第36話

 ロボカップ本番まで三日となった。

 今日、ロボカップ大会運営から機体チェックの技術者が派遣されてくる。

 それまでの空いた時間もチェックリストを埋めるべく調整作業が行われていた。


 ペースは順調であり、長机に置かれたノートPCの前に座る風根と東の表情もどこか余裕が伺える――かと思いきや、連日の作業とゴールが見えてきたことによる高揚感により薬でも決めているような目つきとなっていた。


 その二対のガンギマリの視線の前でゲインが左腕を天井へと突き上げながら大股で二歩前に進み、そのモーター音と足音がリズミカルに倉庫の中に響かせる。

 ワンテンポ置いた後、脚部操縦席のアイガからこの動きの設定値はこれで良いと通信が入った。


「よっし! 遂に、ようやく一桁突入!」

「ヤッフぅ~!」


 残り項目が九つになったチェックリストを前に風根が拳を何度も突き上げ、隣の東は拳を固めた左腕をグルグルと回す。

 妙なテンションの元で妙なパフォーマンスを披露した後、東がボソリとつぶやいた。


「しっかし何と申しましょうか、かざやん先輩、コレもう『バージョン・9』というより『バージョン・アイガ』って感じっすよね」

「連日、由良っち君好みの機体に仕上げていっているからな。しかし悪く無い響きだ『ゲイン バージョン・アイガ』――各務さん、機体名の変更申請ってまだ間に合うのかな?」

「合う訳ないでしょう。大会は明後日なんですから」


 調整作業を続ける東と各務の無駄話に各務が呆れたように両手を広げた。


「そりゃそうか。じゃあ、来年だな」

『いや止めてくださいよ、こっ恥ずかしい』


 聞こえてきたアイガの心底嫌そうな声が通信機に届き、風根と東は声をだして大笑いし始める。完全にテンションがおかしいようだ。

 ここで『かきくけか』の倉庫前に軽トラックが一台停車しクラクションを鳴らした。


「戻って来たな。作業は一時中断だ」


 風根はゲインの操縦席にいる二人にそう告げると立ち上がった。同時に開け放たれた倉庫の入り口から巽を先頭に大小、様々な大きさのダンボール箱を抱えた会員たちが入ってくる。

 小さな物でミカン箱程度、大きな物はその四倍の大きさがあった。これらの中身はいずれも新調したゲインの外装パーツだ。

 ダンボール箱の数はきっかり二十箱。巽たちは業者から事務局に届いたこれを受け取りに行っていたのだ。

 開封して梱包材の中からパーツを取り出して床に並べ、注文書通りそろっているのかをまず確認していく。

 送られてきた外装パーツは最初からゲインに装着できるような『完成形』ではなく、複数のパーツ――例えば頭部なら五つの、もっとも大きい胸部外装は十二個のパーツをボルトで接合しプラモデルのように組み立てていくようになっている。


 数が多いのでアイガとリィもこの作業に参加。ゲインの股関節部を覆う腰回りの外装、その左側を担当することとなった。パーツの数は七つ。

 各務と華梨がCGデータから作成したコピー用紙三枚からなる組み立て説明書を手に箱からパーツを取り出し数を確認していく。


 強化合成樹脂で製作された外装パーツはどれもアイガの肩幅ほどの大きさで、厚みは三センチほど。そのくせ力を加えても歪むことが無いほど頑丈で、指先で叩くと硬い音がした。

 白く硬いパーツの表面は水に浮いた油を思わせるギトギトとした光沢にまみれている。これはパーツ製造過程で使用された離剥剤が付着したままとなっているためで、これを綺麗さっぱりと拭き取ることが組み立て作業の第一段階であった。


 やり方としては溶剤を染み込ませた布でパーツを磨いていくだけなのだが、これが中々の重労働で、磨き終えたころにはアイガも腕が疲れ手には柑橘系の溶剤の匂いが染みついていた。

 洗面所で溶剤の匂いを洗い流して作業を再開。


 白い新車のような本来の光沢を取り戻した各パーツを組み合わせ電動工具でネジ止めしていく。パーツの精度は注文データ通り完璧に作製されており、この工程は初めて外装の組み立てを行うアイガとリィでも二十分ほどで終わらせることができた。

 パーツの一つ一つは片手で持ち運べるくらいの重さだったが、組み合わせると両手で抱えてもズシリと感じる重量となった。おそらくこの外装だけで二十キロ前後はありそうだ。


 同じような作業時間で他の会員たちも外装を組み上げ、それを倉庫の床の上に整然と並べていく。

 全ての外装が組み上がり、白一色の外装を並べ終わると制作工程の第二段階――ステッカーの貼り付けが始まった。


 丸みを帯びた白い外装に張り付けるステッカーは二種類。

『かきくけか』内で制作した物と、大会運営から送られてきた物だ。


 ゲインの新しい外装の完成図を見ると白い外装の淵にはライトオレンジのラインがアクセントとして描かれている。

 これを透明なステッカーに印刷したオレンジのラインで再現するのだ。


 ガムテープほどの太さのオレンジ線はパーツの淵の形に合わせて印刷されているのでシートから剥がして指定された箇所に張り付けるだけ。

 張り方は外装の表面を濡れティッシュで軽く拭き、ステッカーを置いた後、その上から乾いた布で軽く力を込めてゆっくりと押さえつけていくことで外装に定着させることができるようになっている。

 不器用な者でもシワもなく、埃も入り込むことなく綺麗に張りつけることができる親切仕様だ。


 オレンジのラインで外装にアクセントをつけて、次のステッカーも自作品。背面外装に張り付ける『白瀬大学』と『関節機構駆動研究会』の文字列だ。

 これを張り終わると大会運営から送られてきたロボカップ協賛企業のロゴステッカーの番となる。


 協賛企業――参加校にコックピットブロックを提供しているサワダ技研とロボカップスポンサーのライトブルのことだ。

 ゲインの右肩外装の前と後ろに前者のステッカーを、左肩外装と頭部に後者のステッカーを貼り付けていく。

 これが終わると最後の仕上げ、「衝撃吸収材」を取り付け外装制作は終了となる。


 計二十三枚のそれを胸部外装の先端、両肩の外装の先端など、転倒した際に真っ先に接地するであろう箇所に張り付け終えたところで、巽の携帯端末に連絡が入り、ほどなくして大会運営から派遣されてきた技術者たちが倉庫にやって来た。


 白いつなぎを着た三人の技術者達は二時間ほどかけてゲインのコクピットブロック、各関節部、バッテリーの総電力量などを徹底的にチェック。最後に組み上げたばかりの外装パーツを調べあげ――彼らが大会を明後日に控えたこの時期にまだ機体の調整作業をやっているということに驚くという一幕はあったが、無事大会出場の許可証に判を貰うことができた。


 不備は無いと分かっていても目の前でチェックされるのは落ち着かないのだろう。ゲインが調べられている間ずっと緊張状態だった巽たちも一斉に胸を撫で下ろした。


 そして翌日。ダブルモーターの調整作業が完了。

 チェックリストの最終項目の設定値にOKを出すと、アイガは操縦桿を大きく動かし脚部のモーターを一際甲高く唸らせながらゲインの脚を左、右、と正面に高く蹴り上げ、その後深く腰を落としてから立ち上がってみせた。

 いずれも以前のゲインでは行えなかったアクションである。


 この完成した『ゲイン バージョン9』のデモンストレーションに作業を見守っていた会員たちから喝采が送られた。

 デモンストレーションが終わると風根が立ち上がり調整作業の完了を宣言。その隣で東が最後のチェック項目に丸印をつけ「ちかれました」と机に突っ伏した。


「おいおい、アズミン突っ伏すにはまだ早いぞ。最後の仕上げがまだ残っているんだからな」

「分かっているっすよ」


 ムクリと上げた東の疲れた眼前に風根はサインペンを差し出した。

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