第47話
会場の端っこで待機していた中型アームリフトが、幅跳びに失敗した時にゲインを改修するため大会運営からの指示で起動。
ほぼ同時に巽からの合図でゲインも動き出した。
観衆たちの視線が注がれる中、ゲインは許可が出る前に取っておいた溝のフチまでの六メートルの助走距離を大股で走っていく。
巨体が踏み鳴らす足音よりも、関節部のダブルモーターの駆動音の方がはるかによく聞こえた。
操縦桿をリズムよく動かすアイガのヘッドセットにリィの声が届いた。少し慌てているような感じだ。
「アイガ君、残り一分切っちゃってるよ」
「平気だ。三十秒あれば釣りがくる。リィのやるべきことはさっき言った通りだ」
「合図でエアガンを真正面に構える。大丈夫だよ」
「その後すぐに衝撃に備えろ。くるぶしまで水に浸かることになるからな」
幅十二メートルの溝を飛び越えて、そこから起きることはアイガからすでに説明を受けている。リィは「了解!」と小気味の良い返事をし、決勝進出のためのやるべきことに集中するため押し黙った。
幅十二メートルの河口を飛び越えるコツはモーターの回転力にあると、アイガは両方の操縦桿を交互に一定のリズムで動かし始めた。段階を踏んでモーターの回転数をベストのタイミングでピークに持っていくためだ。ベストのタイミングとは踏み切り時である。
物理法則などという知識はろくに有していなかったがどうすれば六メートルある巨体を溝の対岸まで跳躍させることができるのかは長年培ってきた経験が知っていた。
走り幅跳びでいう踏切板は溝のフチ。そこで両脚四機のダブルモーターをフル回転させて跳躍させる。
そのタイミングを合わせるため、アイガは三段跳びの要領でゲインを前進させた。
ホップ、ステップ、ジャンプの三段跳びだ。
モーターの回転数は七十パーセントで右脚を振り上げてホップ。
九十パーセントの回転数でステップ。ゲインが二メートル先の溝のフチ、踏み切り板目掛けて高く跳び上がり――そしてジャンプ。
一メートルほどの高さに浮いたゲインが空中で素早く両脚を揃えると、その両脚を勢いよく振りおろした。振りおろした先は溝のフチ。
ギターを乱暴に掻き鳴らしたような轟音を鳴らしてゲインの両ヒザ、両股関節に仕込まれた四組のダブルモーターが百パーセントの回転力で河口のフチを蹴り上げ六メートルの巨体を対岸へ目掛けて飛翔させた。
跳躍すると同時にゲインは正座するように両脚を折り曲げて少し前傾姿勢を取る。
海水を溜め込んだ溝の上に機体が躍り出るや、「本当に飛んだぞ!」とギャラリーが一斉に驚きのどよめきを上げ――彼らは水面の二メートル上をいく機体の落下点を瞬時に予測する。
放物線を描いて溝の上を跳ぶゲインの落下点は対岸ではなくその二メートルほど手前。つまり溜まった海水の中だった。
「駄目だ」という悲鳴が会場のそこらかしこで起こる。
誰もが次に起こる惨事を想像して身構えた。我がことのように頭を抱える者もあった。目を覆う者もでた。そんな彼らの目の前でゲインが着水の瞬間、両脚を上げ、海面へと勢い良く振り下ろした。
バシャン! と、無駄な足掻きに見えたその両脚が派手な水音を鳴らして海面を蹴りつける。
そして舞い上がる水飛沫とともにゲインが再度対岸へ向けて跳躍した。
ホップ、ステップ、ジャンプ、からの再ジャンプ。
溝に溜まっていた海水を足場にして六メートルのロボットは再び宙を舞った。
このイリュージョンのような再跳躍に何が起きたのかと観衆たちがどよめき我が目を疑った。
巽や風根、華梨たちですら理解が追いつかず呆けたような表情をみせた。
ゲインの踏み込みでかき回された溝の水面が大きく波打ち、無数のあぶくとともにイリュージョンのタネが頭を覗かせた。
「冷蔵庫……だよな?」
「業務用の物ですね」
風根が半笑いの状態で、各務も真顔で硬直する。
東も、他の会員たちも同じような表情で凝り固まった。
会場中の視線を集め、海面から姿を覗かせたのは幅、奥行が一メートルある大型の泥に塗れた冷蔵庫だ。不法投棄された物だろう。
アイガは海面から見えるこの物体に気が付いていたのだろう。だからこそ溝を飛び越えるという発想が出てきたのだ。
ゲインの第二の足場を務めた冷蔵庫はほんの一瞬水面にたゆたい沈んでいった。
同時に溝を跳び越えたゲインが右脚から対岸に着地する。その直前にアイガが叫んだ。
「リィ、いまだ!」
待ちかねた合図を受けて、リィの腕が反射的に動いた。エアガンを持つゲインの右腕を真正面に向け、すぐさま衝撃に備えるためシートの背もたれを抱えるように後ろへ両腕を回す。直後に着地の衝撃が彼女のお尻をシートから数ミリ浮き上がらせた。
衝撃の次に感じたのは傾きだ。
右脚から着地したゲインはその右脚を滑らせるようにして六メートルの巨体を予定通り左側へ大きく傾かせていく。
アイガから事前説明は受けていたものの、機体の天辺に位置する腕部操縦席から感じる横転速度はジェットコースターのように感じられた。
リィの口から悲鳴が漏れかけた瞬間、ゲインが左側に横転。操縦席の四方からエアバッグが噴出。
ズン! という重い音とともに機体の左肩外装が地面と最初に接触し、そこに取り付けていた衝撃吸収材が作動する。
破裂音が鳴り地面と左肩周辺に自壊し粉塵となった吸収剤がもうもうと舞い上がる様は、白い雲が膨れ上がったかのように見えた。
左肩に取り付けられた三つの衝撃吸収材は自らの仕事を完璧にこなし、一トンをこえる巨体が固いコンクリートの上で横転したにも関わらず、外装には小さなヒビ一つ走らなかった。
溝を飛び越えた際、着地でかかる脚部関節への衝撃を和らげるため、ワザと機体を横転させて左肩外装に取り付けた衝撃吸収材に脚への負担を肩代わりしてもらう。
それがアイガの立てたプランだった。
衝撃吸収材とエアバッグが手を結び、操縦者へ伝わる衝撃は完全にシャットアウトされた。想像していた衝撃を全く感じなかったことにリィが気づいたのは、エアバッグが収縮して元の場所に収まった後のことだ。
「撃て、リィ!」
ヘッドセットからの声で彼女は我に返った。横転した機体の中で自身も横倒しになっているため操縦桿を見失い探すのに少し手間取った。
照準用のタブレットを見るとそこに映っているのは一面の赤。
それがカメラに大写しになった的の中央部分だと気づいてリィは飛び上がらんばかりに驚いた。
「うっそぉ!?」
体が横向きでシートベルトに固定されていなければ本当に飛び上がっていたかもしれない。
エアガンを正面に向けて横転したゲインの上体は三枚目の的の真正面に位置しており、その右腕に握り締めた銃口は的の中心を指し示していた。
リィがトリガーを軽く押すだけでゲインの放った三発目のペイント弾は違うこと無く的の中央を打ち抜いた。
「当たったよ! 六十点!」
リィの報告でアイガは操縦桿を動かし始めた。両脚を巧みに動かしダブルモーターのパワーで腹筋運動をするようにゲインの上半身、全身と強引に上半身を起き上がらせると、ゲインを立ち上がらせた。
「大丈夫! 大丈夫です!」
リィが腕を伸ばして、すぐ真上のゲイン頭部に取り付けられた車載カメラに映り込むようにサムズアップした拳を振り回す。
この彼女の声と拳が客席前のモニターに大写しになると堰を切ったように観客や参加チームの面々から拍手と歓声が湧き出した。この一連のゲインのパフォーマンスに対する喝采は場内アナウンスを掻き消すほどのものであった。
液晶掲示板に三枚目の得点が記された。その横にある残り時間は四十秒を切ろうとしている。
その情報がテント入ってきた。
楽勝だ。この試合に関しては。
アイガはゲインを最後の的へと進ませた。操縦桿から伝わってくる右脚の動きに異変を感じ取りながら。
◆
「決まりですね。決勝の相手は白瀬です」
「アハハ、すっかりこの場の主役だな」
三枚目の的を撃ち、ゲインが立ち上がるのを見て茅盛テントの安永が楽しそうに手を打ち鳴らした。
厳しい目つきでゲインを見据える八車とは対照的な反応だ。
周囲を見れば居並ぶテントに集う学生たち皆が安永と同じようにゲインに喝采を送っている。対戦相手であるエレクトリカの製作校ですら同様だ。
目の前で規格外のパフォーマンスをみせた機体の各種データはまた一段階、自分達の機体をレベルアップに導いてくれるだろう。これはロボット制作という自分達の活動に新たな可能性を提示してみせたゲインに対する称賛であった。
安永は笹原の方へ振り返った。
「強敵だぞ覚、何か策はあるか?」
「策も何も……ヤスさんだって気づいているでしょう。もう万全じゃない」
「着地したときだな? 右脚で地面を蹴りつけた風に見えたが……股か? ヒザか?」
八車が携帯端末をゲインの右脚に向けて観測用アプリを立ち上げた。
「ヒザですね。確かに右脚のヒザ関節がわずかに歪んでしまっています」
アプリの計測によるとゲインの右脚のヒザがくの字になりかかっている。
よく観察しなければ肉眼では気づけない程度だが。
「あのルーキー君、ミスするようには見えなかったが」
「あのジャンプで唯一あった不確定要素が良くない方向に傾いたんですよ」
「不確定要素……あの足場にした冷蔵庫ですか?」
「由良君の考えていた以上に不安定だった――何かに乗り上げていたのかも? その為、再ジャンプで機体がわずかに右側に傾いてしまった。それなら右側に転倒させれば良かったんですが……」
アイガは自らが立てた計画のためゲインを左側に転倒させる必要があった。
そのため右に傾いたゲインを強引に、右脚で地面を蹴りつけることで左側に横転させてみせたのだが――結果この一瞬、一トン以上ある機体の重みと着地の衝撃が右脚一本にかかり、ゲインは右脚に爆弾を抱えることとなった。
決勝を前にしてのライバルの負傷に安永が残念そうな溜息を吐いた。
「流石のルーキー君も空中じゃどうしようもなかったか」
「あれはおそらく『チクワ』が破損してメインシャフトに荷重がかかり始めていますね。決勝に出てくるとしても売りの脚力は半減したようなものです」
「トモちゃんのロボットとは、できりゃベストの状態でやりたかったんがな……」
「ヤスさん、ベストでも変わりはありませんよ。確かに由良君は凄い。もしこれにプロがあるならスカウトがブリーフケースに札束詰め込んで殺到するでしょう。決勝の競技が走り幅跳びなら向こうが圧勝していたところだ。でも最後はボクシング。そして彼が動かしているのは脚であり腕じゃない。由良君のパートナーを蔑む気はありませんが差は明白です」
「まあ、確かにな」
後輩の言葉に安永も同意する。思い上がりのようにも聞こえる笹原の言い様だが純然たる事実であろう。
この会場内にいる学生たちに「笹原とリィ、どちらの操縦技術が上か?」と問いかけたなら全員が笹原を指差すのは間違いない。
もう興味はないと笹原はフィールドに背を向けた。
その彼の背後でゲインの決勝進出を告げる大歓声が沸き上がった。
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