第28話

 普段感じることは無くとも日常生活をただ送るだけで人は様々な力の影響を受けている。

 重力はいうに及ばず、腕を振り回せば遠心力の、脚を踏み下ろせば地面から力の反発が返ってくる。

 大げさな物言いになるが人は何かをするたびにバランスを崩し、無意識の内に転ばぬようそれを修正しているのだ。

 人が本能として持つバランス感覚、これをロボットで再現するにはどうすればよいのか?


 あらかじめ起こりえる様々状況を想定し、それに合わせた修正動作を一つ一つオートバランサーにインプットしていくしかない。

 そのデータ量は『膨大』などというありふれた一言で済ませてしまえる物ではなかった。


 ロボカップが始まり二十数年。今に至るまでの先達の腐心、苦労話は『かきくけか』の会員なら大なり小なり一度は耳にしたことがある。茅盛などの他校の開発話も会室の棚をあされば誰でもファイルを見ることができる。

 先に述べた通り当時、身長一・五メートルほどの自立行動型人型ロボットを作り上げた『かきくけか』の面々も六メートルの自立行動型ロボットとなると勝手が違いすぎた。


 PC上で動かした仮想モデルの時点で決壊したダムのように二足歩行に関する問題点が溢れ出した時、当時の会員たちは予想はしていたもののやはり魂が抜けたように全員が呆けたそうだ。


 それらの修正作業もとにかく慎重に行われた。何しろ六メートルのロボットである。サイズが大きくなれば大事故に繋がる可能性も大きくなる。

 実機を組み上げる前の下準備として安全に作業を行うための設備を整えるながら、実機をようやく組み下げると、そこからまた新たな問題点が噴出する。

 いたちごっこのような期間は長く、とにかく六メートルあるロボットが脚を一歩踏み出せるようになるまでに膨大な時間と試行錯誤を費やした。


 すり足での歩行を試みて前に出した足につまずくということもあった。わずか二センチの段差を認識できず、一歩も動けなくなるということもあった。


 それらを一つ一つ地道に解決するべく、挙動シミュレーションを新たに作製し直し、脚を一センチ動かしては機体全体のバランスを図りデータ化。姿勢制御のためのあらゆる状況に応じたデータを蓄積していく。

 姿勢を保つための修正動作のデータは坂道や階段の上り下りといった物から、ちょっとした段差につまずくというアクシデント、横殴りの突風にさらされるというレアな状況、アフリカゾウにじゃれ付かれるという冗談で入れた物まで含め実に二百以上に及ぶ。

 データを作り上げるための近道も、打開策と呼べる物も無く、天啓や閃きも無く、自分の背丈よりも大きな金属の手足を動かしての地道なトライ&エラー。横のつながりで他校とのデータ交換を行なってもなお先の見えぬ作業だったことだろう。


 ちなみに、この六メートルロボット仕様のオートバランサーがある程度形になった頃に『ロボカップ』という大会の企画が立ち上がり、企業からコックピットブロックが配布。これをボディとする搭乗型ロボットの制作へと方針を転換することとなり、またもてんやわんやとなるのだがそれはまた別の話だ。


 この当時の先輩達の土台作りがあっていまゲインは誰が動かしてもそつなく歩き、坂道や段差、多少の悪路でもバランスを崩すことがない。いまこの場にいる『かきくけか』の会員達が共に歩んできた大切な物を試合で使わないということに、後ろ髪を引かれる思いを持つのは仕方のない感情だろう。

 しばらく続くかと思われた感傷的な空気を払いのけたのは各務だった。


「はい、ぶっつけ本番に不安を感じるのは分かりますが、そろそろ次に進みませんか? というか、皆してそんな顔していると後輩たちが変な勘違いしてしまいますよ」


 堂々とした立ち振る舞いで集団の中ほどから前に歩み出る声を上げる。彼女の指摘に会員の何人かが気まずそうに視線を泳がせた。

 確かに事情に詳しくないアイガたち高等部の面々からすれば、巽のプランに皆が疑念を抱いているように見えてしまうだろう。


「それに物は考えようという奴では? ロボカップが始まり今年で二十三年目。先輩たちがこの二十年の土台を築いてくれたように、今度は私たちがこの先二十年の土台を築くのだと考えれば、躊躇う理由も無いでしょう。巽会長、続きを」


 各務が皆を納得させて巽に説明の続きを促した。

 巽に協力すると言った以上、改造計画が円滑に進行するように立ち回る。


 巽は各務の気遣いに軽く手を振って応えると、タブレットを操作して会員たちの持つ端末の画面を四項目目に切り替えた。

 ヒザ関節部の図解だ。


 太もものフレームに脛のフレームをはめ込み真横に軸を通して固定。この軸を支点に関節を稼働させるという、今時のロボット玩具の方がよほど複雑な作りをしているくらいシンプルな構造だった。

 巽はタブレットを皆に向けると、関節部に通した横軸の周辺を指差した。


「バランス調整の基本は両脚の位置取りにある。脚の位置修正を操縦者の任意で素早く行なえるようにすることが今回の目的だ。これを可能にするには脚部アクチュエータのモーターを強化しなければならない」


 ゲインの各関節にはアクチュエータと呼ぶ関節を動かすための、人間でいう筋肉に相当するユニットが組み込まれている。

 これは『モ-ター』、モーターの回転を管理する『制御ユニット』、モーターの回転力を手足を動かす駆動力に変える『変換ギア』の三つをセットにした物で、この中の『モーター』をより強力な物――ダブルモーターに作り変えて、アイガの操縦に合うように制御ユニットも再教育するというのが巽の改造プランだった。


 改造プランの中心に位置するモーターだが、ゲインの脚部関節に使用されているモーターは多少の優劣はあれど、どれも型の古い貧弱な物ばかりである。

 その一つ目の理由は、現状ロボット競技において歩くことさえできれば問題は無く、そこまでの脚力は必要としていなかったこと。

 二つ目の理由が高性能なモーターは値段も高いということだ。


 アイガが建設現場で乗り回しているアームリフトのモーターは総じてゲインの股関節に使用されている物よりも強力なパワーを有している。

 小型アームリフトの物でも三倍から六倍以上のパワーが備わっており、これら建設重機のモーターをロボットに転用することも当然可能である。


 しかしこういった強力なモーターが中古市場に出てくることは希であり、また価格も小型アームリフトのモーターで四十万以上し、それらを関節の数だけそろえるなど大学生には到底叶わぬ夢物語であった。


 逆に言えば、潤沢な資金さえあればメーカーから直接新品を買い付けることも可能となるのだが、ロボカップ参加校全体を見渡してもそんなブルジョワは存在しておらず、どの大学も似たような予算額でやりくりしているのが現状であり――そういった理由から、良くも悪くも現状維持で良しとされてきたのが脚部の進歩であった。


 その二十年近く蔓延ってきた因習にメスを入れる。

 巽の瞳には決意がみなぎっていた。

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