第一話 正義の味方と暗殺者

1.東都に踊る

 空が翻る。


 実際には自分が宙で回転しただけだったが、視界の中で反転する世界を、そう表したくなるのも致し方ないことだった。


 雲一つない空はどこまでも青く、それに対して地表の景色は僅かしかない。

大きな旗が揺れるかのように空は回り、海保青也カイホセイヤを容易に包み込む。


 緩い癖があるために短く切れない黒髪に、険の強い眼差し。十八歳という年齢を裏切らない、幼すぎもせず大人びてもいない表情が、ともすれば冷たく見える印象を和らげている。


「あはっ」


 辛うじて視界にこびりついているビルの屋上は、すぐに遠くなる。それに反比例するように、誰かの悲鳴が鼓膜を揺らした。


 青也は何一つ慌てることなく、右手に持っていた日本刀を握り直す。


 随分長く使っている愛用品だが、最近は少し壊れやすくなっていた。柄の中に仕込んである一枚の札を意識しながら、妖気を解放する。


 地面は最早間近に迫っていた。耳は悲鳴よりも先に風を切る轟音のみを捉えて、役に立たない。だが視界だけは正常に、自分が落下する先を見据えていた。


 眠らない街、東都。その中心たる東都駅のロータリーに立つのは一匹の獣だった。


 黒々とした毛並みに白目のない鮮やかな緑色の瞳。体長は二メートル足らずだが、踏みしめた石畳が砕けていることが、その獣の力を物語る。


 それは哺乳類ではなく、まして普通の生命体でもなかった。


 「マシラ」と呼称されるそれは、世界が不安定になると現れる、いわば無秩序の象徴だった。


 彼らの増殖を許せば世界は秩序を失い、そして滅亡する。マシラは人間を襲うことが出来るが、普通の人間はマシラを傷つけることすら出来ない。


「結構大きいけど、まぁ問題ねぇな」


 マシラに対抗出来るのは、唯一「妖気」だけで、それを使いマシラを倒す能力を持つ者は「妖魔士」と呼ばれた。


 彼らは古くからこの国で、いくつもの流派を作り、それぞれの考える秩序のためにマシラと戦い、そして技を作り上げた。


裏青蓮院ウラセイレンイン流……」


 地面まであと五メートルに迫った時、青也は背中を逸らして体を回転する。


 それまで、空気抵抗を考慮して背中を地面に向けていたのを、着地するため足を向ける姿勢に変えた。


 マシラは唸り声を上げて、今にも飛び掛からんとする。



 マシラの視線と自身の視線が交錯した瞬間、青也は妖気を刀に込めると、頭の中で単純な「式」を作り上げた。


 残り二メートルで式が完成すると、刀を振り上げる。


光明蓮華コウミョウレンゲ!」


 振り払った刀の先から、青い光が放たれる。鋭い切れ味を持った刃は、マシラの脳天に突き刺さったかと思うと、一瞬でその身体を引き裂いた。


 式を放った反動で、落下速度が緩まると、青也はそのままバランスを崩さぬようにして地面に降り立つ。


 スニーカーの底が両足分地面につくと同時、引き裂かれたマシラの体が崩れ落ちた。


「完了、っと」


 青也はその特徴的な紺色の瞳を細め、右目元に並んだ泣き黒子を歪めるようにして笑った。

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