15.証拠はない
あっさりとした口調で郁乃は言ったが、その言葉の重みを知らないほどお互い幼くはなかった。
全流派の頂点が十妖老であれば、全妖魔士の頂点は上層部。
つまり全ての妖魔士を束ねる組織からマシラを出してしまったこととなる。
「そのマシラが、「仲間」の気配を察知して経理局まで向かって、鍵を壊した。上層部はそれに気付いて、鍵が壊れた理由を「故障」として片づけた」
「経理局の局長は、心当たりがあったから掌を返した」
「その通り。互いにそれを露呈したくなかったから口を噤んだってところかな」
「冗談じゃねぇぞ。本部の二箇所からマシラが発生して、なのにそれを黙ってるのかよ」
「秘密裏に処理するつもりだったのかもよ。だってこんなことを公表したらさ、下手したら全員免職どころじゃ済まないかもしれないし」
涼しい口調で言う郁乃に対して、青也は語気を荒げる。
「免職されて当然だろうが。マシラを倒しもせず、自分たちの面子ばっかり守りやがって!」
「声大きいよ。あのさ、青也だって統帥なんだからわかるでしょ。世の中綺麗ごとばかりじゃない。仮に上層部が全員免職になったら、他の局も統制が取れなくなって、更に大きな歪みを引き起こす可能性だってある」
「知るか、そんなこと」
「それに歪みって一言で言っても色々なものがあるしね。何も上層部や経理局だって、わざとそんな状況を起こしたわけじゃないかもしれない。偶然に偶然が重なって、歪みが発生した可能性だってある」
歪みというのは神代、神々の時代から存在したものとされている。
その後に生まれた人間達が、完璧にその発生条件を把握出来るほど生易しいものではない。
複数の人間の、取るに足らない不正や思惑が集まって歪みになることも十分にあり得る。
青也もそれは理解していたが、かといって隠蔽することが正しいとは思えなかった。
「偶然だろうと必然だろうと、原因は探るべきだろ」
「理想論はそうだけど、それだけじゃ世の中回らないんだって」
「じゃあお前は世の中が回ればマシラを放っておいてもいいのかよ」
「そんなこと言ってないじゃん。俺は正義の味方さんみたいに感情論だけで動かないだけだよ」
部屋の中の空気が張り詰めたものとなる。
青也と郁乃は、お互いのことを一人の人間としては力量を認めているものの、流派や妖魔士としての方針は相容れないことが多かった。
秩序を守るには正義が必要だとし、悪とされるものは叩き潰すべきだと考える裏青蓮院流。
秩序を守るには調和が必要だとし、そのためなら手段を問わない朱雀流。
どちらもそれを譲るわけにはいかず、そしてその理念の下に生きて来たという絶対の自信がある。
「本部が隠蔽したせいで起きた事件が多いのは、てめぇだって知ってるだろ」
「あぁ、知ってるよ。それが隠蔽しなければもっと大きな問題に発展していた可能性があったこともね」
「十二年前だって本部のせいで……」
青也はそこまで言いかけて口を閉ざす。
郁乃がその様子を見て、仮面の下で笑った。
「本部が全ての責任を、裏青蓮院流に押し付けた。それを言っているのは青也達だけだよ。証拠はない」
「……それは、そうだけど」
「証拠がないなら、何を言っても信用なんてしてもらえないよ」
郁乃は青也を黙らせるためにその言葉を告げる。
だが、青也は何故かそれを聞くと、愉快そうに口角を緩めた。
「証拠がないならいいんだな?」
「は?」
次の瞬間、青也は右足を振り上げると、思い切り経理局の扉を蹴り開けた。
激しい音がして、ガラスの扉が左右に開かれる。廊下を音が反響して、遠くまで伝達していく。
「何してんの!?」
驚愕して叫ぶ郁乃だったが、廊下を走ってくる複数の足音に気付いて、そちらに目を向けた。
廊下の闇の中に、緑色の光が揺れている。その光は荒い息遣いを伴って、二人の前に姿を現した。
黒い毛並みと緑色の瞳をした獣が二体。
狼のような姿をしたそれは、紛うことなきマシラだった。
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