第50話

 一本目開始のブザーと同時にゲインがモーター音を轟かせ前へと飛び出した。アクセルも前に飛び出した。

 相対する二機のロボットが互いに相手の方へ駆け出したため、両機が接触するまで一秒と掛からなかった。


「ヤバイ……っ!」


 己の皮算用の甘さをアイガが悟った時にはもう遅かった。咄嗟にゲインの腰を落としアクセルの腕から逃れようとしたが相手の方が速かった。


「ふにゃっ!?」


 虚を突かれる格好となったリィも反射的に操縦桿を動かしてゲインの腕を引っ込めようとしたが時すでに遅し。

 パンチを当てやすくするため前に伸ばしていた双方の腕が交差するや、アクセルの左腕が鞭のようにしなり、その肘の関節でゲインの右手首を挟み込んだ。


 これでは死角に潜り込むことができない――そう判断したリィが反射的にゲインの左腕を動かすことができたのは連日の特訓の賜物だろう。

 しかし操縦桿を押し出した時にはもうアクセルの右拳がゲインの胸部外装を殴りつけていた。


 アクセルの操縦席でピコンという電子音が、ゲインの操縦席でブブーというブザーが同時に鳴り響いた。

『ラウンドワン。ポイント、アクセル』という場内アナウンスがコクピット内にもながれ、その後会場の液晶モニターの表示も【アクセル 1-0 ゲイン】と切り替わった。

 右腕をつかまれたと思ったらもう殴られていた――リィは何がどうなったのか試合の全貌を把握することができなかった。


 アクセルの両腕を巧みに操り同時に異なる動きを取らせてみせた――簡単に言ってしまえば笹原が行ったことはこれだけである。

 とはいえ、この『これだけ』を行うには高い技量と経験が必要となる。

 素人が操縦桿を操り二本の腕で異なる動きを取らせようとしても右が左、どちらかの腕の操作にもう片方がつられてしまうため精確に動かすことは不可能だからだ。


 ほんの数秒にも満たないアクセルの動きで笹原は技量の高さをまざまざと見せつけた。


 試合開始のブザーから五秒も経たぬうちにアクセルが一本先取。

 リィ以上に試合展開が分からなかったのがアイガである。

 外を見るための頭部装着型ディスプレイからはアクセルの腕の動きはまるで見えなかったからだ。

 ただ、アクセルがゲインの腕を挟み込んだ時にガクンという抵抗を全身で感じ取っただけ。直後にクイズで不正解したようなブザーが鳴り、一本目を奪われたことが分かった。


 アイガが理解したのは己の見通しの甘さだけだった。それをほんの一瞬だけ悔やみ、二本目に向けて意識を切り替えた。

 そもそも笹原相手に最初はなからストレート勝ちできるとは思っておらず、何本か取られるのは織り込み済みだったからだ。そういう意味で精神的なダメージは無いに等しかった。


 アイガとリィが一本目の詳細を知ったのはこの後届いた巽からの通信によってであった。


                  ◆


 開始線に戻るアクセルの脚部操縦席で安永が軽く口笛を吹いた。


「驚いたな、覚。お前の言った通り本当に突っ込んできた」

「向こうは関節がいかれかかってましたからね。最初は脚を使わず最小限の動きで一本取りに来ると踏んだだけです。なので、次に由良君がどうくるかは全く読めませんが」


 笹原はゲインの方へ振り返った。茶化すような安永の声が返ってきた。


「とか言って本当は分かってるんじゃないか?」

「本当に読めませんよ」

「なら二本目からは去年と同じ様子見か……」

「ヤスさんが試してみたいことがあるなら付き合いますが?」

「いや、様子見で構わん。俺もトモちゃんが作ったロボットの動きは見ておきたいからな」

「二本目からギアはトップレベルで。こちらも本領発揮といきましょう」

「動揺している内に畳み掛けようってか。いや――」


 安永はアクセルを開始線の位置に立たせて前を見た。

 ゲインはすでに開始線の前でスタンバイ済み。二本目に向けてやる気をみなぎらせている。

(ありゃ全く動じてねぇな)

 相手の肝の据わり具合に安永は素直に驚いた。こちらが優勢などと楽観したなら即座に足元をすくわれそうだ。

 二本目を必ず取り返してやるという、姿の見えぬアイガの決意を感じとり安永は気を引き締め直した。

 頭部装着型ディスプレイが目元を覆い隠していたためハッキリと確認できなかったが、その顔は楽し気であった。


                  ◆


『二人とも大丈夫なの?』


 ゲインを開始線に立たせると華梨の声がヘッドセットに入ってきた。開始から五秒と経たぬ内に一本取られたためか、こちらを気遣う心配そうな声だ。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。ちょっと驚いたけど、まだ一本目だし――だよね? アイガ君」

「もちろんだ。出鼻をくじかれはしたが作戦自体が敗れたわけじゃ無い。相手の出方は確認するが、やることは次も同じだ」

『それも大丈夫なの? 向こうも対策を考えそうなものだけれど……』

「こちらが一番にやらなければならないのは覚先輩の目から逃れることです。アクセルはゲインよりも二十センチほど脚が長く、覚先輩の死角も大きい。ゲインを潜り込ませるには十分なスペースがある」


 これを利用するのが最適手だとアイガは力説した。

 華梨の声の後ろから「なるほどなぁ」という風根の相槌が混じって聞こえた。


 とにもかくにもアイガが最も警戒しているのは笹原だった。

 ここでネタバレをしてしまうと、この決勝戦に際しアイガが考えてきた作戦は全てアクセルの外装周りにできる腕部操縦席からの死角を利用したものばかりだ。

 正面からいくか、真横からいくか、それとも背後に回り込むか? その程度の違いがあるだけである。


『ラウンドツー、スタンバイ』場内アナウンスが流れ、二本目開始のブザーが鳴った。


 ゲインも今度は飛び出さずに、アクセルの出方を伺う。

 アクセルの方は一歩進んで脚を止めた。その動きを確認してアイガはゲインに大きくサイドステップを踏ませて相手の左側へと回りこませる。


 一本目を取られていたため、この二本目は出し惜しみをせずに脚を使うと決めていた。


 ゲインの動きに合わせてアクセルも左を向こうと足の向きを変える。

 その瞬間、ゲインが今度は右側へと大きく回り込むように動いた。左と思わせて右へ行く。フェイントの基本的な動きだ。


 ダブルモーターの唸らせ、アスファルトを蹴るゲインの足元から砂埃が上がる。これが観たかったとばかりに観客席が沸きかえった。


「おぉ! 跳んだ!?」と、頭部装着型ディスプレイからゲインが映像の外へ向けて加速する様に安永も驚きの声を上げた。思わず首をそちらへと向けたがゲインの姿はカメラの外に出たため見えなくなっていた。


 フェイントを成功させたゲインがアクセルの側面に回り込んだ。

 フェイントでアクセルの脚部は出し抜いたが腕の方はこちらの動きを見透かしていた。

 アクセルの腕部操縦席にいる笹原はゲインをしっかりと見据え、伸ばしたアクセルの左腕でこちらを牽制してきている。このまま真っ直ぐ懐に飛び込めばあの左腕の餌食となるだろう。

 死角に飛び込んだところで六メートルあるゲインのボディが消滅するわけではない。


 笹原にとって機体が見えなくとも、その位置にいるであろうゲインのボディにパンチを叩き込むなど容易なことだ。

 なので、ここからもう一度フェイントをかけつつ彼の死角へ潜り込む。

 機体間の距離は約五メートル。


「いくぞ、リィ!」


 相方に一声叫ぶと、アイガはこちらに伸ばしたアクセルの左腕に向けて、ゲインを一歩大きく踏み込ませた。

 一歩目で大きく全身して、二歩目で腰を落とし機体を大きく沈み込ませる。

 自慢のダブルモーターが軋み、右ヒザからが異音を聞こえてきた。

 アイガはそれを無視してゲインを左前方へ更に一歩踏み込ませる。

 機体が前傾姿勢となり、腕部操縦席のリィが小さく声を漏らした。


 突っ込んできたゲインの巨体が沈み込み、アクセルの胸部外装の下に隠れて見えなくなった瞬間、笹原はアイガの意図を読み取った。


「なるほど、そのための脚力か!」


 ゲインは真っ直ぐこちらに向かってきたがもうそこにはいないだろう。甲高いダブルモーターの音がそれを告げている。

 笹原はアイガの考えに感心するも、すんなりとポイントを与える気は欠片も無かった。


 アクセルの胸部外装の下に潜り込んだゲインの操縦席からリィが首を上げると眼前にはスカイブルーの外装が広がっていた。

 この距離で外すなどあり得ないとばかりにリィは打ち合わせ通りに操縦桿をクィと押し上げた。

 だが――


 跳ね上がったゲインの右拳が外装に接触しようとした瞬間、アクセルが大きく跳び退った。

 鋭いモーター音を奏でながら長い脚を振り子のように大きく動かし一気にゲインの射程外へと離脱する。

 その姿にアイガは思わず声を上げた。


「歩幅がでかいっ!?」


 こちらを見失ったアクセルが苦し紛れに後退して距離を取ろうとすることはアイガも予想はしていたし、この試合で見たアクセルの移動速度なら追尾できると踏んでいた。

 その予想を上回る動きをアクセルが見せた。

 間合いを詰めようにもゲインは死角に潜り込むために両脚を折り曲げて腰を落とした体勢だ。これではダブルモーターの突進力は死んだも同然。


 それを見透かしたように後退したアクセルが前進、回避しようと立ち上がりかけたゲインの真横をわずか三歩ですり抜け、すれ違いざまに左腕でゲインの胸部外装を殴りつけていった。


 アイガは言葉を失った。ヘッドセットから届く耳障りなブザーの音と、アクセルのポイント獲得を告げるアナウンスがやけに遠くに感じられた。


「ヤバイ、こいつはヤバイぞ……」


 声にならないつぶやきを漏らすアイガの額を、冷や汗が一すじ流れていった。


                  ◆


『かきくけか』がゲインの脚力強化に挑んだように、茅盛ロボット研究部の面々も将来的にアクセルを時速四十キロで疾走させるために試行錯誤を繰り返していた。

 今回、脚を二十センチ延長し、ギアと呼称する歩幅の調節機能をオートバランサーに組み入れたのもその準備の一環だ。


 アクセル歩行時の歩幅の大きさをS、A、B、C、Dと段階をつけて設定し、それをスイッチ一つで切り替えられるようにしたもので、歩幅の大きさを最大レベルにした場合、五メートルほどの短距離走ならゲインよりも早くゴールに到達することが可能であった。


 アクセルを前進させながら歩幅を大きくしていくことで機体の加速度を測り、データを収集するためのシステムだったのだが、笹原はこれをアイガを出し抜くために利用してみせた。


 一回戦の陣取りゲームでは歩幅のレベルを中間の「B」で、決勝戦の一本目ではその上のレベル「A」と最高レベルの「S」を温存。

 アイガも気づかぬ内にアクセルの歩行速度の限界を誤認させられたまま、勝負の二本目に挑んでしまった。


 相手に翻弄されて終えた二本目の所要時間は約三分。 決勝戦開始から五分は経過しているだろう。

 巽は膝関節のシャフトが駄目になるまでダブルモーターをフル回転させて十分くらいだと予想したが、膝を曲げて中腰の姿勢を保つだけでも脚部関節のモーターを回転させ続けなければならないし、一本終了して開始線に戻る際にもモーターは回転し、シャフトを削り続けている。

 ゲインの活動限界までもう五分残っているのかも怪しい状況だ。

 だというのに、脚を酷使した二本目は何の収穫も無く、ただ限界への導火線を短くしただけで終わってしまった。


 追い込まれ、さすがのアイガも焦りを感じずにはいられなかった。


 会場の液晶モニターに【アクセル 2-0 ゲイン】と表示されると場内は騒然となった。


「ま、まだ大丈夫だよね?」


 観客たちのざわめきに不安を感じたリィはアイガにすがりついたが、返事は予想外のものだった。


「いや、かなりマズイ状況だ。俺は相手のことをまるで理解しちゃいなかった」

「えぇ……」

『由良君、ここに来てどういうこと?』


 リィは顔を引きつらせた。思わず華梨も口をはさんでしまう。


「俺が相手を見くびっていたってことです」


 自分の間抜けっぷりは隠しておきたくもあったが、説明しないわけにもいかなかった。


「相手があんな風に動けるなんて考えてもいなかった。クソ……。そりゃそうだ、前回優勝の機体がショボイわけがない。脚の操縦者だってそうだ。覚先輩ばかり意識してそれ以外をまるで見ていなかった」

『え? えぇっ!? 由良っち、この本番真っ只中でそれっすか?』


 東も顔を引きつらせた。ここに来ての意外過ぎる告白に巽たちも唖然となった。


『いや待て由良君、それは自分を責め過ぎだ。アクセルのスペックなんて僕も聞かされちゃいない。分からなくて当然じゃないか』

『お、おうよ! まだ負けたわけじゃねぇ。こっから全部取りゃあ良いんだ。まずは一本、返していこうぜ』


 巽と風根がアイガを励まそうと声をかけた。戸惑いつつも素早くフォローできるのはある種の年の功のような物か。応えるアイガの声もまだ死んではいなかった。


「もちろんそのつもりです――が、一本取り返すには相手の脚を止めなきゃならない。まず脚の操縦者を化かさなければ覚先輩には届かない。何か……、何か無いか?」

「アイガ君、何かって……、何?」

「脚を止めることに使えそうなモノだ」

「使えそうな……モノ」

『と、言われても……』


 リィは腕部操縦席から、『かきくけか』のメンバーたちもテント前からリング内を見回した。

 高さ三メートルのスチール板で囲われたリングの中は試合前に清掃されており、紙くず一つ転がってはいない。海から吹く風もゴミを運んできたりはしてこない。

 仮に何かしら落ちていたとしても、紙くずや空き缶、バナナの皮を踏んだくらいではアクセルもゲインも転倒したりはしないだろう。

 六メートルあるロボットの脚を止めるにはドラム缶くらいの大きさの物がなければ話にならない。


 そんな都合の良いモノが落ちている訳が無い――アイガはリング内に希望を見出すことは諦め、三本目をどう動いていくのかを思案し始めた。


 その考えが少しも纏まらない内にアナウンスが三本目の開始を告げた。

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