第35話
アイガが自分のイメージとゲインの両脚の動作を着実にすり合わせていく中、リィも歩みは遅いがしっかりと前に進んでいた。
アイガが仕事の日は工事現場でドラミングパンチ、それ以外は『かきくけか』倉庫内で――こちらは調整作業開始前のわずかな時間で基礎訓練と、連日熱心に操縦桿を動かし続けている。
その小さな手の平にマメができようと、泣き言一つ漏らさないリィの漲るやる気にはアイガも脱帽するほどだった。
その四度目となる建設現場特訓。
バイトの休憩時間を迎えるとリィは待ってましたとばかりに建設現場の隅っこで小型アームリフトを動かし始めた。
四度目ともなるともはや風物詩のような扱いとなり、通り過ぎる年配の作業員達も応援エールを送るようになっていた。
「頑張ってね」と手を振るおばさんたちに手を振り返す、リィが目指すのはドラミングパンチの十回連続での成功だ。
しかし、それはいまだ成功の兆しも見えていない。
本日の七度目のチャレンジもドラミングパンチを五回繰り返したところでアイガが左手を上げた。ミスがあったという合図だ。
「駄目だった?」というりぃの問いにアイガは頷き手にしたタブレットPCを差し出した。
その画面上で再生されているのはリィの駆る小型アームリフトを真正面から撮影した映像で、その上に重なるように半透明の小型アームリフトが映っている。
半透明のアームリフトはアイガが実演してみせたドラミングパンチの正しい動作で、
リィの操縦するアームリフトの動きがこの半透明のゴーストとピタリ一致すれば合格。していなければ不合格というわけである。
今回の映像ではドラミングパンチを繰り返すアームリフトは三回目からゴーストとズレが生じ始め、それは四回目、五回目と少しずつ大きくなり、腕一本分ズレたところで教官のアイガがストップをかけた。
「ふぇ~なんで? 同じように動かしているつもりなんだけどなぁ……」
「
「自分からじゃよく分からないなぁ。アイガ君がそう言うならその通りなんだろうけど。――よおし、もう一回!」
落ち込むような顔を見せていたリィは四秒で気を取り直して再び操縦桿を力強く握り締めた。
アイガはまだ何かを言おうとしていたが、リィが練習を再開したのでアームリフトの正面からタブレットのカメラを向ける。
今度は四回目で失敗した。
「少し頭をリセットした方が良さそうだな。基礎練三分、その後リィも軽くストレッチ」
「りょうか~い」
アイガの指示に敬礼を返すとリィはアームリフトの両腕をラジオ体操のように動かし始めた。
これはアイガが操縦を始めたころ、べエランのアームリフト操者から教えてもらった基本動作の練習方法で、いまでもアームリフトに乗り込んだ際、腕の調子を確認するために行っている。
「やってるな。進捗のほどはどうだ?」
リィの母親の莉奈がフラリとやって来た。娘が練習を始めると必ず視察に来てアイガに娘の上達のほどを聞き、冷えたソフトドリンクを差し入れていく。今日はペットボトルのオレンジジュースだった。
「例のなんちゃらパンチ、十回連続で成功できなければ試合では使えないと聞いているが――今日は何回成功した?」
「四回」
「先は長そうだな……」
「そうでもないですよ。最初の一、二回は必ず成功させている。これだけ慣れてきたんなら試合でもまず失敗することは無いはず」
「そうなのか? 何で十回なんて言ったんだ?」
「それは……まぁ、その場のノリというか、勢いというか、キリの良い数字にしてみただけというか……」
くだらないアイガの言い訳に莉奈は思わず噴き出した。「それリィの奴には?」
「昨日言ってみたんですけど、俺が気を使っていると勘繰ったようで……」
「アハハ、アイツ変に頑固なトコあるからなぁ。らしいわ。――まぁ本気の本気で訴えかければアッサリ信じたりするぞ。我が娘ながらすこぶる単純だからな」
「本気の本気ですか……」
抽象的な莉奈の助言に「その時が来れば参考にさせてもらいます」と返してアイガはドラミングパンチの練習に戻っていった。
再び腕をガチャガチャ動かし始めた小型アームリフトの前に立つアイガ。その姿を彼の頭上三十メートルほどの高さから様子を見る目があった。
アイガがロボカップ最大の敵だと認識している人物――笹原覚である。
「またあの動きだ。一体何をやっているんだろうね?」
建設中のショッピングモール。
様々な資材が置かれた屋上から特訓風景を見下ろしていた初老の男が隣で休憩している笹原覚へと話しかけた。
初老の男――ガンさんと呼ばれているアームリフト操縦者の監督官で、年は六十に近く、アームリフトを含めた各種重機の操縦における大ベテランで、その腕前にはアイガや笹原もリスペクトしているほどだ。
その監督官殿は仕事中アームリフトの一挙一動に鋭く目を光らせている姿が嘘のように、白髪混じりの角刈りの下にある日に焼けシワの刻み込まれた顔を柔和に緩ませている。
笹原はコンビニで買ったハムサンドを口に放り込みペットボトルの緑茶で流し込むと、階下へ視線を向けた。
車道と現場を隔てるフェンスのそばで年季の入った小型アームリフトがガシャガシャと両腕を動かしている。
練習時間の六割があの動きだ。
あれが何とかパンチだという『必殺技』の練習だという話は噂の又聞きという形で笹原の耳にも届いていた。
「アームリフトを使っての練習ですね。大会に向けた」
笹原は下に目を向けたまま答えた。
現場で練習しているのを見るのは今日で四度目になるだろうか?
腕の動きを見る限りロボカップでのボクシングを想定したワンツーパンチの練習といった所のようだが、屋上から目を凝らして見ても『必殺技』どのような物なのか解明することはできなかった。
「ああ、噂の必殺技だね。しかし話を聞いた時は驚いたよ、由良君までロボットを動かしてるなんてね。もう、優勝したも同然じゃない。君たち二人に勝てる相手なんていないだろうし」
そう言って老監督官は微笑みかけた。
当然、現場で働いている者たちは笹原が大学の活動で六メートルのロボットを操縦していることも、昨年大会で優勝したことも知っている。
「いえガンさん、彼は対戦相手なんですよ」
「あらま。しかし、それはそれで見物だね。笹原君と由良君、世紀の対決だ。お金取れるよ」
「確かに由良君とやり合うなら、そうでしょうね……」
笹原は視線を下に向けた。
小型アームリフトに乗っているのは莉奈さんの娘で、資格を取ってまだ一月経っていないと聞いている。
上から見るとアームリフトの腕のブレがよく分かった。由良君も何か考えているようだが、彼女の腕が付いてきていない。
噂の必殺技を会得したとしても、これでは他の要素が疎かになってしまうだろう。
アイガが付きっきりで指導しているようだが、順調に成長できたとしてもその技量はアイガの足元にもまだ及ばない。
動かさなければ上達はしない。しかし時間は有限だ。ロボカップ当日まで十日を切ったいま、練習に使える時間は一週間も無いだろう。アイガがどんな魔法を使おうとも、ここからリィを大きくレベルアップさせるのは不可能だ。
これは、この場にいる他の作業員全員に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。
とにかく上達するには時間がかかる。
まあ、二年後、三年後どうなっているかは分からないが――
「素直に由良君が腕を動かしていればこんな博打じみたことをしなくても済んだものを……」
「うん。そうだよね、せっかくの大舞台何だし勝負してみたかったよね」
「あ、いえ……」
隣のガンさんに微かな心情の吐露に頷かれ笹原は気恥ずかしさで口ごもった。
その反応を前に、老監督官は楽しそうに笑うとヘルメットをかぶり直し立ち上がった。
「さて、仕事に戻るとするかな。――そうそう笹原君、大会は見物させてもらいに行くよ」
笹原もそれに倣い立ち下がると、最後にもう一度階下のアームリフトを見下ろした。
先ほどまで繰り返した必殺技の動きを止めて、いまはアッパーカットの練習をしているようだ。下から上に突き上げる腕の動きがブレているのがよく見えた。
笹原はその動きに溜息と吐くと、猛興味は無いとばかりにそばに停めていた小型アームリフトに乗り込みキーを回す。
シートの真下にあるメインモーターが起動し、その低い唸りが風に吹かれて散っていった。
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