3.路線バスは難しい

 病院から東都駅への直通バスを降りた青也は、首を大きく振って自分が立っているバスロータリーを見回した。

 巨大な駅に相応しい巨大な広場には、多種多様なバスが身を寄せ合っている。路線バスにシャトルバス、空港に向かうリムジンバスは一際大きくて立派だが、それに乗ると武蔵國から出てしまうため、青也は乗ったことがない。


 武蔵國より外での活動を制限されている身の上を、別段嘆いたことはないが、それでも飛行機や新幹線の類に青也は憧れている。大きくて速いものは格好良いという、まるで幼稚園児のような感情ではあるが、それだけに無邪気な憧憬ドウケイだった。

 

「まぁ今日は用事ねぇけど」


 そう呟いて、あっさりとリムジンバスから視線を外した青也は、ロータリーの案内板へと近づく。系統ごとに色分けされたバスの案内表が、夏の昼下がりの太陽を浴びて、痛いほどに眩しかった。


 路線バスの案内表は、そのバスを日常的に使う者か、あるいは頭の中に周辺地図が入っている人間でないとわかりにくい物が多い。旅行者などが路線バスに乗ろうとして右往左往するのを、青也は何度も見てきた。

 電車と違って路線図が常に掲げられているわけではないので、降りたいバス停が何処にあるのかが不明瞭なのが原因だと思っている。


「……これか?」


 ロータリーの一番隅に、小さく書かれたバス停番号を見つける。奥多摩の方に向かうバスだが、青也は今までそのバス停を見た記憶すらなかった。

 看板の横から顔を出して、バス停の方を見ると、色褪せた古いバスが停まっているのが見えた。


「あ、やべぇ」


 急いで走ろうとしたが、足を鈍い痛みが駆け抜ける。治療の時に打った麻酔が切れて来たようだった。

 面倒だと思いながらも、青也は怪我をした足を庇うように早足でバス停に向かう。幸いにして発車時刻はまだ先だったようで、青也が辿り着くまで止まっていてくれた。

 錆び付いたステップを登り、一世代前の精算機越しに運転手に声をかける。


「すみません、これ「茜ミサキ」に止まりますか?」

「茜ミサキ?」


 運転手は怪訝そうに聞き返した後で「あぁ」と言った。


「停まらないよ」

「別のバスですか?」

「いや、ずっと前にそのバス停は無くなっちゃったからね」


 三十後半と思しき運転手は、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「そのあたりに用事なら、手前にある「地蔵水路」で降りるといいよ」

「どのぐらいかかりますか?」

「四十分ってところかな」


 青也は礼を言うと、バスの後部座席の方に進んだ。

 乗客は数人いたが、いずれも老人ばかりで、どれも重そうな買い物袋を抱えている。バスの行き先は武蔵國の郊外であり、交通の便が悪い。そこに住んでいる老人たちにとって、このバスは自分達と都会を結びつける数少ない交通手段に違いなかった。


 一番後ろの席に腰を下ろした青也は、痛む足を前方へと投げ出して少し伸びをした。窓の外からは優しく日差しが差し込み、車内の空調は最適だった。

 持ったままだった刀を足の間に挟み込むようにして安定させる。袋に入っているため、万一倒れたとしても鞘から抜ける可能性は低い。


 怪我をしたせいで少し体力を消費していた青也は、バスが発車して間もなく眠り込んでしまった。

 次に目が覚めたのは、既に都心部から離れてしまった後で、車内には青也以外に一人の老婆しか残っていなかった。


「次は、地蔵水路。地蔵水路……お降りの方は」

「あ、いけね」


 慌てて降車ボタンを押す。ここで乗り過ごしたら、次のバス停から引き返さなければならない。都心と違ってバス停の間隔も広そうだし、何よりこんな暑い中、余計な体力を使いたくはなかった。

 バスが停まると、青也は足を引きずりながら精算機の方に向かう。

 運転手が「よく寝ていたね」と揶揄するのを、苦笑で返した。


「起きなかったらどうしようかと思ったよ。次のバス停、遠いからね」

「やっぱり」


 青也は寝起きは良いが、寝つきも良い。その体質が吉と出る時もあれば、凶と出る時もある。

 今回は前者に偏ったので、青也は比較的機嫌よくバスを降りた。


「なーんもねぇな」


 辺りを見回して呟く。

 バス停と待合所だけは妙に真新しいが、足元に落ちた錆びたトタン屋根から推察するに、何らかの原因で前の待合所が壊れたことが伺える。

 周囲に民家はなく、畑だけが広がっているが、それらも殆ど手入れがなされていなかった。

 バスが去ってしまうと、物音一つ無くなってしまい、痛いほどの静寂が耳を突く。青也は一帆から受け取った地図を再度広げると、自分の立ち位置から方向を推測した。


「あっちか?」


 畑の奥にある森が、どうやら目的地のようだった。その中に建っている建物に入れ、と一帆のあまり綺麗でもない字が指示している。

 妖魔士にあまり字が綺麗な人間が少ないのは何故だろう、と青也は意味もないことを考えつつ、森の方に足を進めた。


「……こういうところ、郁乃は嫌いだろうな」


 生い茂る草むらは、森の方に向かうにつれて、密度が高くなっているようだった。

 女装癖ナルシストの幼馴染だったら、見ただけで悲鳴を上げて逃げ出しそうな、所謂「虫の巣窟」である。別に女装癖と虫嫌いは何の関連性もないが、郁乃の中では「女イコール虫嫌い」という図式になっているだろうから、間違いではない。


 郁乃という人間は「女らしい行動」のためなら、喜んで己を捨てる。それは生い立ちのせいでもあるだろうが、何より郁乃が完璧主義者なせいであると青也は思っていた。


「そういや最近見ねぇな、あいつ」


 そう呟いた青也は、少々物足りなそうな表情だったが、それは誰にも見られることはなかった。

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