第42話

「ほう!」


 と、ガンさんと呼ばれている老監督官がポンと膝を叩いたのはゲインが二本目の柱のスイッチを入れる直前の事だった。

 隣に座る莉奈がその仕草に反応した。


「どうしました。リィが何かミスを?」

「そうじゃありませんよ。リィちゃんは腕を上下にしか動かしてませんから――むしろこのゲーム中あの子がミスすることは無いと思いますよ。ほらモニター観てください」


 観客席の左側には試合の進行状況を表示している大型モニターが用意されており、ちょうどいまその画面には、ハンドルスイッチに手を伸ばすゲインとファンシーラビットがリプレイ映像が流れている。


 なるほど、左から上にぎごちなくカーブを描くように動くファンシーラビットの右腕に対し、ゲインの右腕は少し下に動いただけだ。


「確かにガンさんの言った通りですが……」

「由良君が伸ばしたロボットの腕に合わせて立ち位置を調節しているんですよ。要するにリィちゃんのために横軸を合わせてくれている。彼女が腕の高さ調節をするだけで済むようにね」


 リィが行う作業を簡略化するために、ゲインの伸ばした腕が柱のスイッチの真上か真下になるようにアイガが職人芸ともいえる操縦でゲインの立ち位置を調節しているとのこと。


「ロボットの腕の位置は初めに指定していたんでしょうね。まあ、由良君なら機体に伝わる振動だけで腕がどう動いているのかくらいは把握してのけるだろうけど」


 ガンさんは楽しそうに独自の考察を付け加えた。


「確かにアイガならそれくらいはやってのけるでしょうが。言葉にされると……つくづくとんでもねぇ奴だな。――しかし、アイガが凄いのは分かりますが、ソレに何の意味が?」

「まず、リィちゃんへのサポートでしょうね」

「確かに腕を上下するだけならミスも減りそうですね」

「それに加えて、技術を持つ自分がサポートしていると常にメッセージを送ることにもつながるね。むしろこっちが目的かな? 僕にも経験があるけど、資格取り立ての頃はべテランがフォローについてくれるだけで安心感が段違いなんだよね」

「プレシャーを無くせば、ミスも無くせる。ミス無く食らいつき、焦った相手のミスを呼び込もうというのがアイガの考えですか」

「いや、由良君は向こうのミスとか期待していないんじゃないかな――」


 そこで老監督官は言葉を切った。ゲインが三本目の柱に到着したからだ。

 当然、莉奈が注視するのはゲインの右腕の動き。そして隣に座る連れの言葉通り、ゲインは腕をわずかに上に動かしてハンドルスイッチを回転させ始めた。


「ガンさんの言った通りだ……」


 感心しながら莉奈は対戦相手であるファンシーラビットの様子を確認しようとモニターに目を向けた。

 いや、目を向けようとした。

 その瞬間、ゲインがダブルモーター独特の駆動音を響かせ、これまでにない大股で次の柱に向かって一歩を踏み出した。

 ギターを掻き鳴らすようなモーター音に観客席の全員が思わずゲインに視線を向ける。莉奈も例外では無かった。


「これがアイガの切り札か」


 莉奈が思わず腰を浮かした。

 ゲインの脚の動き――脚を前後させる速度が増していた。ダブルモーターによる脚力強化の賜物だ。

 これまでよりも早く脚を踏みだし、力強く地を蹴り進んでいく。素人目にも動きの違いは明らかだった。


 精確なリズムでダブルモーターの駆動音を五回鳴らしてゲインは四本目の柱に到着。

 ミスすることなく十五秒で頂上部のLEDを点灯させて五本目の柱へ向かう。

 この時点でわずかにリードしていたファンシーラビットを追い抜き、五つ目の明かりを点した時には誰の目にもゲインのリードは明らかな状況となった。

 ゲインとファンシーラビット、柱と柱の距離十五メートルを移動する二機のロボットの速度差に、簡易テントに集う大会参加者たちがどよめいた。


 ゲインの加速を肌で感じながらリィは腕の操縦に集中するべくファンシーラビットのことを頭から追い出した。

 興奮した東からの通信でこちらがリードしたことを知った。アイガがミスすることはありえない。つまり自分がしっかりと役目をこなせば勝ちが確定する。


 リィは深呼吸をしながら、自身の左手を右操縦桿の土台に添えた。

 素早く精確な操縦が求められる時、アイガはこのように両手で操縦桿を動かしていた。これはその真似である。

 真似ではあるが効果はあった。


 卒なく六ポイント目を獲得した直後、操縦者二人のヘッドセットに東から『残り三十秒!』と連絡が入った。

 そのまま東は試合終了までの秒読みを開始。

 ゲインは快調に試合を進め、勝負を決定づける七本目の柱を点灯。


 タイムアップを迎えたのはゲインが八本目の柱に向かう途中、対戦相手のファンシーラビットは六本目のスイッチを回している最中だった。

 この六本目はポイント獲得として認められるも、結果は七対六でゲインの勝利。

『かきくけか』は準決勝に駒を進めることに成功した。


                  ◆


「これは驚きましたね」


 茅盛ロボット研究部の簡易テント前、並ぶ陣取りゲームの柱を見下ろしながらそう呟いたのは副部長の八車だった。その隣には大口を開け、手を叩きながら楽しそうに笑う安永の姿もある。


 第一試合を勝ち抜いたアクセルはテント前に停車しているトランスポーターのキャリアーにもたれるようにして直立姿勢をとっている。

 次の試合まで四十分近く間があくので操縦者していた二人も機体から降りて休憩中だ。

 安永は頭部装着型ディスプレイを首に引っ掛け、機体搭乗の際に安全の為に取り付けるセーフティワイヤーを腰に巻き付けた珍妙な格好だ。

 この格好のまま彼は他校の試合を満喫していた。特にゲインの試合では応援に熱が入っていたようだ。


 同じくアクセルに乗り込んでいた笹原はテントの下でパイプ椅子に座り緑茶の入った紙コップを手にくつろいでいる。ここは試合がよく見えない場所だ。

 一回戦を終えてテントに戻ってから、笹原は他の会員たちが行うアクセルのチェック作業――五分ほどで終わる軽い作業だ――加わり、その間もその後も他校の試合はまったく見ていない。

 部長である安永とは正反対の行動といえるだろう。

 そんな後輩に安永が呼び掛けた。


「覚よ、お前も観てみりゃ良かったのに。面白かったぜ」

「勝敗は始まる前から分かっていましたからね。由良君がしくじるわけがない」


 笹原は立ち上がりデコ広場が見渡せる位置まで歩いて行った。

 試合を終えて、テントに戻るため右手のスロープを上っていくゲインの姿が見えた。

 機体の全身を見て注目を集めるのは、やはり膝関節部のダブルモーターだろう。


「モーターを複数使用することで脚力を底上げしてきたようですね。おそらく外装に隠れた股関節も同じ強化を施しているかと。機体改修のテーマはこちらと同じですが手法がまるで違う。かなりユニークですよあちらさんは」


 八車がゲインの両脚に鋭い視線を向けた。


「八ちゃんの見立て通りだろうな。試合を見ていたが脚の運びが他の七機とまるで違う。大股で柱に近づいたかと思えば、そこから数センチ単位で脚を細かく動かして立ち位置を調節してみせる」

「脚の運び……ですか?」

「そうだ。両脚の歩幅を細かく調節してな、柱のハンドルが必ず機体の正面中央に来る位置で脚を止めている。こりゃ腕の操縦者はかなり楽だぞ」


 安永が試合を見ていなかった笹原にゲインの動きを詳しく説明する。


「柱の角を曲がる時にも機敏な脚さばきを見せていましたね。バランス調整のコードを拝見させて欲しい所ですが」

「確かに、柱に肩が当たるスレスレを通り過ぎていたな。センサーをつけるにしたってあの動きはハンパねぇ。バランサーを修正したのか、それとも一から作り替えたのか……。トモちゃん一体何やったんだ?」


 安永と八車はそろって頭を悩ませ始めた。

 ロボカップに参加しているロボットは(ゲインを除いて)『歩行』に関する要素は全てオートバランサーに一任している状態だ。

 脚部操縦者は車のハンドルを操るように進むルートを決めていくが、その脚の運び、歩幅は機体が転倒しないように全てこのプログラムが決定している。

 その恩恵で六メートルの巨体が機体バランスを保ち転倒することなく移動することができるのだが、そのため機体の挙動はどれも画一的となってしまい個性というモノは無いに等しかった。


 何より転倒しないことを最優先としているオートバランサーは融通が利かない代物だ。その影響で小回りなども利きにくくなるため、この『陣取りゲーム』で柱に近づきすぎて距離を取り直したり、行き過ぎたりと位置取りで苦戦しているロボットは一機や二機ではなかった。

 柱の角を曲がる時もそうだ。

 ガツンと柱にぶつけて肩の衝撃吸収材が誤作動を起こさぬように、また衝突で機体バランスを崩さぬようにと、どの機体も柱から距離を開けてドタドタと一定の歩幅を保ちながら歩を進めていくことになる。


 対してゲインは柱と外装が接触するかという距離を一気に駆け抜ける。

 コーナーを曲がる際、コース中央を走るのと、インに張り付いて走るのとどちらが速いかなど説明するまでも無い。

 観客の大半は気づかなかったが手首の回転速度で勝るファンシーラビットのリードを最小限に抑えることができたのは、この「コース取り」という地味な要素のおかげでもあった。


「由良君でしょうね」


 頭を悩ます部長たちに笹原が言い放った。


「由良……、トモちゃんについて来ていたあのルーキー君か」

「制御プログラムの類を解除して、歩行時における歩幅や足先の向き、機体バランスの調整などを全て由良君が行っているんですよ」

「んなことが?」

「余裕でしょう。彼はアームリフトを逆立ちで歩かせることができますからね」

「パねぇな」

「脚部のモーターを増やしているのもこのためでしょうね。アクチュエータのパワーを上げて両脚の敏捷さを底上げしているんです。咄嗟の場合に素早く修正がきくように」


 軽量化のためゲインは大腿部に外装が取り付けおらず内部フレームが剥き出しになっており、両膝のダブルモーターは丸見えの状態だ。

 見る者が見ればそこに込められた意図はすぐに理解することができる。

 熟練したアームリフト操者でもある笹原はゲインの仕様をあっさりと看破してみせた。


「つまり、細かく脚を動かして立ち位置を調節すると同時に機体バランスのわずかなズレを修正――これを全て彼の感覚と技で行っていると?」


 にわかには信じられぬ話だと八車はこめかみを抑えた。

 機体が転倒してしまうほど傾きなら誰が操縦席に座っていても気づくことができるだろうが、わずか数度の傾斜を感じとるというのはかなり異常な感覚だといえるだろう。


 肉眼と変わらぬ視界を確保しているとはいえ、密閉されたコックピットブロック内のシートに座りディスプレイを通して外界を覗き込んでいる状況は、生身で車のシートに腰を埋めているのとは何もかもが異なっている。

 外からの音は絞られ、歓声よりも操縦席近くにあるモーターの唸りの方が大きく聞こえてしまう。肌で風を感じることも無い。モニターを通した映像は現実味を感じさせぬ、どこかフワフワとした感覚を伴っており平衡感覚に殻を被せてしまうのだ。


「もう、舌を巻くしかねぇな」

「でも由良君はそれができるんですよ」


 八車は額に冷や汗を浮かべ、安永は手を叩きながら大笑いする。安永は技術を持つ者が大好きであった。


 彼らの前で第二種目『射的』による順位決定戦が始まった。

 参加する四機――キューティー・キュー、ハニーハニー、ダブルダッグ、ファンシーラビット――の射撃が終わり次第、準決勝の開始となる。

 準決勝参加者たちにも順番にロボットに乗り込み広場に向かうよう、係員から指示が出た。

 準決勝戦で最初に競技を行うのはアクセルだ。


 キャリアーの梯子を伝い腕部操縦席に潜り込んだところで、(だから由良君は脚を担当することになっていたのか……)と笹原は思い至った。

 彼自身も一目置いているアイガの技量をこのように使ってくるとは全くの予想外であったが、これは彼の発案なのだろうか?


 答えを問うように笹原は『かきくけか』のテントの方へ首を向けたが、アイガの姿は見えなかった。


                  ◆


「勝った! やってくれたっすよっ!」


 場内アナウンスがゲインの勝利を告げると同時に『かきくけか』テント内へ握りしめた両手を振り上げて東が駆け込んできた。拳の中は滲んだ汗でびっしょりだ。


「リィちゃん、やってくれたね」


 各務と華梨が互いの手を叩き合って笑顔をみせる。

 他の会員たちも東のように拳を固めて喜びの声をあげるたり、ハイタッチをしたり、ゲインを出迎えようとテントを飛び出したりと様々な形で喜びを表現していた。


 一回戦突破、準決勝進出に沸く簡易テントの下で例外が二人いた。

 巽と風根である。

 互いに戸惑うような表情を合わせて目の前の光景が、このゲインの快進撃が夢ではなく現実なのかを目と目で問いかけあう。

 勝利したという実感がいま一つ湧いてこないのだ。

「やりましたね巽会長」という会員たちからの声や、「おめでとう」という隣のテントからの祝福に二人は現実に追いつけぬという締まらぬ顔で生返事をしてしまう。


 かきくけかの目標である五位入賞。巽や風根が入会する遥か以前からの悲願であったそれがアッサリと達成された。

 呆気無さに戸惑いを隠せなかった。いや、勿論勝ったことは認識しているのだが、本当に勝ったのだろうか? という意味の分からない疑念が頭の中で渦を巻き、霞をかけているような状態だった。


「まだ信じられないな……」

「俺もだ……。試合開始から競ってた時は熱かったんだが……、残り一分を切った辺りからマジかよ? って感じになっちまって」

「うん。呆気無く……なんて言ったら。頑張ってくれた由良君やリィちゃんに失礼なんだろうけど……」


 ゲームフィールドに目を向けると試合を終えたゲインが観客席の前を通りこちらに戻ろうとする途中だった。腕部操縦席のリィが身を乗り出すようにして観客席に手を振っている。テントに設置していたスピーカーからは『やったよ。お母さん!』と可愛らしくはしゃぐ声も聞こえてきた。


「つくづく、俺らって負け癖がついちまっていたんだなぁ……」

「まったくだ」


 風根がうな垂れながら肩を震わせて笑い出した。巽もこの自虐の笑いにつき合い、しばしの間二人はそろって肩を震わせた。


「だが、何にせよこれで一回戦突破。ベスト4だ」

「ああ。準決勝だ」


 一しきり笑いあった後、気合を入れ直すべく互いの拳を軽くぶつけ合わせると二人はテントの外へゲインを出迎えにいった。


 試合開始前に華梨が「度肝を抜いてみせろ」と発破をかけたように、その類まれな操縦技術を存分に見せつけた。

 しかし、会場内は高校生の操るゲインの健闘を称える雰囲気に溢れてはいたが、ゲインの動きがいかにハイレベルだったか気がつく観客はほとんどいなかった。


 アイガが会場中の度肝を抜いてみせるのは次の準決勝でのこととなる。

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