第二話 妖魔士たちの陰湿

1.天才妖魔士と二人の少年

 その日は桜が散った直後で、まだ道路の側溝には色あせた淡紅の花びらが残っているような状態だった。

 桜の木々は瑞々しい若葉を芽吹かせて、柔らかい風がその間を通り抜ける。

 海保青也カイホセイヤは思わず目を細めて、その風の行方を探るかのように何度か瞼を上下した。


 申し分ない春の陽気であったし、時間と状況が許すなら昼寝でも決め込みたいほどであったが、青也の目の前には大泣きしている友人が二名いる。

 東都中心街から電車で二十分の閑静な住宅街。そこにある一際大きな屋敷は、十妖老が一つ「裏青蓮院流」の敷地であり、青也はその統帥ならびに当主である。


 幼い頃から天才妖魔士と祀り上げられてきた青也は周りから奇人変人扱いされるのが常だが、根本的には優しい気性をしている。

 従って、大泣きしている年下の友人を無碍にすることも出来ずに黙って耳を傾けていた。

 何十回目かの「がんばったんだけど」という鼻水混じりの言葉を頭の中で処理してから、青也は口を開く。


「だから?」


 素っ気なく聞こえる口調は珠に苦言を呈されるものの、本人の心に一ヘルツも届かないために直される見込みはない。

 優しいと言っても、あくまでそれは本質的なものだから、口調や表情や態度まで優しくするという発想は青也にはなかった。


「十六にもなって二人でピーピーピーピーうるせぇんだよ。……清人キヨト!」


 青也から向かって右側にいた、銀髪の少年が肩を震わせて顔を上げる。

 見事な銀髪は、この国最古の流派である「白扇シラオウギ流」の血縁であることを示している。


 現統帥の孫息子、白峰清人のその髪には血がこびりついて茶色く変色していた。

 年齢は青也より二つ下だが、骨格が並みの大人よりもしっかりしていて、筋肉質なためにほぼ同い年に見える。


「お前の方が妖魔士歴長いんだから、そういう時はどうにか立ち回れよ!」

「で、でも俺……」

「力でどうにかするんじゃなくて、ちゃんと逃げろってことだよ。玲一路レイイチロ!」


 左側にいた、清人より小柄な少年が恐る恐る顔を上げた。着ている服の右袖の下から覗く黒いアームスリーブは肩まで覆っている。左右の腕の太さが一目でわかるほど異なるのをそれが助長していた。


 十妖老第八席「秋月院」の統帥が長男である秋月玲一路は、父親譲りの精悍な顔立ちに幼さを多分に混ぜており、額の擦り傷と腫れた頬が一層哀れさを誘っていた。


「お前の方が清人より頭回るんだから、ちゃんと助言してやれよ」

「ご、ごめんなさい」

「俺に謝っても仕方ないだろ。ってかなんでそんなのに勝負挑んだんだ?」


 青也は二人に問いかけたが、どちらもまだ泣きじゃくっている。

 いい加減面倒くさいと思いながらも、青也は玲一路の方を睨みつけた。険の強い紺色の双眸は、睨みつけるとその威力が増す。


「おい」

「はい! ……別に僕たちが悪いんじゃないよー。向こうが勝負仕掛けてきたんだもん」

「仕掛けてきた?」

「うん。二人でゲーセンで遊んでたらさー、その男が急に話しかけてきて。最初は適当に流して逃げようとしたんだけど、逃げても先回りされちゃって…それを逃げていくうちに行き止まりに追い詰められちゃったんだー」


 間延びした、どこかのんびりとした話し方で答える玲一路は、アーモンド型の優し気な瞳を何度もしばたかせて涙を振り払う。


「なるほどな。誘導されたのか」

「だと思う。それで喧嘩かなー? 勝負ー? 吹っかけられて……」

「あっけなくボコボコにされたと」

「僕、体術苦手だから……キヨだけならどうにかなったかもしれないけど」


 玲一路は十二年前の事故で右半身を大火傷し、そのために今でも右腕の力が幼児程度しかない。

 元々右利きだったのを左利きに矯正したり、怪我のリハビリを行った期間があるために、同い年の妖魔士達の中でも一際経験が浅かった。


「相手はどういう奴だったんだ?」

「わからない。見たことないけどー、歳は二十代後半から三十代前半。身長は青也君やキヨと同じぐらいだから一七五センチメートル前後。黒いカットソーに黒いパンツ。上着は海外製の革のジャケット。動きからして前衛型妖魔士か、それに準ずる訓練を受けてる」


 涙ぐみながらではあったが、玲一路は冷静にその男の特徴を述べた。

 少々打たれ弱いことを除外すれば、玲一路は年齢の割に聡明な少年である。


「妖魔士が妖魔士を……それも年下の奴を襲ってカツアゲねぇ」


 青也は頬杖をついて溜息をつく。

 一時間前に泣きながらやってきた二人に面食らったのは確かだが、今はそれよりも二人の話のほうが気になっていた。


 ゲームセンターで遊んでいたら男に絡まれ、逃げたつもりが行き止まりに追い詰められ、一方的に暴力を振るわれて、妖魔札を盗まれた。

 妖魔札には妖魔と呼ばれる生命体が封じ込まれており、それがなければどんな天才でも、ただの人間に成り下がる。

 つまるところ、妖魔札は妖魔士の命といっても良い。


 二人の話をまとめると凡そそんなところで、一見ただのカツアゲにも思えるが、青也は直感的に違うことを見抜いていた。


 まず、普通の妖魔士なら清人のことを狙ったりしない。

 その派手な銀色の髪で白扇流の統帥家系だと言うことはすぐにわかる。

 玲一路にしても同じことで、あの特徴的なサポーターをつけた姿は大会でも悪目立ちしている。


 加えて、二人は有名な妖魔士ではあるものの未成年であり、人から恨みを買うほど積極的に仕事をしているわけではない。

 わざわざ人目に付かない路地裏まで誘い込むような利点も見当たらない。


 強いて言うなら誘拐目的も考えられるが、こうして目の前に二人、傷だらけではあるが五体満足でいることから、その線も消える。


 妖魔札狙いの犯行であるとしても、二人が使っている妖魔はさほど珍しいものではない。


「………よくわかんねぇなぁ」

「え、何ー?」

「そもそもお前ら、なんで家に帰らないでこっちに来たんだ?」


 先ほどの話からすると、分家に来るよりも自分たちの家に帰ったほうが早い。

 東都駅を中心として、分家は西側、白扇流と秋月院はどちらも東側に位置している。


「だってこのまま帰ったら、爺様に殴り殺される…」

「このまま帰ったらー、母様が悲しむ…」


 清人と玲一路がほぼ同時に言った内容に、青也は頭を抱える代わりに傍らにあったティッシュ箱を掴んで投げた。

 本気で投げたわけではないので緩い軌道を描いて二人の間に落ちたが、委縮させるには十分だった。


「なんで俺ならいいんだよ!」

「別に青也君ならいいとか考えたんじゃないんだけど」


 落ちた衝撃で潰れた箱を拾い上げながら清人が言う。


「相談できる相手が他に思いつかなかったんだよ……。それに喧嘩したこととかないから混乱しちゃって。青也君はこういうの慣れてるでしょ?」

「人を不良みたいに言うなよ」

「不良じゃん、思いっきり」

「いいか清人。俺はな、ちょっと髪の毛を校則違反の色にして、ちょっと授業をさぼって、ちょっと拳で語り合っただけだ。停学処分だってたったの三回。不良じゃない」

「それで不良じゃないなら逆に怖いよ。異常者だよ」

「ささやかな自己表現だろ。第一俺が喧嘩慣れしてたらなんなんだ? そいつぶん殴って取り返して来いって?」


 青也はさっきの何倍もの濃度を持った溜息をついた。

 これが殆ど関わりのない相手なら殴り飛ばして家から追い出しているのは確実だった。投げつけたのがティッシュではなく塀のブロックか割れた蛍光灯でもおかしくはない。


 だがどうしても、この年下の二人を見捨てることが出来ないのが青也の甘いところだった。人を不良呼ばわりするのは気に入らないが、それもついでに見逃すことにする。機嫌が悪ければプロレス技の一つや二つは発動していた。


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