16.正義の味方は話が通じない
「やっぱり近くにいたか。言い争いすれば寄ってくると思ったんだよなー」
「ちょっと待って。わざとなの?」
「半分は本気だったけど、途中で考えたんだよ」
刀を鞘から抜いて構えた青也は、楽しそうな口調で続ける。
室内に入ってきたマシラは、そこに立つ二人の妖魔士を威嚇して唸り声を上げていた。
「お前、俺を誘い出すのに「マシラ退治」って言っただろ?じゃあマシラを倒さないと駄目じゃん?」
「だからって自分から呼ばないでよ!」
「俺が呼んだって証拠なんかねぇだろ?」
郁乃は本来、マシラを室内で倒すつもりはなかった。
鍵が壊れた理由を知りたかったのは確かだが、特定の局内でマシラを倒せば、その後始末などが面倒になる。
だから共用スペースである廊下や、あるいは屋上にマシラを誘い出して、片付けるつもりだった。
だが青也の突飛な行動が全てを台無しにした。
「お前のことだから、どうせ他で倒そうとしてたんだろ? 俺を馬鹿にしなきゃ、付き合ってやったのによ」
「あぁ、もう最悪! 今から別のところに誘導しようにも監視カメラまで止めてる時間ないし!」
「だろ?」
「何が「だろ?」なの!?」
郁乃は銃を取り出すと、妖気を注ぎ込んで引き金を放つ。
飛び掛かろうとしていたマシラが、短い悲鳴を上げて床に転がった。
一方の青也はマシラを睨み据えながら間合いを取っていたが、郁乃に倒された仲間に、気が一瞬逸れたのを見逃さずに踏み込む。
左下から右上へ剣を振りぬき、前足と肩の一部を切り裂いた。
マシラの悲鳴と血が飛び散り、床やデスクに容赦なく返り血が飛ぶ。
「なんだ、こいつ雑魚じゃん。つまんねぇの」
「だからぁ、放っておこうと思ったのにぃ」
泣きそうな声で言う郁乃の前で、撃たれたマシラが起き上がる。妖気の銃弾は右前足を貫通していたが、致命傷ではなかった。
郁乃はマシラの血が床に滴り落ちるのを見て、それから諦めたように首を左右に振った。銃を持っていない右手で、仮面の鼻梁の部分を押して顔に当て直す。
銃身をマシラへ向け、冷たい声と共に引き金を引いた。
「雑魚が俺の視界に入るな」
二発目の銃弾は、最初のものよりも迷いを捨てていた。
マシラは怒り狂った様子で、郁乃に噛みつこうと口を開く。だが銃弾はその喉笛を的確に撃ち抜いた。
撃ち込まれた銃弾から小さな火が生じ、瞬く間にマシラの頭蓋を包んで燃え上がる。喉笛を失ったマシラは叫び声を上げることすら叶わずに絶命した。
同時に青也も、前足を斬られて平衡感覚を失ったマシラにトドメを刺す。薄闇の中で振るわれた白刃は、マシラの首を水平に斬り、胴体から引き離した。
恐らくマシラ自身、何が起きたか理解する暇もなかった。体を操るべき部位を失ったマシラは、その場で数歩足踏みをしてから、床に崩れ落ちた。
後には血と、そして焦げた匂いが充満していた。
「って、燃やすなよ! 守衛来るじゃねぇか!」
「俺は火属性だから仕方ないの!」
火災を知らせる警告音が室内から外に響き渡る。
今死んだマシラすら、その騒音に飛び起きそうな音量だった。
騒音に混じって、遠くから誰かが急いで走ってくる足音が微かに届く。守衛がこちらに向かっていると悟った青也は、発端が自分であることも忘れて溜息をつく。
「郁乃が火属性じゃなきゃなー」
「おかしくない? 俺悪いの?」
「まぁそれはいいから逃げようぜ」
マイペース極まりない言葉に、今度は郁乃が溜息をついた。
「さっき入った非常口を開けるまでに守衛が来ちゃうよ。だから慎重にやりたかったのにさ。もう仕方ないから守衛を殺さない程度に殺す?」
「それ、殺してるだろ。安心しろ。俺にいい考えがある」
「もう何言っても驚かないからどうぞ」
「飛び降りよう」
「ゴメン、前言撤回。何言ってんの?」
青也は部屋の奥、局長用の席の背面にあるガラス窓を指さしていた。
夜なのでブラインドが閉ざされているが、その隙間から月明りが零れている。
「四階だから運が良ければ肉塊になるだけで済む」
「それは運がいいとは言わないし、無事じゃないよね。地上まで十メートルはあるよ」
「俺は関係のない人間を傷つけたくねぇんだ」
「だから青也が元凶だからね」
青也は不思議そうな表情で疑問を投げる。
「何ブツブツ言ってんだよ」
「青也に言ってるんだけど」
「後で聞いてやるから、さっさと逃げるぞ」
「今聞いてほしいなぁ」
守衛が此処に来るのは時間の問題だった。
納得出来ないながらも、郁乃は銃を水平に構え、窓に何発か撃ち込む。防弾性でもないガラスは、あっけなくヒビが入って砕け散った。
ついでとばかりにブラインドの留め具も撃ち抜き、床に落とす。
「ナイス」
「このぐらい簡単だよ」
実際にはさほど明るくもないのだろうが、突然差し込んだ月明りが妙に眩しく思えて、二人は目を細めた。
局長席へ回り込み、割れた窓に注意しながら下を覗き込む。
そこは丁度中庭で、青々とした葉をつけた木が庭を囲むように植えられていた。
「これ、本気で飛び降りるの?」
「だって、さっき貸してくれたのって複雑な式は作れないんだろ?」
「そうだけどさ、緊急避難用のハシゴとか……」
「じゃあお前はそれ使えよ」
青也は何の躊躇いもなく窓枠に足を掛けると、そのまま宙に飛び出した。
「あ、待ってよ!」
郁乃も慌ててその後を追う。
宙に投げ出された一瞬、二人は浮遊感を味わったが、それは瞬時に打ち消され、強い重力が体に圧し掛かる。
青也は昼間に駅ビルから飛び降りた時のことを思い出しながら、刀を振り上げる。使い慣れている刀が、重力と空気抵抗により、普段の何十倍もの重さに感じられた。
妖気が正常に使えれば、あるいは妖魔が一匹でなければ、空気抵抗を無効化することも、落下速度を抑えることも可能だった。
だが無いものは仕方がない。青也はあっさり諦めて、その代り刀を振り下ろす手に力を込めた。
「裏青蓮院流」
視線の先にはビルの壁。
狙うのはただ一点。窓ではない場所。ただそれだけだった。
「光明蓮華!」
刀の先から放たれた妖気が、壁に衝突する。
本来は距離を少し取って使うべき式を、超近距離で放ったため、反跳した妖気が青也の体を吹き飛ばした。
飛ばされる最中に、近くにいた郁乃の腕を掴む。
郁乃は青也が刀を振り上げた時から、何をするつもりなのか理解していた。
「青也、頭下げて!」
その言葉に被るように、突然二人の体が何かに触れる。
柔らかい紙束に突っ込んでいくかのような感触と、それに混じって棒状のものが折れていく音がした。
それは中庭にある木の一つに落ちたことによるものだった。
木をクッション代わりに落ちれば、落下によるダメージは軽減される。だがビルから木までは距離があり、妖気で肉体の強化も出来ない状態ではとても届かない。
青也はその距離を妖気の反跳で埋めようと考え、刀を振るった。失敗すれば、地面にそのまま叩きつけられる、賭けのようなものだったが、その程度のことを恐れるような人間ではなかった。
「……っと!」
木の幹に叩きつけられた青也は、背中の痛みに耐えながらも、刀を幹に突き立てる。続けて太い枝に膝を引っ掛けて落下を防いだ。
郁乃は青也に腕を掴まれていたために一瞬反応が遅れたものの、枝に手をかけ、幹を両足で踏みつけるようにしてその場に踏みとどまった。
「あー……死ぬかと思った」
枝にかけた腕に力を入れて、郁乃はその上に腰をかける。
風圧により外れた仮面の下では、美しい顔が少々疲弊気味に歪んでいた。
「大丈夫か?」
「青也って優しいんだけどさぁ。優しさが間違ってるよね。それ、さっき見せてほしかったな」
「何言ってんだ、お前」
何故か批難されたが、青也には心当たりがなかった。
元来、青也は優しい性格をしているのだが、それに見合う常識が欠如している。
それは青也を育てた男のせいかもしれないし、環境のせいかもしれないし、または生まれ持ったものなのかもしれないが、どちらにせよ周囲を困惑させることに変わりはない。
「早くここから去ろう。他の守衛に見つかるかもしれないし」
「そうだな。まぁこれで経理局にも手入れが入るだろ。流石に室内でマシラ死んでたら問題だし」
嬉しそうな青也とは逆に、郁乃は黙り込んだままだった。
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