第46話

「ルールの確認ってどういうこと?」


 名を呼ばれた巽より先にマイクを手にしていた華梨が聞き返した。


『ここ以外の場所、つまり的のすぐ近くまで行って撃っても構わないかどうかです。前に見た資料じゃ射撃位置は決まっていなかったはず』

「え? すぐ近く?」


 華梨はそばに来た巽と顔を見合わせた。


『ゼロ距離射撃ってんですか? 的にエアガンくっつけて撃てば台風だろうが関係ない。確実にど真ん中を撃ち抜ける。六十点二枚連続で取るにはこれしかありません』


 アイガの声はかなり早口だった。

 巽の頭に再度疑問符が浮かんだ。

 ゼロ距離? 的にエアガンをくっつけて撃つ? 言葉の意味は分かるがそれを行うためには当然そこまでゲインを移動させなければならない。


 どうやって的の近くへ行くのか?

 長さ二百メートルあるこの大きな溝を回り込む? いや、いくらダブルモーターで強化したゲインの脚力でも残り時間内に間に合わない。

 溝を渡ろうにもそこに溜まった海水の深さは二メートル近くはある。ゲインが脚を踏み入れた瞬間、電気系統がショートし足首が動かなくなるだろう。その辺りのことはアイガも理解している。

 となると、残る手段は――

 巽はアイガの考えていることにピンときた。


「由良君、幅十二メートルだぞ?」

『俺は小腕で幅七メートルの溝を。そしてゲインの脚力はあれより上です』


 アイガが何をしようとしているのかを察して会員たちもハッと顔を上げた。


「あっしが聞いてくるっす!」


 東がサッと手を上げると、巽の返事も待たずに運営のテントに向かって走り出した。突如湧いてきた希望に顔をニヤつかせながら。


                  ◆


 白瀬大学のロボットが河口を飛び越えようとしているいう情報は瞬く間に他校のテントにも広まっていった。


 茅盛ロボット研究部のテントにその話が伝わると当然の如く部員たちがザワつき始めた。

 彼らにとってもロボットで幅十二メートルの溝を飛び越えるというのは前代未聞のチャレンジだ。それゆえに反応も千差万別。

 安永は手を叩きながら大口を開けて笑い。八車は眼鏡の位置を直しつつ「これはまた……、ぶっとんだことを考えついたものですね」と、所持していたタブレットPCを操作して『射的』のルールを引っ張り出した。


「確かにここ以外の場所から射撃をしてはいけないと明記はされていませんね」

「小学生の屁理屈かって話だがな」

「しかしこの状況を打破する最善手なのは確かですよ。本当にやってのければ文句を言う者など一人もいないでしょうしね。対戦相手も含めて」

「このデータが手に入るんなら、ウチが対戦していても文句はつけねぇよ」

「十二メートルの溝を飛び越えるなんていう脚力データはここ十数年を振り返っても例を見ない希少なデータですからね。サワダも大会を支援してきた甲斐解があったと喜ぶことでしょう。――で、どうです? このチャレンジ成功すると思いますか?」


 八車がそう問い掛けた先にいたのは笹原だ。

 ここまで他のロボットの試合には興味をしめさなかった笹原も、溝を飛び越えるという話を聞いてボコ広場が見渡せる位置まで出向いて来ている。


 ゲインは溝から六メートルほど離れた位置まで移動していた。助走距離を取りやる気満々といった感じだ。

 この吹っ飛んだ逆転策は間違いなく由良君の発想だろう。出来ると踏んだからこそ実行することにしたのだ。

 笹原は少し考える素振りをみせて八車の問い掛けに答えた。


「成功するかどうかは分かりませんよ。いまの時点で断言できることは、もし飛び越えて見せたならその時点で決勝の相手は確定するということだけですね」

「おう! そいつは強敵だ」


 笹原の言葉に安永が食いついた。

 幼馴染である巽のロボットと決勝戦で相見える。そうそう起こりえない楽しそうなシチュエーションを夢想し安永は肩を震わせた。安永は終始楽しげだった。

 ゲインが溝を飛び越えるか否か、金を賭けろと言われたなら安永は期待を込めて成功する方に財布を賭けただろう。


「でもコレ……本当にやらせるんですかネ?」


 ロボ研部員の一人が頬をポリポリと申し訳なさそうに掻きながらボソリとつぶやいた。

 至極まっとうな疑問だろう。

 確かにそうだと部員の何人かが視線を泳がせるようにして簡易テントの一番向こうへ顔を向けた。


「ここで負けても三位決定戦は残っているワケで、リタイアの危険を冒してまでそんな危ない橋を渡ることアチラさんは許可するのかなとは思いますね。水深は浅いので溝の中で転倒したとしてもコックピット内に浸水することは無いでしょうけど」

「ですよね。リスク高すぎますし、失敗した時のことを考えたら……いや、成功したとしても脚への衝撃がハンパ無い」


 八車の言葉に疑問を呈した部員が安心したように頷いてみせた。

 過去のロボカップで競技途中でリタイアしたのは十二年前のマシントラブルによる一件のみ。仮にゲインがリタイアすることとなれば十二年ぶり二件目となる。これは不名誉と言っても良い記録だろう。


「成功すれば英雄、しくじれば道化……。成功したとしても道化になりかねない――巽さんでしたか。部長の友人は賭け事には強い方で?」

「トモちゃんはギャンブルはやらねぇんだよなぁ。さて、どんな決断をするのやら……」


 そうつぶやきながら安永はゲインを見た。

 広場のゲインは両手を降ろし、脚を前後に広げてすぐにでも走り出せるようスタンバイしている。あとは巽からのゴーサインを待つだけだ。

 巽と付き合いの長い安永には彼がどのような決断を下すのかすでに分かっていた。


                  ◆


「巽会長、本当にコレをやらせるつもりですか?」


 大会運営のテントに向かって走り出した東を見送ると、各務が巽の方へ振り返った。

 何を問い掛けようとしているのかは言われずとも分かる。


 揚げ足取り同然のようなこちらの言い分を大会運営が了承したとして、このゲインによる走り幅跳びを本当に実行させるのか?

 巽にも迷いが無いわけではなかった。


 ロボカップは参加したチームはその勝ち負けに関わらず、三種全ての競技を行えるように構成されており、ここで負けたとしてもゲインは『ボクシング』による三位決定戦が残っている。


 決勝進出かリタイアかという賭けに出ずとも、このまま射撃を続行させれば確率は低くとも上手く的の真ん中に当たるかもしれないし、何より次の競技も確実に参加することができる。

 常識的に考えるのなら後者を選択するのがベターだろう。

 しかし――巽はゲインの躍動を見てみたかった。


 巽は簡易テントの下に集まる仲間たちを見回した。皆、巽の決断を無言で待っている。


 ゲインは先輩達が積み重ねてきた土台を元に彼らとともに築き上げた巽の大学生活の集大成であり証でもある。それは彼らにとっても同じで、この場にいる一人一人に機体に対する想いがあるだろう。


 決勝進出という建前があるとはいえ機体が壊れるかもしれぬ賭けを自分一人の意思で決めてしまっても良いものか? それは暴走ではないだろうか?

 もちろん巽がどのような判断を下そうと皆は納得してくれるだろう。ゲインに乗り込んでいる二人もそうだ。

 中止だと言えばアイガはその決定に大人しく従ってはくれるだろうが……。


 巽の脳裏をコックピットブロック内にいる二人の顔が横切っていく。この瞬間、彼の腹は決まった。


「この挑戦、やらせようと思う」


 巽の宣言に会員たちは小さくどよめいた。


「理由は二つある。由良君はゲインの脚力なら可能だと言った。僕も彼と同じようにゲインの可能性を信じてみたい。二つ目の理由はその由良君たちに試合開始前に告げた言葉だ。僕は二人に結果になろうと大会が終わった時には笑顔でいられるよう励めと言った。ここで彼らの提案を無下にはできない。――つまりは僕の見栄と我儘だ。それに皆も付き合ってもらいたい」


 お願いだと巽が皆の前で頭を下げた。次の瞬間、風根が肩を振るわせて笑い出した。


「ハハハ。そういやタツ、一回戦始まる前に何かカッコ良いこと言ってたっけな。確かにあのセリフの後、目先の成績に釣られて止めろなんて言えるわけねぇわ。威厳もクソもあったもんじゃねぇし、先輩の面目も丸潰れだし」

「風根先輩も賛成ですか?」

「おう! 実際、脚の調整をやったのは俺とアズミンだしな。ホント、地味な癖にハゲるんじゃねぇかと思うくらい体の節々にくる仕事だった。だが、その脚でそんな派手なことをやってくれるなら、ハゲそうになった甲斐もあるってモンだ」


 各務の問いに風根はニカリと並びの良い歯を見せつけた。


「俺もやって良いと思いますよ。一回戦、ゲインが相手に追いつき差を広げていく展開は久しぶりにアガりましたしね」

「そうそう、由良っち君とゲインが失敗するトコ想像できませんしね。次も会場中を沸かせてくれますって」


 他の会員たちも次々に口を開いていく。各務は表情も変えず残った一人に問い掛けた。


「華梨さんはどうです?」

「ん~、私も賛成かな。巽君みたく私も試合前、二人に『度肝を抜いてみせろ』って言っているからね。この度肝を抜く最高のチャンスに水差すわけにはいかないっしょ」

「東さんは聞くまでもありませんから、満場一致で賛成ということですね」

「あれ、各務さんも賛成なんですか?」

「止めさせろなどと私は一言も言ってはいませんが? それに会長には以前言ったはずです。会長が白だというのなら皆の意見も白になるようにバックアップすると。まあ今回、私が働く必要も無かったようですが」


「タツさん!」と、東の叫ぶ声が聞こえた。

 見れば十数メートル向こうの運営テントからこちらへ駆け寄る彼女の姿があった。巽たちが自分に気づいたことを確認すると東は頭上に両手で丸印を作ってみせた。

 巽は反射的にマイクの方へ振り替えると、アイガに向けてゴーサインを出した。


「オッケイだ、由良君!」残り時間は一分を切ろうとしている。彼らの背中を押すように巽はもう一度叫んだ。「さあ、会場の度肝を抜いてやれ!」


『了解!』


 自信に満ちた一言を発してゲインが弾き出されように駆けだした。

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