13.世話役の我儘
夜も更けて人のいなくなった連盟本部で、準一は全ての手続きを終えて刑務局を後にした。
本部の五階にある刑務局は、他局に比べても大きな部屋を所有している。
準一のいる祭事局の三倍はあるだろう。それだけ在籍人数がいるのだから仕方ない。
エレベータで二階まで下りる。一般の妖魔士も二階までは来れるが、そこから先へ行こうとすると手続きを踏んだうえでカードキーを使用してゲートを開き、エレベータホールに出る必要がある。
準一は自分のカードを使ってゲートを通ると、通称「テラス」と呼ばれる場所に出た。
二階は一階の半分以下の面積しかなく、そこにコーヒーショップとクリーニング店、売店、多種多様の椅子とテーブルが置かれて局員や来訪者の憩いの場となっている。
二階にはガラス張りの壁と扉が設けられていて、扉の向こうはいくつかのテーブルが用意されている、所謂オープンテラスの形式を取っている。
本来は扉から向こうのみをそう呼ぶのが正しいのだが、どういうわけだか昔から二階のことはまとめてそう呼ばれている。
既に誰もいない、静かなテラスで準一は立ち止まる。
遠くから聞こえる、夜間運転のトラックの重い音がどこか哀愁を誘う。
非常灯しかついていないとはいえ、本部はガラス張りである場所が多く、中央が吹き抜けになっているために圧迫感はない。
準一は階段を使って一階に降りようとしたが、唐突にもう一度テラスを振り返った。
月明りがわずかに差すガラスを背にして、郁乃が立っていた。
その右手が振るわれ、何かが飛んでくる。
咄嗟に受け止めた準一は、それが昨日発売されたばかりの缶コーヒーだと気付いて眉を寄せた。
「私は珈琲は飲めません」
「あれ、そうなの? 青也が珈琲好きだからてっきり。オレンジジュースと交換する?」
女装の少年は、「はい」と自分が飲む予定だった缶を差し出したが、準一は辞退した。
「何か御用でしょうか、郁乃様」
「大変だね、青也の後始末っていうのも」
その台詞に準一はわずかに眉をしかめた。
準一が此処にいるのは、翡翠堂での騒動は自分のやったことだと、刑務局に説明するためだった。
青也が、というより十八歳の少年が分家の統帥であることは極力隠されている。
無論、青也が統帥に相応しい立ち振る舞いをしてくれれば何の問題もないのだが、野良鴉と綽名をつけられるほどの自由人なので難しい。
周りの大人が口を揃えて、何度も何度も注意はするのだが、青也は自分の世界に生きているので大抵の説教も説得も意味をなさない。
かといってそれを放置すれば、分家にとってマイナスになる可能性もある。
そのため、青也が単独で仕出かしたことを隠すために幹部たちが身代わりになることは珍しいことではなかった。
たまに、青也のやったことが一妖魔士の常識を超えていることもあるが、真面目な準一が真面目な表情で「よくわからないが、そうなってしまった」と言えば大抵は通用する。
「貴方には関係のないことです」
「冷たいなぁ」
郁乃はわざとらしく眉を下げた。
まるで想い人に素っ気なくされたかのような表情であるが、皮膚一枚下にある研ぎ澄まされた感覚は、真っすぐに準一を射抜いている。
「まぁ俺にも責任の一端はあるからさ。少しは悪いと思ってるよ。もしあの状況で白扇の孫息子に何かあったら、青也が責任取らされていたかもしれないしね」
「……そうしたら貴方が処刑しますか、青也様を」
「そうだね。それが嫌だから俺は青也には無茶なことをして欲しくないんだ。俺は青也しか友達いないし」
準一は、青也の親友であるその少年を好いていなかった。
力量については認めているし、悪い人間というわけでもないが、徹底的に価値観が違う。
「それに青也だけ殺すのは難しいからさ。周りも片付けないといけないし、面倒くさいよ」
「確かに貴方を倒すのは骨が折れそうです」
暗に勝利宣言をした準一に、郁乃は小さく微笑んで口を開く。
「祭事局局長」
「……」
「分家先代が一番弟子、実質上の分家のナンバー2にして同世代の中では最高水準の戦闘能力。特に過去の功績を見れば、現在の地位はあまりに閑職だ。それもこれも全て分家の……いや、青也のために人生を犠牲にしているのかな?」
「勘違いなさっているようですが、私は分家に命じられてこのような人生を送っているわけではありません。寧ろ、分家を捨てて楽になれと命じられた」
年下の少年に対して、準一は丁寧な口調で応じる。
この男が敬語を崩して他者と接するのは、非常に限られた間柄のみである。
「私が青也様に仕えるのは、私の我儘です」
「わがまま?」
きょとんとしたその顔に準一は優しく説くように続ける。
「主従よりも忠誠よりも性質の悪い代物ですよ。だから誰がなんと言おうと私の心は揺るぎません」
そして今度こそ階段を下りて行った準一は、後ろで郁乃が悔しそうな顔をしていることなど思いもよらなかった。
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