2.悪友

「それでなんで俺の名前を言うんだよ!」

「悪い」


 全く悪びれもせずに言った青也に、髪を赤く染めた少年は苦い顔をする。駅前のファストフード店は、平日の夕方にも関わらず多少の賑わいがあった。今日が七夕であるため、平素は百円のものを七七円で販売するという、地味なセールのためと思われた。


 玲一路の代わりに不良を殴ってから、まだ一日しか経っていない。念のため、玲一路には学校を休ませたものの、いつまでもそれを続けるわけにはいかなかった。


「だって名前名乗るわけにもいかねぇじゃん? 俺、妖魔士だし」

「俺だって妖魔士だ」


 耳にシルバーのピアスをつけ、白いジャージに黒のカットソーという格好をした少年は不愉快そうに呟いた。青也と年は同じだが、身長は数センチ高い。腰かけた椅子の傍にはセミハードのケースに入ったエレキギターが立てかけられていた。

 一方、青也は刀が入った布袋を椅子の上に横に置いている。中には愛用の日本刀が入っているが、ここ数日は抜いていなかった。


「バンドの練習に行ったら、仲間に「朝霧高校の奴が聖イージアの羽鳥を探してる」なんて聞かされたこっちの身にもなれよ。こっちはもう退学済だってのに」


 ジャージのポケットから煙草を取り出して一本口に咥えた淳平は、箱ごと青也の方に放った。どこにでも売っている安い国産煙草は箱の中心が潰れて変形していた。


「あれ? 結局淳平って俺と同じ時期に退学したんだっけ?」

「俺はその後だよ」


 二人はかつて、東都にある「聖イージア高等学校」に通っていた。真面目な校風の中で所謂「不良」と呼ばれるタイプの生徒であり、授業には殆ど出なかったし、校則も守っている箇所を探す方が困難だった。

 どちらも目立つために、校外で喧嘩を仕掛けられてはそれに応じるような日々で、少なくとも教師たちは二人を、面倒な生徒として扱っていた。


「青也みたいに出席日数やテストとか気にしてなかったから、普通に落第しちゃってさ。それで辞めた」

「勿体ねぇの」

「お前だって、あの時に反省文でも書いておけば退学にならなかったのに」


 淳平の言葉に青也は肩を竦める。

 青也が退学処分になったのは、ある生徒達に殴りかかって全治一ヶ月の怪我を負わせたためだった。優等生五人は口を揃えて、青也が急に殴ってきたと繰り返したし、青也は一言も喋らなかった。そのため、暴力行為を行ったとして退学処分が下った。


「だってあいつら、灼龍事件の英雄たちは只の犬死にだ、って言ったんだぜ」


 煙草の箱を手に取った青也は、折れた紙巻煙草を一本取り出した。左手の指で形を整えて、余計な葉をテーブルの下に払い落とす。


「後からじゃ何とでも言えるだろ。こうすればよかった、あぁすればよかったって。俺、あぁいう奴が一番嫌い」


 十二年前の未曾有の災害である「灼龍事件」では、十人の妖魔士を「英雄」として碑に刻んでいる。最後まで前線で戦い続けた者、死の直前まで救護活動を続けた者、単身で主要施設を守った者などその内容は多様であるが、十人のうち九人はその時に命を落としている。


 青也の父親はその名を英雄碑に遺したが、それは裏青蓮院流の合意を得たものではなかった。何も知らされず、勝手に建った英雄碑のことを、青也の叔父は一切認めていない。


 英雄を馬鹿にされることは、青也にとっては父親の名誉を傷つけられたに等しかった。没落し、灼龍事件の責任を被せられた裏青蓮院流を庇う者は、誰もいない。だからこそ青也は父親を侮辱されて黙っているわけにいかなかった。


「まぁ殴ったのはやりすぎだと思ったから、素直に停学処分受けたけど、後悔はしてねぇよ」

「流石、裏青蓮院流の統帥は潔いな」


 ライターで煙草に火を点けた淳平が揶揄うように言った。

 知り合った当初は互いの素性を知らなかったし、青也も隠していたが、妖魔士全国大会で鉢合わせをした時に露呈した。

 淳平が前日に誤って青也の手に傷を作ってしまい、それを隠し忘れていたためだった。青也は今でもそれを「くだらない失敗」の一つに挙げている。


「まぁ大体の事情はわかったよ。秋月院流のお坊ちゃんが朝霧のクズ団子にボコボコにされてたのを助けたんだな?」

「そう」

「うちの流派と秋月院が仲悪いの知ってるよな、当然」


 淳平が所属する「嶋根流」は、開祖五百年を誇る古参流派であり、かつては十妖老の一つでもあった。だが二十年前に、新興流派の秋月院流にその座を奪われてからというものの、目の敵にしていると言われている。

 その騒動の後に生まれ、ただの師範代に過ぎない淳平でも詳細を知っているほど、嶋根流の中で秋月院の話題はタブー視されていた。


「知ってたけど、その時は忘れてた」

「だろうな」


 煙草の煙を吐きながら、淳平は眉を寄せて考え込む。


「青也に後始末任せたら、もっとややこしいことになりそうだし、俺が片付けるか」

「あ、マジで?」

「あのクズどもは「羽鳥淳平」を探してるんだろ。どうせ今頃、見つけたらぶっ殺す、とか言いながらコンビニでたむろしてるだろーし、そこに奇襲かけりゃ一発だ」


 きわめて暴力的な結論を出した淳平は、そこでふと首を傾げた。


「そういえばクズ団子って四人いなかったか? 青也の今の話だと三人だけになったみたいだけど」

「リーダーみたいなのがいたよな。それは俺も覚えてる。確か一つ上だから卒業しちゃったんじゃねぇの?」

「なるほどな。じゃあ……」


 淳平が何か言いかけた時だった。青也は突然、背筋を這い上がるような寒気を感じると、本能的に手を伸ばして淳平の二の腕を掴んだ。相手が何か言う前に思い切り引き寄せる。ファストフード店の安いテーブルは簡単にひっくり返り、淳平はバランスを崩して床に倒れこんだ。


 それによる短い悲鳴と、窓が割れる音がしたのは、ほぼ同時だった。

 道路側に面した窓ガラスが粉々に砕け散り、細長く大きな、そして硬質な何かが店内の床へと突き刺さる。青也は割れた窓の向こうで、作業者に乗った工事の人間が真っ青な顔をしているのを見た。床に刺さったのは鉄材で、どうやら工事で使っていたものが、何かの弾みで店の中に突っ込んだようだった。


「平気?」


 床に倒れこんだ淳平に青也が声を掛ける。淳平が座っていた椅子は、鉄材が弾き飛ばした他のテーブルが激突して、遠くに弾き飛ばされていた。


「死ぬかと思った……。よくわかったな」

「何か嫌な予感したんだよな」

「流石野生児。ったく、ついてねぇな」


 立ち上がった淳平は辺りを見回し、けが人がいないのを確認して少し安心したような表情を見せた。パニックになって泣き叫ぶ女の子や、錯乱しているのか無意味に立ったり座ったりを繰り返す老人はいたが、流血している者はいない。


「工事現場の資材か。風にでも煽られたか? ……って、青也?」


 青也は割れた床の上を器用に歩き、突き刺さった鉄材の傍へ向かう。どこでも見かけるような加工された鉄の柱で、窓から見える建設中のビルに使われるものだとすぐに推測出来た。

 だが青也はそれよりも、鉄材の隣に落ちた紙切れのほうが気になっていた。

 殆ど損傷もなく落ちている紙は、鮮やかな赤い色をした長方形で、表面に何か文字が書いてあった。長方形の短辺の片方には穴が開けられて、凧糸が通されている。

 糸を摘まんで紙を持ち上げ、青也はそこに書かれている文字を読み上げた。


「災厄がふりかかりますように」

「何だそれ。短冊?」


 後ろから追ってきた淳平が、青也の持っている紙を見て疑問符を上げる。それはどこから見ても、七夕の短冊にしか見えなかった。


「そうみたいだな。でもこれ変だぞ」


 物騒な願い事は、茶色い歪んだ文字で書かれていた。青也はそれに鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。錆びた鉄に似た匂いが嗅覚を微かに突いた。


「血で書かれてる」

「血?」


 貸せ、と淳平もその短冊を手に取り、そして同じ仕草をした。


「何だこの悪趣味なの?」

「呪いじゃねぇの?」


 青也がそう言うと、淳平はあからさまに嫌そうな顔をする。実生活で滅多に耳にすることのない単語に拒絶反応を示したようだった。


「変なこと言うなよ。薄気味悪い」

「玲一路を助けた時、七夕飾りがすぐ上にあった。別に珍しいもんでもねぇけど、なーんか気になるな」


 下の階から店員が駆けあがってくる音が聞こえる。

 二人は顔を見合わせると、面倒ごとに巻き込まれるより先に非常口の方へ走って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る