8.映像に残ったもの
「殺し屋の一人を、彼は半殺しのまま引きずり続けてたんだ。普通じゃないよ」
郁乃は苦い表情のまま吐き捨てるように言った。
「多分、ザクロっていう殺し屋だ。どうも月追いはそいつがお気に入りだったみたいだね」
「お気に入り?」
「手こずらされたってことだよ」
「あぁ、なるほどな。あの動画、見るか見ないか悩んでたんだけど、見なくて正解だな。何しろ俺、とっても精神が繊細だし」
「青也が繊細だったら、世の中の半数はガラス細工だよ。でも見なくて正解っていうのは同意する」
郁乃はミリタリーコートで包まれた肩を竦めた。女のような顔をしているが、存外体つきはしっかりしている。普段は服装や髪型で誤魔化しているが、今のような格好だと本来の体格がわかりやすい。
「映像は、二階の窓から殺し屋らしい何かを放り投げるところで終わってた。窓の外に、この商店街が映っているのが小さく見えたんだけどね、俺が前に資料で見た時の街並みと一緒だったんだよ」
「だって同じ場所だろ?」
不可解なことを言い出した相手に、青也は首を傾げた。だが郁乃は青也と同じ方向に首を傾ける仕草をすると、「違うよ」と短く否定を返す。
「一緒だったのはね、建物の劣化具合だよ」
「れっか?」
「ほら、この商店街ってところどころボロボロでしょ? でもさ、二十年も放置されていたにしては、ちょっと新しすぎると思うんだよね」
「……そうか?」
十分に朽ち果てた光景を見て、青也はそれが新しいとは到底思えなかった。少し前に入った廃ビルの中のほうがよほど綺麗だった記憶がある。
「俺、廃墟とかあまり見ないからわかんねぇ」
「俺だって詳しくは無いよ。でも二十年も経ったら当然起こりうる現象が、此処では一切見られない」
「当然のって言われても」
青也は周囲を見回した。アーケードの赤錆、割れた街灯、朽ちて崩れた立て看板には「花咲く町」というスローガンらしき文字があるが、その傍の花壇には背の低い雑草が数本生えているだけだった。駅の方向にある交番は外壁に時計を掲げているが、それも止まって久しいようで、短針が抜け落ちている。
「何か気付かない?」
「うーん……。そこの中華屋の人気メニューが天津飯だったことぐらいかな」
小さな中華料理屋の扉に、色褪せたポスターが貼られているのを青也が指さす。
「腹減った」
「あんなポスター見ただけでお腹が空くって器用だね。俺は食欲湧かないや。そうじゃなくて、あれ」
郁乃は雑草の生えてる花壇を指さした。
「あれ見たらわかるでしょ」
「ねこじゃらし」
「雑草の種類じゃなくて。まぁ花壇に限らずなんだけどさ、この商店街、二十年も放置されてるのに雑草があまり生えてないんだよね」
「そういえばそうだな。俺の家なんて放置してると屋根の上まで草が生えるのに」
商店街には雑草の類は少し生えているものの、生い茂るほどではなかった。枯れてしまったような痕跡もない。まだ廃墟になってから殆ど時間が経過していないような、そんな状態だった。
「もしかして、時間が止まってるのか?」
「わかりやすい言い方をするとそうだね。でも止まっているのなら、全ての時が止まっていないとおかしい。例えば、風に吹かれてアーケードの幌が揺れたり、看板を蹴り飛ばしてしまったりしてはいけないわけ」
「じゃあなんだよ」
「此処はね、時間がループしているんだよ」
郁乃は青也が蹴り飛ばした看板に視線を向けた。
地面を擦るようにしながら、その小さな看板は不自然な軌道を描いて動き始める。途中で跳ねたり、揺れたりしながら、動画を逆再生するかのように元の位置へと戻って、再び動かなくなった。
「ループ?」
「今、見たでしょ。同じ時間をグルグル回ってるだけなんだよ、この場所は。だから青也や俺が此処から出ようとしても、元の時間に戻っちゃうから、いつまで経っても外に出れないってわけ」
「へぇー。じゃあどうやって出るんだ?」
「それがわからないから困ってるんでしょ」
もう、と郁乃は頬を膨らませた。
「わかったら、こんな場所にいつまでもいないよ」
「だよな。……これって、月追いの仕業なのか?」
山に行く者を防ごうとするかのような仕掛けに、青也は当然の如くその仮説を導き出す。だが郁乃は少々歯切れ悪く否定を返した。
「いや、流石に無理だよ。時空を捻じ曲げるなんて芸当」
「不可能ってことか?」
「いや、出来ることは出来るよ。この商店街の範囲のみで適用しちゃえば、まぁ死ぬほど面倒だけど出来ないことはない。でも一人じゃ無理だ」
郁乃は自分を指で示し、そして続いて青也を指さした。
「俺にも無理だし、青也にも無理。どういう意味かわかる?」
「他の誰にも不可能ってか」
「そういうこと。まして月追いは、どちらかといえば術に重きを置いていて、式は使わない妖魔士だった。彼だけでこの空間を作り出したというのは無理がある。協力者が必要だ」
青也はその言葉を整理するために腕を組む。郁乃がこうして直接的な物言いを避ける時は、何かを警戒していることが多い。そういう時に詳細を促しても、話してくれないことを青也は知っていた。
「……清鐘事件で殺し屋が殺された。でもそれを対応したのは月追いだけ。その手前にある商店街は、足を踏み入れたら出てこれない。すっげぇ難しい陣だか式で制御されてる。要するに、現場に行くのを妨げてるってわけだな」
殺し屋が五人、此処に追い込まれた。月野稔は彼らを殺し、その様子を動画に収めた。それにも関わらず、死体を持ち帰って妖魔士連盟本部に埋めた。
そして、用済みであるはずのこの場所に人が近付けないよう細工をした。
一つ一つは仔細なことだが、連結して見ると不自然さが際立つ。何故、殺害現場を隠すような真似をするのか。隠すにしても、どうしてこのような手段を取らなければならないのか。殺害の痕跡を隠すのなら、建物を燃やすなり破壊するなりすれば事は足りる。
しかも施された細工は、妖魔士一人では出来ない非常に高度で複雑なもの。そんなことをしなければいけない意味がわからない。
「……青也、考え込んでるところ悪いんだけどさ」
郁乃が耐え切れなくなったように口を挟む。その目は青也の右肩に注がれていた。
「なんで、釣り道具持ってんの?」
「釣りしてたから」
「あの、つかぬことを聞くけど武器とかは?」
「持ってない」
「何で」
何故、と問われて青也は首を傾げた。単純な話、家から出る時にこのような事態になることを想定していなかっただけだが、郁乃にそんな事情はわからない。
全て伝えるのは面倒だったので、青也は端的に事実だけ伝えた。
「……必要ないかなって」
「嘘でしょ。仮にも直属妖魔士が行方不明になってるのに、武器じゃなくて釣り竿持って来るの? どういう感性?」
「いや、必要だとは思ってたけど……家に帰るのが面倒だった」
「余計に意味わかんないよ。学校帰りに遊びに行っちゃう小学生じゃないんだから」
「俺、十八だけど」
「知ってますー! 俺が言いたいのはそういうことじゃない!」
郁乃は声を荒げると、憮然とした表情を作って青也に一歩詰め寄った。
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