第3話

 中型機の足元に降り立つと少年は腰に取り付けていた命綱を外してリィの方へと歩き出した。

 そのどこかふて腐れた、どこか不満げな顔付きが幼くて、リィは最初自分よりも年下だと思った。

 しかしここでアームリフトを動かしているということは最低でも十六歳のはずだ。


 ヘルメットを首に引っ掛けて、油汚れの目立つ首もとがヨレヨレのTシャツを着ている。下は埃で白っぽくなった紺色のニッカポッカに地下足袋と鳶職のような格好だ。

 小汚い格好だったが少年の顔付きには似合っているように見えた。


「もう時間ですか? 早いんじゃ?」


 少年はリィの元へ来ると少女の方には目もくれず、ブスリとした顔で莉奈に不満を漏らした。


「いんや、時間キッチリだ。お疲れさん」

 あやすように莉奈が返す。


「今月、もうちょっと稼いでおきたいんですけど」

「気持ちは分かるが、少年の労働時間は法できっちり定められているんだ。私も娘二人を養わなきゃならんのでな。両手にワッパをかけられるわけにはいかん。代わりと言ってはなんだが――ほら、リィ」

「へ?」

 莉奈に背中を押されて、リィがポカンとする。

「へ? じゃない。自己紹介だろ。アイガ、いま言った娘の片側だ」


「エヘヘ。鈴那リィ。リィで良いよ。よろしくね」

「由良アイガ。俺もアイガで良いよ」


 それで? とアイガは莉奈に向き直った。


「今日こいつが小腕の資格を取ってきてな、ランクアップを狙っている。とりあえず東門のコンテナを中へ運び込ませようと思っているんだが、それについてやってくれないか? もちろん手当てもだすぞ」


 莉奈は財布を手に取り中から千円札を三枚抜き出した。


「あのコンテナ運ぶだけなら三十分もかかりませんし、そんな簡単なお使いで、そんなに貰えませんよ」

「お前って妙な所でクソ真面目だよなぁ……。ならコイツはどうだ? 耶々カツの優待券だ。これ一枚でカツ丼並がタダ。大盛りならプラス百円で食える」

「そういうのなら。まぁ」

 アイガは薄い優待券を丁寧に折りたたんでからポケットへしまいこんだ。


 小型アームリフトのキーを受け取り、ヘルメットをかぶってアイガとリィは並んで東門へと歩き出した。

 リィは改めて隣の少年を観察する。

 顔付きが幼く自分よりも年下に見える。身長も自分とほとんど変わらない。それでいてあの操縦技術。

 彼に聞いてみたいことは山ほどあった。ありすぎて何から質問してみようかと迷っている内に東門に停めてある小型アームリフトの元に到着した。


 小型アームリフト。

『小腕』とよばれるこの重機は軽自動車の半分ほどの大きさで、車体の高さも二メートルくらい。その両側に長さ四メートルほどの二本腕を備え、蟹のような三本の脚で移動する。

 操縦席はアイガの乗っていた中型アームリフトと違って剥き出し状態になっており、そこに申し訳程度の小さな屋根が取り付けられている。


「運ぶのはあのフェンス沿いに並んでる緑の鉄箱だ」

 アイガの指差す東門のそばにミカン箱くらいの大きさのコンテナが五つ並んでいた。

「資格取ってるなら転がし方は分かるよな? 練習だからオートは無し。全てマニュアルでやる」

「了解しました」

 リィは二カッと笑うとリフトの脚部に脚をかけ運転席に潜り込んだ。制服のスカートを気にする素振りも見せず、目の前で揺れるスカートと白い脚にアイガは慌て視線を逸らす。


 固く色あせた固いグレーのシートに腰を沈め、左右に並ぶ七本のレバーを眺めるだけでリィの気分が高揚していく。

 シート脇の操作パネルにキーを差込みエンジンを起動、その振動をシート越しに感じるとそれは最高潮に達した。


「よぅし、待っててよお姉ちゃん。リィ抜群に上手くなるからね」

 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、リィは手前にある二本レバー操作し小型アームリフトをゆっくりと前進させた。


 アームリフトはどのタイプも歩かせるだけならそう難しくは無い。

 前後左右に動かすことができて、その場を動かずに向きを変えることも可能。

 初心者でも小回りを利かせて動かすことができ、センチ単位での調整も楽に行うことができる。車なら難しい縦列駐車も楽々だ。

 操作レバーも軽い負荷があるものの、リィの細い腕でも重いと感じることは無いように作られている。


 緑色をしたコンテナの前まで『小腕』を移動させて、リィは奥に並んでいる左右のレバーに手を伸ばした。こちらはアームリフトの腕を操作するレバーだ。


「『小腕』八メートルくらい腕を伸ばせるが、最初は腕の長さをいじらず箱を持ち上げてみるといい」

「了解しました~!」

 アイガの指示にリィは唇を軽く舐めながらレバーを握る両手に力を込めた。

 モーター音を低く唸らせながらリフトの角ばった両腕がコンテナを挟み込み、百キロ近くあるそれをゆっくりと二十センチ持ち上げた。


 当たり前の光景ではあるが、これを己の操作で行なったということがリィにはどこか誇らしく思えた。


「よし。慣れる意味で、その動きを何度か繰り返してみるといい」

「わっかりました」

 アイガのアドバイスに従い、りぃは二本のアームでコンテナを持ち上げる動作を繰り返す。それを七回繰り返したところで、ふと先ほどの出来事を思い出した。


 母がアイガの動かす中型機を怒鳴りつけていた光景だ。


 目に見えない位置の物を正確につかみ取る――リィはよぉし! と口の中でつぶやき、そっと両目を閉じた。

 その状態でゆっくりとレバーを動かし、いま七回繰り返した操作を行っていく。


 リィのイメージでは今まで同様、リフトの両腕が挟み込むようにしてコンテナを十数センチ持ち上げていたはずだった。――が、まぶたを開け彼女が見た物は、挟み込むはずのコンテナからかけ離れた位置で空をつかむ二本の腕であった。


「? 何やってるんだ?」

 アイガが怪訝そうに操縦席を覗き込んできた。

「アイガ君、さっきお母さんに怒られてたじゃない? あれって本当に鉄骨を見ないで持ち上げたの?」

「あれか。あんなの慣れりゃ誰でもできることだぞ。操縦席から見えなくても鉄骨はそこにあるわけだし、独りでに動いたりしないからな。それが聞きたくて俺のことジロジロ見てたのか?」

「慣れるってどのくらいかかるの?」

「ん~、そこは個人差じゃないか?」

「アイガ君はどのくらいかかった?」

「六年くらい……かな?」


「六年って……アイガ君って二十歳越え? リィより年上? アイガ君じゃなくてアイガさん?」

「いやまだ十六だって」

「本当に? サバよんでない?」

「こんなトコでサバよんでどうするんだよ」

「む~~」

 リィは唸りながらアイガの全身を観察しなおした。確かに本人の言う通り、どう見ても二十歳以上には見えない。――と、ここでリィはピン! と名案を思いついた。


「そうだ学校! お母さんからここに流れてきたって聞いたけど、アイガ君ってどこの学校に転校してきたの? 行ってるよね? 学校」

「そりゃ高校までは義務教育だし、学校に行っていなきゃ雇ってもらえないからな。……つか、そんなに俺の年が重要なのか?」


 くい気味に顔を近づけてくるリィにアイガは呆れながらパスケースを取り出し、その鼻先に突きつけた。


「ほら、俺のカリキュラムパスだ」


 そこに挟みこまれていたのは免許証大の一枚のカード。カリキュラムパスだ。

 全国の全ての小学生から高校生に配布されている『学生証』で、持ち主の氏名と顔写真、年齢と性別、所属している学校名とカリキュラムレベルが印字されている。

 このパスは二十三歳まで有効であり、これを所有しているということは二十三歳以下の『高校生』ということの証となる。


 これがあれば全国どこの学校にでも簡単な手続きで転入することができ、学校はパスに記載されたカリキュラムレベルに応じた学習を行なうシステムとなっている。


 普通の学生ならば財布やパスケースに入れたままとなり取り出す機会はレジャー施設の受付けか年に一度のデータ更新くらいで、パスも小奇麗なままだろう。


 しかしアイガのそれは角がよれ、フチも手垢で汚れきっており、それがパスの使用頻度――すなわち、この少年の転校手続きの多さを物語っていた。


「ふぇ!? ――って、白瀬付属!? これリィとおんなじ学校だよ!」

 パスの由良アイガという名前の下に記された学校名にリィが歓喜の声を上げた。


 白瀬大学付属高等学部――それがいまアイガが通っている学校である。


「そうなのか? まあ、現場に近くて寮があったからな」

「カリキュラムレベルも十三-七。しっかり授業も受けてるじゃない」

「そりゃあな、あの人事監督官様に成績維持しなきゃクビだって脅されてるからな」

「ああ~お母さんそういうトコ厳しいもんねぇ。――それで、部活と、やっていたりするの? サークル活動とか何処かに所属してたりするの?」

「いや、んな時間あるなら腕転がしにここに来るよ」

「つまり無所属。ならリィの所に来てよ! 大学のサークル……部活扱いなんだっけ? とにかく、高等部の生徒も大歓迎だしきっと楽しいよ!」

「いや、だから……」


 期待通りの返事にリィが勢いづいた。

 アイガとしては会話の流れを予測して予防線を張ったつもりだったのだが、全くの無意味だったようだ。期待を込めて輝く瞳を間近にして反論する気力も萎んでいく。


「はぁ……まぁ、いいか。で、なんて部活なんだよ?」

「かきくけか」

「……はぃ?」

「かきくけか。関節機構駆動研究会の略だよ」

んせつ、こう、どう、んきゅう、い――なるほど『かきくけか』ね……」

「アイガ君なら大活躍間違い無しだよ!」

「大活躍ねぇ……」


 リィが何かを確信したような自信に満ちた笑みを見せる。

 そのいい笑顔にアイガは呆れながらもしばし目を奪われた。

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