり、鉄戸の開放された大きな出入り口からはサークル活動にいそしむ大学生達の姿がうかがえる。一体いつ講義を受けているのだろうかと思うほどよく見かける顔もあった。

『かきくけか』のはす向かいの倉庫前にいたツナギ姿の大学生二人がアイガとリィに気付いて「うーっす」と手を振ってきた。アイガが波止場に来るたびに出会う名も知らぬ顔見知りだ。彼らの後ろに軽トラックに載せられたレース仕様のバイクが見えた。

 彼らに手を振り返してアイガ達はかきくけかの倉庫へ足を踏み入れる。

 バイトやまだ講義を受けている会員もいるのだろう。中で作業をしているのは五人ほどだったが、巽や風根、東といったアイガの知った顔は見受けられた。


 倉庫の中央にいつものゲインの姿は無く、代わりに本体から取り外された二本の脚が横倒しとなっていた。

 当然、映画撮影時に装着されていた黒い外装は全て取り外されている。

 巽たちはその横倒しになった長さ三・六メートルほどのゲインの両脚の前で電動工具を手に難しい顔を寄せ合っていた。


「何か問題発生ですか?」


 そうアイガが尋ねると風音が直径二十センチ、厚さ五センチほどのバームクーヘンのような金属パーツを手にしてやって来た。

 ロボットの関節を稼働させるためのシステム『アクチュエータ』を構成するパーツの一つ変換ギア。その内径の一枚で輪の内側に並ぶ出っ張りの一つがゴリッと三ミリほど削り取られている。


「ダブルモーターの勢いが凄くてな。欠けちまった。まぁ、長年使い込んだ古いやつだったからな仕方が無い」


 やれやれと言うように風根は首をふった。

 変換ギア、他の大学や大手企業では減速ギアとも呼称されることもあるこの五重に重ねた厚い歯車の役割はモーターのパワーを効率よく引き出すことにある。

 車の玩具で分かるように、モーターは一秒間に何百回もの高速回転を行なうわけだが、当然ながら関節をそんな猛回転させる必要は無い。


 ロボットに必要なのはモーターの回転数ではなく回転させる力の方であり、回転する力を維持したまま回転数を下げることが出来れば、それは金属の手足を力強く動かすためのトルクとなる。

 身近な物に例えるなら自転車のギアが最も近いだろうか。ギアに伝わる回転数÷本来の回転数=減速率となり、回転数を下げる比率が高いほどトルクも大きくなっていく。

 五重に重ねた変換ギアがモーターの回転力を維持したまま回転数を減少させ、各関節部を動かすための強大な力に変換させるのだ。


 その要のパーツがモーターのパワーに耐え切れず破損した。

 不安の色をのぞかせた後輩二人に風根は慌てて手を振りながら「こいつは大した問題じゃない」と否定した。


「幸いこいつはそこまで高くない。すぐに代えのパーツは用意できるし、予備も揃えてある。タツたちが眉間にシワ寄せているのはフレーム加工の方で二つアイディアが出たから検証しているだけ。腕のフレームを削ってもっと軽くできるんじゃないかってな」


 風根はそう言ってゲインの上半身、その両腕へ目を向けた。

 脚を取り外されたゲインの上半身は美術館に置かれた前衛芸術のオブジェのように倉庫の壁際に鎮座している。

 こちらも映画撮影のために取り付けられていた黒い外装は全て取っ払われている。なのでむき出しの両腕も良く見えた。


 ゲインの左右のアームはH字型の金属軸と円柱形のシリンダーを組み合わせた物で、このH型のフレームを削り、T字もしくはL字型にしようというのが軽量化アイディアだった。

 フレームの材質は軽量で強度の高いマルエージング強化鋼だが、L字になるまで削り取れば相応の軽量化になるだろう。


「問題点はやりすぎると腕の強度がなくなるって所かな。下手すりゃ相手を殴っただけで腕のフレームがグニャリとなるかもしれん」


 例えるなら自ら骨をヒビだらけにするようなもの――といった所だろうか。


「やるとしてもシミュを重ねて慎重にってことでこいつは保留になった。巧くいったとしても査定で弾かれる可能性が出てくる。当たり前だが運営はノイローゼかってくらい安全面に神経質だからな」


 ロボカップ本番の二日前、もしくは前日に大会の運営から派遣された技術者による機体検査が行われる。

 大会の規格を守っているのかは勿論、殊更力を入れて行なわれるのが安全面での検査だ。

 コクピットブロックに妙な改造を施してはいないか、シートベルトやエアバックも動作点検も行われ、外装を調べて衝撃吸収材の取り付けた位置や数が適正かどうかもチェックされる。

 各フレームの強度もチェック項目の一つだ。不備があると判断されれば大会への参加が取り消しされることもある。


「もう一つのアイディアというのは?」

「フレームの接続部分の形状変更だ。昨日のタツの資料じゃ、緩衝材を詰め込むためにヒザ関節の接続部に四角いブロックを作っていただろ? こいつの形を変更できないかって話だ」


 風根はタブレットPCのペイントアプリを起動させ、指で画面に『□□→○○』という簡略図を描いて見せた。


「こんな風に接続部を丸くして接触面を少なくすればヒザを動かした時の摩擦も軽減できる。よりスムーズに抵抗無く関節を動かすための案なんだが――」

「丸くするのが難しいとか?」

「円を描いたのは分かりやすく説明するためだけで、形はまだ決まっちゃいない。そもそも緩衝材を詰め込むためにブロックを作るってのに形を変えて緩衝材の分量が減ったら本末転倒ってモンだ」


 巽たちが眉間にシワを寄せているのは上手い落としどころが無いかと頭を悩ませているからで、このアイディアも最終的にどうなるのかは分からないと風根は説明した。


「そういう訳で由良っちの出番はもうしばらく時間がかかりそうだ」

「それは構いませんけど」

「腕の方は動かしても大丈夫なんですよね?」


 リィが前衛オブジェと化したゲインの上半身を指差すと、「腕も駄目なんだ」とそちらの方から声が飛んできた。声は華梨のもので、彼女の隣には各務の姿もある。


「例の射撃対策を施すから今日は腕も駄目」

「この前言っていた第二試合の対策か。何するの?」

「照準器を取り付けようと思ってる」


 華梨は自身の右手をゲインの手に見立てて射撃対策を説明し始めた。

 彼女の計画はロボカップ第二試合の種目である射撃で的を狙い安くするためにゲインの腕に照準器を取り付けるというものだ。


 照準器といっても警察などで採用されている高性能のレーザースコープではない。これは実銃と弾速も弾道もまるで違うエアガンに取り付けても意味の無い物だ。


 運営側の用意したエアガンはゴルフボール大のペイント弾を撃ち出す物で射程距離も八十メートルほどに抑えられており弾速も肉眼で追えるくらいに

 華梨のアイディアはゲインの人差し指の先端に小型カメラを取り付けるというものだ。

 通常なら人差し指でトリガーを引くようにエアガンを持つ所を中指でトリガーを引くようにエアガンを持ち、余った人差し指を銃身にそわせて正面に向ける。

 そうすれば指先に取り付けたカメラが照準器の代わりとなる。

 カメラの映像は操縦席内にタブレットを取り付けてそこに映し出せば良い。銃口とカメラの間に数センチのずれが生じてしまうが、ここは本番での試し撃ちで調整していくしかない。


「そういや、射撃競技の開始前にエアガンを五発まで試射できるんでしたっけ」

「そう。ぶっつけ本番には変わりないけど、そこは参加するチーム全てが同じ条件だしね」

「でもこれ予算は大丈夫なんですか? タブレットは予備があるみたいですけど小型カメラなんて」

「そんなのジャンク品で十分よ。うちに買い換えた古い携帯が二、三台転がっているから、そこから拝借。かかる予算は人件費のみ。予算管理人も認可済みよ」


 アイガの問いに華梨はヒラヒラと手を振り笑顔で答えた。


「その人件費に予算管理人の私も含まれているのだけれどね」


 花梨の隣で各務が溜息を吐いた。しかしその顔に不快感は見られない。どこか冷めているように見える彼女も仲間と何かをやることは好きなのだろう。


「まあまあ、美亜のことは頼りにしてるから」と、華梨はそんな友人の肩を叩き、妹の方へ向き直った。


「そんな訳でゲインは完全休暇。明日には動かせるようにするからさ」

「それじゃ仕方ないね」


 特訓だと意気込んでいた出鼻をくじかれた格好だがリィはすぐに考えを変えた。


「よし、アイガ君! お母さんのトコへいこう! アームリフトで特訓だ!」

「アンタいい性格してるわね……」


 華梨が妹の行動力に呆れかえる。アイガの方は少し考えてその意見に賛同した。


「え? 良いの?」

「悪い考えじゃありませんよ。小腕なら同じ感覚で練習できますし、空き時間で練習することはOKですから。――そうだ、予備のタブレット一台持って行っても良いですか?」

「構わないけど、どんな特訓を?」

「ドラミングパンチだよ。お姉ちゃん」

「ドラミングパンチ……?」


 耳慣れぬ単語に華梨と各務、耳をそばだてていた巽たちもキョトンと顔を見合わせる。


「必殺技だよ」


 とリィがその場で両腕をせわしく動かして実演してみせる。が、周囲の者たちにはどういった技なのかイマイチピンとこなかった。


「じゃあ、そういう訳で巽先輩、帰りは八時くらいになると思いますから、寮のまかないはキャンセルで」

「分かった。由良君も特訓頑張って」

「外食するなら野菜もちゃんと食っとけよ~」


 巽と風根がアイガに手を振り返して作業に戻る。


「何食べに行くの?」と倉庫の出口に脚を向けた時にリィが聞いてきた。

「とんかつ。ほら、前におばさんから貰ったクーポンまだ使ってなかったから」

「お~良いね。じゃあリィも授業料ってことで大学カフェのスイーツ奢っちゃうよ」

「んなの気にしなくていいよ」

「リィもカフェの無料クーポン持ってるんだ。つまりアイガ君タダ働きだね」


 リィが五枚つづりのカラフルチケットを鞄から取り出した。一見すると映画の前売り券のようにも見える。


「そういうことなら……。気になってた期間限定メニューもあったし」

「あのダンゴ虫に蛍光塗料ぶっかけたようなヤツだね」

「…………いや、そういう表現はやめようぜ」


 眉と口元を歪めたアイガがこの後カフェで注文した物は食べ慣れたチョコクレープだった。

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