第9話

 リィの姉、華梨が大きなキャンバスバックを下げながら『かきくけか』の倉庫に戻って来たのは、アイガが腕部操縦席から足場に戻った直後のことだった。


 リィの姉ではあるが、共通点は黒髪と大きな瞳の二点だけ。

 妹にサイドテールに対してこちらは肩まで伸ばした髪をポニーテールにしている。

 年上だけあって妹よりも背が高く、優しそうではあるが芯の強そうな感じを漂わせている。

 大人びた雰囲気の中に面影を感じるもののリィとは余り似てはいない。

 他の会員たちと同様に、大学名の入ったグレーのつなぎを着ているためか色気も感じられなかった。


「なに、見学者?」


 足場の上に見慣れない男子生徒がいることに気がつき、華梨は誰とは無しに問いかけた。そこに大慌てで駆け寄って来たのはリィの友人である高等部の東だった。


「たっ、大変っすよ! 華梨さんっ! リィちゃんが男の子連れて来てっ! しかもその子と代わってパイロットやめるって」


 わずか十メートルほどの全力ダッシュで息をゼーゼーと切らせながら、東は華梨にすがりついた。少し遅れてリィもトコトコとやって来る。


「ほらお姉ちゃん、昨日言ってたアイガ君だよ」

「ああ、アームリフト動かして六年目の大ベテランね」

「いや……だがら、ぞれ…………ゲッホ! ゲッホ!」


 息を切らせながら喋べろうとして東が派手に咳き込んだ。


「アズミン、落ち着いて。深呼吸、深呼吸」

「は、はい。フ、フゥ~」

 華梨のアドバイスで東は息を整える。


「それでどうしたの杏ちゃん?」

「だからリィちゃん、ソレ話盛ってるだけ。彼いくつっすか? ウチらとおない年でしょ? カリキュラムレベルも同じって言ってたすね。六年前ならまだ十歳っすよ。その頃からアームリフト転がしてるって……んなの、ありえないっすよ」

「ん~~、アイガ君の話聞く感じ本当だと思うけどなぁ」

「もうリィちゃん……。華梨さんは変だと思いますっすよね?」

「昨夜、話を聞いて気になる所はいくつかあったけど。とりあえず――」


 華梨がゲインを見上げると コックピットブロックの背面が下に開き、そこからアイガが脚部操縦席へ潜り込む真っ最中であった。


「彼、顔はどうだった? カッコ良い感じ?」

「ソコっすか……」


 風根がタブレットを操作すると蒸気の抜けるような音を漏らしながらゲインの背面、コックピットブロックの後面ハッチが下に開いた。

 それを確認すると風根は再度タブレットを操作し、そこに接続していたケーブルを取り外すと、きっかり一秒後にその長いケーブルは掃除機のコンセントのようにゲインのコックピットブロック下部に巻き取られていった。


 後は足場を壁際に寄せればゲインを歩行させる準備が整う。


「さて、脚の操縦に必要なのがコイツだ。これを装着してからヘッドセットをつけてくれ。その方が安定する」


 そう言って巽がアイガに手渡したのは頭部装着型ディスプレイだった。

 色は白で、両目を完全に覆い隠すねじりハチマキのような見た目をしている。

 目元にくるディスプレイ部分は三センチほどの厚みがあった。


 アイガは所持していないが子供のころ家電量販店でつけてみたことはある。久方ぶりに手にしたそれは随分と軽く感じられた。


 手にしたディスプレイを上から下からクルクルと物珍しげに眺めまわすアイガに巽が微笑みかけた。


「そういうのってワクワクするよね」

「あ、いえ、その……。これガキの時欲しかったんですけど買ってもらえなかったんですよね。お前テレビもゲームもやらねぇじゃねぇかって」

「なら驚くと思うよ。本当に肉眼と差が無いから。操縦席の右側にケーブルが引っかけてあるからそれを右側の端子に接続するんだ。アプリの起動方は腕と同じで、コックピットブロックの開閉はシート左側にレバーで行う」


「わかりました」と巽に手を振り、アイガは開いたハッチを足場にしてコックピットブロック下部にある脚部操縦席へと入り込んだ。

 腕の操縦席よりもはるかに狭い。

 背中を丸め、ハッチと一緒に後方へ倒れた背もたれを跨ぐようにしてシートに腰掛けた。

 巽に言われた左側のレバーを引くとプスーと気の抜ける音がして背面ハッチが閉じていく。

 同時に倒れていた背もたれも起き上ってきたのでアイガはそこにもたれかかった。


「……狭いな」


 脚部操縦席を見渡しアイガはその狭っ苦しさに辟易した。

 送風機でも付いているのか空気が下から上に吹き抜けているのが分かる。

 なので窒息することはなさそうだが窮屈さに息が詰まりそうだ。


 腕の操縦席がドラム缶なら、こちらは教室にある掃除用具入れといったところだろうか。内部照明は足元にあるピンポン玉程の白色LEDのみだが、それで明るすぎるほど。

 シートに座るとすぐ真上に腕の操縦席があるため頭頂から天板までの隙間は数センチ、眼前も操縦者を圧迫するように壁がせり出している。

 壁はクリーム色ののっぺりとした樹脂製で、半円形のレールとそこに取り付けられた操縦桿以外、モニターも計器類も存在していない。

 操縦桿も腕のそれとは異なりボタンは一つも付いておらず、台座部分も色分けされた二つのボタンとピンポン玉ほどの大きさの『トラックボール』と呼ばれる球形の入力デバイスが取り付けられている。


 腕の操縦席と共通しているのはシートとその両側に取り付けられたレール、そして真正面に刻み込まれた『SAWADA』のロゴマークだけである。


 シートの右側の壁にネジ止めされた長さ三メートルほどの細いケーブルがあった。その先端を頭部装着型ディスプレイに接続する。

 アイガがディスプレイとヘッドセットを身につけ準備を完了すると外から足場の移動する音が聞こえてきた。

 その音に被せて巽からコントロールアプリ起動のゴーサインが届く。


 左側の操縦桿の台座にあるスイッチを押してアプリを起動させるとアイガの両目を覆っていた真っ黒なディスプレイに変化が現れた。

 ゆっくり、じんわりと染みが広がるように外――倉庫の入り口の風景が映し出されていく。


「おぉっ!?」

 眼前に広がる鮮明な映像に思わず声が漏れた。

 巽が言っていた通り、肉眼と比べても遜色が無い。

 視野も同等の広さがあって、アイガの首の動きや目線の動きにもしっかりと対応してくれる。アイガが首を右に向ければ映像も右側へ流れ、視線を下に向ければゲインの大きな爪先が見える。

 アイガ自信の肉眼と違うのは視点が地上から三メートルの高さにあるという所くらいだろう。


「こりゃぁ凄い……初めてつけてみたけど本当に自分の目玉みたいだ」

『気に入ってくれたみたいだね。ゲインのカメラがグリグリ動いているよ』

「アハハ、頭に巻いてるベルトの感触が無かったらディスプレイ付けてることを忘れそうですよ。これ、カメラの位置は腰の辺りですか?」

『コックピットブロックの脚の付け根に二機の球形カメラが取り付けてある。由良君の位置から三十センチくらい下になるかな』

「なるほど。この上の方に見える出っ張った影はコックピットブロックってことか」


 アイガ視線を上に向けると帽子のツバのように視界の上半分が黒い影で覆われる。

 腰のカメラの上にコックピットブロックの下の部分が出っ張っているので、そのように見えるのだ。


『本番のロボカップでは外装を取り付けるからそのはもっと大きくなるよ。――しかし落ち着いているね』

「そうですか?」

『見学に来てくれた子はディスプレイにはしゃぐより、まず操縦桿が見えないことに戸惑うんだけどね』


 頭部装着型ディスプレイはある種、目隠しのようなもので当たり前だが装着中、自身の周囲は一切見ることができない。

 つまり脚部の操縦者は手元を見ないで操縦するのだ。


「確かにこれは戸惑うでしょうね」

『由良君は平気なんだ?』

「アームリフト動かす時に手元なんて一切見ませんから。操縦桿さえ握ってしまえばあとはどうとでもなりますよ。アームリフトも脚のレバーはあっさりしてますし、コイツの操縦方法も見当がついています」

『頼もしいね。じゃあディスプレイメニューの説明だけさせてもらうよ――』


 巽の説明とおり操縦桿を握ったまま伸ばした右手の小指の先に台座のボタンがあった。

 押すとアイガの視界の真ん中にメニューウィンドウとカーソルが表示された。

 左手の小指でトラックボールを転がし、カーソルを移動させて右のボタンでディスプレイに付属している各種機能を試していく。


 視界の一部を別ウィンドウでズームしてみたり、顔認識で倉庫内にいる『かきくけか』会員たちの頭部を丸印でマーキングしてみたりと、これらは大昔からカメラなどに備わっているたいして珍しくもない機能だ。

 しかしそのウィンドウやマーカーが肉眼と変わらぬ視界の中にピピピと表示されていく体験は、自分がサイボーグが何かになったようで新鮮な楽しさがあった。


 あれこれディスプレイの機能を試している内にアイガはそれに気がついた。


 後ろを見ることができないのだ。


 後ろを見てみようと体をひねるとゲインの真横を過ぎた辺りで映像が途切れブラックアウトしてしまう。

 そして表示される『カメラの範囲外です』という注意文。


 機体の後ろにカメラが取り付けられていないということは即、理解できたのだがこれは正直興醒めである。


「……先輩、これ後ろは見れないんですか?」

『後方にカメラは取り付けていないからね。ロボカップに出場するロボットは同じ仕様だよ』

「ん~~、でもそれ、後ろが確認できないって危なくないですか?」

「危ないというと、例えば?」

「そりゃあ…………いや、大丈夫なのか?」


 少し思考をめぐらせてアイガは特に問題の無いことに気がついた。

 ロボカップという大会は見たことは無いが、競技中にこの大きさのロボットが競い合う中でその足元に人がうろついているワケが無い。


 公道を歩くことも、アームリフトのように建設現場を闊歩することも無い、ロボカップの後ろが見えないところで何の問題があるというのか?


 いう同サイズのロボットを相手にした競技にしか行なわない機体の高さ五メートル付近に死角があったところで何の問題も無い。

 レーシングカーのようにゲインはロボカップという大会の為に特化したロボットなのだ。

 操縦席からの死角が多かろうが、後ろが確認できなかろうが、全てのロボットが同じレギュレーションで戦う以上何の問題も無い。断言しても良いだろう。


「コンセプトって奴は分かるんですけど……何だか勿体ないなぁ」

『アハハ。こうすれば良いというアイディアがあるなら由良君の入会を待っているよ。ゲインをより良く進化させていくのは君たちの役目でもあるからね』

「あ、いえ、そういうワケでは……と、とにかく歩きますっ!」


 ゲインがゆっくりと歩き始めたのはアイガが脚部操縦席に潜り込んでから十二分後のことだった。

 股関節、膝、足首の各関節のモーターをウィンウィンと鳴らしながらゆっくりとした足取りで一歩、一歩前に進んでいく。

 操縦席に下ろした尻に微かな振動が伝わるものの、六メートルある巨体の割にその足音は静かなもので、むしろモーター音の方がうるさく感じられるほど。

 脚を踏み下ろす衝撃で倉庫内が振動するということも起こらなかった。


 ゲインの足の裏の取り付けてある特殊なパッドが衝撃を抑えているのだとヘッドセットを通して巽が教えてくれた。


 歩行の静かさに驚いたのも束の間、ゲインを三歩ほど歩かせるとアイガの中に期待していたイメージとの齟齬が生まれ始めた。


(あれ? 何だコレ……?)


 アイガの期待に反して、ゲインの両脚の操縦は腕以上に簡略化されていた。

 小型のアームリフトよりも、アクセルを踏めば走りだす乗用車よりもだ。


 二足歩行時の転倒を防ぐため歩く時の脚の運び、脚を上げる高さから歩幅まで、歩くことに関する全ての要素が完全にプログラムで制御されている。


 操縦桿を左右交互に押し出せばそれだけでモーターをリズミカルに鳴らしながらゲインが前に進んでいく。

 勝手に歩いていく――まさにそんな感覚だった。

 

 腕ほどの自由度も無ければ、脚を動かしているモーターのパワーも貧弱だ。

 これでは蹴りはおろか軽いジャンプもできやしない。

 可能なのは早歩きくらいだろうが、それすらもプログラミングされている以上の速度は出せないだろう。


 これでは誰が動かそうと代わり映えもしないし、面白味もない。

 

 脚の操縦イコール機体の制御を一手に引き受ける役目だと考えていたアイガにとってこれは予想外――いや、期待外れと言って良い体験であった。


 結局、倉庫内を十五歩ほど歩いてアイガは脚部の操縦を切り上げた。

 密閉されたコックピットブロックの中、脚部操縦席に座るアイガの表情をもしリィが見ていたなら慌てふためいたことだろう。

 それほどまでに彼はしらけ切った顔をしていた。

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