第33話
翌日の放課後。
『かきくけか』にリィが顔を出すや、東が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「リィちゃん昨日はどうだったっすか?」
「昨日? ああ、試してみたけどリィの好みの甘さじゃなかったかな。美味しいことは美味しいんだけどね」
「何の話っすか?」
「学内カフェの期間限定メニューの話じゃないの」
「いや、どんな特訓してたのか聞きたかったんすが……」
「おお!」
リィはポンと手を叩くと昨日から始めた特訓の内容を話し、最後に二回上手く出来たと付け加えた。
「二回……、多いのか少ないのかよく分からないっすね」
「アイガ君は上出来だって」
「その由良っちは?」
「きょうは現場仕事。リィも後から合流しに行くよ」
「リィ、指導者の元で練習した方が効率的なのは分かるけど、由良君には由良君の予定や事情が有るんだから、迷惑にならないようにしなさいよ。そのうち由良君の家にまで押しかけそうで心配だわ」
そばで話を聞いていた華梨がたしなめるように口を開いた。
「その心配は無用だぞ。由良っち君は寮住まいだから」
会室の前でドリルツールの手入れをしていた風根が顔を上げた。
「男子寮って女子は入れないんすか?」
「逆もしかりだがな。まかない飯は完食、パンツ着用と並ぶ白瀬大男子寮の三大規則だ」
「え? パンツ履かない人がいるんすか……?」
「あ、いや、俺じゃねぇぞ。タツ説明してやってくれ」
東がノーサンキューと眉をひそめたので、風根は手を高速度で振りながら隣に座る巽に助け舟を求めた。
その巽は手拭いを頭に巻いて万力のお化けのような作業用ツールの整備をしている。
「おいおい振られても、僕だって規則ができたのはもう数十年も前で、そのいきさつが東さんの想像通りってこと位しか聞いてないよ」
何十年も昔のことだ。白瀬大男子寮では真夏の暑い時期、風呂上りなどに真っ裸でブラブラと寮内をうろつく者が実に多かったらしい。大学の寮でこれは風紀の乱れどころでは無いと、この規則が明文化され厳守されるようになった。
「うん、想像通りのしょーもない話っすね」
「でしょ。僕もこの話を聞かせた由良君もいまの東さんみたいに呆れかえった顔になったよ。――っと、そういえばリィちゃん、昨日由良君に何か有ったりしたのかな?」
「ほぇ?」
巽の言葉と視線にリィは小首をかしげてその頭上に?マークを表示させた。
「アイガ君に何かあったんですか?」
「いや、昨日寮に帰ってきてから、今朝もだけど、思いつめたような顔をしたままだったから……ケンカでもしちゃったのかな~とか思って。本人に直接訊くのはちょっとね」
「う~ん、特訓中は何も無かったし、特訓が終わった後は駅ビルでゲームしてそのまま解散したから――ケンカとかはしてませんよ」
「ゲーム?」
「うん。ほら一回五百円の操縦席に座ってロボットで対戦する奴。張ってあったポスター見てアイガ君が参考になるかもって」
「ああ、リィちゃんに負けたから不機嫌に」
「いやいや、由良っち君もそこまで小さくないだろう。別れてから何かあったんじゃないか?」
アイガが思いつめるような理由が思い浮かばず、リィや華梨、東たちが心配そうに顔を曇らせた。
「リィちゃんとケンカしたとかじゃないなら良いんだ。寮に帰ってまだ思いつめているようなら由良君に訊いてみるよ」
巽の言葉でこの話題はお開きとなった。
この数時間後、男子寮に戻った巽と風根は意外な場所でアイガを見つけた。
大浴場。寮の風呂場である。
曇りガラスの大きな引き戸を開けると蛇口とシャワーの並んだ洗い場が在り、その奥の壁際に男十五人がゆったりと浸かれる浴槽が設置されている。
その淵のギリギリまで張られた湯からは暖かな湯気が立ち込め、その湯気の中に身を潜めるようにしてアイガは両足を抱えて座り込んでいた。
ものぐさな所があり、かつ風呂嫌いを公言し入浴時間も五分有るか否かの彼をここで見かけるのはかなりレアな出来事だ。
この時間は浴場に人も少なく、広々とした浴槽には体を伸ばしてゆったりと浸かることが出来る。にもかかわらずアイガはふちの所でヒザを抱え込み小ぢんまりとした姿勢で浸かっていた。
昨日巽が見た深刻そうな表情のまま、時おり両腕を交互に前へと突き出しては何やらブツブツと呟いている。
巽と風根は軽く体を流すとアイガの両隣に腰を下ろした。
「珍しいね由良君がこの時間にここにいるなんて。部屋にも食堂にも休憩所にもいないから外出しているのかと思っていたよ」
声に反応し、アイガは薄く目を開け左右を確認すると小さく挨拶を返した。
筋トレが趣味という風根はもちろん、『かきくけか』の活動が力仕事だという巽も中々の筋肉質だ。屈強な二人に挟み込まれると息苦しくなるようなプレッシャーを感じてしまう。
アイガは小さく呻いた後、部屋や食堂で考えがまとまらなかったので気分を変えようとここに来たと告げた。
「何かあったのかい? 昨日から随分と深刻な顔をしているけど?」
「え、そんな風に見えますか? ボクシング対策を考えていただけなんですけどね」
ボクシング――聞くまでも無くロボカップ決勝戦のことだ。そのことについて本気で頭を悩ましている。さすがに気が早すぎると巽たちは複雑そうな笑みをみせた。
「対策ね。リィちゃんの言っていた必殺技ドラム……ドラミングパンチか。あれじゃ駄目なのか?」
「あれは一回こっきりの初見殺し、成功しようがしくじろうがタネが知れたら覚先輩にはもう通じません。試合は五本勝負の三本先取ですから――」
「つまりあと二つ、失敗を考慮するなら四つの必殺技がいるわけか。よしタオル冷やしてきてやろう」
風根が立ち上がるとそれだけで湯船の湯が大きくうねった。
「それじゃロボットのゲームで遊んだのも?」
「何かアイディアに繋がればと期待したワケですが――まるで参考になりませんでしたね。バーニアで高々とジャンプするわ、ビーム乱射するわで」
冗談交じりに語るアイガを見ていた巽が申し訳なさそうに肩を落とした。
「結果をだそうと腐心してくれるのはありがたいんだけれど……。入会前から色んな事情を話したせいかな? なんだか色々気負わせちゃったみたいだね」
結果を出そうとアイガが頑張ってくれているのは有り難いことだが、あんな思いつめたような顔をするのは何かが違うという思いがあった。
ましてやアイガは入会したばかりの高等部学生だ。結果が伴わなかった場合、気負った分の反動も大きいかもしれない。それが巽には心配だった。
そんな想いから漏れた巽の言葉にアイガは訳が分からずキョトンとなった。
「え? 気負うっていうか……、いま先輩たちは俺のために脚をいじっているわけで、そこまでやってもらって勝ちを狙いにいかないのは駄目過ぎじゃないですか? そもそもりぃが俺を勧誘してきたのだって結果が欲しかったからだし。顔つきを言うなら、脚をいじっている巽先輩の方がよほど気負っている顔してますよ」
「そ、そうかい? いや、でも、他人を乗せる以上最低限の責任は生じてくるわけだし、そりゃあそんな顔にもなるよ」
「なら俺だって同じようなものですよ」
「う~ん、そこまで恩に感じてもらうことでもないんだけどね、僕らは僕らで楽しくやっているわけだし。――そうだね、確かに由良君の一言が今回の発端なんだけど、それに対して僕の言ったことは覚えているかな?」
「へ? 俺、何か言いましたっけ?」
「脚を動かしてみた後に面白くないって言ったんだ。それに僕は同意した面白くなくちゃ駄目だよねって……確かそう答えたと思う……さすがに日付けがたちすぎていてハッキリ覚えている訳じゃないけども」
間違っていないはずだと巽は一人で小さく頷いた。思えば今回の脚部改造計画はあの時に始まったのだ。
「おかげで僕たちはいま楽しくゲインを改造している。凄い物になるぞという予感と手応えを感じてワクワクしてくるほどにね。ロボカップで由良君が乗り込み、会場中に驚きが満ち溢れるその瞬間が待ち遠しくなってくる。君のおかげで僕らは今までにない充実した時間を過ごしていると言っていい。僕の勝手な押し付けなんだろうけど、由良君にもそんな時間を過ごして欲しいんだ。どんな結果になろうと僕ははしゃぎ喜ぶ由良君の姿が見たいんだ」
「皆を笑顔にするロボット。そいつがタツの原点だもんな」
戻ってきた風根が冷やしたタオルをアイガの頭に載せてそんな台詞をつぶやいた。
「原点?」
「小学生の時の話だよ。そんな大したドラマじゃない」
「いいじゃねぇかタツ、さっきまで散々臭いこと言ってたろ。聞かせてやれよ」
割と良い話だぞと風根が囃し立て、アイガも聞いてみたいですと頷くと巽は少し迷い、本当に大した話じゃないよと前置きしてから語り始めた。
「八歳の時。カリキュラムレベルも同じ八だったからよく覚えている。授業でサワダの工場に見学にいくことになったんだ。同学年総出だから八十人ぐらいはいたんじゃないかな。その中には壬斗のやつもいて……あ、僕と壬斗の父親が同じサワダ勤めだってことは話したてっけ? その壬斗と工場に向かう途中、向こうで父さんと会えるんじゃないかって冗談で話していたらさ……アームリフトの説明役で本当に僕の父さんが説明に出てきてね。壬斗の奴がアレが僕の父さんだって周りに言いふらすんだ。面白がって」
ちなみに安永の父親は出てこなかったらしい。
「もうね、皆がこぞって冷やかしにくるし、壬斗の奴は無責任にゲラゲラ笑ってるし、気恥ずかしくて何で出てきたんだよと父さんを恨みがましくも思ったりしたんだけど――」
八十人の小学生総額たちの前に現れた巽の父親は自らが設計、開発したという長さ七メートルある一対の機械仕掛けの腕の前でパーツ構成などを一通り説明し、操作盤のジョイスティックを握りしめてその大きな両腕を動かし始めた。
モーターを唸らせ二本の腕がウネウネと動き、じゃんけんや人気コミックの必殺技などをやってみせると室内がどっと沸きあがった。
それまで説明に退屈していたり、室内を見回していたりと様々な顔を見せていた八十人が皆一斉に楽しげな笑顔となった。
はしゃぎにはしゃぎ、アームが動くたびに大喜びで拍手を送る。巽の隣にいた生徒が「お前の父ちゃんすげぇな」と肩を叩いて賞賛する。
「――腕が動くたびに皆が喜んでさ。父さんに拍手して、周りの皆が僕の父さんが凄いと言いに来るんだ。もう照れ臭いやら、誇らしいやら……今でも思うよ、あの時の僕はどんな顔をしていたんだろうなって。そして思ったんだ。あの時、皆を笑顔にした機械仕掛けの二本の腕――僕もそんなロボットを作ってみたいってね」
思い出を噛みしめながら巽は照れ臭そうに笑う。
話を聞き終えたアイガは鼻先まで湯船に浸かり、ブクブクと湯の中で溜め息を吐いた。
やれやれ、興味本位でとんでもない話を聞いてしまったものだ――そう思うと同時に
己の好奇心を恨みたくなった。
こんな話を聞かされちゃ、尚更気合入れていかなきゃならないじゃないか。
「どうした由良っち?」
「いやぁ、何だか想像以上に良い話だったので。巽先輩、それ俺の話なんかよりよっぽどドラマチックじゃあないですか」
心の内を口にするのはアイガには気恥ずかしくてできなかった。なので、はぐらかすようにおどけてみせた。
「そ、そうかな?」
「ロボカップで優勝できれば『かきくけか』の皆が笑顔になりますよ。その親父さんの両腕にはまだまだ及ばないかもしれませんが、俺も本番までには何とか作戦練り込んでみせますよ」
アイガは次に風根に目を向けた。
「ん? 俺か? 俺の方はマジでドラマなんてねぇぞ。ある日教授からカリキュラムの単位都合してやるからロボット作らんかって声かけられて、そんで入った。力仕事に向いていると思われたんだろうな」
「落差が物凄いですね……」
「ハッハッハ。ま、そうそう良い話なんて転がってねぇってこった。そんな感じだから俺に気を配る必要なんざ欠片もねぇ。由良っち君は思うまま楽しくやってくれりゃ良い」
「そうそう、由良君は気づいていないのかもしれないけど、君がゲインに乗り込み動かす、ただそれだけで『かきくけか』の助けになるんだよ」
完成したゲインをアイガが操ることで得られるデータはオートバランサーのアップデートにも活用できるし、それ以外にも使い道は山のようにある。
『かきくけか』の今後十数年の活動を支える下地となるのは間違いないと、巽は語った。
まったくこの先輩たちは――と、巽の話を聞きアイガはまたも鼻先まで湯船に浸かり、湯の中で深く息を吐いた。
俺の役目はこの気の良い先輩たちのために力を振るうことのようだ。こりゃ、いよいよもって責任は超重大だぞ。
「どうしたんだい、由良君?」と、こんどは巽が訊いてきた。
「先輩たちのためにもいよいよもって下手は打てないと気合を込め直していました」
――そう直接口にするのはやはり気恥ずかしかったので、アイガは湯の中でブクブクとその言葉を泡にして吐き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます