第34話

 日付けが進み、ゲインの脚部改造作業が終了してアイガも参加する最終調整作業が始まった。


 倉庫内の壁際でオブジェと化していたゲインの上半身には数日ぶりに、以前の物とわずかに形の変化した両脚がとりつけられていた。

 股関節と膝をダブルモーターに改造したゲインは尻とヒザの幅が二十センチほど太くなっており、それが錯覚を生んで変化の無い脚部メインフレームも少し太くなっているように見えた。


「鍛えなおしてケツと脚が太くなった」とは風根の言葉だ。

 その言葉通り、ダブルモーターとして『鍛え直した』ゲインの両脚のパワーは跳ね上がっている。後はその強化した脚力を操縦者のイメージ通り発揮できるようにするだけだ。


 会室の前に折りたたみ式の長机とパイプ椅子が配置され、机上にはノートPCが二台。そのPCとコックピットブロック内のOSを繋ぐのは五十メートルあるパスタを束ねたような長いケーブルだ。


 この蛇のように波打つ黒いケーブルを通してOS内にあるアクチュエータの制御ユニット総括プログラムをモニターして、脚を動かすアイガの注文通りに設定を書き換えていく。


 操縦OSとつながったノートPCの前で東が目を細めキーを叩いているのが見えた。彼女の隣の席には風根がつくことになっている。

 その風根は他の会員たちと一緒に最終調整に入るための最後の仕上げとして、ゲインに外装を取り付けている真っ最中だ。

 ロボカップ本番で取り付ける白い外装はまだ業者から届いていないので、映画撮影でも使用した古い外装を代用として装着している。


 撮影時と異なるのは、ゲインの両上腕部と両太ももに外装が取り付けられていないことだろう。

 巽の立てた計画により、脚の関節部にかかる負担を軽減するため、オミットしても問題の無い箇所にはロボカップでも外装を取り付けないことになっている。


 本番を想定した状態で『ゲイン バージョン9』の最終調整作業は行われるのだ。


 この調整作業の主役ともいえるアイガはすでに脚部操縦席に乗り込み、お気に入りの頭部装着型ディスプレイを目元に巻きつけて出番待ち。そのディスプレイを通してゲインの左脚に外装と取り付ける先輩たちを文字通りの高見の見物中。

 同様に腕部操縦席で待機中のリィは目を閉じ、電源の入っていない操縦桿を動かしてドラミングパンチのイメージトレーニングを行っている。


『お待ちどうさん』と、外装の取り付け作業を終えた風根から二人に通信が入ったのはこの二分後だった。


 足場が壁際に移動し、会員たちがゲインから距離を取ると、アイガはまず外装を取り付けた両脚の重みを確かめるためゲインを軽く足踏みさせた。

 操縦桿を通して感じる外装の重量は微々たるもので操作に差し支えは無さそうだ。


 ダブルモーターの調整作業――これから行うのは各関節に取り付けたダブルモーターの回転数を操縦桿の入力速度に合わせて設定していく作業だ。

 具体的な手順として、まず風根がノートパソコンからモーターの回転数を設定し、アイガがゲインの脚部を動かして調子を確認し回転数の増減を風根に伝える。


 基本的にこれの繰り返しなのだが、『回転数の設定』と一口に言っても、一秒間に数百と回転するモーターの最適値を見つけ出すのは簡単な作業ではない。

 回転数の設定値は『000.00』と五桁あり、これをいじるたびにゲインの脚を動かすのでとにかく時間が掛かる。


 ノートPCのモニターに映る調整項目のチェック表を見つめながら東はうんざりしたように溜息を吐いた。

 このチェック表は巽たちがアイガと意見交換しあらかじめ制作しておいたリストで、大会でゲインが行うと予想される動きがリストアップされている。


 細かい重心移動、ミリ単位で歩幅を調節できるようになることがアイガの理想だった。そのために上がったチェック項目の数は二百以上。

 リストアップされた動作は『歩く』『走る』だけで二十五段階の強弱があり、『しゃがむ』『片膝をついて素早く立ち上がる』『片膝をついてゆっくりと立ち上がる』といったものまで想定されており、結果その全てにモーターの回転数を設定付けていくという企業のプロジェクトの如き様相を呈していた。


 この作業分量には巽や風根ですら大丈夫なのかと及び腰となるほどで、東が始める前から辟易するのも当然の反応といえるだろう。しかしやらなければならない。

 使命感も責任感も彼女は十分に有している。そしてゲインへの愛着とリィへの友情もある。


「さぁて、千里の道も一歩からっすよ」


 東が自分の頬を軽く叩くと、机の下に置かれたクーラーボックスから緑茶のペットボトルを取り出すとその半分を一気に飲み干した。どうやら自らに気合いを注入する儀式らしい。


「さて由良っち君、最初の一歩はこんなトコでどうだ?」


 隣に座る風根は私物のタブレットを接続して二画面にしたノートPCを操作し、股関節部のダブルモーターの設定値を『300.00』と入力した。これはとりあえずの数値で、アイガの意見でここから増減させていく最適値を導き出していく。


 チェック項目の一つ目は右脚全体を前に蹴り上げる動作である。

 風根の打ち込んだ数字がゲイン内部のOSにインプットされるとアイガの頭部装着型ディスプレイの真ん中に『テスト開始!』の文字が現れ、膨らみながら消えていった。

 このリィの考案で東が仕込んだという演出にアイガは苦笑を浮かべながら右の操縦桿を一気に前へと押し出した。

 操縦桿の動きに従いゲインが右脚を前に勢い良く振り上げ、大音量のドライヤーのような音が倉庫内部に鳴り響く。

 初めてかき鳴らされるダブルモーターの音に、巽や華花を始めとする他の会員たちが色めき立った。気の早いガッツポーズを決める者もいるほどに。

 その歓声の中でゲインはもう一度右脚をきっかり正面九十度まで振り上げた。


 ダブルモーターに改造する前、ゲインのパワー不足の脚は六十度まで上げるのが限界だった。そこから目に見える形でダブルモーターの成果が現れている。

 しかしアイガは満足しなかったのか、風根に設定値をより高く変更するように要求し再度ゲインに同じ動きをさせた。


 このダブルモーターの調整作業、主に働くのはパイロットの二人と風根と東の四人だが、他の会員たちも意味無く見物しているわけではない。


 離れた場所に座っている巽と華梨はタブレットPCでゲインに不具合が発生しないかモニター中であり、他の会員たちもその不具合が発生した場合に備えて――なにしろゲインは両足を改造したばかりだ――待機している状態だ。

 皆が気を張り詰めているので倉庫内部は奇妙な緊張感が充満していた。


 そんな中で行う調整作業も最初の一時間は遅々として進まなかった。

 変化が現れたのはそこから更に三十分が経過した頃だ。


 作業開始前から会員たちの脳裏に付きまとっていた『期限までに間に合うのか?』というネガティブな予感を打ち消したのは一人のスペシャリスト――ゲインの操縦桿を手繰っているアイガだった。


 操縦桿をこう動かせば、ゲインはこう動くべきだという明確なイメージを有しているアイガは調整作業を繰り返した九十分でモーターの回転数の勘所をつかみ、自らその設定値を指示し始めたのである。

 さすがに一度でドンピシャリとはいかなかったが、最適値に近い回転数で調整を始めることができるため、六回前後のリトライ回数で一項目を完了させることができるようになった。


 この感覚の鋭さに加えてアイガの操縦には『ミス』が無かった。いや、ミスどころか『ズレ』も無い。

 操縦桿をレールに沿って前に押し出せば、その調整の間何度でも同じ強さで操縦桿を押し出すことができた。


 操縦桿の入力速度は操縦者の力加減しだいだ。

 普通、人間は同じように力を込めているつもりでも、そこには自然とズレが生じてしまうものである。

『遊び』を無くしたゲインの操縦システムなら微妙な力加減のズレが操縦ログの数値に必ず現れる。

 しかし、いかなる感覚を有しているのかアイガはそのズレを一切生じさせなかった。

 レールに沿って操縦桿を押し出す速度が『2・25m/s』だったなら、次もその次も『2・25m/s』と同じ数値で入力し続けてみせる。


 操縦ログをモニターしていた東が連続して表示されるコンマ以下の狂いも無い数値に気付いた時、背筋に戦慄のようなものを感じたのは言うまでも無い。

 我が目を疑い、ゴシゴシと目をこすり、見間違いでないことを確認すると、隣に座る風根の肩を大慌てで叩く。風根も同じようなリアクションを取り、そこから戦慄混じりの驚愕が倉庫内に伝播し一時騒然となる一幕があった。


 こうして調整作業一日目はチェック表の十七の項目をクリアして終了。

 翌二日目、アイガはモーターへの理解を深め作業効率は更にアップ。リトライの回数が四回前後にまで削減。

 日を重ねるにつれて、その数を減らしていくことになる。

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