第40話

 ここでアイガとリィのヘッドセットに巽の声が飛び込んできた。


『二人とも聞こえるかい?』

「感度良好」

「よく聞こえていますよ。巽先輩」

『いま係員から、お隣さんの後についてを左側のスロープから広場に入るようにと指示があった。広場に入ったらそこで一旦待機』

「お隣というと――」


 アイガは頭部装着型ディスプレイを目元に巻き付けて首を左へ向けた。

 そこに一回戦の相手となるロボットの姿があった。

 すみれ色の外装に身を包んだ機体ファンシーラビット。六メートルある空想の兎はちょうどキャリアーから地面に脚を踏み下ろしたところだった。


「しっかし凄いモフモフしているよね」


 腕部操縦席から呆けたようなつぶやきが聞こえた。対戦相手のインパクトに中てられているのだ。

 ファンシーラビット。

 全身丸っこいスミレ色の外装で着飾ったロボットで、腹部に大きく白い星が描かれている。そしてその名の通り頭部に取り付けられているのはパッチリしたお目々のウサギの頭だった。

 ショッピングモールで客寄せ使用されていたという、スミレ色をしたウサギの着ぐるみの頭をそのまま取り付けたらしい。まさにファンシーラビット。着ぐるみの持つモフモフ具合いを活かした見た目のインパクトは今大会随一だろう。


 アイガは夜中の内に隣に立つこれに唖然となり、今朝到着したリィもこの奇抜なデザインにポカンとなった。

 これを目にするまで、アイガは上腕部や太腿部の金属フレームが剥き出しとなっているゲインが大会参加ロボットの中で最も目立つデザインだろうと思っていたのだが……。中々どうして、上には上がいる。


 ラビットの動きをディスプレイ越しに追いながら、コックピットブロックの背面ハッチを閉鎖。


 数個の小さなLEDが明滅しているだけの真っ暗闇となった脚部操縦席の中でアイガは操縦桿を操作。シート越しに脚部モーターの振動を感じ取ると、キャリアーからアスファルトの上へゲインを一歩進ませた。

 いざ出陣だ。


 アイガの両目を覆う頭部装着型ディスプレイには『かきくけか』の簡易テント周辺の風景が映し出されている。

 その映像の真ん中を腰にスピーカーをぶら下げた係員が「こちらへ進んでください」と声を上げ、誘導灯を振りながら横切っていく。誘導灯が振られるたびにこちらへ進めという赤い矢印が空中に表示された。


 その誘導表示に従いゲインはファンシーラビットの四メートル後ろをゆっくりと歩いていく。


「うわぁ、歩道に手が届きそうだよ」


 アイガのヘッドセットに腕部操縦席から舞い上がるようなリィの声が届いてきた。同時にキュイ、キュイとイルカの鳴き声のような小さな音も聞こえてくる。

 これはリィの首の動きに合わせてゲインの首が動く音だ。

 リィが楽し気に会場周辺を見渡し、その彼女の首の動きに釣られてゲインもせわしなく首を動かす羽目になっているのだろう。

 何しろリィがゲインの操縦席から倉庫の中以外の風景を見るのはこれが初めてなのだ。


 高さ六メートルという高さから見る景色が、ゲインの歩幅に会わせて後ろへと流れていく。それだけのことが、彼女には未知の体験であり、とても新鮮に感じられた。


 そんな相棒に感化されたようにアイガも視線を動かしてみた。

 高さ約三メートルの位置にあるゲインの腰部に取り付けられたカメラからの映像は鮮明で、テントの奥に伸びる立体遊歩道、そのまた奥にある国際展示場の屋根までハッキリと映し出されている。

 展示場でやっているというゲーム関連の催し物も始まったのだろう。遊歩道を行く人の数は大きく減っていた。


 視界の上部にゲインの胸部外装が黒い影となって映り込んでいたが、これはつばの広い帽子をかぶっているものだと思えば気にならなかった。


 陣取りゲームの並ぶ柱群を右手に、距離を置いてこちらを眺める大学生たちや並ぶ簡易テントの屋根を左手に見下ろしながらゲインを進ませていく。

 高さ三メートルからの視点からみる風景も十分日常からかけ離れたものなのだが、アイガには上ではしゃぐリィほどの感動は湧き上がってはこなかった。


 もしかすると自分は心が貧しい人間なのではなかろうか? ――と、そんなくだらぬことを考えながら緩い下り坂を進み、更地に入ったところで係員から機体を待機させるよう指示があった。


 ゲインと対戦相手のファンシーラビットがその場に並んで待機。二機の前を歩いていたエレクトリカとダブルダッグは第三試合を行うため指定されたスタート位置へと進んでいく。


 反対側のスロープに目を向けると第二試合で勝利したブラスターバトンが自陣のテント前に戻っていくのが見えた。

 更地の中央の溝の方では第一試合、第二試合で敗れたキューティー・キューとハニーハニーの姿がある。あの二機は陣取りゲーム終了後、すぐ行われる順位決定戦のために待機しているのだ。

 この陣取りゲームで敗れた場合、ゲインもあそこで待機することになる。


 ブザーの音とともに一回戦、第三試合が開始。右腕を前に伸ばしながらエレクトリカとダブルダッグが早歩きで柱に向かって進んでいく。


「い、いよいよだね……」


 正面に見えるエレクトリカの動きを目で追いながらリィが声を震わせた。

 間近で行われるゲームと、そこに注がれる周囲の視線に否が応にも緊張が高まっていく。

 この妹の心理にいち早く気づいたのは華梨だった。


『何、らしくない。あんたが緊張するって、お姉ちゃんビックリだよ』

「だってロボカップデビューだよ。一生に一度しかないんだよ。リィだって少しくらい緊張するってば」


 プレッシャーを和らげるようとする姉の軽口にリィは即座に返答。

 彼女の声が『かきくけか』のテント内に設置されたスピーカーから姉のみならず、会員たち皆の耳に届く。

 その声を聴くに姉の軽口は効果てきめんだったようだ。

 華梨は妹の口調に満足したようにうなづくとスピーカー横のマイクに話しかけた。

 

『それじゃ人生一度きりのロボカップデビューに向け、巽会長から二人に一言挨拶してもらうから』

『アハハ、タツからの有り難いお言葉だぞ』

『会長、時間もおしてますから手早くお願いします』


 通信用のマイクは十年近く使用している骨董品ながら高性能だ。なので、ゲインに登場している二人の耳に、周りの茶化すような声と、それをたしなめるような巽の咳払いも聞こえていた。


『と、そんなわけで僕から二人に挨拶――というよりお願いだ』

「お願い……ですか?」

「試合前に喝を入れるとかじゃなくて?」

『そんなに大層な物じゃない。君たち二人が今日のためにどれだけ準備をしてきたのかは理解しているつもりさ。でも勝負事だし結果がどうなるかは分からない。その上でお願いがある。どんな結果になろうと、大会が終わった時、君たち二人が笑顔でいられるよう――全力を出し切り、思うがままに大暴れしてくれ』


 さわやかな声に普段の物腰からは想像できぬ力を込め巽は話を終えた。

 この挨拶でアイガが思い出したのはいつか聞いた、皆を笑顔にできるロボットを創るという巽の目標だった。あの想いが自分たちへの願いの言葉となった。

 なら、こちらの返事は決まっている。


「会長からのお墨付きなら。思う存分ゲインを躍動させてみせますよ」


 アイガが静かに宣言するとヘッドセットの向こう側から「おお!」というどよめきが聞こえた。


「よ~し、リィも張り切って行くよ~」

『はい、リィちょっといいかな?』ここで通信相手が華梨に変わった。『巽会長はああ言っているけど、練習に由良君をつき合わせてきた以上無様なことはできないからね。必ず練習成果を見せつけること。いつかリィが言ったことを今度はあんた自身が実行する番』

「リィが言ってたこと? お姉ちゃんに勝利をプレゼントする――ってやつ?」

『そういえば入会前にそんなことも言ってたっけね。でもソレじゃない。映画撮影の時のこと』

「映画撮影……?」


 リィは思い当たる節が無く本気で首を傾げた。


『由良君がその技術で皆の度肝を抜いてみせるって言ったのよ。その言葉通り由良君はあの場にいた全員の度肝を抜いてみせた。次はアンタがこの場にいる皆、あの観客たち、TVの撮影クルー、この並んだテントに集まる他校の参加者に遊歩道の通行人も含めよう。彼ら全員の度肝を抜いてみせる番だってこと』


 毅然とした華梨の声の向こうから『華梨さん厳しいっすねぇ』という東の声が聞こえた。


「度肝を抜く……。リィにできるかな……」

「できると思うぞ。そのために手にマメ作ってきたんだから」

「そっかドラミングパンチ」

「それに優勝すれば皆、肝を抜かす」


 姉の発破に戸惑うリィにアイガはさらりと言ってのけた。


「なるほど、分かりやすい」


 度肝の抜き方として、これほどシンプルな物はないだろう。

 リィは自身の手の平をしばらく見つめた後、やるぞという決意とともに拳を固めた。


 ここで第三試合が終了。六ポイント獲得したエレクトリカの勝利を告げるアナウンスが場内に流れた。

 係員の指示で一回戦、最後の試合を行うゲインとファンシーラビットが指定されていた陣取りゲームのスタート位置に向かう。


 その途中で試合を制しテントに戻ろうとするエレクトリカとすれ違った。

 デジタル迷彩といわれる白、黒、グレー、三色の四角いドットを散りばめた四角い外装をまとった無骨な外見のロボットだ。

 その腕部操縦者――リィと同じ女性パイロット――がすれ違う時「がんばってね」とリィにエールを送ってくれた。


 彼女に手を振り返すリィを乗せて、ゲインは陣取りゲームのスタート位置へ。到着すると傍らに待機していた小型アームリフトが赤いフラッグを踏切りの遮断器のようにゲインの正面に掲げた。

 言うまでも無くスタートまで待てという合図だ。


 小型アームリフトに乗っている係員はインカムで大会本部と二言三言話した後、アイガたちに二分後に試合開始だと伝えてきた。

 リィはアームリフトに元気よく手を振り応えるとゲインの右側に見える観客席へ目を向けた。彼女の動きに反応してゲインもそちらへ顔を向ける。


 ゲインの右側に広がる斜面には半分に割った丸太をモチーフとしたベンチが何列も設置されており、そこに百人近い観客の姿(この八割以上が大会参加者の身内である)があった。


「あ、お母さんだ!」


 観客席の中ほどに見知った顔を見つけてリィは大きく手を振った。


「って、ガンさんもいるじゃないか」


 釣られて観客席を見たアイガは苦笑しながら娘に手を振り返す莉奈の隣でお茶をすするアームリフト監督官の姿に気が付き驚いた。労監督官は行楽気分でにこやかな笑みを浮かべながら緑茶で喉を潤している。


「やっぱり俺と覚先輩を見に来たんだよなぁ」

「何だか、ますますカッコ悪いとこ見せられなくなったね」


 母親の姿を見て更に気合いが充填されたらしい。そう言うリィの声は朗らかだった。


「それでアイガ君、試合運びはどうするの? 最初からモーター全開?」

「そうしたい所だが、まずは調子を見ながら回していく。ゲインを走らせるのは今日が初めてだからな」


『かきくけか』の倉庫内でダブルモーターをフル回転させたことは何度もあった。

 しかし倉庫を出て広い場所でゲインを全力疾走させるのは今日が初めて。ぶっつけ本番だ。


「本領発揮は三本目を取った辺りからだな。リィはさっき言った通り、右腕を伸ばして機体の中央正面に。まずは左がわに並ぶ柱四本取りにいくぞ。ハンドルの位置は覚えているか?」

「バッチリだよ」


 自信満々にそう答えた後、不安になったのかリィは口の中でブツブツと柱のハンドルスイッチの位置を復唱し始めた。


「時間です!」係員がゲインを見上げながら声を張り上げた。「これよりカウントダウンを開始。ゼロでスタート。ルールにも明記していましたが、フライングするとペナルティで試合時間が二十秒マイナスとなるので気を付けてください」


 係員の説明が終わると同時にガシュンと蒸気の抜けるような音を立てて十六本ある陣取りゲームの柱のハンドルが一斉に回転し頂上部のライトが消滅。

 一回戦第四試合の開始を告げる場内アナウンスが流れた。


 小型アームリフトが掲げていた赤いフラッグを持ち上げてゲインの前を開けるとカウントダウンが始まった。

『――5、――4』とスタートが迫るにつれ鼓動が高まっていくのを感じてリィは深呼吸を一つして、汗を拭い取るように両手をこすり合わせて操縦桿を握り締めた。

『――3、――2』

 アイガはストローを咥えドリンクを一口飲みこんでから操縦桿に手をかけた。

『1――』

 係員がアームリフトに上で立ち上がり右手を掲げ、

『ゼロ!』

 で、その手を振り降ろした。

 陣取りゲームの開始スタートだ。


 フライングを取られないようにあえてワンテンポ送らせて、アイガは操縦桿を一気に押し出した。

 ワンテンポの遅れを取り戻すため最初の一歩を大股で飛び出すためだ。


 ゲイン股関節部の二対のダブルモーターが揃って唸りを上げる。その一際甲高い咆哮に係員がビクリと背筋を伸ばして目を丸くした。


 初めて倉庫の中から解き放たれた喜びに弾けるように、ゲインはその大きく踏み出した一歩をロボカップという舞台に刻みつけた。

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