第56話
リィは勝利を知らせるアラームの音に一瞬ビクついたように背筋を伸ばし、やがて湧き上がってきた勝利の実感に、握り締めた両手でゆっくりと口元を覆い涙を滲ませた。
その下、脚部操縦席のアイガは疲れたようにシートに体を預け、深い溜め息とともに全身を弛緩させた。勝った、出し抜いた、化かしきったという感覚は最後まで沸くことは無かった。勝ちを知らせるアラームの音にアイガは只々安堵した。
アクセルとすれ違いその背後へゲインを跳躍させた瞬間、異様な破砕音が鳴り、支えが消え失せたように崩れ落ちるヒザに合わせて右の操縦桿が引っ張られた時にはさすがのアイガも焦りを見せた。
そこで機体を踏ん張らせず、逆に操縦桿を下げて勢いよく右ヒザを地につけたのは、「ヒザの外装に衝撃吸収材を取り付けた」という巽の言葉を頭のどこかで覚えていたからだ。
この操作でアイガはまだ右ヒザが壊れていないことに気が付いた。同時に舞い上がる衝撃吸収材の粉塵がゲインの両脚とヒザがまだ稼働するということを観衆の目から覆い隠し、脚が壊れたのだと錯覚させた。
あの異様な音が何で、右脚に何が起こったのかは分からなかった。分かっていたのはブザーもアラームも聞こえていないことからまだ試合は続行しているということだけ。
しかしゲインはアクセルに背を向けていたためアイガのディスプレイでその動きを見ることはできなかった。
だからアイガは咄嗟に叫んだ。
「リィっ! アクセルは!?」
この一言がついにヒザが壊れたとパニックを起こしかけていたリィを「これも作戦なのだ」と勘違いさせて落ち着かせた。
そこからの彼女の仕事は完璧だったと言えるだろう。
それでもイメージした相手に拳を当てに行く操縦はいままでにないプレッシャーがあった。
迫るアクセルのイメージに合わせて両脚の全モーターを動かしてゲインの腰を押し上げた。
こちらの拳が命中する感触と、アクセルがこちらを殴りつける振動が伝わってきたのはほぼ同時だった。
笹原からの反撃は予想していたが、どちらが早かったのかは体感では判断がつかずアラームが鳴るまでの時間がとても長く感じられ、ピポンという拍子抜けするような音で勝利を知った途端、アイガから一気に力が抜けた。
少しだけ脱力した後、アイガはゲインを帰還させるという最後の仕事に取りかかった。
健在である左脚のダブルモーターをフル回転させて、右ヒザはなるべく動かさず――全く動かさないわけにはいかず、補助的にモーターを回してゲインを立ち上がらせると、右脚を引きずるようにして開始線まで進ませた。
◆
場内アナウンスがゲインの勝利を告げ、客席前の大型モニター全体に【アクセル 2-3 ゲイン】のスコアと【優勝 白瀬大学 関節機構駆動研究会】の文字が映し出されると観衆たちから拍手が巻き起こった。
決勝を戦った二機のロボットとその操縦者全員を称える拍手だ。
その称賛の中、ゲインは反転していた上半身を元に戻してゆっくりと立ち上がった。
「壊れちゃいなかったのか……」
立ち上がるゲインの右脚を見て安永は小さくつぶやいた。頭部装着型ディスプレイの映像でも右ヒザがわずかに稼働していることが見て取れた。
その心境を物語るかのように呆然と見開かれた視線が歪んだ関節の接続部で止まった。
太腿部と脛部分のフレームを繋ぐ接続ブロック。その外側が上体の重みでひしゃげてビスが飛び裂け目ができ、そこからコーンフレークを繋ぎ合わせたような薄いグレーの塊がムニムニとはみ出している。
マイクロバルーンを混ぜ込んだ特殊シリコン。巽が考えゲインの脚部関節に詰め込んでおいた特製の緩衝材だ。
各関節を稼働させるメインシャフトへ掛かる機体の重量を関節部全体へ分散させる目的で仕込んだこれが右ヒザを庇い、脚力と言うゲインの屋台骨を最後の土壇場まで支え続けたのだ。
あの時聞こえた異音はここからだったようだ。
ヒザ関節の接続部が損壊したためゲインの挙動バランスが崩れてヒザをつかざる得なくなった。
ブラフを仕掛けたわけではなく突発的なアクシデントだ。
アイガはそこから見えるはずの無いアクセルにゲインの拳を当ててみせた。
最大の歩幅で脚を踏みだしたアクセルに合わせてゲインが動いてきた衝撃を安永が忘れることは無いだろう。
まったく大したモンだ――次元の違う操縦技術の差を目の当たりにして安永は妙な笑いが込み上げてきた。
その安永の耳に笹原の声が聞こえてきた。
「もっと早く気づいていれば……」
押し殺したような相棒からの声に、悔恨の色がありありと見てとれた。
安永は笑うしかなかったが、アイガと同等の技量を持つ笹原からはまた違う物が見えていたのだろう。
ここでこうしておけばという悔いが滲み出るのも当然か。責任感の強い笹原のことだ、皆に合わせる顔が無いとでも考えているのだろう。
「何しょげた声だしてんだ、覚。お前にミスは無かった。胸を張って声援に応えてやれ」
「でもヤスさん」
「何だ? 皆に合わせる顔が無いとでも思ってんのか?」
「機体を任された責任を果たせなかった。やりようはあったんですよ」
笹原の返事に図星だったかと安永は軽く頭を振った。
向こうのルーキー君を笹原は『くそ真面目』と評していたが、そう言った当人も負けてはいない。彼が仲間でいることが誇らしく感じられて、安永はいつしか楽し気な笑みを浮かべていた。
「良いから声援に応えてやれ。覚、お前にはその資格が充分ある。お前にミスは無く操縦は完璧だった。最後の一本を取られたのは――俺が相手を見くびっちまったからだ」
「え?」
巽の言葉の意味が分からず笹原は困惑したが、その彼の様子は安永には見えなかった。
誰からも見ることのできないコックピットブロックの暗がりの中で安永は一人試合の余韻を噛みしめ操縦桿をゆっくりと押し出した。
愛機アクセルと仲間たちの元へ帰るべく。
晴れ晴れとした微笑をその顔にたたえながら。
◆
優勝したゲインを迎えようと大会参加者たちが集まり『かきくけか』のテント前には百人近い人だかりができていた。
巽や風根たちが彼らから祝福の言葉を送られる中、ゲインが中型アームリフトの腕で持ち抱えられながら帰還。
これ以上の自力歩行は事故に繋がる可能性もあるというロボカップ運営の判断によるもので、伸ばしたアームに抱えられたゲインは優勝した機体とは思えぬ格好だった。
にもかかわらず、ゲインがキャリアーに固定されて操縦者二人が姿を見せると大喝采が巻き起こった。
自分を取り囲む溢れんばかりの歓声、どこのセレブかという熱狂的な歓迎にアイガとリィは唖然とした。
唖然としながらゲインから降りると二人はまず巽たちに勝利とゲインの右ヒザの状態を報告。それが終わると集まった参加者たちから称賛を送られ、各ロボットの操縦者たちから握手を求められるという、てんやわんやと目の回るひと時を迎えることとなった。
握手攻め、もとい人生初の握手会はアイガにとって試合よりも疲れる体験であった。
気恥ずかしさが増さり助けを求めようと周囲に目を配るも、同じく初の握手会であるリィは優勝したテンションの高さもあってか他のお姉さん方と記念撮影にいそしんでおり、風根や他の会員たちも他校の参加者との交流に忙しそうだ。
そして最も頼りになりそうな巽は人だかりから離れたキャリアーのそばでテレビカメラとマイクを向けられている。
勝利者インタビューという奴だ。アイガとリィも表彰式のあとで応じる段取りだと聞かされている。
こちらも握手会同様アイガにとって初めてのことだ。
インタビューって何を聞かれるんだろう? 下手なことを口にすると失笑を買いそうだとアイガが億劫になりかけた所で前の学生が声をかけてきた。
「優勝おめでとう――って、どうしたんだ由良君、ボォっとして?」
声につられて前を見れば、そこに立っていたのは笹原だ。和らな顔でアイガと握手を交わそうと右手を前に差し出している。
その手を両手で握りしめてアイガは頭を下げ懇願した。
「覚先輩、一つ聞いても良いですか?」
「何だい?」
「勝利者インタビューって何聞かれるんです?」
「へ? あ、ああ、そうだな……」
確かに自分もあの時は妙に緊張したなぁと、前回優勝者の笹原はアイガの心情を瞬時に理解し、去年受けたインタビューの記憶をたぐり始めた。
笹原に頭を下げるアイガの様子に周りの者たちも一瞬何ごとかと驚き、それはすぐさま拍子抜けしたような笑いに成り代わった。
決勝を戦った二人の微笑ましい関係を前に『かきくけか』の簡易テント周辺は大会の最後に相応しい和気藹々とした空間と化していた。
◆
巽にとって人生で初めての勝利者インタビューは想像していたよりも緊張するものだった。
にこやかな顔でマイクを向けるレポーターからの「優勝したいまのお気持ちは?」といった、どこかで耳にしたことのある質問に無難な答えを返し終えると巽はやるせない溜め息を吐き空を仰いだ。
見えたのは蒼い空とキャリアーに固定されたゲインの後ろ姿。その歪みきった右ヒザ関節部に視線が引き寄せられた。
その右ヒザを除いてゲインに異常は見られなかった。外装も左肩部分に細かい傷が見えるも全体としてはヒビ一つない装着した時のまま綺麗な状態だ。張り付けたスポンサーや大学名のステッカーも破れていない。
ガタのきた脚で挑んだ決勝戦。約二十分を戦い抜き勝利して見せたアイガの操縦技術に巽は改めて感心した。
「優勝か……」
巽の口から実感を伴わぬ言葉が、やるせなさを感じさせるつぶやきとなって漏れだした。
「おいおいトモちゃん。優勝したってのにどうしたよ?」
後ろから声をかけられて巽は狼狽しながら振り返った。
立っていたのは安永だ。オレンジ色のツナギの脱いだ上半分を腰の所で括りつけた黒いインナー姿はいかにも熱戦の後という格好だった。
安永が「優勝おめでとう」と巽を称えるためにやって来たことはすぐに分かった。
「優勝したチームリーダーとは思えないな。実感が湧いてこねぇってヤツか?」
「いや、インタビューで少しね」
「なに聞かれたんだ?」
「そういうわけじゃないんだけど……。そうだな去年優勝した時の感想って壬斗は覚えているか?」
「あ? どうだったけな。自分のインタビューなんて小っ恥ずかしくて見ちゃいねぇし。何か当たり障りの無いこと言っただけのような気が……。そもそもあの決勝戦は覚の独壇場でピンチらしいモンも無かった――」
そこまで言って安永は巽の抱えたモヤに気が付いた。
「なるほど、ルーキー君だな?」
「もちろん嬉しくない訳じゃないけどね。優勝したと聞かれてもピンと来なくてさ……」
安永の指摘に巽は頷きながら『かきくけか』テント内へ顔を向けた。
テント内の人だかりのその中央にアイガの姿があった。真剣な顔つきで笹原と何やら話しているようだ。ニコニコ顔のリィもそばにいる。
「由良君、ウチにやって来てまだ一ヶ月ほどなんだよ。彼女がいきなり連れて来たんだ」
アイガとリィを見守る巽の視線に寂しさが混じりこんだ。
「大会での作戦を考えたのも彼だ。思えば由良君だけが優勝を口にしていたんだ。僕は考えもしなかったし、風が吹いた時には諦めようとした。右ヒザが壊れた時もそうだ。でも彼は諦めなかった。そう、優勝したというより、させてもらったんだ。言葉通りにね。じゃあ会長である僕はこの大会で何をやったと言えるんだろうか?」
話している間、巽の顔は複雑に変化し続けた。安永に見せる微笑の中に後輩の躍進による嬉しさと自分への情けなさが混在していた。
「いやぁ、んなこたねぇだろ。実際、トモちゃんは大したロボットを作り上げたじゃねぇか」
安永は大げさに手を振り、その手でゲインを指差した。
「今日こいつが見せた動きのデータは参加校全てに送られる。全ての大学が機動力をテーマにしてロボットに大改造を加えてくるぞ。勿論ウチもな。トモちゃんは今日新たなステージを作り上げたんだよ。俺も今からワクワクしてる」
「新たな流れか……。それも――」
「あのルーキー君あってのことだと言うんだろ?」
トモちゃんの考えていることなんてお見通しだぜと安永はニカリと笑い、腰に手を当ててゲインを見上げた。
「最後の一本さ、こいつが片ヒザついた時、俺は壊れたと思ったんだ。そりゃそうだろ? あんな歪んだ脚で大立ち回りやらかしてんだから。だから、もう動けないと思って止めを刺そうと突っ込んだ。でも壊れちゃいなかった。トモちゃんの作ったこのゲインは壊れなかったんだ。あのルーキー君の無茶な要求に最後まで応えてみせた。今回の優勝、俺は間違いなくトモちゃんの力あっての物だと思ってるぜ」
そう言う安永の表情は晴れやかなものだった。巽の方は友からの予期せぬ称賛に身じろぎし、照れ臭さを隠そうと口を開く。
「真正面から褒められるとムズ痒いな。何か裏でもあるんじゃないかと勘繰ってしまいそうだ」
「褒めてんだから素直に受け取れって。それにだ、トモちゃんのロボットに対するスローガンはどうしたよ?」
あっ! と言うように巽の瞳が揺ぐのを見て、安永は自分の一言が効果を発したことに満足した。
満足したところで表彰式を告げる場内アナウンスが響き渡った。
それを受けて『かきくけか』の面々と挨拶を交わしていた茅盛ロボット研究部のメンバーたちが運営テント前に設営された表彰台の方へと移動し始める。
「そんじゃ、先に銀メダル貰って来るとすっか」
そう巽に告げると安永は大きく伸びをしてから歩き始め――五歩進んだ所で振り返った。いつになく真剣な顔つきで。
「やっぱ最後にもう一度言っとくことにする。トモちゃんには胸を張って優勝トロフィーを掲げる資格があるんだってな」
そう言う幼馴染は稀にみる真剣な顔つきだった。
「もう大丈夫だ。壬斗のおかげでスローガンを思い出した。次は秋だな」
「おう。秋で、な」
巽の顔つきに満足気に頷くと、安永は小さく手を振り仲間とともに表彰台へと歩いていった。今度はもう振り返らなかった。
友の後ろ姿をしばらく見送った後、巽は改めて『かきくけか』テントの方へ目を向けた。そこは依然賑やかで表彰式が始まるまで、まだまだここから人が減ることはなさそうであった。
その集まる人の中央で何がそうなったのか、アイガが風根に肩車されて周りから拍手喝さいを浴びている。
おそらく風根はあのまま表彰台まで凱旋するつもりなのだろう。巽は戸惑いながらその光景を眺めて気が付いた。
風根はもちろん、リィや東、華梨と各務に他の会員たちも、優勝を祝福しに集まってくれた他校の参加者たちも皆が笑っていた。
神輿となったアイガも風根の肩の上で照れ臭そうに笑いながら周りの者たちに手を振っている。
ふと気が付けば笑っていないのは自分だけ。
ただ一人を除いてゲインの躍動は皆を笑顔にしたのだ。
そこに思い至ると巽は自分自身に対して笑いが込み上げてきた。自虐ともいえる笑いではあるが、嘘偽りの無い彼の素直な感情でもあった。
込み上げるその思いにしばし肩を振るわせ、巽は仲間たちの元へと戻っていった。
晴れやかな顔に見惚れるような笑顔を添えて。
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