第六話 獣に願いを

1.不良と不良

 笹の葉が揺れる音がする。視界の隅で翻る色鮮やかな短冊は、拙い文字で書かれた願い事を誰かに見せつけるかのように回転していた。

 その笹が作る影の下で、青也は手にした缶珈琲を傾けて中の液体を喉に流し込む。珈琲はブラックしか認めない、十八歳にしては渋い趣味をしているが、何の自慢にもなりはしない。


「何してんだ?」


 珈琲を飲み込んでから、青也は地面に視線を向けて問いかける。そこにはよく知った年下の少年が、鼻血を出して蹲っていた。顔を抑える右手の指の間から真っ赤な血が零れている。どうやら鼻を強く殴られたようだが、他にも腕や肩に打撲痕が見えていた。


「青也君」


 泣きそうな声で少年が言う。恐らく助けを求める言葉が続いたはずだが、それは後続の別の声で掻き消された。鼻血を出す少年を追いかけてきたらしい男は、青也と同い年ぐらいに見えた。ただ、洗濯と洗顔と染髪に失敗したような風貌をしているので、その分老けているようにも思える。


 皺だらけのワイシャツの胸ポケットには、どこかの高校の校章が刺繍されている。そこに入っている煙草はタールの強いもので、このあたりの不良がよく好んで吸っている銘柄だった。


「てめぇ、そいつの知り合いか」


 煙草くさい声で問われて、青也は一度考え込んだ。だが足元で泣きそうな声がしたので、仕方なく頷く。


「そうだけど、なんだよてめぇ。人に鼻血出させた状態で追いかけっことか、相当な変態だな。俺の知り合いに女装癖のロリコンナルシストがいるけど、いい勝負だぞ」

「誰が変態だ!」


 不良が大声を上げると、その声に導かれたかのように新たに二人の不良が現れた。いずれも同じ制服を着ているところからすると、群れを成すタイプの不良のようで、その時点で青也は足元の知り合いを見捨てたくなる。


「おい、玲一路。てめぇ何したんだよ」


 秋月院流統帥が長男、秋月玲一路は鼻血を抑えた格好のまま口を開くが、逆流した血が口から出て余計に酷い有様となった。


「そいつが因縁つけてきたんだよ」


 最初に追いついた不良が口を挟む。それを聞いた玲一路は、事実無根だとばかりに首を左右に振った。


「違うよ、僕はただ」

「謝りもしねぇでガンつけたのはそっちだろうが!」


 不良と鼻血流出少年は、互いに好き勝手に話し始める。青也は心底面倒になっていたが、なんとか二つの話を合成することに成功した。

 玲一路は学校から帰る途中だったが、いつもの通学路が工事中だったため路地裏を使った。その路地裏を出る時に、この不良たちに間違ってぶつかってしまった。


 右腕が不自由な玲一路は、左からぶつかられたために思い切り転んでしまい、それを見た彼らが「大袈裟」だの「当たり屋」だの言いだしたらしい。更に拡大解釈して「金を取ろうとしている」という在りもしない仮説に行きついてしまった不良たちは、玲一路を殴りつけて追いかけまわした。


「なんだそりゃ」


 理解が追いついた青也は思わずそう言って溜息をついた。


「くっだらねぇ。俺、帰っていいか?」

「そんなこと言わないで助けてよぉ」


 後生だと血まみれの手を合わせる玲一路を見ても、青也は眉を寄せたままだった。元々、青也は非常にドライな性格をしているうえに、口数も多い方ではない。偶に饒舌になった時に妙な発言ばかりをするものだから周囲に誤解されているだけである。

 従って、玲一路が必死になればなるほど、青也が閉口していくのも、その性格からすれば当然でもあった。


「……俺に何か得あるのかよ」

「正義の味方でしょ」

「正義ってのは人助けのことじゃねぇよ」


 そう切り捨てようとした青也だったが、その時唐突に過去の記憶が再生される。過去といっても半年から一年ほど前だったが、若い青也にとっては十分な「昔」だった。


「あ、思い出した。お前ら、朝霧高校のクズ団子じゃん」

「誰がクズだ!」


 突然の罵倒に不良が怒鳴り返すが、青也は涼しい表情を浮かべたまま言葉を続ける。


「クズだからクズでいいだろ。みたらし団子とかのほうがいいのか? 俺はゴマ団子の方が好きだけど」

「青也君、多分そういう話じゃない」


 三人のうち一人が怒鳴りながら青也に殴りかかってきた。顔面を狙った一撃を青也は寸前で避けると、右足を振り上げる。そしてキレの良い音と共に、相手の腕ごと体を蹴り飛ばした。

 

 素人とは思えない動作に、不良たちは驚いた表情を浮かべる。それが一様に間抜け面であったので、青也は鼻で笑った。


「俺は意味のない暴力ってのが嫌いなんだ。弱い者いじめもな。怪我したくなきゃどっか消えろ」

「なんだと……」


 蹴り飛ばされた不良が、頭に血が昇った状態で起き上がる。それに鼓舞されたかのように、後ろの二人も身構えた。


「調子乗ってんじゃねぇぞ!」

「うるせえんだよ、クズ団子。……あとお前はいつまでそこにうずくまってんだ、玲一路! 邪魔だから帰れ!」


 青也は足元にいた弱い者に、意味のない暴力として蹴りを放った。


「酷い!」


 辛うじて避けた玲一路は、その穏やかな性格で可能な限りの呪詛を並べて、その場を逃げ去る。とはいえその呪詛も「紙で指を切っちゃえ」レベルのものだったので、青也には痛くも痒くもなかった。

 玲一路がいなくなったことで身軽になった青也は、口元に笑みを浮かべて喧嘩の構えを取る。気性が大人しく、良くも悪くも平和主義である玲一路は喧嘩の場には向いていない。一応、青也はその程度の思いやりはあった。


「かかって来いよ。手加減ぐらいはしてやる」


 十分後、青也の宣言通りに手加減された不良たちは、中途半端な痛みで悶えながら地面に倒れていた。

 想像よりは手ごたえがあった相手に多少満足しながら、青也は喧嘩の前に道路に置いた缶を取り上げる。


「あー、動いたら余計暑くなったじゃねぇか。玲一路にアイス買ってもらお」


 文句を垂れながらその場を去ろうとした青也だったが、不良の一人が咳き込みながら呼び止める。最後に鳩尾を殴りつけたのに喋れる気力があったことに驚きながら、青也は振り返った。


「てめぇ、どっかで見た面だな。どこの高校だ?」

「……今更?」


 青也はそう言いながら、頭の中で考える。

 そもそも青也がこの不良たちを知っていたのは、二年前に似たようなことで喧嘩したからである。だが当時は金髪に染めていたし、恰好も制服だったから、今の青也とは随分印象が違っている。恐らくそのせいで青也のことを完全には思い出せないと思われた。

 だがこの状況で馬鹿正直に身の上を晒すほど、青也も愚かではない。本来、妖魔士は一般人との戦闘を禁じられている。例え正当な理由があったにせよ、分は悪い。

 そこまで考えてから、青也はあることを思いついて口角を持ち上げた。


「一回しか言わねぇからよく聞けよ。俺の名前は……」

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