第55話

 アイガによる作戦指示が終わるとリィは操縦桿を動かしゲインの両腕を曲げボディに密着させるような窮屈な構えを取らせていた。

 これはゲインがアクセルの背後に回り込んだ際に勢いよく腕を振り上半身を反転させるためだ。

 対するアクセルもゲインと同じように両腕を曲げファイティングポーズの構えをとる。


 五本目が開始されると同じ構えを取ったロボット二機が同時に開始線から飛び出した。

 スカイブルーの機体は真っ直ぐ正面に、白い機体は相手の背後へ回り込むべく右斜め前に。

 二機のロボットがリングのほぼ中央ですれ違う。アクセル側の狙いは分からなかったが、これは短期決戦を望むアイガに取って相手の背後に回り込みやすくなる絶好の状況となった。


 よし! ――アイガが予定通り相手の背後へ回り込もうとした瞬間、右脚の操縦桿が彼の意思と関係なしにガタガタと大きく振動し、アイガは反射的にゲインの脚を止めた。

 止めた直後すぐに細かく操縦桿を動かしてヒザの状態を確認したのは長年の経験で染みついた習慣のようなものである。ギャリギャリと何かを挟み込んだような音はしたがまだ稼働している手応えは返ってきた。


 ゲインのこの行動にアクセルも脚を止め、会場もザワつき始めた。

 意気揚々と飛び出し他ロボットがわずか数歩で脚を止め、怪我を確認するように右脚を動かして見せたのだから当然の反応であろう。


「そこまで深刻なのか」とつぶやく安永の頭をリタイアの四文字が横切っていった。

「由良君はまだやるつもりのようですよ」

「そうなのか?」

「でなければヒザの調子を確かめたりしないでしょう。後、ヤスさんの読み、当たっています」


 ゲインの動きを見ていた笹原にはアイガの狙いが手に取るように分かった。

 弧を描くようにアクセルの左側、リーチの外をすれ違う――アクセルの背後に回り込もうとするならこう動くだろうという笹原の予測と完全に一致した動きだ。


「あそこで脚を止めて居なければアクセルの背中へ一気に距離を詰めて上半身を反転させながら右パンチを放ってきていたでしょうね」

「そこまでわかるのか」

「彼女を見ていれば」


 五本目開始からずっとリィは右の操縦桿に両手を添えている。この様子を見れば何をしようとしているのかは一目瞭然だ。


「なら、予定通り誘い込むとするか」


 安永たちはアクセルにゲインを迎え撃つための構えを取らせた。

 両脚を前後に大きく広げて、左腕を軽く前に出し右腕を引く――ゲインに対して、いまから右正拳突きを放つと宣言するような構えだ。

 機体が転倒しないようにアクセルのオートバランサーが働き両ヒザを少し曲げて姿勢を安定させる。

 両脚を広げたのは直立しているよりも姿勢を少しでも低くするためだ。

 アクセルの二人は五本目もゲイン腰を落として懐に潜り込んでくると読んでいた。


                  ◆


 アイガは構えの意味に気づき「まいったね」と言うように口元を歪め、リィが困惑と警戒心を露わにした。


「な、何アレ? 迎撃してやるぞってこと?」

「そういうことだろう。どうやらこちらの考えががバレたらしい。その上で仕掛けて来いと言っている。両足を広げたのは少しでも姿勢を低くしておくためか……、こちらが何をやるのか完全に見透かされているな」

「どうするの?」

「まぁ、結局やるしかないんだがな」


 返答しながらアイガは突入ルートを再計算して、ゲインの操縦プランを再構築した。


「脚……大丈夫かな?」

「このワンプレイだけならまだ持つはずだ」


 アイガは希望的観測を口にした。

 巽がこんな状態でモーターを回し続けたデータは無いと言っていたが、アイガも六年間の操縦経験の中でこんな状態のアームリフトを動かしたことは只の一度も無く、ここから先は未知の領域だった。


 ゲインがこちらも右パンチを放つよというように右腕を引き絞りアクセルと対峙すると観客たちから拍手が巻き起こった。

 その万雷の音の中に「いいぞ! チャンピオン!」とアクセルを称える声が多数混じり込んでいた。


 ゲインの右脚の状態を見るに、この五本目アクセルは相手の脚が壊れるまで逃げ回るのでは? と少なくない数の観客たちが予想した。

 アクセルの構えはそれを杞憂だと吹き飛ばす絶好のパフォーマンスであり、これぞ前回優勝者といえる喝采を送るに相応しい振舞いだった。


 拍手が鳴り止む前にゲインが動いた。拍手が山鳴りのような歓声へと変り、その歓声に負けじとゲインのダブルモーターが大会最後の咆哮を上げた。

 腕部操縦席の中でリィはいよいよかとアクセルを見据え、アイガの作戦を確実に遂行するべく腹の底から自身に気合を入れる。右の操縦桿に添えた両手が微かに震えた。


 ゲインはカーブを描くようにして相手の腕が届かない距離、アクセルの左側三メートルを歩幅を大きく開きわずか四歩で駆け抜けていく。笹原の視界から逃れるために姿勢を低くしたかったがヒザの状態を考えるとそれはできなかった。


 そんなゲインの動きを笹原は目で追いながらアクセルの上半身を少しずつ捻っていく。

 どのタイミングでゲインが飛び込んでくるかはすでに予測していた。

 アクセルとすれ違ったゲインは右脚の向きを変えて五歩目となる踏み込みで股関節部のダブルモーターのパワーでアスファルトを蹴りアクセル背中へと飛び込んできた。

 全て笹原の予測通り。即座に彼は操縦桿を通じて愛機に指示を出した。


 あたかも笹原自身が正拳突きを繰り出すように、左の操縦桿を引くと同時に右の操縦桿を押し出していく。レールを滑らせていく速度も同じだ。

 その操者の動きをトレースするようにアクセルが動いた。

 伸ばしていた左腕を引き、勢いよく右パンチを繰り出していく。両腕の動きに引かれてアクセルの上半身も旋回し反転。正面への正拳突きが背後――そこへ飛び込んでくるであろうゲインを狙った右フックへと変わる。

 そして狙い通り、その拳の射程内にゲインの胸部外装が飛び込んできた。


 笹原の操縦にミスは欠片も存在しなかった。


                  ◆


「行けっ!」


 アクセルに背を向けたままゲインが相手の背中へ飛び込んだタイミングで、アイガからリィの待ち構えていた合図が来た。

 リィは腹の底から「エイっ!」と叫び、両手で右腕の操縦桿を一気に押し出した。操縦桿がレールの端をガンと叩き、握り締めた手の平が操縦桿先端のボタンに触れた。

 ゲインは拳を回転させながら右パンチを放った。

 空気を穿つように回転する拳と腕部のモーターがフル回転し、パンチの勢いに引かれてゲインの上半身がコックピットブロックとともに半転していく。

 アクセルの動きを見ようとリィは回る座席よりも素早く首を動かした。


「来たるっ! 右パンチ――」


 思わず舌がもつれた。

 視界の隅で捉えたアクセルはアイガの言っていた通り、背中に飛び込んでくるゲインを狙いカウンターを放ってきていた。

 絶妙のタイミングでゲイン同様に腕の勢いで上半身を反転させながら放つ右パンチ。その反転速度はゲインよりも早く、拳はゲインの胸の中央を精確に捉えようとしていた。


 この攻撃をかわすとアイガは言っていた。リィはその言葉を信じて己の役目に専念するべく迫る右拳を睨み付けた。

 ここでゲインが腰を落として、上半身を傾斜させた。アイガの言っていた回避行動だ。リィの体がシートごと傾き、アクセルの拳が遠のいていく。

 直後にゲインの上半身が反転を完了して真っ直ぐに伸ばした右腕が空を突いた。


 ゲインとアクセル二機のロボットがともに上半身を反転させて互いに伸ばした右腕を突き付け合うという一種異様な光景を作り上げる。

 観客たちがそこに何かを思う間も無く、金属が壊れる音が鳴り響きゲインが更に大きく傾いた。

 その傾く操縦席の中でゲインに何が起きたのかを理解し、リィは顔を青ざめさせた。


                  ◆


 中腰姿勢を保っていたゲインが何かに突き飛ばされたかのように突如体勢を崩し右ヒザをつくと周囲から悲鳴混じりのどよめきが起きた。

 ギャラリーたちもゲインに何が起きたのかを瞬時に理解したのだ。

 右ヒザの外装に取り付けていた衝撃吸収材が自壊し巻き上がった白い粉塵がゲインの両脚を覆い隠したが、もう誰もそんな所は気にもしなかった。


 ゲインならこちらの攻撃を腰を落してかわすだろう程度のことはアクセルの二人も予想はしていた。

 しかし、直後にゲインからガギャン! という金属の押し潰れるような音が聞こえてきたのは完全に予想外だった。

 コックピットブロック内にまでハッキリと響く大きな破砕音に笹原が声を上げ、安永は思わず後ろを振り返り――両目を覆うディスプレイに映った『カメラの範囲外』というエラーメッセージに口の中で舌打ちしながらアクセルを回れ右させた。


 反転していた上半身を元に戻しファイティングポーズを構え直してゲインと向き合ったアクセルのカメラが捉えたのは予想通りの光景であり、友人の作ったロボットの見たくない姿であった。


 衝撃吸収材の粉塵が描く白い粉模様の上でゲインは横を向いた右脚がヒザをつき、交差するように左脚を前に出して倒れかかった機体を踏ん張らせていた。

 転倒をさけるため咄嗟に操作した結果だろう。いびつに絡んだ両足の上で、右腕を伸ばした上半身が反転し真後ろを向いている様は廃車場に打ち捨てられたスクラップのようであった。

 躍動していたゲインの無残な姿に観客たちも声を失い、聞こえてくるのは場にそぐわぬ波音だけとなった。


 ゲインが片ヒザをついているため安永のディスプレイからでも腕部操縦席の中で顔を青ざめさせたリィの姿が見えた。


「覚っ!」


 安永は一声叫ぶと最初に決めていた通り、試合を決するべくアクセルを突っ込ませた。

 笹原も小気味良い返事でそれに応える。

 彫像と化したゲインの上半身が震えるように上下しているのは立ち上がろうと脚のモーターを回しているからだ。

 ヒザが破損した上に、ああも脚が絡み合った状態で立ち上がることは不可能だ。

 まあ、由良君の技量なら時間をかければ機体を立ち上がらせることくらいはやってのけるだろうが――どこか感傷的な思いを抱きながら笹原は操縦桿を押し出そうと身構えた。

 その彼の目に腕部操縦席で身構えるリィの姿が映りこんだ。

(何だ……?)

 成すすべなくこちらを見つめる姿に何か違和感があった。笹原は無意識的にその違和感の原因を探ろうとし、彼女の口がせわしく動いていることに気づいた。

 声は聞こえない。だが話をしている相手は当然由良君だろう。だが何を話して――?

 ここで笹原は違和感の正体に気がついた。

 表情だ。


 さっきまで青ざめていた表情が一変。絶望の色は消え失せ、気合を漲らせた顔をしている。その瞳に爛々と輝く宿るのは好奇の光――悪戯をしかけた子供が獲物の引っかかるのを隠れ見るような、そんな光。

 まさか――


「フェイクかっ――」


 ヤスさんっ! 笹原がそう叫ぼうとした瞬間、ゲインが動いた。

 クイと上半身を捻り、突っ込んできたアクセルへ伸ばした右腕を向けながらボディを前に三十センチ傾けて、両脚の全関節を稼働させて腰を四十センチ上げる。


 すでに脚を踏みだしていたアクセルは止まることができなかった。

 ゲインが身じろぎする程度のわずかな動きを見せる前に笹原も攻撃に出た。

 相手の胸部外装を狙ってアクセルの右パンチを放ち、左腕を防御に回す。この局面で機体の両腕を同時に操作してみせた笹原の技量は称賛しておくべきだろう。

 しかし拳の到達は腕を真っ直ぐに伸ばしていたゲインの方が早かった。


 右拳につけたグローブのセンサーパッドの部分を下から上に、突っ込んできたアクセルの胸部外装へ軽く押し当てる。

 手の平で座布団を叩いたような音がした。大会を締めくくるには静かで地味といえる一撃だった。


 勝敗を告げる電子音が双方の操縦席に鳴り響き、それが鳴り止む前にゲインは右脚をかばうため、左足で機体を支えながらゆっくりと右ヒザを地につける。

 全てはゲインがヒザをつき、オブジェと化してから二十秒足らずの出来事だった。

 アクセルの操縦席に響くブザーの音に笹原は奥歯を噛みしめ静かに目を閉じた。

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