17.東都駅の朝(終)
朝の東都駅は、平日であっても人の行き来が多い。
新幹線の改札へ向かう人々は、その手に引きずるキャリーバッグを、なるべく人に当てぬように注意しながら足を進める。
郁乃は黒いシフォンワンピースに赤いレースカーディガンを羽織り、その雑踏に紛れていた。
利き手である左手に持ったキャリーバッグは、ピンク色と黄色のマーブル柄で、メルヘンチックなステッカーがいくつも貼られている。可愛らしい外見をしているが、中に入っているのは仕事用の黒装束だった。
新幹線のチケットを右手に持ち、改札へと向かう。
だがその行く手を遮った者がいた。
「お、は、よ」
郁乃はその場で立ち止まり、自分の目の前に立つ相手を見る。
寝起きから間がないのか、少々不機嫌な顔に、無理矢理笑みを貼り付けたような表情の青也がいた。
「どうしたの? お見送り?」
「お前に聞きたいことがあってさぁ」
「スリーサイズならこの前教えたでしょ」
軽口を叩きながら、郁乃はポーカーフェイスを保つ。
「そんなもん知ってたまるか。お前、根回ししただろ」
「何を?」
「経理局で火災。原因は交換したセキュリティ装置の不具合」
郁乃はそれを聞いても涼しい表情だった。
「俺じゃないよ。上層部が勝手に揉み消したんじゃないの?」
「お前、何が目的だったんだ?」
「だからマシラの……」
「経理局の帳簿が欲しかったんだろ?」
青也の直球に、郁乃は思わず黙り込んだ。
「考えてみれば変な話だ。「何処に出るのか調べたい」って言ってたくせに、迷いもなく経理局に入った。いくら他の局から、セキュリティ装置の不具合が報告されなかったとはいえ、他の扉だって調べたほうがいいに決まってる」
「いや、他の局に入るコードなんか知らなかったし」
「大体お前、本部で使ったあの装置、「情報屋から受け取った」って言っただろ。情報屋に気付かれないうちに、さっさと片付けたかったって言ったくせに、なんでそんなもん手配してんだよ」
「俺、そんなこと言ったかな」
あくまでシラを切ろうとする郁乃だったが、青也は険しい表情のまま、一歩詰め寄った。
傍目からは別れの挨拶をしている友人同士か、カップルにでも見えるのだろうが、その間に流れる空気は刃物のように鋭い。
「情報屋に事前に連絡を取っていたのなら、まして経理局に門下生がいるのなら、「中のことがわからないから」って俺を連れていく必要なんかなかっただろ。お前が俺を連れて行った理由はなんだ。いざという時のスケープゴートにするためか?」
新幹線の到着を知らせるアナウンスが構内に響く。
郁乃はそれを聞いて、右手首の腕時計に目を落とした。
「経理局の帳簿を取って来いって言われたのは本当だよ。でもマシラの発生原因を調べる意味でもあるから、まるっきり嘘をついたわけじゃない。言ったでしょ? 「マシラが出る場所を調べたい」って。それって「発生原因を調べたい」と同じ意味だよ」
「お前な」
「曖昧な言い方したのは謝るよ。けど、青也を身代わりにしようとしたわけじゃない。これは本当」
「じゃあ何だよ」
「遊びたかった」
それは、大概に突拍子もない人間だと思われている青也にとっても、想定外の答えだった。
「遊びたかった?」
「そうでもしないと青也、俺と遊んでくれないじゃん。偶には一緒にさ、スリリングなことして遊びたかったんだよね。他の人とじゃ楽しめないし」
唖然としている青也の傍らを、郁乃はキャリーバッグを転がしながら通り抜ける。
青也が我に返って振り返った時には、郁乃は改札を通り抜けていた。
「楽しかったよ。今度はちゃんとメール返してよね。傷ついちゃうから」
悪戯っぽい笑みを浮かべている姿を見て、青也は唐突に理解した。
郁乃がこんな回りくどいことをした原因は、ただ一つ。青也が郁乃の連絡を無視したせいだった。
「面倒くさい拗ね方するなよ。だから友達が俺以外いねぇんだぞ」
「うーわ、真実で斬りつけないで。もうやらないよ。……多分ね」
郁乃の背中が、雑踏に紛れて溶け込んでいく。
青也は暫くそれを見送った後で、欠伸をしながら踵を返した。
「……あいつ、マジで面倒くせぇな」
青也は友人と大勢で騒ぐよりは、一人でいることのほうが好きだった。
それでも今のところ、郁乃を友人というカテゴリーから外さない程度には気に入っていた。
「まぁ、楽しかったから良しとしてやるよ」
結局のところ、郁乃と遊ぶのは嫌いではない。
青也は少しだけ笑みを浮かべ、そして郁乃と同じように雑踏の中へ消えて行った。
END
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