第49話

 ボコ広場の中央に作製されたボクシングのリングは、幅五メートル、高さ三メートルのスチール製の仕切り板を四角く並べた物で、柔道場のような開始戦が五メートルの間を開けて黄色いペンキでペイントされている。

 当然このリングにロープなどは存在していない。

 リング自体の広さは二十メートル四方となっていて、六メートルのロボットが殴り合うにはやや手狭な印象がある。


 そのリング内で三位決定戦が始まり三本目に入ったところでテント前のアクセルとゲインにリングのそばまで移動するように指示が来た。


 ゲインが係員の振る誘導灯に従い歩き始めると参加チームの皆が次々に手を振り激励の言葉を投げかけてきた。

 決勝に赴くロボットへ思い思いの激励や賛辞を送るのはロボカップ決勝戦における通例行事だ。

『かきくけか』のテントは一番端にあるので、並ぶ参加チーム全てのテントの前を横切ることとなり、自然参加者たち全員から応援の言葉を送られることとなった。

「互いに良い試合をして決勝を盛り上げよう」と対戦相手である茅盛ロボット研究部のメンバーもエールを送ってくれた。


 ゲインを送り出す彼らの声に、機上から照れた顔で手を振り応えていたリィだったがボコ広場に入りリングの前でゲインが脚を止めると一気に現実に引き戻された。


「まだ吹いているし……」と、リィはうんざりした顔で海の方を睨み付けた。


 先の『射的』で苦戦する切欠となったあの風は未だ止むことなく海から唸るような音を鳴らしている。


「あれから四十分近く吹き続けているワケか。まあ、ボクシングに風は関係無いしな」

「言ってもアイガ君、こうピューピュー吹かれたら嫌なイメージしか湧いてこないよ」

「奇遇だな。俺もいま占いで大苦戦すると出たところだ」

「占い? ここで?」

「とにかく覚先輩相手に苦戦することは織り込み済みってことだ。それを想定してドラミングパンチ含めて色々と手を考えてきたワケで――っと、思ったよりも早かったな。出番だ」


 アイガの声にリングを見ると三位決定戦が終了したところだった。

 結果は三対一でエレクトリカの勝利。


 リングから出てきたエレクトリカの腕部操縦者が去り際「応援してるよ! 茅盛食っちゃいな!」と、ゲインにエールを送ってきた。

 全ての試合を終えて見せるやり切った笑顔に手を振り返すと、リィは自身の頬をペチンと叩き気合を込め直した。


 三位決定戦を行っていた二機と入れ違うようにゲインとアクセルがリングに入場。

 開始線の前に立ち向かい合うと、会場に設置されたスピーカーから決勝戦の開始を告げるファンファーレが鳴り響き、抑揚のついた場内アナウンスが頂点を競い合う二機の名前を順に読み上げていく。


『茅盛ユニバーサルカレッジ ロボット工学研究部制作。RP-28 アクセル』


 前回王者の名がコールされると参加者たちや観客席から拍手が起こった。それが鳴り止むのを待ちゲインの名がコールされる。


『白瀬大学 関節機構駆動研究会制作。KA-32号機 ゲイン バージョン・ナイン』


 アナウンスが挑戦者の名が読み上げると待ってましたとばかりに大きな歓声が沸き上がった。

 吹きすさぶ風をひるませるかのような拍手を添えた、先のアクセル以上の大声援。


「何が起こったんだ……?」と、このゲインへの声援には巽たち『かきくけか』の面々も戸惑いを隠せなかった。

 もちろんゲインに乗り込んでいる二人も同様だ。


「はへ? アイガ君、何時の間にか人が一杯だよ」


 決勝戦に対する緊張で周りを見ていなかったリィはこの大声援で初めて会場周辺の異変に気がついた。

 大会が始まった時よりも観客の数が増している。

 用意されていた斜面の観客席は埋まっており、会場であるボコ広場を見下ろせる場所には立ち見の人だかり。立体遊歩道の上にもこちらを見物する人の列が確認できた。


 展示場での目的を済ませた行楽客が今度はこちらを観戦しにやってきたのだ。

 そしてそんな彼らがゲインに声援を送る理由はただの一つ。先の『射的』でゲインが見せたあのパフォーマンスだ。


                  ◆


「凄いな。由良君大人気じゃないか」


 アクセル腕部操縦席に座る笹原が感心したようにつぶやいた。冷めた口調がトレードマークのような彼にしては珍しく感情の込められたつぶやきだ。


「そりゃあな。あれだけドハデなことやってみせりゃあ、一見さんのハートはガッチリだろうよ」


 ヘッドセットを通して真下の操縦席に座る安永から楽し気な笑い声が返ってきた。

 アクセル制作に打ち込んできた彼はこの大会で起こる全てを心の底から楽しんでいる。そこに加えて、親友でもある巽のロボットが人気を博していることは彼にとっても痛快なことのようだ。


「ヤスさんは楽しそうですが、おかげでこちらは悪役ですよ」

「なぁに、たまには悪役やるのも乙なモンさ。――で、最初はどう動く? ヒザに爆弾抱えているとはいっても、あのルーキー君が手強い相手だってことに変わりは無いぞ」

「そうですね……」


 笹原は前回の決勝のことを思い起こしながら作戦を安永に伝えた。


「なるほどね。良いじゃねぇか。ギアのランクはDで行くか」

「いえ、その一つ下で良いかと」

「オッケイだ」


 思うようにやれという安永からの許可を得ると笹原は操縦桿を動かしてアクセルの両手を正面へと向けて構えを取らせた。

 右腕をほぼ真っ直ぐに伸ばして左腕を引き気味に構える、この最終競技でパンチを当てやすくするためのファイティングポーズだ。


(さぁて、どうするルーキー君。知っての通りこちらの覚も手強いぞ)


 アクセルの腕が動く振動をシート越しに感じながら安永は頭部装着型ディスプレイで隠れた目を細めた。

 両目を覆うディスプレイの映像はアクセルの腰にある二台のカメラからのもので、見えているのは観客席を後ろにしたゲインの真正面。

 その脚部操縦席に座るアイガの姿が見えないことが安永には残念で仕方が無かった。


                  ◆


「な、何でリィたちこんな人気者になってるの?」


 リィが操縦席の上から落ち着かぬ様子で周りを見渡した。彼女の頭の動きに同期してゲインもそわそわと首を左右に巡らせる。


「さっきの幅跳びが受けたっぽいな。まあ、多少人数が増えたかもしれないが、決勝戦で注目浴びることは織り込み済みだろ? ゲインのカッコ良い所を見せるんだって張り切っていたじゃないか」

「そ、そっか。そうだった」


 脚部操縦席から返ってきた落ち着いた声に安堵の息を吐くとリィは小刻みに震える手でゲインの両腕を前に向けた。

 予想していなかった状況、膨れ上がった観客の数とその注目度にプレッシャーを感じつつ、操縦席から拳が見える位置まで腕を上げる。

 その拳の向こうに、拳を構えるアクセルと腕部操縦席の笹原が見えた。相手は無表情でこちらを見つめている。その無言のプレッシャーにリィは身をこわばらせた。


 鋭角的なスカイブルーの外装を隙無くまとったアクセルと、白い外装を部分的にまとったゲイン。二機のロボットが対峙し、リングへの入口が仕切り板で封鎖されると独特の緊張感が会場内に渦巻き始めた。


 向き合うロボットはともに握りしめた両拳に、運営の用意したクリーム色のオープンフィンガーグローブを装着している。

 グローブの厚さ二センチあるパッド部分にはセンサーが仕込まれており、これを相手の胸部外装か背面外装を押し当てることができればピコンというアラームが鳴り一本となる。

 センサーの感度は高く、互いが同時に相手を殴りつけたとしてもコンマ00秒までの誤差を割り出し、どちらが速かったのかを判定することができる。

 またパッド内部のクッションが殴った衝撃を吸収し尽くすため、相手ロボットの衝撃吸収材を殴りつけたとしても誤作動させることは無い。


 このパッド部分で相手の胸部外装、もしくは背面外装を殴ることができれば一本。

 最終競技のボクシングは時間無制限の五本勝負となっており、三本先取した方が勝者となる。


 大会のルールでは三十分経過で一度バッテリー交換を兼ねた休憩時間が取られることになっているが、そこまで試合が長引いたことはこれまで一度もない。


 目元に巻いたディスプレイ越しにスカイブルーの機体を睨み付けながらアイガは最初の作戦を相方に説明し始めた。


「一本目、開始と同時にこちらから仕掛けていくぞ」

「のっけからドラミングパンチ?」

「いや、そいつはまだ先だ。何のかんの言ってもあれが一番ポイント稼げる可能性が高いからな」

「そうなんだ」

「必殺技だからな。アッパーカットってパンチは分かるか? 最初はそれだ」

「相手の顎目掛けて下から上に突き上げるパンチ……だよね?」

「そうだ。開始と同時にアクセルの胸部外装の下に潜り込み、あの出っ張た水色の外装を下から叩く」


 先のインターバル、前回大会の決勝を見返してアイガはあることに気が付いた。

 前回決勝でのボクシング、三本ストレート勝ちしてみせたアクセルは自分から仕掛けることはなく、『待ち』の戦法に終始していた。


 開始線からも殆ど動くことなく、相手の繰り出すパンチをさばいてカウンターを入れていく。笹原という頭一つ抜けた技量を持つ操縦者がいるからこそ出来た横綱相撲であろう。


「覚先輩なら相手の動き見てから対処余裕だろうからな」

「なのに突っ込んでいくの?」

「だから突っ込むんだ。ゲイン同様、出っ張った胸部外装の下はそこから見えないだろ?」


 リィはゲインの真正面に目を向けた。見えるのは出っ張った白い外装の上だけで、下はアイガの言う通り腕部操縦席から大きな死角となっている。


「そこに潜り込めばこちらの腕の動きがつかめなくなる」

「脚の人が教えるかも?」

「教える前にアッパーカットを叩き込むんだ。操縦桿を軽くクィと上げるだけでいい」

「り、了解――操縦桿を軽くクィっと上げるだけ……と」


 アイガからの指示を受けてリィはタイミングを見計らって操縦桿を軽く上げるだけと、己のやるべきことを口の中で何度も繰り返し、それが二桁になろうかというタイミングで場内アナウンスが流れた。


『ラウンドワン、スタンバイ――ファイブ、フォー』


 事務的なその声にリィはピシリと背筋を伸ばし、アイガは感触を確かめるように操縦桿を握り直した。

 経験者である笹原もスイッチを入れ直すべく静かに息を吐き、安永は――彼だけは緊張の欠片も感じさせることなく「スリ~、ツゥ~」とアナウンスに合わせてカウントダウンを謡っていく。

 鼻歌混じりのカウントダウンをヘッドセット越しに聞かされた笹原が小さく口元を引きつらせたことには誰も気づくことは無かった。


 二機のロボットを見守るギャラリーたちもここから起こることを一瞬たりとも見逃すまいと息を呑む。

 観客席前の液晶モニターに【アクセル 0-0 ゲイン】と【ROUND1】の文字が表示され、戦闘開始を告げるブザーが鳴り響いた。


 待ちわびた瞬間の訪れに観戦者たちが沸き立つ中、風が唸り、二機のロボットが同時に動き出した。

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