第8話
ゲインの操縦席に取り付けられたシートは座り心地の良いエアメッシュクッションと四点式のシートベルトで構成されている。
これはサワダ製のアームリフトにも採用されているタイプでアイガにも馴染みのあるシートだ。
その馴染みの感触に尻を埋めながらアイガは
(これって余ったパーツの使いまわしたなんだろうか?)
とつまらぬことを考えた。
腕部操縦席についたアイガがまず行ったことは、周囲がどの程度視認できるのかの確認だった。
ゲインのボディを人体に例えると腕部操縦席はちょうど鎖骨の辺りとなる。
その位置から周りを見渡すと左右には機体の両肩が、前には安全面を考慮した胸板ならぬコックピットブロックの七十センチ近い厚みがせり出している。後ろも同様。
例えていうなら前後左右にボンネットがある車の運転席に座っているようなもので、操縦席の真下――ロボットの足元を見ることができなかった。
見渡せるのはほぼ水平方向のみで死角部分が多い。
このコックピットブロックは企業のレンタル品だと言っていたので他校のロボットも同じようなものなのだろう。
視界の確認を終えるとアイガはようやく二本の操縦レバーに目を向けた。
シートの両側に半円形のレールが設置されており、その上に五角形の台座がついた操縦レバーが取り付けられていた。
レバーの先端には金具のようなトリガーと赤、青、緑に色分けされたボタンが三つ付いており、台座にも複数のボタンとスイッチ、赤と青のLEDランプが並んでいる。
レバーではなく操縦桿と表現した方がしっくりとくる形状だ。
その操縦桿に手を伸ばそうとしてを台座のLEDが一つも点灯していないことに気がついた。
「ん? ――巽先輩、コレさっき電源が入ったって言ってましたよね?」
「アプリがまだ立ち上がっていないんだ。左の台座の左隅のボタンを五秒長押し。それでコントロールアプリが立ち上がる。――っと、まだ押さないでくれよ。押すのは両側の足場を移動させてからだ。じゃあ、後の会話はこいつで」
巽は装着していたヘッドセットを指先で軽く叩くと下の方に向かって声を張り上げた。「足場頼むっ!」
それを受けて壁際にいた会員の一人が「足場、開きまぁす!」と叫び、太いケーブルの付いたリモコンを操作する。
電車が動き出すような重低音とともにゲインの両側に立つ六メートルの足場が左右に広がるようにして動き出した。
『OKだ。由良君』
足場が壁際で停止するとアイガのヘッドセットに巽からのゴーサインが届く。
アイガはまずアプリを立ち上げずにガシャガシャと操縦桿を動かしてみた。
アプリが立ち上がっていない為か、スカスカした手ごたえだ。
こねるように操縦桿を動かしたり、押したり引いたりしてシートの両側に設置された半円形のレールの上を前後にザーッと滑らせてみる。
操縦桿をクイと持ち上げるとレール自体も三十センチずつ上下にスライドするようになっていた。
このレール上を動かす操縦桿の動きや、レール自体のスライドもゲインの腕の動きに直結しているのだろう。
アームリフトにレールは備わっていないが、操縦レバー全体をスライドして腕の位置を微調整できるようにはなっている。
これは腕の操作をより直感的に行うためのアレンジなのだと、アイガは好意的に解釈した。
二十秒ほど操縦桿をワチャワチャと動かしてアイガはコントロールアプリを起動させた。
言われたボタンを押しこむときっかり五秒でピッと音が鳴り、シートの下からアイガの両膝の前に透明のプレートがせり出してきた。
プレートは手の平サイズで裏側に取り付けた小さな部品と赤い配線が透けて見えた。
何だ? とアイガが思う前にプレート全体が青く光り、その上にワイヤーフレームの左右の腕が映し出される。
「あ、そういうやつか。凝った仕掛けですねぇ」
『先々代の会長がそういうギミック大好きでね。携帯のジャンク品を集めて作っていたよ。見ての通り、今現在のゲインの両腕をモニターしてくれる』
「なるほど」
小型のモニターを視界の隅に置きながらアイガはレールの上を滑らせるように右の操縦桿を前に押し出した。
その動きと同調してゲインが右腕を前へと持ち上げる。
操縦席の真横にあるにも関わらず肩を動かすモーターの音は微風の扇風機のようにうるさく無い。
アプリを起動させた後も操縦桿の感触は軽かった。アイガとしてはもう少し負荷のある方が好みだったが。
モニタ―に表示されている右腕も同じように前に真っ直ぐ伸ばしている。
「遅延は無し。遊びも無しか」
操縦桿を握り締めながらレールを上にスライドさせるとゲインの腕が真上に持ち上がり、操縦桿のみを手前に引くとゲインがヒジを直角に折り曲げる。
操縦桿を奥に倒すとそのヒジ関節も逆方向に折れ曲がっていく。
人間には不可能なロボットだからこそできる動きだ。
「確かにアームリフトにそっくりだ」
操縦席の真正面に見える曲げた腕にアイガの気分が高揚していく。
悪くない。
操縦桿のわずかな動きがダイレクトに反応されている。
自分にとってあつらえた様に扱いやすい機体だ。
アイガはこの四回の操作でゲインの操縦方法の九割近くを把握することができた。
残る一割は操縦桿のボタンとトリガ―である。
アイガは赤、青、緑と色分けされたボタンを順番に押しこんでいった。
赤いボタンを押すとゲインの手首がクルクルと時計回りに回転を始めた。押している間止まることなく周り続ける。回転の速度は速くも無く遅くも無くだ。
青いボタンを押すと今度は反時計回りに手首が回転する。
三つめの緑のボタンは押し込んで何の反応もしなかった。押した手ごたえも、モニター映像にも変化は無い。
『緑のボタンは予備だよ。何か必要な機能ができた時そこに割り当てるための物で、いまの所使う予定は無し。あとトリガ―は引くとゲインがグーを作る」
アイガの行動を見透かしたようなタイミングで巽からのアドバイスが届いた。
「つまり物をつかむ動作ってことですね」
アイガはゲインの両手を操縦席の正面に移動させると、針金で作ったようなトリガ―を人差し指で引いた。
ゲインが伸ばしていた指をガシッと折り曲げて握りこぶしを作る。
トリガ―を引く感触からすると握力は無さそうだ。片手で持ち上げられる重量は三十キロ程度だろう。
アイガはトリガ―を連打し、手首を回転させながらグーとパーを何度か繰り返した。
「巽先輩、これチョキは出せないんですか?」
『今のところはね。試合の種目にジャンケンでも来れば修正を入れていくよ』
「大会……ロボカップでしたっけ? どんなことをやるんですか?」
『ここ数回で必ずあったのはミニサッカーとボクシングだね。去年はこれに書道が加わっていた。来週中には運営局から決定種目の通知が来るはずだよ。まぁ、ジャンケンは無いだろうけど。ボクシングは人気があるから確定だろうね』
「ミニサッカー、ボクシングに……あと書道ですか」
ロボカップという大会のイメージがまるで湧いてこなかった。
湧いてこないままにアイガは操縦桿を動かし、ゲインの動作を自身の感覚に刻み込んでいく。
体操のように腕を伸ばしたまま前後左右に動かしてみたり、ヒジをグネグネと動かしながら肩を回してみたり、そういった動作を二度、三度、操縦桿の動きに変化をつけながら行ったりと、何とも面白みに欠ける動作を繰り返す。
観ている側としては退屈極まりない動きに、下からゲインを見守っていた会員たちがダレ始めた。
「何か地味っすねぇ……」
「鈴那さんが凄いっていうからもっと派手なこと……カンフー映画みたいな動きでもするのかと思ったんだけどねぇ」
頭の後ろで手を組みながら東がつぶやき、隣にいた会員の一人も同意する。
「お前らなぁせっかく見学に来てくれているんだぞ」
「申し訳ないっす。けど、かざやん先輩、リィちゃん彼とパイロット代わるつもりなんすよ? あのラジオ体操に何の意味があるのか分かるっすか?」
「意味か……」
後輩をたしなめる風根だが、本音は彼らと同じで物足りなさを感じていた。
カンフーとまではいかなくても、何かこちらの目の覚めるようなことをやるのではないかという期待もあった。
過去ゲインに乗り込んだ見学者たちは誰一人の例外も無く、操縦桿をガチャガチャと動かし、ゲインの両腕をやみくも振り回すだけだった。 出鱈目な動きでも観る側にとっては十分に面白いものだ。
そういう意味ではアイガは初めてのタイプであった。
意味ね。と風根はもう一度口の中でつぶやいた。
あのニッカポッカをはいた後輩が何かしらの意図を持ってゲインを操作しているのは間違いないはずだが――。
「リィ知ってるよ。あれは慣熟運転。アイガ君が言ってたもの」
「かんじゅく?」
リィに周囲の会員達の視線が集まった。
「慣熟。そういうことか……いやしかし、あんなことで分かるのか? いや、待て――」
風根は慌てたように抱えていたタブレットPCを操作し始めた。端末から伸びる長いケーブルはゲインの背面に接続されたままだ。
そこから手元の端末に風根が呼び寄せたのは操縦ログ、アプリを立ち上げてからゲインのとった動きが逐一記録されているデータだ。
それはいまも増え続け、すでに二百行をこえている。
風根はログを頭から確認し始めた。
「こりゃ慣熟というより性能確認だな」
「性能チェック? たかだか十数分動かしただけで?」
「アイガ君ならできるよ。なんてったって六年やってる大ベテランなんだから」
困惑気味の会員たちの前でリィは自慢げに胸を張って見せた。
そんな機体の下で湧き起こっている困惑を余所に、両腕のできる動きを一通り試したアイガは右の操縦桿を大きく引き絞り、力を込めて一気に前へと押し出した。
「それじゃ仕上げと行きますか」そう言いながら操縦桿を押し出すアイガの動きは渾身の右フックを放つボクサーのようで、彼の動きをトレースするようにゲインも右腕を前方に振り抜いていく。
巨大ロボットの放つ右フックが豪快に機体前方の空気を薙ぎ払うと、そのパンチの勢いに引っぱられるように機体の上半身がグルリと回転。真後ろを向いた所で、ガァン! と衝突音を鳴らして急停止した。
議論を始めていた会員たちの視線がゲインに向き直った。
上半身の軸となるコックピットブロックの操縦席も半回転し、最上部にある腕部操縦席も急停止の衝撃でグラグラと振動する。
「なるほどね」
その揺れる座席の中でアイガは回転する速度を頭に叩き込み、伸ばした腕の位置を視認する。
『由良君、大丈夫かい? 目を回したりしていない?』
「平気ですよ。事前に説明受けていましたから。一応確認しておきたいんですが先輩、いまコイツ真後ろを向いているんですよね?」
『そうだよ。腕と脚の操縦席があるコックピットブロックの上三分の二とそこに接続されているロボットの胸部がきっちり百八十度回転する仕組みになっている。両脚が前を向いたまま胸から上だけが後ろを向いている姿は何度観てもシュールに感じてしまうけどね』
「それは確かに……」
アームリフトならともかく、人型ロボットでやると妖怪じみた姿になってしまうだろう。
アイガも動かしたことのあるサワダ製の中型アームリフトで同じように運転席が両腕と一緒に回転する奴がある。
作業効率化のために備わっている機構だと聞いていたが、それをこのコックピットブロックにも使いまわしているのだろう。
アイガはゲインの上半身を元に戻して気をつけの姿勢にすると巽に試乗終了を告げた。
『動かしてみてどうだった?』
「操作からの反応も素直でタイムラグも感じない。アームリフトとは違う面白さはあるし、何て言うか……ガキの頃、親父に連れて行ってもらったオモチャ売り場と同じくらいの楽しさはありましたね。脚の方も楽しみです」
『そうかい。気にいってくれたなら嬉しいよ』
(風変りな感想だな……)彼の評価を咀嚼しながら巽は足場を動かすよう下に指示をだした。
社交辞令のようなアイガの感想だが嘘ではない。
一通りの動きを試してみたが――自分の好みは別として――特に駄目出しするような要素は感じなかった。
駄目出しどころか知識の無いアイガからすれば、自分達だけで乗り込み操縦できるロボットを製作できるというのは、それだけでとんでもない偉業に思えてくる。
壁際からゲインの両側に足場が移動すると、アイガは腕部操縦席から晴々とした表情で立ちあがった。
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