第20話

 ゲインの足先に四方七メートルの青いシートを広げる作業が終わるのを待って『かきくけか』の経理を担当している各務は巽に問いかけた。


「感圧シートまで広げて、これから何を始めるつもりですか?」

「彼のバランス感覚を測るためのテストだよ」


 巽は茅盛での出来事と向こうのエースである笹原の言葉、それを踏まえた実験内容を説明した。

 巽が気になっていたのは笹原の放った言葉だった。


『操縦技術より何より、由良君が優れているのは空間把握能力とバランス感覚ですよ――』


 このアイガ評の中で巽が引っかかったのはこの『バランス感覚』という言葉だった。

 会合を終えた後、それとはなしに笹原に聞いてみたところ開発工事現場での興味深い一幕を教えてくれた。


「ある時、アームリフト数台を建物の裏手に移動させることになって、由良君は小型アームリフトを担当したんだけど――」


 裏手へは大量の積み上げられた資材を迂回していかねばならないのだが、アイガはアームリフトの車体を垂直に立て、三本ある脚の二本だけを巧みに操作しバランスを取りながら蟹のような横歩きで資材の狭い隙間をすり抜け近道してみせた。


 この時の歩行距離は十メートルあるかどうか。

 笹原は話の最後に、この十倍の距離でもアイガは車体を転倒させること無く歩かせてみせただろうと付け加えた。

 このエピソードをレポーターに話せば良かったのにと巽が指摘すると、笹原は安全第一の現場で曲乗りしてたなんて大っぴらにできませんよと笑ってみせた。


 この話を聞いて各務は呆れたように顔をしかませた。「随分とアットホームな職場ですね……。とりあえず由良君がアクション映画のようなことをやってのけたことは分かりました。アームリフトで二足歩行ができるのならゲインでもという考えも」


 片輪走行で狭い路地を通り抜けるカーアクションを思い浮かべながら各務は準備を行う会員たちに目を向けた。

 ゲインの足元に広げられた青いシートの横で会員の一人が片膝をつきながら、ゲインを真横から撮影するためのカメラを三脚の上に固定している。


「タツ先輩、こちらも準備オッケイっすよ!」


 巽が装着しているヘッドセットから東の声が漏れ聞こえてきた。

 キャットウォークの方を見るとゲインを真正面から撮影するため、携帯端末をテープで手すりに固定する作業を終えた東が巽を見下ろしながら両腕で丸印を作っている。


「しかし巽会長、そう上手くいくのですか? 小型のアームリフトとゲインでは重心位置が大きくことなるのでは?」


 巽はヘッドセットに入る他の会員からも準備完了の報せに応えた後、各務からの質問に返答した。


「すんなりといくのは難しいだろうね。でも試してみる価値はあると思うんだ。データも取れるしね。――よし始めよう。足場移動! 由良君ゲイン起動だ!」


「了解」とヘッドセットに答えながらアイガはゲインを前方に広げられた青いシートの上に進ませた。

 ヘッドセットからは矢継ぎ早に発せられる巽の指示や他の会員の声が聞こえてくる。


『風根、打ち合わせ通りゲインの補助プログラムは全てオフ。操縦桿の感度も最大値に設定してくれ』

『感度最大ってマジっすか!』


 ヘッドセットが巽の指示とそれに驚く東の声を拾い上げ、アイガの頭上の腕部操縦席に座るリィもそれを耳にし大いに驚いた。


「聞いたアイガ君? 操縦桿の感度最大だって! 指がかすっただけでゲインがグワッて動いちゃうよ」

「事前に先輩から説明してもらっているよ。普段の設定はこの四分の一。ピーキーなんてレベルじゃない転倒待った無しってね」

『と言っても命綱はつけてあるからバランスを崩しても本当に転倒したりしないけどね』


 巽の言葉でリィは腕部操縦席の左右に取り付けられた鈍い鉛色のワイヤーを見た。

 アイガが試乗した時と同じようにゲインの巨体は天井部の鉄骨に取り付けられたクレーンとワイヤーで繋がれている。

 そのクレーンのウインチが動いてそのワイヤーをわずかに弛ませた。


『タツ、感圧シート正常に作動中だ。しばらく使ってなかったからヒヤヒヤしたが、いやいや一安心だ』


 風根の声が聞こえた。

 感圧シートとはゲインがいま踏みつけている七メートル四方の青いシートのことだ。


 シートの上に立っているゲインの足の裏のどの部分に圧力が加わっているのかをサーモグラフィーのように表示してくれるツールで、これで計測した各動作での足の裏にかかる荷重の位置と度合から各関節部への負荷を測定し、転倒しないための姿勢取りのデータを積み上げていく。

 かつてはゲインのオートバランサーを作成する際に活躍した代物だ。


 風根の報告を聞き巽は手にしていたタブレットPCに感圧シートのデータ画面を表示させた。

 黒一面のバックの中にゲインの脚の裏がネイビーブルーで浮かび上がっており、そのかかとから中央までが赤く滲んでいる。

 この赤い箇所がいま最も機体の重みがかかっている部分でここから足裏の輪郭線に向かってオレンジ色、黄色、黄緑と色が変化していっている。


 感圧シートの画面の他、取り付けたカメラからの映像にも不備がないことを確認して巽はアイガへゴーサインを出した。


「それじゃあ、おっぱじめますか!」


 アイガは頭部装着型ディスプレイを通してゲインの足元を見ながら右脚の操縦桿を動かした。

 一気に動かすのではなく、操縦桿の台座に手を当てて親指でレバーをゆっくりと押し上げていく。

「おっぱじめますか!」という活きの良い台詞とはかけ離れた繊細な操作だ。それに合わせてゲインも真っすぐに伸ばした右脚をじわじわと前方へ上げていく。三十センチほど上げたところでゲインが動きを止めた。


 昨日と感覚がまるで違う。

 まずいな――アイガは操縦桿から伝わる感触だけでそれを感じ取った。

 ゲインの巨体がわずかに上げた右脚の重みに引かれて右前方へと傾き始めている。


 アイガは少しも慌てることなく操縦桿を動かし素早く右脚を元の位置へと戻そうとした。股関節部のモーターも即座に唸り、その指示を遂行しようとする。が、


「遅い……」


 と思わず口の中でつぶやいた。

 モータの脚を動かす速度がアイガの期待値を大きく下回っていた。


「間に合わない」

「ふぇ!」


 腕部操縦席のリィに向かって伝える。それを受けてリィは素早く両腕をシートの背もたれに回し転倒の衝撃に備えた。

 当然の話だが、転倒防止用のワイヤーを取り付けたゲインが転倒することはなかった。ただ前の方に数度傾いただけ。


 それでも弛んだワイヤーが突っ張る際に奏でたビン! という音が倉庫内の空気を震わせた瞬間、周りの会員たちがどよめいた。


 巽が「二人とも大丈夫かい?」と搭乗者に声をかけると、


『平気ですよ。こんなの軽くお辞儀をした程度で傾いている内に入りませんよ』

『そういえばリィ、ゲインが傾いたトコロを見るのって初めてだよ』


 何とものんびりとした答えが返ってきた。

 張り詰めるワイヤーの音を間近で聞いていたはずのリィの落ち着きぶりに感心しながら、巽はワイヤーの巻取るように指示出しをし、ゲインの姿勢が戻る様を横目で見ながら先ほどのデータをタブレットで確認し始めた。

 ほどなく着信音が鳴り、風根から操作ログが送信されてきた事を告げるメッセージが表示される。同時にログを送ってきた当人も巽の元へとやって来た。


「で、どうよ?」


 この問い掛けに、巽は二十秒ほどタブレットPC内のデータ――正面と真横から撮影したゲインの映像、感圧シートの荷重移動、操作ログ、そして内部で走らせておいたゲインの姿勢観測アプリ――を検証してから風根にその画面を向けた。


「まず各データのタイムに注目してくれ、由良君が転倒を察知して操縦桿を戻そうとした時、ゲインの姿勢はこうだった」


 タブレットに操作ログの数字の羅列とゲインの正面と側面からの画像を表示させた。

 右脚をわずかに浮かせたゲインは正面、側面ともまだ真っ直ぐに直立しており、とても転倒する寸前には見えなかった。


「この時点での感圧シートのデータがこれ」


 そこにはゲインの左足の裏が表示されており、かかと周辺に集まっていた赤い部分が這いずるように爪先――人の足でいえば親指の当たりへ移動していっている。

 ゲインの重心が右斜め前に移動していることを示すデータだ。

 次に巽は姿勢観測アプリのデータを表示させた。


「ここの時間を操作ログのものと見比べてみてくれ。アプリが機体の傾きを察知して転倒の警告を発した時間と由良君が操縦桿を動かした時間はほぼ同時。正確には由良君の方がコンマ三七秒早く反応している」


 風根は言われた項目を凝視し、肌を粟立てた。


「一回だけならマグレってことも考えられるが……。まぁ、マグレじゃねぇだろうな」

「由良君が欲しいと言っていた『脚力』があれば転倒も防いでみせただろうね。間違いなく彼はバランサーに頼らずゲインを動かすことができる」

「で、それをどう生かす? 補助プログラムのことを心配せずに脚をいじることができるとして、何かもう具体的な考えが?」

「さすがにまだだよ。一口に脚力パワーアップと言ってもハードルが色々とあるしね。とりあえずもう少しデータの収集かな。――由良君はいまの内にゲインでやっておきたいことは有るかい?」

『なら、しばらくの間、好きに動かしてみたいんですが』


 巽がヘッドセットの向こう側へ問いかけるとアイガの即答が返ってきた。当然巽に反対する理由は無く、了承するとゲインに搭乗している二人の声が聞こえてきた。


『よし、じゃあ派手にスッ転ぶとするぞ。リィはゲインの左腕を後ろへ回してくれ。今度は右脚を勢いつけて上げる』

『了解! 左腕を後方に伸ばします』


 リィがゲインの腕の動きを口にしながらアイガの指示を実行に移す。これは脚部操縦者から見えない上半身の動きを伝えるためで、腕部操縦者の役割の一つである。

『かきくけか』の会員たちが見守る中、ゲインは腕を動かしながら両方の脚を二度三度と上げ下げを繰り返していく。


 転倒防止用のワイヤーは初回以降、弛ませてはいないのでゲインが傾くことはない。

 しかし脚を動かすたびバランスを失い、前後にグラグラと揺れ動くゲインの姿は見ていて肝が冷えるものがあった。時折聞こえる天井のウインチの軋む音がそれに拍車をかける。


「やる気満々なのは結構なんだが……。ヒヤヒヤするな。リィちゃんもよく落ち着いていられるもんだわ」


 さすがの風根も頬を引きつらせる。

 機体最上部にある腕部操縦席は実際の揺れよりも大きく感じるはずだが、ヘッドセットを通して聞こえてくる声には慌てた様子も怯えも様子も感じられない。

 姉の華梨は自分たちよりもハラハラしているのではないだろうかと風根が足場の方へ目を向けると彼女の声がヘッドセットから聞こえてきた。


『ねえ由良君、楽しそうなのは何よりだけど……、これで何がつかめるわけ?』

を無くした操縦桿の感覚を覚えること。これが第一の目的です。次に六メートルある二足歩行ロボットの機体バランスを掴むこと。本番では外装を取り付けるからまた感じが変わるんでしょうけど、土台である素体のコレを捉えておくことは無駄にはならないハズです』

『へ、へぇ……』

『最初に言ったはずですよ、俺が乗るからには優勝を目指すって。これもその下準備です』

『ウン、ウン。だよね~。さすがベテラン、アイガ君』


 何気のない質問へのプロフェッショナルじみたアイガの返答にヘッドセットを通して聴いていた一人を除く全員が言葉を失った。

 唯一の例外であるリィだけが操縦席のなかで腕組みしながらウンウンと頷いてみせる。

 手持ちのタブレットPCに流れ込んでくる各種データとにらめっこしていた巽が少し心配そうな顔を上げた。


「う~ん、責任感を持ってくれるのはありがたいけど……、そんなこと気にせずに由良君が楽しいようにやってくれて構わないんだよ」


『楽しいですよ。補助プログラムに制御されていたこの前より十倍は楽しいです。操縦桿を動かすたびに新鮮な反応が返ってくる。なるほど、これが二足歩行なのかって感じで』


 ゲインを直立姿勢に戻しながらアイガは声を弾ませた。

 なぜ現場にあるアームリフトがどれも三本以上の脚を有しているのか? その理由を今更ながら思い知った気分だった。


『ウンウン、リィも色々新鮮だよ。プログラムを切っただけでゲインってここまで不安定になるんだって』


 リィが腕組みをしながらウンウンと頷いてみせる。

 操縦桿の入力に合わせて脚部の関節を自動的に動かし機体バランスを保つ補助プログラム『オートバランサー』。それをオフにすれば六メートルある金属の巨体は重力と慣性の影響をもろに受けることとなる。

 このことは先輩たちから聞かされてはいたが直に体験するのはリィにとって初めてのことだった。


 アイガのベテラン然とした話しぶりに感化されたのかリィもどこかノリノリの話し方だ。

 大した後輩たちだと風根が肩をすくめた。「タツ、こりゃ下手な改造じゃ納得してくれそうにねぇぞ」


 風根の苦笑を受けて、巽はゲインの脚部操縦席へ訊いてみた。


「――由良君、脚力を上げるとして、ここまでは必要だという最低限のラインのようなものはあるのかい?」

『とりあえず脚をもっとあがるようにして欲しいですね。最低でも伸ばしたまま前に九十度は上げることができないと、茅盛どころか緒戦突破も難しいですよ』


 右脚を前へ六十度ほど上げた、ふらつくゲインのコックピットブロックから即答が返ってきた。


「九十度か……」


 巽はタブレットの画面をしばらく睨み付けると、ハッと目を見開きタブレット内に収めていたとあるデータを呼び出した。


「お! タツ、何か思いついたか?」

「実行できるかまだ断言はできないけれどね。やるとなるとフレームにも手を加えないとダメだろうし」

「大規模改造、『ゲイン バージョン9』の誕生か。何が要る?」


 風根がタブレットを覗き込んだ。表示されていたのは『かきくけか』が保管している部品のリストだ。


 と、そばでゲインを撮影していた男子会員が巽たちに声をかけてきた。「会長、マジで脚いじるんですか?」

「いやまだ分からないよ。予定は未定という奴だ」


 口ではそう言ったが彼の気分が高揚していることは顔を見れば一目瞭然であった。

 高まる感情が滲み出るその背中を一対の目が睨み付けるように見つめていた。

 各務である。

 表情の乏しいその顔を珍しくしかませ、物言いたげな感情を視線に乗せて。


 だが、その彼女の変化に気づいた者は誰もいなかった。

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