第45話
『二人とも、ついさっき相手の射撃が終わった。白二枚、青二枚の百四十点。アクセルを除いたここまでの平均点だね』
華梨がコックピットの二人に対戦相手エレクトリカの射撃結果を知らせてきた。
『あとリィ、海側は試し撃ちの場所よりも風が強いらしいから気をつけて』
こちらの情報は先に競技を終えたチームから流れてきたものだ。大会参加校の拠点となっている簡易テントは吹き抜けなので当然そこで交わされた会話などは意識せずとも聞こえてきてしまう。何気ない会話も一分足らずで広まるだろう。
「了解だよ、お姉ちゃん」
リィは操縦席からテントに向かって小さく手を振った。
その小さな笑顔を海からの強い風がしかめさせた。目を細めて海を見る。空は抜けるように蒼いというのに海からの風は強い。潮風が前髪を乱し、潮の香りで鼻腔をくすぐっていく。ここに来てリィが潮の香りを意識したのは初めてのことだった。
アナウンスが最後に『射的』を行うロボットの紹介文を読み上げる中、ゲインが射撃の開始地点――溝の向こうに並ぶ四枚の的の一番左はしの前に立つと客席から拍手が起こった。
ゲインの紹介を読み終えた場内アナウンスが間を置かず競技開始五秒前からのカウントダウンを開始。
競技を行うゲインのために観客たちが静まると、汽笛の音が風に乗って聞こえてきた。
カウントゼロで競技開始のブザーが鳴ると、リィは剥き出しの腕部操縦席に吹き付ける風を顔で感じ取りながらエアガンを持つゲインの右腕を操作し、的へ向けて初弾を放った。
ペイント弾は的の中央から逃れるように緩やかに曲がりながら的の白い部分に命中。
『白瀬大学、ゲイン、第一射、四十点』
場内アナウンスによりゲインの得点がコールされると客席から形式的な拍手が巻き起こった。
同じタイミングで『かきくけか』陣営も湧き上がった。
「よっし! 幸先いいっすよ!」と、東が拳を突き上げたのを皮切りに他の会員たちも思い思いのガッツポーズ決めて盛り上がる。
風根はもちろんのこと、余り感情を露わにしない巽も気づかぬ内に拳を握り固めていた。
「皆さん喜びすぎでしょう。まだ初弾ですよ」
そう苦言を呈する各務も口元がニヤけているように見えた。
彼らの中で唯一喜びを顔に出していないのは「良かった、外さなかった」と、妹が失敗しなかったことにホッと胸を撫で下ろす華梨のみだ。
「コレ、マジでいけるんじゃないか?」
現実味を帯びてきた「決勝進出」の四文字に会員たちは色めき立っていた。
対戦相手であるエレクトリカの得点が百四十点。
ゲインが残り三枚の的で百点以上取れば勝ち抜けとなる。赤、白、青と色分けされた的の点数は六十点、四十点、三十点。
六十点貰える的の中央に一度でも命中させることができれば、後はそつなく的に当てていくだけで決勝進出だ。
もちろん的を外す可能性だって十二分に残っている。
しかし会員たちは皆、緒戦を華麗に勝ち抜けたことも手伝ってか、あのゲインがミスする場面が想像できなかった。
次の二発目が的の中央に命中したなら彼らは決勝進出が決まったように喜び合うことだろう。
「はしゃぐにはまだ早いと分かっちゃいるんだが、何かフワフワして落ち着かねぇな」
「僕もだ。ミトのアクセルとゲインが当たると思うと背中がザワザワする。こんな気分も久しぶりじゃないかな」
巽や風根たちですらもこの満ちた雰囲気に中てられたらしく、二人はそろって期待を込めた視線をゲインに向けた。
その期待の視線を集めるゲインの操縦席でリィは思わず天を仰いだ。
「あ~もうチョットだったのに!」
悔しがっている理由は一枚目の的の真ん中を外したためだ。その悔しさを発散するためか握った両手で自身の太腿をポコポコと叩く。
ここまで競技を行ってきたロボット同様にゲインの得点がコールされると会場中から拍手が送られたが、リィの耳には余り届いてはいなかった。
「いやリィ、一枚目でこれなら上出来だぞ」
と、アイガは四十点をいう結果を受けて立てたプランを手短に説明した。点数が同じならば競技時間の短い方が勝ちとなるという『射的』のルールに乗っかった物だ。
「そ、そっか、同じ点数なら早く終わらせた方の勝ちだった。えっと……相手のタイムってどのくらいだったっけ?」
この問いに答えたのは自身の携帯端末で相手の競技時間を測っていた東である。『エレクトリカは三分四秒で射撃を終了。きっちり計っておいたっすよ。つまり三分内に四枚目の的に弾を当てればウチらの勝ち』
「――と、そういうことだ。残りの三枚で百点獲得すればOKだ。慌てず、騒がず、正確に、次に行くぞ」
「了解!」
相変わらず気が回るとアイガは東の抜け目の無さに感心しながらリィに指示を出し、リィは気合を入れ直した。
アイガはゲインを蟹のように横歩きさせて二枚目の的の真正面、一枚目の的と同じ距離、同じ角度の立ち位置に移動させた。
ゲインは右腕を真正面に構えたまま動かしていないので、風に変化が無ければトリガーを引くだけで発射されたペイント弾は一枚目と同じ箇所に着弾するだろう。
この『射的』で脚部操縦者のできることは無いと思われていたが、次の的へ移動する速さはアイガの操るゲインが相手よりも数秒上回っていた。これは地味ながら大きなアドバンテージだった。
リィは右側から吹き付ける風に変化が無いことを確認すると、タブレットの映像を見ながら素早く狙いをつけて二発目を発射。
その次の瞬間、獣が唸るような音とともに風が広場を駆け抜けた。
ここまでにない強烈な風はリィの髪をかき乱し、広場に積もった砂を巻き上げながらペイント弾の軌道を大きく捻じ曲げた。
風はロボカップ会場全体に吹き付けた。参加校にあてがわれた簡易テントは風を受け流す構造をしていたが、フチの部分がバタバタと大きな音を立て、下に集まる学生たちを騒然とさせた。
客席にいた観衆たちも突然の風に思わず目を閉じたり、顔を背けたりと競技中のゲインから目を逸らしてしまう。
彼らが二発目の結果を知ったのは無情ともいえるアナウンスが流れてからのことだった。
『白瀬大学、ゲイン、第二射、無得点』
アナウンスが少し遅れて流れたのは大会運営も何が起きたのかを一瞬理解できなかったためだろう。
しかしルールはルールだ。
客席前の掲示板に『0』の文字が表示されると操縦者の不運に観衆から同情の溜め息が漏れた。
「え? え、えぇ……!?」
強風をまともに受けたリィも一瞬目を閉じてしまったため何が起きたのか理解できなかった。いや、理解したくなかったと言った方が正しいかもしれない。
「いまのは単なるアクシデントだ。ミスでも何でもないしまだ挽回できる」
リィに呼び掛けながらアイガはゲインを三枚目の的の前に移動させる。挽回できるとは言ったが、そのの内心は穏やかではなかった。考えていたプランが崩れ去り慌てふためいていたといっても良いだろう。
(ヤベェことになったぞ……)
風を受けないコックピットブロックの中で、アイガは二発目の一部始終を目撃していた。
風の鳴る音が小さく聞こえると、溝にたまっていた海水が波打ちゲインの放ったペイント弾の軌道が大きく不自然に折れ曲がり、的が描かれた四角い衝立ての左隅に当たってその中身をぶちまけた。衝立ての端から四方に飛び散る緑の飛沫までもがよく見えた。
弾の異様な曲がり方で強い風が吹いたことはすぐに理解できた。
「タイムリミットまでまだ時間はある。とにかく焦らず、風の勢いが弱まるまで待とう」
リィにそう呼び掛けながらアイガはこのヤバイ状況を切り抜けるため脳みそフル回転させ始めた。
◆
「あ~! もうっ何でこのタイミングでっ!」
風を受けてパタパタと音を立てるテントのフチとゲインを交互に見ながら東が悪態をついた。
テントに設置したスピーカから『風が弱まるまで待とう』というアイガの指示が聞こえてくる。
巽と風根、華梨と各務が互いの顔を見合わせた。彼らの表情は一様に暗い。
「確かに時間ギリギリまで待ってみるしか手は無いだろうが……」
絞り出すような声で風根がつぶやいた。
「でも時間をかけると同点での勝ち抜けが無くなってしまう」
「クソっ、何だってんだ。もう少し後から吹きゃいいモンを……」
風根は忌々しそうに海の方を睨み付けた。
他の会員たちも風が収まらないかと海の方を見つめている。
対戦相手エレクトリカの得点が百四十点だということを踏まえ、後攻であることの利を活かし同点での勝ち抜けを狙いにいくというアイガの提案した作戦は、もちろん確実に勝ち抜ける保証は無いが、勝率自体はかなり高い作戦だった。
同点で良しという言葉はリィの抱えていたプレッシャーも軽減させており、あの時点で実行するにはベストな物と言っても良かっただろう。
それがこの風の乱れで瓦解した。
その不安定な風の中、三枚目の的の前に移動したゲインはエアガンを構えたまま微動だにしない。風が収まるのを待っているのだ。
スピーカーから時々『早く止んでよ』『本当に収まるのかな』というリィの悲痛なつぶやきが聞こえてくる。彼女のパートナーであるアイガは最初に待てと指示したきり沈黙したままだ。
こうしてゲインが動かなくなってそろそろ一分が経過しようとしている。
巽は時間が無為に過ぎ去る音が聞こえたような気がした。
「風が止んだとしても同点での勝ち抜けは難しいかもしれない……」
巽が東の方を見るとゲインが競技を開始してからもうすぐ二分が経つと返事が来た。彼が言わんとしていることは全員が理解していた。
相手と同じ百四十点で勝ち抜ける条件は相手よりも早く『射的』を終えること。
最後の四発目が的に命中もしくは外れた時点で競技終了とみなされる。
相手の競技時間『三分四秒』よりも時間がかかった場合は百四十点以上の獲得が求められる。
「つっても残り二枚の的から百四十点以上取る方法なんて一つしかねぇだろ」
「二回でど真ん中六十点を撃ち抜くこと……最悪、この不安定な風の中で」
巽がそう言った次の瞬間、風がビュオォと唸りを上げ強風を真正面からモロに顔に受けた会員たちの何人かが声を上げて顔を背ける姿が見えた。
「こんなの無理だろ!」
風でテント内に飛ばされてきたコンビニのビニール袋を足で踏みつけながら風根がぼやく。
確かにこの不安定な強風の中で射撃経験など碌に無いリィが狙った箇所を精確に撃ち抜くことができるとは誰も思っていなかった。
熟達した射撃種でもぶっつけ本番で成功させることができるのか疑わしいレベルのミッションだ。仮にアイガが腕を担当していたとしても試射無しでは不可能だと断言していただろう。
マグレと幸運に期待するより風が止まるのを待つ方が成功率はまだ高い。
「会長、風はしばらく収まりませんよ」
各務がツカツカと巽たちへと歩み寄り手にしたタブレットを差し出してきた。
画面にはこのロボカップが行われている鶫南港埋立地周辺の気象情報が表示されている。
「予測ではこの風、あと三十分は止まないと」
「はぁ?」
巽と風根が一斉に画面をのぞき込んだ。各務の言った通り、会場周辺には風速五メートルから十三メートルの風があと最低三十分は吹きすさぶため注意が必要となっている。
この情報が会員たちに広まるとテントの雰囲気が一変した。
「天候で成績に影響が出るってのは実際のスポーツなんかでも見かけますけど、これは無いでしょ……」
誰かがそうボヤいた。
先ほどまでのイケイケムードが嘘のように消え去り、皆が肩を落とし何とも言えぬもどかしそうな表情で俯いた。
「一回戦突破でつい欲が出ちまったが……、ままならんモンだ」
風根がパイプ椅子の上にドカリと腰を落として大きな溜め息をついた。
低いながらもまだ勝ち抜く可能性は残っているが、皆を鼓舞すべき立場である巽も何と声をかければよいのか分からず口をつぐんでしまっている。
風根の言葉通り、全員が本気で勝てると期待――いや、確信していた反動は思いのほか大きかった。
「いま二分三十秒が経過。試合時間の半分が過ぎたっす……」
この重苦しい雰囲気の中で時間を計測していた東が止めとなりうる一言を言い放つ。
肩を落としていた巽が首を軽く振り顔を上げた。
「とにかく、風が止まないことを二人に伝えよう」
「それなら私が」と、華梨が小さく手をあげた。
「お願いするよ。あと一つ伝言を付け加えてくれないかな。残り二発をちゃんと打ち尽くして競技を終えたら、どんな結果になろうと胸を張って戻ってくるようにって。何かミスをしたワケじゃないんだ。俯く理由はどこにも無いよ」
「分かった」
華梨はニコリと笑い設置していたマイクに手を伸ばした。
リィの奴一か月は引きずりそうね――そんなことを考え、華梨はマイクを前にどう話を切り出したものかと頭を捻った。
言葉に詰まったのは彼女だけではない。他の会員たちも互いを元気づけようとは思うのだが、何を話せば良いのかが分からなかった。
そんな形容し難い雰囲気の中、「おっし!」と手を鳴らして己を奮い立たせたのは風根だった。
「決勝か、三決かは分からんがまだゲインには一仕事残っているんだ。全員そろってンな顔していたら運の方が逃げちまう。ホレ、とりあえず残り二発がど真ん中に当たるよう全力で――って何だ、ゲインが動き出したぞ!?」
「全力で神頼みだ」という風根が口にしようとした冗談は、ふと目に入ったゲインの動きで遮られた。
動いたといっても三発目を撃ったわけではない。三枚目の的の正面から海側――四枚目の的の方へと歩き出したのだ。
ゲインは四メートルほど歩きそこで脚を止めた。
通信用マイクを手にしていた華梨が何があったのか聞こうとする前にスピーカーからアイガの声が飛び出した。
『巽先輩、運営にルールを確認してほしい。大至急!」
焦れてはいたがその声はまだ死んではいなかった。
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