第52話

 笹原と安永、両名に見えるように距離を取りゲインが両腕の構えを変えた。

 両腕のヒジを直角に曲げて両拳を真上に向ける妙な構えだ。


「こいつは……、覚どう思う?」


 これから仕掛けると宣言しているようなあからさまな動作に安永は目を細めた。

 何だこれは? こちらを迷わせるためのハッタリか?

 下から上にアッパーでアクセルの胸部外装を殴りつけると、パンチの種類も教えようとしているかのようだ。

 笹原に問いかけながら安永自身も相手の狙いを見抜こうと思考を巡らせる。


 痺れを切らせたか、腹をくくったのか、それとも悪知恵がまとまったのか――相手の動きに即座に対応できるように、安永は操縦桿を握り直した。

 ゲインが三本目開始から左右に動き続け、中々仕掛けてこなかったのは何故か?

 こちらが仕掛けてくるのを待っていたからなのか、返り討ちを恐れていたからなのか、それとも用意していた作戦に何かしらのアレンジを加えようと考えていたからなのか、さてどれだ?

 安永がこの三択問題を解く前にゲインが突っ込んできた。


 ゲインは両拳を上に向けた構えのまま、アクセルの懐に潜り込むべくフェイントをかけながら接近し、この三本目で何度も仕掛けてきた動きに、安永も慌てること無くアクセルを後退させる。


 その動きに追いすがるようにゲインがアクセルの左側に移動。

 安永が首を振りゲインを視界に捉えた瞬間、ゲインがアクセルの脚を狙いローキックを繰り出してきた。


「足払いだぁっ!?」


 曲げた左足一本で機体を支え、右脚で地面スレスレを勢いよく薙ぎ払っていく。

 この決勝でゲインが初めて見せた予想外の足技に面食らい、安永は反射的にアクセルを後退させた。

 そうはさせぬとゲインがダブルモーターを轟かせて食らいつく。


 そう動くと予見していたようにゲインも即座に動いた。

 せっかく潜り込んだ死角から出る物かとアクセルの左側へ一歩。即座に九十度反転して右側に切れ込みながら大きく腰を落とした。

 二本目の最後と同じ姿勢だ。

 異なるのは腰を大きく落としたゲインの姿が半分、安永のディスプレイにも映っていることだろうか。


 勝負を焦ったか? ――アクセルに密着したゲインのボディに安永は戸惑った。

 ここまで粘った割に、何の変化も見られない二本目と同じ仕掛け方にだ。

 右ひざの歪みが酷くなり勝負を急がざるえなくなったのだろうか。

 少々拍子抜けしつつ、安永はアクセルをトップギアで後退させた。二本目の時と同じように。

 次の瞬間、ガン! と音が鳴り、何かがアクセルの後退を妨げた。

 アクセルの背中が何かにぶつかったのだ。


「何だ?」と安永は思わず後ろを振り返り、すぐに何が機体の動きを遮ったのかを理解した。

 この決勝のリングを作るために並べたスチール製の衝立だ。重い金属板がアクセルの脚を止めた。

 構えを変えてからのゲインの一連の動きは全てアクセルをリング端に追いやるためのものだった。


 脚部操縦者が装着しているディスプレイの映像は機体の腰部前面に取り付けた二台のカメラによるものだ。つまりアクセルもゲインも他の機体も脚部操縦者は皆、正面しか見ることができない。後ろを見ようとしても叶わない。

 思わず振り替えった安永の頭部装着型ディスプレイには『カメラの範囲外』という表示されている。

 ゲインはこの脚部操縦者の死角を突いてきたのだと、安永は瞬時に全てを理解した。

 理解した瞬間、アクセルの操縦席にブーという低いブザーの音が鳴り響いた。

 ゲインが左腕でアクセルの胸部外装の下を殴りつけたのだ。


                  ◆


「ふぃ~あっぶなかったぁ~」


 ゲインの操縦席に一本取ったことを告げる電子音が鳴ると同時にリィは声を震わせた。彼女の泳いだような目線は操縦席の右側一メートルほど先に向けられている。

 そこにスカイブルーの腕があった。


 アクセルの背が衝立てにぶつかる衝撃を感じた瞬間、笹原がそこにあるであろうゲインの胸部外装目掛けてアクセルの左腕を振り下ろしたのだ。

 その拳は真上からゲインの胸部外装――をガードするために動かしておいたゲインの右腕に命中していた。


 アイガがこれから仕掛けると告げてきた時、リィにゲインの右腕を動かすよう指示してきた。笹原の反撃を警戒していたからだ。

「初めからガードしていてはダメなの?」というリィの真っ当な問い掛けにアイガは腕の位置を見せてしまってはその隙間を狙い打ちされると答えた。笹原の技量なら見えなくてもその程度のことはワケなくやってのけると。


 そして笹原はリィの眼前で死角に潜むゲインの胸部外装を精確に捉えてみせた。

 アイガの指示が無ければアクセルがストレート勝ちしていたかもしれない。

 笹原の操るアクセルの腕の動きに自分では対処できないだろう。

 ガードが上手くいったことも運が良かった。もしパンチがガードした腕の位置からズレていたら自分では修正不可能だ。

 笹原の技量に対する驚きと戦慄により、一本取り返した喜びはどこかへ吹き飛んでしまっていた。


 だが、リィの心情がどうあれ一本取り返したことは事実。

 アナウンスがそのことを会場全体に告げ、観客席前のモニター表示が【アクセル 2-1 ゲイン】へと切り替わると会場が沸いた。

 それは『かきくけか』の簡易テントも同様だった。


「本当に一本取り返しやがった!」


 風根が興奮して宙にアッパーカットを放つと、華梨は小さく飛び上がって手を叩きながら喜び、各務ですら小さくガッツポーズを決めてみせた。

 一方の巽は大きく息を吸い込み脱力したように椅子にへたり込んだ。三本目終了間際の数秒間息をするのも忘れていたのだ。

 他の会員たちも様々な反応をみせ皆が単なる一ギャラリーと化していた。

 皆が一しきり喜んだ後、巽は真顔に戻り立ち上がった。


「右脚はどうなっている?」


 この問いかけに風根が慌ててスコープを覗き込んだ。


「ヤバイな……、目で分かるくらいに歪んでやがる。ヒザのアクチュエータはまだ機能しているようだが……」


 風根の額から冷や汗が流れ落ちていく。

 リング内では二機のロボットが互いの開始線へ戻ろうとしており、ゲインは右脚をかばい左脚に重心を載せて歩いている。

 見るだけで痛々しくなるその様から限界が近いことは明らかだった。

 素人目にも異常が起きたことが分かる歩き方だと分かるのだろう。ゲインの右脚の歪みに気づいた観客達が不安そうにザワつき始めた。


 巽もスコープを受け取りゲインの脚の状態を確認する。


「メインシャフトが折れ曲がっているね。右ヒザ自体はまだ動いているから折れてはいないけれど、ヒザが素直に動かなくなり始めているはず……」


 こうなるであろうことは予想していたがいざ目の当たりにすると心がザワついてしまう。巽は動揺を出さぬよう冷静に努めた。

 努めながらこうも思った――もし次の四本目を取り、タイに持ち込んだとしても五本目は無いかもしれないと。


                  ◆


 四本目だ――アナウンスに指示されゲインとアクセルが互いの開始線まで戻り始めると、リィの中で一本取り返したのだという実感と次に繋がったという希望が一気に湧き上がってきた。

 それらの感情がない交ぜになり、彼女を一種の興奮状態に持っていく。


「やった! 凄いよ、アイガ君! 言った通り本当に一本取り返しちゃったよ!」りぃは感じた興奮をそのまま口に出した。「次はどうするの? また同じように潜り込む?」

「いや、あれはもう二度と通用しない――巽先輩、三本目の時間は?」

『場内アナウンスが流れた時点で四分二十七秒。由良君の方は問題は無さそうかい? 右ヒザの状態は?』

「入力からワンテンポ遅れ始めています。操縦桿に伝わるガリゴリって雑音も大きくなってきている」

『メインシャフトが曲がってきているからね。関節部に伝わるダブルモーターのパワーに狂いが生じてきているんだ』

「えぇ?」


 二人のやりとりを聞き、三本目あれだけ動き回っていたゲインの脚がそんなに深刻な状態になっていたのかとリィは愕然となった。

 彼女のシートからゲインの脚を見ることはできない。皮肉めいたことに会場内でゲインの右脚の状態にもっとも疎いのが搭乗者であるリィであった。


「アイガ君、次はどうするの?」

「もう決めている。いよいよお披露目だ。ドラミングパンチ――いくぞ」

「えぇ!?」リィの顔色が変わった。「こ、ここで? アイガ君の作戦てもう無いの?」

「残っているがこれも脚を使う。こいつを先にやっちまうと五本目はもう身動きできなくなるかもしれない。だから脚が動くうちにこっちを先にやっておく」

「でも一度も十回連続で出来なかったんだよ?」

「十回連続でってのはサバ読んだ数だ。同じ動きを五回連続で何度もできるなら、もうその操作は体に染み付いている。変化をつけることだってできる。もうできるんだ」


 リィは青ざめた顔をふせて胸の辺りを押さえた。吸った息がそこで詰まっているような感じがして息苦しい。

 状況的にやらなければならないことは分かる。が、アイガの言うとおりミス無く操作できたとしても、ずば抜けた技量を持つ笹原を欺けるとはとても思えなかった。


 二機のロボットが開始線に戻ると、大丈夫なのか? というざわめきと共に観客たちの目はゲインへと向けられた。

 集まる視線がリィの不安を煽っていく。


 スコアは二対一。ゲインの右脚も限界を迎えつつある。もう後がないという胃がでんぐり返りそうな状況で必殺技を繰り出すことになろうとは……。リィにとって全くの想定外だった。


 ちなみに、では彼女がどんな状況で技を繰り出すことを想像していたかというと、こちらが二対ゼロと圧倒的なリードをつけた最後の一撃――要するに何のプレッシャーも感じることの無い、要するに失敗しても全く問題のない状況だった。

 カッコ良く技を決める所を夢想しながら特訓に励んできたリィであったが、迎えた現実は真逆であった。


 とはいえ、この土壇場で予告も無しに大役を任されたのでは尻込みしてしまうのも当然であろう。

 だからアイガは力強く語りかけた。「もうできるんだ」と。


「緊張とかプレッシャーとかで怖気づくのは分かる。でも覚えておいてくれ、リィはもうできるんだ。操縦桿を動かせばスイッチが入って腕が勝手に動く。両腕が操作を覚えているんだ。ドラミングパンチはベテランの域に入っている。目を閉じていたってコレだけはできる」

「目を閉じて……?」


 このさりげない一言でリィの頭にいつかの光景が蘇った。

 あれはアイガと初めて会った時のことだ。あの時の驚きは今でも鮮明に思い出すことができた。


「あの神技をりぃが……」

「あんなの神技でも何でも無い。言ってたはずだぞ。あんなのは慣れれば誰でもできるって。当然リィにだってできる。心のどこかで自分はもうできるんだと覚えておけば大丈夫だ」

「本当に、リィが……」


 ゴクリとリィはのどを鳴らした。

 ロボットの操縦に関して、リィはアイガのことをどんな神様よりも信じることができた。そのアイガが太鼓判を押してくれている。


 そもそも根っこの所がポジティブなのが彼女の持ち味である。その根から枝葉が芽吹き重圧を覆い隠し始めた。

 この大会が始まった時に感じていた楽しさが、高揚感が、萎縮していたりぃの心の中に蘇ってきた。操縦桿を握る手にも自然と力が込められていく。


 考えてみれば優勝まで後二本。自分の手で一本返してお姉ちゃんたちにトロフィーをプレゼントできたのなら最高の結末じゃないか――心に余裕が生まれれば、こんなちょっとした野心も芽生えてくる。


 リィはわずかに残る手の震えを止めようと両手と渾身の力で操縦桿を握りしめた。

 そのままゲインの両腕を操作してヒジを曲げて両拳を上に向ける。

 三本目の最後で取った構えと同じものだが、今回のこれはドラミングパンチを行うための下準備だ。


 ゲインの両腕が動いたのを振動で感じとり、アイガはリィが腹を括ったことを知った。


「よし、アクセルとぶつかるタイミングは俺が受け持つ。リィは自分の感覚通りにやればいい。周りの度肝を抜いてやれ」

「うん!」


 リィは「左、右、左……」と口の中でつぶやきながら頭の中で操作を反復する。

 残る懸念は笹原を欺けるかどうかだがそこはアイガを信じて、リィは自分の役目を全うすることに意識を集中した。


                  ◆


 アクセルを開始線に戻し、安永は狭い操縦席の中で窮屈そうに腕の筋を伸ばした。頭に巻いたディスプレイの中央には同じく開始線の前に立つゲインが映っている。右ヒザの歪みが大きくなっているのが一目で分かった。


「やれやれ見ているこっちまで痛々しくなってくる」


 ゲインのヒザが上げる軋むような悲鳴がディスプレイ越しに聞こえてくるような気がして安永は体を震わせた。


『安永部長、見事にしてやられましたね』ヘッドセットに八車からの通信が入った。

「警戒し過ぎたかな」

『ですね。で、相手はまた同じ構えを取っていますが――どう見ます?』

「あのヒザの歪みで三本目と同じようには動けねぇだろうが……。まだ何か企んでるわけか」


 ゲインの右ヒザは外側に向けて『くの字』に曲がっている。メインシャフトの内側部分でかろうじて踏ん張っている状態だ。そこも機体の重みにで遠からず破損するのは間違い無いだろう。


『左右の切り替えしが傷口を押し広げましたね。あれでまだ歩いてみせているのは流石と言うべきでしょう。対戦相手の由良君は笹原君の後輩でしたよね? どう来ると思います?』

「八車さんが向こうの脚を動かしていたならどうしています?」

『ふむ――次も同じように動くでしょうか。傷口が広がろうが、左右にフェイントを入れ続けて四本目を取りにいき、スコアをタイにした所でリタイアですね』

「由良君はそんな可愛い考え方はしませんよ。彼は妙な所でクソ真面目だ。必ず四本目を取り返し五本目につなげようとしてきます」

「確かにMVPだけじゃ満足しないってか、そんな感じではあるな」

「おそらく負担を与えないように脚の動きを最小限に……、一本目と同じことをやってくるんじゃないかと」

『開始と同時に突っ込み直前で左右に変化――』

「脚の負担を抑えるにゃそいつがベストだろうな」


 二人の意見に安永も同意した。

 五本目を見越しているとなれば長期戦は避けたいところだろう。では左右どちらへフェイントをいれてくるのか? 右脚への負担を考えるなら左側だろうが、裏をかいてくる可能性も高い。


 安永はディスプレイの左隅に時計を表示させた。四本目開始はもう間もなくだ。

 考えている時間はない――いや、下手の考え何とやらだ。


「よし、こちらからも突っ込んでいくか」


 安永は相手の考えを読むことよりも、こちらから仕掛けて『腕』の勝負に――こちらの得意分野に持ち込むことを提案した。


「悪くないと思いますよ、ヤスさん。相手よりも先に拳を当てれば良いわけですから」

「よしトップギアで突っ込む。後は任せた」


 笹原が自信をのぞかせ、アクセルの動きが決まり――

 四本目開始のアナウンスが流れた。

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